6

「こんな時間にどこに行くんですか」

 背後からその言葉が聞こえると、即座に、さっさと一人暮らしをしておけば良かった、とマリーは後悔した。

 リディル軍では少尉以上の階級になると未婚でも一人暮しが出来るのだが、マリーは隊舎で暮らしていた。興味のないことに対しては一貫して面倒臭がりな気質であるがゆえ、日々の生活の煩わしさを一人でやっていく自信がなかったからだ。

「あんたこそこんな時間になにしているんだ。あたしを夜這いにでも来たのかい?」

「まあ、そんなところです」

 男は眼鏡のブリッジを、曲げた人差し指の第二関節でくいとあげる。この男もまた、大尉でありながら隊舎で暮らしている。

「そりゃ嬉しいね。だけど部屋から遠いぞ?」

 二人は市ヶ谷基地隊舎の南にある記念館前広場で対峙していた。

「そうですね、マリー隊長、部屋に戻りましょうか」

「キネ君、悪いけど今日はあんたと夜の特殊作戦をする気分じゃない。他をあたってくれ」

 いつも無表情のキネには珍しく、この言葉に少し口の端が上がる。

「どうしても行くのなら、強引にでも止めます」

 キネはわずかに腰を落とした。

「……あんたはあたしより階級が低いのに、なんであたしの知らなかったことを知っているんだ?」

「なんのことです?」

「あたしを止めるってことは、あたしがなにをしようとしているか、知っているってことだろう。それはつまり、あたしよりリディルの上層部に近いってことだ。なぜだ?」

「……隊長は、優しいから遠いんですよ」

「……なるほど。じゃあ、なんであたしのほうが階級が上だ」

「強いからです」

「そのあたしを止めるのか?」

 マリーは冷ややかに、キネの眼を見つめた。彼の眼の奥で戦意が跳ねたのを、マリーは見逃さない。

 首を狙ってきたキネの右ハイキックを、最小限のスウェーでかわす。

 キネは続けざまに横蹴りを繰り出してくるが、マリーはそれを叩き落とし、左ジャブをお見舞いする。

 よろめきながら後退するキネ。追撃の好機のように見えたが、マリーは落着き、観察するにとどめた。

「や、やはり、強いですね……」

 キネは警棒を構えた。

 マリーはそれを意に介さず、息を深く吸ったあと、ゆったりとハミングする。

 一粒の雨が、マリーの頬を打った。

 キネの突き。

 喉元に飛んできたそれをマリーは右手で払う。次に左ストレートを繰り出すフェイントを入れる。

 するとキネは警棒をマリーに向け、なにかを射出。

 しかしマリーは、射線にはいない。フェイントでこれを釣ったのだ。

 警棒から射出されたのは、ワイヤーがついている針。遠隔スタンガンである。  

 マリーはエロースを引き抜き一歩踏み込む。

 夜に浮かぶ白弧。警棒は真っ二つになった。

「くっ……」

 キネの眼に、暗い色が現れる。

「おい、やめろ」 

 低い声でマリーは言う。

「あんた、その先に行くんなら、あたしはあんたを殺す。あんたが変わる前に」

 キネは驚いたような表情を浮かべた。

「知ってるんですか?」

「今知った。お前、禍獣だな?」

 キネは今度は眉根を寄せる。今日はよく表情を変えるなと、マリーは心の中でつぶやいた。キネはなにやら逡巡しているようだったが、しぶしぶという感じで口を開いた。

「……なぜわかったんです?」

「ジャブを、同じように禍獣にいれたことがある」

「それだけで……」

「信じられない。CBSU隊員が禍獣の力を利用しているなんて」

「CBSU全員ではありません」

「あたしは?」

「チップとゲノム編集だけです」

「へぇ……それは面白いね。それだけでも禍獣と同じくらい戦えるんじゃないか」

「隊長は特別です」

「どうやってその力、手に入れた」

「これ以上は」

「話せ。もうここまであたしは知っているんだ。いずれ誰かに説明をさせる。お前が話しても同じことだ」

 キネはしばらく黙っていたが、やがて周囲を確認し、

「手術です……」

「どんな手術だ」

 キネは目をつぶり、一つ大きなため息をついた。そして、

「ある鉱物と人体を融合させるものです」

「それは禍獣の体を構成してる物質のことだな? どういうものだ。外部の研究組織にも見せようとしない、あたしたちにすらほとんどその性質を教えようともしない」

 キネは目を開く。観念したような表情だ。

「……研究課はカガニウムと呼んでいます。原子番号132番の超重元素で構成される鉱物です」

 マリーは目を剥いた。

「超重元素だと? ……超重元素の全ては放射性物質で、すぐに原子核が崩壊してしまうだろ。なぜそんなものが安定して存在しているんだ?」

「カガニウムが最も安定する同位体の中性子数は196です。陽子数はもちろん132。これはそれぞれが魔法数というもので、原子核が安定する数なんです。なので半減期は非常に長く、崩壊せずカガニウムとして存在することが可能らしいです」

「……なるほど、それをどうやって人体と融合させる?」

「私もそこまで詳しくはありませんが……カガニウムを一定量骨髄にいれると、DNAの塩基配列が変わるそうです。どのように変わるかというと、カガニウムと結合したたんぱく質を作る遺伝情報が生まれるだとか。ただしそのままでは死んでしまいますので、ゲノム手術で自己免疫システムを改変したり、コントロールするための脳幹神経を増やしたりなどします」

「健康に影響は出ないのか?」

「むしろ生命力は増します。例えば大怪我からの回復も早くなります。ですが、禍獣の力を使いすぎるのはやはり良くないとは聞きます。限界を超えると多臓器不全を起こすみたいですね」

「その手術を開発したのはシュリか」

「そうです」

「ヒヤマも同じ手術を?」

「基本的には同じですが、カガニウム濃度は彼のほうが濃いですね。だから彼はずっと禍獣の形のままです」

「あいつは戻れるのか?」

「元の造血幹細胞があれば理論的には出来るかと思います。ゲノム手術で遺伝情報を戻し、細胞培養で増やした造血幹細胞を骨髄に戻せばおそらくは」

「……もう一つ、リディルが禍獣を生み出したのなら、どうやってそんな物質をつくっている。カガニウム原子たった数個作るのに天文学的なエネルギーがいるはずだ。このエロースもカガニウムなら、超新星爆発でも起きなきゃ出来ないレベルじゃないのか。リディルは宇宙人とでも繋がってるのか」

「……エロースは純物質ではないですが、そこまではわかりません」

「シュリのやつは、どういうきっかけでカガニウムを人体に入れようなんて考えたんだ?」

「それもわかりません」

「そうかい……まあ十分面白い話は聞けた。あたしはそろそろ行くよ。止めるなよ」

 キネにはすでに戦意はなさそうだった。なにも言わず、ただ立ちつくすのみである。

 マリーはキネに背を向けて走りだした。目指すは基地の東端にあるE棟だ。

 途中、基地警備隊員とすれ違ったが、止められはしない。

――監視役はキネだけか……あたしはあまり警戒されていないな。

 E棟の入口に到着する。さすがに建物に素通りで入ることは出来なかった。

 入口に立っている隊員から、

「大佐、どういったご用件でしょうか?」

「詳しく説明は出来ない。機密だ。通してもらえるか」

「このような時間にですか。申し訳ありませんが、誰も通すなと言われています」

「誰にだ?」

「カガミ提督です」

「……提督直々の命令だと?」

「はい」

「なるほど……」

 マリーは素早く隊員のみぞおちに一撃を入れた! 続けて素早く彼の体を反転させ、引き寄せる。

 声をあげる間も与えずに、マリーは頸動脈を絞めた。

 程なくして彼は気を失う。

――もう後にはひけないね。

 急ぎ隊員を目立たないところに移動させる。

 E棟に入り、マリーはすぐに地下を目指した。

――地上階では通常の業務がある、軟禁するなら地下しかない。

 E棟最下層、地下三階に降りると、マリーは自分の考えが正しかったことがすぐにわかった。

 どこかから移動してきたであろう、廊下に不釣り合いな回転椅子。禍々しい刀を抱きかかえ、それに座って寝息をたてている男がいた。

 マリーが一歩近づくと、男は目を開ける。

「あれえ、マリー大佐じゃないですか」

「クラマ中佐、あんたそんなとこでなにしてる?」

「それはこちらのセリフですよ。大佐こそこんなところになんの用ですか」

「あんたが軟禁してるお姫様を救いに来たのさ」

 クラマはあくびをしながら立ち上がり、次いで興味なさそうに後方の部屋を見た。

「……お姫様。あの部屋には女の子がいるんですか」

――知らない……?

「……クラマ、あんたはどっちだ? チップか? それともチップじゃないほうか?」

「んー? ……なにを言っているんです。不穏だなあ。リディルに一体なにが起きてるんですか?」

「クラマ、あんたは知らないのか?」

「なにをです? あ、マリーさん、ひょっとしてあなたテロリスト? 僕、あなたと戦うんですか? うええ、普通に嫌なんですけど……」

「はっきり聞くぞ……お前は……リディルが禍獣を作っていることを知らないのか?」

 クラマは目を丸くした。


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