9

 高層マンションからの壮大な夜景を前に、ヒヤマは脳内で飛行のシミュレーションをしていた。

――三人を抱えて飛べるだろうか。いや……飛べずとも安全に地上に着地出来るか……

 ユリ、マリー、ヤナセをどのように抱えるのがいいか、身体を様々に変形させてみる。

 もちろんこれは非常用のシミュレーションだ。万が一ここでリディルに襲われた場合のものである。

 ここはヤナセの別宅。公には知られておらず、名義も親戚のものであるらしい。

 場所が新宿で、市ヶ谷基地から近いのがヒヤマには気になったが、贅沢は言えるはずもない。

 それに近いのは悪いことばかりでもない。ユリとマリーがここに来やすいからだ。

――しかし、まだか……

 ヒヤマは気を揉んだ。

 マリーから、『ユリを助け出した』とインプレに連絡があったのが二時間程前。この場所を知らせたのは一時間程前である。

 市ヶ谷基地からは、徒歩でも一時間程度の距離になる。そろそろ到着してもおかしくはない。

 ヒヤマは変形作業に区切りをつけ、リビングを理由もなくうろうろとする。

――もう一度電話してみるか。

 そう思ったところでインターホンが鳴る。

 モニター画面を確認すると、ユリとマリーが映っている、解錠ボタンを押す。

 ややあって二回目のインターホン、解錠ボタン。このマンションは一階のフロアで二重のオートロックとなっている。普段なら防犯上優れた機能なのだろうが、このときはじれったさを感じるばかりであった。さらにこのあと玄関前からのドアホンも鳴るのだ。

 案の上鳴るドアホンを疎ましく思いながら、玄関のドアを開ける。

「ユリ、だいじょ……」

 言いかけ、ヒヤマはひるんだ。

 ユリが仁王像にも負けない形相で立っている。

 ヒヤマ、思わずドアを閉める。

 間髪入れずに荒らかに開くドア。

「閉めてどうする」

 ユリの目は、倍の大きさに見開かれている。

「す、すまん……」

「まだ! なにも言ってないんですけど!」

 ずかずかと室内に入っていくユリ。マリーは冷淡な目でヒヤマを一瞥したあと、ユリの脱ぎ捨てた靴を無言でそろえて玄関にあがった。

 リビングにて、ヒヤマはユリに怒涛の勢いで説教を受けた。

 ユリの怒りの原因は、急に連絡を取れなくなったことが一番のようだ。要約すれば、どれだけ心配だったか、自分勝手すぎる、昔からそうだ、ということなのだが、これを様々なバリエーションの言い回しで叩き込んでくるのだ。

 ヒヤマはただひたすらに謝るしかなかった。下手に反論しようものなら、十倍になって返ってくる。

 マリーは基本的に無言で、たまにユリに同調するようにうんうんとうなずく。

 ひとしきり説教を食らったところで、

「ユリ、そろそろ話を進めよう」

 あまりの猛攻に気を失いそうになっていたヒヤマは、マリーからの助け舟に心から感謝した。

「そうですね。お兄ちゃん、いったん置いておくけど、まだ話は終わってないからね!」

「……はい」

「ヒヤマ、ヤナセさんは?」

「寝室で休んでいます。ちょっと体調がすぐれないみたいで」

「え、大丈夫なの?」

 ユリが声をあげる。

「重くはない。念のためだ」

「そう……心配……」

「マリーさん、ユリを助けてくれてありがとうございます」

 ヒヤマは頭を深く下げる。

「まあ、約束したしな」

「マリーさんの立場を悪くしてしまいました……」

「大丈夫だ。あたしは今回の自分の行動を後悔することはない。あたしもあんたの読みを頭ごなしに否定してすまなかったね。結局リディルは禍獣をつくっていた。信じられないよ。先代が居たらなんて言うか……」

「先代……マリーさんはカガミダンを知っているんですよね」

「ああ」

「どんな人だったんです?」

「……優しい人だ。初めて会ったのは戦争中で横須賀基地だったな。当時あたしは米軍の新兵だったが、いろいろと目をかけてもらったよ。なんと言っても、先代は戦争を憎んでいたな」

 懐かしそうに目を細めるマリー。

「……それは、意外です」

 世界最大の民間軍事会社の先代社長が、戦争を憎んでいたとはなんとも皮肉である。

「……あたしの印象では先代と同じくカガミヤマトも優しい男なんだがな……どうしてこんなことをするようになったか腑に落ちないね。カガミはヤナセさんを殺せと言ったんだろ? カガミがヤナセさんを恨む理由はなにかわかったか?」

 ヤナセを殺せ、というフレーズが出たとき、ユリの表情は曇った。

 ヒヤマはさきほどヤナセから聞いた話を二人に伝える。


「エネルギー……炭化水素を生成する微生物……か」

 マリーはまぶたを閉じた。

「……戦争後、あたしはリディルに転職した頃だ、たしかに新種の生物を見つけたって話は多かった。だがそんな微生物は聞いた事はないな。秘密にしていたんだろうか」

 ヒヤマはふと、シュリの研究室にあったクジラのオブジェを思い出した。

「マリーさん、その新種の生物の中にクジラはありましたか?」

「クジラ? いや、クジラはなかったと思うが。なんでだ?」

「そうですか。いや、なんとなくです。変な質問してすみません」

 クジラがもしあったとしてなんだというのだ。ヒヤマは自分の質問の愚かさを恥じた。

「……さてこれからどうしようかね」

「やはりまず政府に知らせるべきかと」

「お兄ちゃん、政府に隠蔽されたりしない?」

「政府ぐるみとは思えない。禍獣はリディル単独で産み出しているはずだ」

「いや、ヒヤマ、政府ぐるみじゃなくとも隠蔽はありえる。リディルはでかいし、内閣府とも関係が深い。世間に情報が漏れていないなら内々に処理したほうがいい、と政府が考える可能性もある。マスコミにもリークしなければダメだ」

「なら先にマスコミにリークして、次に政府ですね」

「ああ、あたしの証言もあればマスコミも信じるだろうしな」

「ありがとうございます。朝になったら早速行動します」

「そうだな……」と、マリーは時計を見て、

「もうこんな時間か。そろそろ休むか?」

 ヒヤマは頷いた。体が重い。おそらくみんな疲労が溜まっているだろう。

「シャワー借りるぞ」と言ってマリーはリビングを後にする。

 その一方で、ユリはとても不安そうな顔をしていた。

「ユリ、お前も休め」

「……うん」

 力なく立ち上がるユリを見て、ヒヤマは胸が詰まった。

 一刻も早くリディルの悪事を暴き、元の平穏な生活を取り戻す、ヒヤマは心にそう誓った。


 朝。

 ヒヤマはマリーに揺すられて起きた。

 リビングのテーブルに突っ伏したまま寝ていたようだ。

 昨夜はマスコミにリークする文面を作成するため、ヤナセのパソコンで作業していたのだが、途中で力尽きたのだ。

「ヒヤマ、大変だ。ユリがいない」

 目を覚ますには充分すぎるほどのニュースだった。ヒヤマは慌てて体を起こす。

「え? どういうことです」

「まずはこれを読め」

 マリーは一枚の紙を渡してきた。一見して、どうやら置き手紙らしかった。



お兄ちゃんとマリーさんへ


まずは黙って出て行ってごめんなさい。

なぜ出て行ったのかというと、タイ君のことです。

私にはリディルの社長のカガミさんがどういう考えをしているのかはわかりません。

でもおじさんや私にまで危害を加えようとすることから、手段を選ばない危険な人だというのはわかります。

だとすると、次に危険が及ぶのはタイ君のはずです。

タイ君を危険な状態にしたままなのは、私はとても耐えられません。

マリーさん、せっかく助けてくれたのにごめんなさい。

本当に感謝しています。 

お兄ちゃん、私に気にせずマスコミにリークしてください。

リークされてしまえば、きっと手を出しづらいはずだから。


ユリ



 ヒヤマはすぐにインプレを起動させる。

「無駄だ、電源切ってるぞ」

「クソ!」

 だがユリを責めることは出来ない。確かにタイシに手を出さないという保証はどこにもなかった。

「どうする? こうなったらすぐにマスコミにリークして、カガミの行動を制限したほうがいいかもな」

「……マリーさん、今回の一連の事件、俺に向けられた深い執念のようなものを奴に感じます。あいつはマスコミにリークされようものなら、なりふり構わずユリを殺す気がします。そこには損得はないような気がするんです」

 そこへ、

「キリ君。私を連れていけ」

 その声のほうを見ると、すでに外着に着替えたヤナセが立っている。

「おじさん、それは駄目だよ。殺される」

「私は殺されてもいいよ」

「な……なに言ってるんです。おじさん、なにかあったんですか?」

「消せない過ちが私の中でどんどん大きくなっていくんだ。やっぱりスギトの言った通りだったよ」

「なにを……」

 そこへ、着信音。起動したヒヤマのインプレだ。

 ヒヤマはすぐに通話をONにする。

『やあ、ヒヤマ君』

「カガミ……!」

『どうやらヤナセさんを殺していないようだね』

「出来るか! そんなこと」

『まあ、気持ちはわかるよ。しかしせっかくマリーに助けてもらった妹も、結局こちらに戻ってしまった』

 ヒヤマは顔をしかめた。まだリディルに捕らえられていないことを願っていたが、それも叶わなかった。

『でも妹の判断は賢明だったと思うよ。彼女がこちらに戻っていなかったらヤマモト君が死んでいたからね』

 全身が総毛立つ。タイシにまで危害を加えることを厭わないのは、完全に頭がおかしい。

「タイシは関係ないだろ!」

『直接はね。でも君の因果だ』

「キリ君、ハンズフリーにしてくれ」

 ヤナセの要求にヒヤマはどうしようかと少し迷ったが、結局言われた通りにした。

「カガミさん。ヤナセだ」

『これはこれは……はじめまして』

「リディルがヤナセオイルを恨んでいるというのなら謝罪したい。償いもしよう。だからこれ以上ユリ君やキリフジ君を苦しめないでくれないか。禍獣の件も他言しないと約束する」

 カガミの反応はない。ヤナセは続ける。

「私を許せないのはわかる。だけど彼らを苦しめて何になるんだ。下手したらリディルは終わってしまうじゃないか」

『……ヤナセさん。あなたはちょっと勘違いをしている』

「勘違い?」

『まあ、それも無理ないか……知らないんだから……』

「なんだ? 勘違いというなら教えてくれ。微生物のことじゃないのか?」

『微生物? ああ炭化水素を発生させる微生物のことを言っているのかな? あれは父が流したデマですよ。そんなものない』

「ないだって? なんだってそんなデマを……」

『ヤナセさん、あなたは償うと言った。その言葉に嘘はないですか?』

「……他に償うべきことがあるのか?」

『ええ、大罪です』

「大罪?」

『そうか……直接話をするのも面白いかもしれないな。どうでしょう?』

「我々は従うしかないだろう」

『そうですね。日が暮れてから、府中基地C3棟地下に来てください。ヒヤマ君とヤナセさん、あなたたちに見せたいものがある』

「おい! ユリとタイシには手を出すなよ」

 ヒヤマは吠えた。

『マリー、君もそこにいるんだろう? 君は来るな』

「提督、あたしはリディルを辞める。あんたに命令を受ける筋合いはないね」

『今辞めたら劇場が小さくなるんじゃないかな?』

 カガミは少し楽しんでいるような口調だった。

「あんたには関係ないだろう」

『来たらヒヤマの妹は死ぬよ。そしてこのことを世間に公表しても死ぬ。わかったね』

 通信が切れる。

 マリーはひどく苦々しい顔をしていた。

「劇場?」

 ヒヤマが言うと、マリーは舌打ちした。

「……劇場を作るのが夢だって、そう言ってリディルに入社したんだよ。先代から聞いていたのかあいつ」

 マリーは頭を乱暴にかいた。バツが悪そうな表情をして続ける。

「まあそんなことはどうでもいい。聞いての通りあたしは行けなくなっちまった。あんた大丈夫かい?」

「大丈夫じゃなかろうと、行くしかないです」

 ヒヤマの言葉にヤナセも頷いた。

「……あたしのほうでも、なにか出来ることがないか考えてみるよ」

「ありがとうございます」



(三章終わり)


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