8

「マ、マリーさん……なにを言ってるんです……?」

 クラマは明らかにうろたえたような反応である。演技にしてはクサイ。マリーには、彼は本当に知らなかったように見えた。

「そのままの意味だよ。リディルは自社利益のために禍獣を作っていた。で、CBSUにも禍獣の力を使っている奴がいる。あんたは知らないんだったら使っていないのか。もしくは知らずに使わされているのかもな」

「……すごい面白い話ですね。で、その事実を知ったマリーさんはリディルに対するテロリストになったと」

「テロリストとは言ってくれる。あたしはただ、人を連れだしに来ただけさ」

「人っていうのは誰です?」

「元CBSUヒヤマ隊員の妹だ。ちなみに言っておくと、ひ号禍獣というのはヒヤマが禍獣になった姿だ」

「……ああ、なるほど……なんとなーく事態が把握出来てきました」

「わかったら通してくれないか」

「それは出来ないです」

 即答。きっぱりとした態度だった。

「なぜだ」

「例えリディルが悪でも裏切るわけにはいきません。僕は軍人ですから、一度受けた命令は完遂しますよ」

 マリーは小さく息を吐く。

「……お前がどうしてここにいるのかわかったよ」

 マリーは一気に間合いをつめ、ピンヒールの前蹴りを放つ。

 クラマはそれを刀の鞘で受ける。甲高く、大きな音が廊下に反響する。

 マリーはそのまま足でクラマを押し込んだ。

 クラマが後方へ飛び退くと、マリーも前へ出る。

 そこでクラマ、鞘のまま、突きを繰り出す。マリーもまた、ケースに入れたままのエロ―スでそれを払う。

 何度か突きと払いの攻防を繰り返した後、二人は構えたままこう着状態に入った。

「……思い出しますね、模擬戦」

 クラマは肩で息をしている。

「ふん、思い出したくもない」

 マリーもまた、わずかに呼吸がみだれている。

「……マリーさん、リディル辞めちゃうんですか?」

「さあ、どうかな? でもクビになるんじゃないか」

「クビになるのに抵抗はないんですか?」

「……先代への恩義だけでここまでやってきた。別にやりたい仕事でもなかったさ。禍獣を作っているのは先代の意思とはかけ離れているし、あたしがリディルにいる理由はもうない」

「でもお金はいいですよね。やりたい仕事じゃないとしても、向いている仕事ではあるんじゃないですか?」

 マリーは黙った。たしかに今の給料は規格外に高い。向いている仕事、というのはマリー自身一番よくわかっていた。

――劇場が小さくなるだけさ……

 マリーは心の中でそう答える。

「それに下手したら犯罪者ですよ。そこまでしてヒヤマ君の妹を助ける理由はなんですか? あ、ひょっとして恋人だったりして。マリーさんレズビアン?」

「セクハラだぞお前」

 クラマは心底驚いたような表情をする。

「はわわ……まさかマリーさんにもセクハラを受けるという概念があるとは……」

「お前はあたしをなんだと思ってるんだ……」

 クラマは、人差し指と親指で作ったL字を顎に当てる。「うーん」と言いながら目をつぶって、

「……ジェンダーを超えた生物ですかね。男にも女にもセクハラする側の」

「あんたねぇ……」

「だいたいなんで連れ出すんです?」

「ユリ、ヒヤマの妹の名前だ。ここにいたらユリは殺される」

「ええ……殺される……?」

「もうおしゃべりはいいだろ」

 マリーは一歩にじり寄る。

「わー待って待って! まだ待って! 確かに僕はあの部屋に誰も入れるなって命令されましたけどね。本当にユリさんいるのかなあ、ここにいるっていうのはなんで知ってるんです?」

「ユリは自分で市ヶ谷基地に来たんだよ。大事な件があると呼び出されてな。E棟に入るところまで連絡を取ってた。まだここにいるかどうかは知らん。だがあんたがいるのが答えだ」

 マリーはエロースで、クラマの中段に構えられた刀を薙ぎ払う。そしてすかさず踏み込み、右ローキックを繰り出す。

 鈍い音。骨にまで響いたであろう手ごたえがあった。

「ぐっ!」

 クラマは苦悶の表情を浮かべる。

 マリーは追い打ちをかけようと詰め寄る。

 クラマは刀を一閃!

――早い!

 マリー、身体を仰け反らせて回避する。

 これまでとは違ったスピードに、マリーは慎重にならざるを得ない。

――廊下だろうと関係ないか……

 本来刀を振り回すには不適切な広さではある。しかしマリーにとっても、狭い、ということは逃げ場がないということと同じ。クラマにとっては不利なだけではないのだろう。

「仕方ないなぁ」

 クラマは鞘から刀を抜いた。

 即座にマリーもエロースをケースから引き抜く。

「殺したくないんですが……」

「むかつくね。殺せるとでも思ってるのかい」

「模擬戦で……僕に負けましたよね?」

 クラマの雰囲気が変わった。先ほどまで中段に構えていた刀の切っ先は床に落ち、自身は自然体ともとれる直立でいる。目つきは凄然とし、マリーの足元辺りを見ている。

 マリーは周囲の温度が急激に下がったように思えた。纏わりつく空気が冷たい。クラマの殺気に、熱を奪われているようである。

――悔しいけど、隙がないね……

 マリーはじりじりと左側に移動した。壁際に寄ることによって、クラマの右袈裟や、右薙ぎの選択肢を無くす算段である。

 すると案の定、クラマは左袈裟で斬りかかってきた。

 尋常ではないスピード。だがあらかじめ予測していたマリーは、エロースでこれを弾く。

 続けてクラマの左薙ぎ。

――つなぎも早いなこいつ!

 後方に飛んだが、刀はマリーの腹をかする。

 出血! 

 マリーはかすられた部分が熱くなるのを感じた。

――鋭いね……

 刀はそのままの軌道で、左の壁までもすっぱりと裂いていた。

――とんでもない切れ味だな……

「今日は歌わないんですかぁ?」

 雰囲気とは正反対の頓狂な声。

「あ?」

「マリーさんと言えば歌でしょ。歌ってくださいよぉ」

 いやらしい笑みだった。見下すとも違う。へりくだるのとも違う。ただただ相手の内側をえぐってやろうというような、ゆがんだ笑み。

「……いいね、リクエストは?」

 この笑みに感情を動かされてはいけない。流されてしまっては、飲まれるだけである。

「そうだなあ……アメイジング・グレイスは?」

「わかった。いいだろう」

 マリーはリクエストどおりにそれを歌い始める。

 わずか二小節ほどで、クラマは恍惚とした表情になった。

「上手い……さすがはマリーさんだ」

 聞き惚れているようだが、相変わらずクラマに隙はない。

 マリーも警戒は解かず、自身の意識を、細く細く集中させていく。

――あたしに歌わせたな……あんたは、終わりだ……

 マリーが歌い終える。

 全音符分の余韻の後、二人は示し合わせたように同時に動いた。

 クラマは刀を振り下ろす。

 マリーはそれを受け、右に弾く。

 即座にクラマは左薙ぎ! マリーはしゃがむ。

 空いたクラマの左胴に狙いを定め、マリーは一歩踏み込む。

 するとクラマはすぐに自身の左側を、天地を返した刀で守る。

 だが次の瞬間、クラマの右腕は飛んでいた。

「ぐあああああ!!」

 クラマの右肘から先は見事に輪切りになった。

「う……ま、まさかそっちから……」

 マリーの左側、つまりクラマの右側の壁に二本の切れ目。エロースの軌道は壁を通って、クラマの右肘を落とすものだった。

「あんたの刀で壁を斬れるならエロースにも出来る。すぐに治療すればつながるだろ。消えろ。その状態ではあたしには絶対に勝てないよ」

 クラマはいくらか迷っているようだったが、少しすると腕を拾ってふらふらと退散していった。

 それを見届けるとマリーはすぐに走り出し、部屋のドアを蹴破る。

「マリーさん!」

 心配そうな顔をしたユリが立っていた。

 元気そうであることにまずマリーは安堵した。

「ヒヤマからあんたを助けろと連絡があってね。おしゃべりでもしたいところだけど、すぐに移動するよ」


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