四章

1

 昨夜から降っていた雨は、陽が落ちる頃には止んでいた。

 星々が、薄雲の裏、弱々しく揺れている。

 ヒヤマとヤナセを乗せた車は府中基地の正門に到着した。

 無人である。しばらくすると、横長の巨大な門が中央から割れ、重音を轟かせながらゆっくりと両側へ開いていく。

――誰もいない……?

 ヒヤマは訝しがる。通常いるはずの基地警備隊がいない。カガミが人払いをしているのだろうか。

 基地内に入ると、ヒヤマは自動操縦をオフにし、手動に切り替えた。

 C3棟近くの駐車場で、ヒヤマとヤナセは車を降りる。

「おじさん……体調は大丈夫ですか?」

「大丈夫だ」

 ヤナセはそう言うが、明らかに顔色が悪い。

「キリ君、心配そうな顔をするな。ほらC3棟に案内してくれ」 

 C3棟のスロープを降りると、昨夜とは違いシャッターが開いていた。

 その先にはバスケコートが入るほどの広い空間が広がっている。おそらく禍獣を載せるためのものであろう大きなストレッチャーが二台、そこで存在感を放っている。

 さらに空間の一番奥には、乗用車一台分が通れるくらいの大きな扉がある。

 程なくしてその扉が中央から開く。

 開いた先には、白衣のカガミが一人、立っていた。

「ようこそ、ヒヤマ君、ヤナセさん」

「カガミ……!」

「早速だが、こっちに入りたまえ」

 カガミは今、無防備である。一瞬で首をはねてしまえばいいのではないか、と頭によぎる。

「キリ君」

 今にも腕を刃へ変形させようというところだった。

 ヒヤマが振り返ると、ヤナセは首を振って、

「まず話を聞こう」

 カガミは奥に消える。

 ヒヤマは殺意をおさめて、奥へと歩き出す。

 そこには大きな台、ライトや生体情報モニター、手術支援ロボットなどが置かれている。手術室だろう。

 カガミはこの部屋の中央にいた。

 白衣のポケットに手を入れ、薄笑みを浮かべながら、

「ヒヤマ君、君は生物と無生物の違いってなんだと思う?」

「俺はお前の講義を受けに来たわけじゃない。ユリを返せ」

「まあそう言うなよ。つれないね……じゃあ、先にこれを見てもらおうかな」

 カガミは部屋の隅に行き、なにやらパネルを触る。すると奥のガラス張りだったスペースに明かりが点いた。ガラス張りの向こうには、台に載せられた黒い小さな鉱物のようなものが浮かびあがる。そのさらに奥の壁には鏡が張られている。

「もっと近くに寄って、これを見てみるといい。ヤナセさんも」

 カガミのペースに乗せられるのはしゃくだった。が、ヤナセが先に歩き出し、ヒヤマもしぶしぶそこへ近寄った。

 そこでヒヤマは目を見張った。

 こぶし大のその鉱物は、わずかではあるが動いているのである。

――これは……禍獣に関係するなにかか……?

「それは父だ」

 背後からカガミの声。カガミはいつの間にか入り口の方へ移動している。ヒヤマはあまりのことに言葉が出なかった。

「正確には父だったもの……なのかな。ヒヤマ君、その鉱物は生きているかい? その鉱物は生物なんだろうか? その鉱物はまだ私の父なんだろうか?」

 なにを聞かれているのか、なんと答えればいいのか、ヒヤマは当惑するばかりで一言も発せない。代わりにヤナセが、

「どういうことだ……なんでこれがダンさんなんだ? 一体なにを言っているんだ」

「……父、カガミダンは自ら禍獣の元となる物質を体内に注入してね、そんな姿になってしまったんだ。その物質の性質なのか、それが体内に入るとDNAの遺伝情報が書き換わってしまうんだよ。たんぱく質がその物質と強く結びついて、体が鉱物のようになってしまう」

「なぜそんな事を……」

 カガミから笑みが消える。

「なぜそんな事を? もちろん自殺だよ。自殺の原因はあなたが一番良く知っているだろう、ヤナセさん」

「私が微生物を全滅させたのが原因か? でもそれはデマだって言ったじゃないか」

「あなたが殺したのは微生物じゃない。全人類の希望だ。神と言ってもいい」

「なにを言っているんだ。抽象的でわからない。もっとはっきり言ってくれ」

 カガミの目は暗くなり、そしてゆっくりと唇が動いた。

「コロナオペルタ……」

「コロナオペルタ?」

「そう父が呼んでいた……深海で胎動し続けていた巨大な生物。それがあなたが殺した神だ」

「それが神なのか? どうして神なんだ」

「何から説明すればいいかな……」

 カガミは目を細める。ヒヤマもヤナセも、カガミの続く言葉を待った。

 やがてカガミは憂鬱そうに、その口を動かし始めた。

「少し昔の話をしよう。もともとリディルは軍事会社じゃなかったのは知っているね? 海洋調査会社だ。リディルが戦争に加担するようになったのは、相手国の海洋多目的システム……言い換えれば核魚雷のせいだ。大陸間弾道の射程を持つこの核魚雷は、水深千メートルという深さで潜行すると言われていた。つまり探知は容易ではなく、安全な位置から発射でき、超射程でこちらの港湾、イージス艦、都市などを破壊する恐るべき兵器だ。津波を人工的に引き起こすことも可能だという噂もあった。

 リディルは海の専門家として意見を求められた。核魚雷の発射ポイントはどこか? 発射されたとしてどのルートを通るか? 

 始めは深海について話をする程度だったリディルは、しかし戦争が激しくなるにつれ、段々と戦争の深みに嵌まっていく。やがて備品の調達や、ソナーの提供、核魚雷警戒の為の深海監視、対潜戦についての作戦会議にまで参加するようになっていった。

 そこで事故が起こる。ニュースにもなったから君たちも知っているだろう。リディルの潜水船とその核魚雷の、深海での衝突事故だ。予想される発射ルートを監視していた潜水船に、運悪く当たってしまった。まあでもこれは、考え方によっては運が良かったとも言える。無人の潜水船は破壊され、その母船のクルーたちは亡くなったが、核魚雷の本来の目的が果たされていたら、被害はそれどころじゃなかったはずだからね。

 そして戦争は終わり、リディルは海洋調査に戻るのだが、父カガミダンは優しい男でね、まず事故で亡くなったクルーたちの遺品を海底から見つけようとした。偶然か必然か、そこで発見されたのがコロナオペルタだ。核魚雷によってえぐれた海底を、それは丁度埋めるようにして存在していた。はじめ、コロナオペルタは新種のクジラかと思われた。形が似ていたからね。体長はおよそ百メートルほどだったろうか。間違いなく地球で最大の生物だ。しかし観測をしていても、呼吸のために海面に上がることもない。捕食のために動くこともなかった。海底で、全く動かず胎動し続けるだけの奇妙なクジラ……どうやって生命活動をしているのかも謎だった。そしてある日、父は信じられないものを目撃する……。

 ビルをまるごと飲み込めるほどのコロナオペルタの大きな口が開いた。そこから、小さな山ほどの巨大な鉱物の塊が吐き出されたのだ。自身の体よりも大きな塊だ。吐き出した反動で、コロナオペルタは数十メートルほど後退する。

 さらに驚くべきことがあった。その塊はレアアースや金などの様々な鉱物で構成されていたのだが、その中に未知の鉱物まであったのだ。それは原子番号132番で構成される鉱物だ。父はこれをカガニウムと名付けた。まあ、名前はどうでもいい。大事なのは、コロナオペルタは重い元素の鉱物を産み出したということだ。これがどういうことかわかるかい?」

 ヒヤマはなにも答えられず、ただ黙っている。しかしヤナセは口を開いた。

「き、君やダンさんはひょっとして……そのコロナオペルタが元素合成をしているとでも思っていたのですか?」

「その通り、核融合だ」

「馬鹿な! そんなことあるわけない! 水素の核融合ならまだしも、原子番号132を生成する核融合だって? 地球はおろか、太陽が爆発したってそんなことは不可能だ。元々地球にあった鉱物を飲み込んで、吐き出していただけでは?」

「コロナオペルタはそのように鉱物を産み出す行動を、何回か繰り返した。自分の体積の何倍もの量だ。体内にあったとはとても思えない」

「それでもまだ核融合よりかは、可能性としてありえるだろう」

「……ヤナセさん、あなたは地球の年齢を知っているかな?」

「よ、四十六億年だったかな……」

「カガニウムが最も安定する同位体の半減期はせいぜい数百万年だ。地球の年齢ほど長くはない。要するに、現在存在するカガニウムは、地球誕生の際にあった天然のものではないんだよ。誰かが作らなければ存在しないものなんだ。まあこれはカガニウムに限ったことじゃない。原子番号92のウラン以上は、全てが人工元素だ」

 ヤナセはこれに言い返せないようだった。

「じゃあ誰が作った? 中性子星の合体でしか得られないような核融合をこの地球上で誰が出来る? それは神だ。それも地球規模のチンケな神じゃない。宇宙の神だ」

「な、なにかの間違いだ……そんなことありえない……」

 ヤナセの声は震えている。

「そう、ありえない。ありえないことをコロナオペルタはやっていた。今となってはなにかの間違いだった、と言われてもなんの反論も出来ないよ。コロナオペルタは君たちが殺してしまったんだからね。どうやって核融合していたのか、それとも核融合ではない別のなにかだったのか……一番知りたいのは僕たちだったよ……」

「カ、カガニウム自体がなにかの間違いだったんじゃ……」

 ヤナセのこの言葉に、カガミは微笑を浮かべた。

「……カガニウムを肯定する存在が、ヤナセさん、あなたの隣にいるではないですか」

 ヒヤマは思わず自分の体を見た。

「禍獣は、コロナオペルタと父の形見だ」

 ヤナセの呼吸は荒くなっていた。体もゆらゆらと不安定である。

 ヒヤマはヤナセの体を支えた。

「なぜ……微生物を発見したなんて嘘をついたんだ……?」

 ヤナセが言う。

「海洋上に研究施設を作るには名目が必要だろう。コロナオペルタが新たな戦争の火種になることや他の研究機関に奪われることを父は怖れた。はじめのうちは出来るだけ秘密にしておきたかったんだろうな。そこで経産省には微生物という報告をしたんだ。しかし結局コロナオペルタを失うことになってしまったけどね。非常に間抜けな結末だよ……」

 カガミは笑う。乾いた声だった。

「僕はね……コロナオペルタは、宇宙のエネルギーと繋がっていたんじゃないかと考えているんだ。もしくはあれは宇宙そのものだったのかもしれない。途方もない存在であったことは確かだ。ヤナセさん……あなたは悪魔だ。禍獣を生んでいる私なんかよりずっと凶悪だ。私利私欲のためにそんな存在を消してしまったのだ……とんでもなく業が深いよ。あなたには……死すら生温い」

 立っているのが辛くなったのだろう、支えていたヤナセの体が重くなった。

 ヒヤマはゆっくりとヤナセを床に座らせる。

「おじさん、大丈夫?」

 ヤナセは声を出さず、首を縦に振る。

 ヒヤマはカガミを振り返り、

「……お前の父親が自殺したのは、コロナオペルタを失ったからか」

「そうだ」

「リディルの業績悪化を苦にしての自殺じゃなかったのか」

「同じことだ。戦争が終わり業績が悪化していくなか、コロナオペルタという希望の光を見つけ、そして失った。父はより絶望を感じたことだろう」

 ヒヤマは部屋の隅に椅子を見つけ、それをヤナセの側に置いた。

「だからお前はおじさんに父親の復讐をしようというのか」

「復讐……」

 カガミは顎に手をやり、少し考えるようにして、

「……強いて言うなら使命だ。コロナオペルタを殺すことに関わった人間はこの世から消さなければならない。禍獣によってね」

 ヒヤマはその言葉に引っかかりを覚えた。

「……お前が、俺の親父を禍獣に殺させたのはなぜだ。俺を禍獣にしたことと関係があるのか」

 カガミは不思議そうな表情をした。

「なんだ、まだ聞いていないのか……」


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