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 日本にある旧航空自衛隊基地は、今ではほとんどがアースフォースのものである。

 だがこの旧府中基地に関しては、数少ないリディル空軍の専用基地となっている。ここの基地機能は司令本部としての役割が主で、戦闘機などはない。

 そもそもリディルは民間の軍事会社である以上、戦闘機の配備は限定的で、空軍の規模は小さい。

 ヒヤマにとって、禍獣の研究施設が空軍基地にあるのは意外であった。

 CBD及びCBSUは陸、海、空、共同の部隊とされているが、CBDの司令官、ゴウマ中将は陸軍所属である。

 また第三次世界大戦で、リディル社は主として旧海上自衛隊と行動を共にしていたため、リディル三軍に海軍の習わしが残っている。

 ゆえに空軍は、CBSUにとって三軍の中でもっとも馴染みが浅いといえる。

 ヒヤマ自身、この府中リディル空軍基地に足を運ぶのはこれが初めてである。

 侵入自体は容易だった。深夜、東側のフェンスを飛び越えるだけだ。だがそこからが難儀である。

 シュリが言ったC3棟という建物がどの建物なのか、判別がつかない。唯一わかっていることは、基地の北側には社員宿舎があるということ。これはインプレでアクセスした地図に載っていた。わかるのはそれだけで、その他の部分は黒塗りになっている。そこでまず一番近くの建物を当たってみることにした。

 幸いこの建物がなんなのかはすぐにわかった。大きな入り口から伸びる道路は、基地中央のヘリポートにつながっている。まず間違いなくヘリの格納庫だろう。

 ヒヤマはその周辺、基地中央を探索した。中央の西側にはグラウンド、東側には倉庫、格納庫、通信塔等があり、C3棟らしき建物はない。

――とするとC3は南側か。

 南側へ移動する際に、巡回している基地警備隊員を一人見かけた。ヒヤマはこれに少し安堵した。

 基地警備隊がいるのは当然であり、いなかったら不自然である。

――警備が異常に多いということもない。特別な警戒はなさそうだ……

 ヒヤマは隊員を建物の陰でやりすごす。

 隊員は、のんびりとした歩調で北側へと去っていった。

 なにを信じるべきか、混迷のなか自問自答を繰り返すヒヤマに、その歩みは羨ましくあった。

――あの隊員もリディルが禍獣をつくっていることを知らないんだろう……

 しかしそれは無理もないことだ。あの隊員どころか、大佐クラスが知らないことである。

――俺もあの隊員と同じだった……

 シュリは人間に戻れると言った。だがヒヤマには、自身があの隊員と同じような歩みを取り戻せるとは、とても思えなかった。この数ヶ月の出来事によって、帰る手段のない異世界へ連れてこられたようである。

――俺を人間に戻すために、シュリは危険を冒したんだよな…… 

 あのあとヒヤマは、かつてタイシをそうしたように、シュリを横須賀のリディル軍病院に運んだ。安否はわからないが、ヒヤマが病院に連れていかなかったら確実に死んでいただろう。

――わざわざ戻すなら、なんで俺を禍獣にしたんだ……理解不能……だ……

 不可解なことに滅入りそうであるが、ヒヤマはC3を探すのを再開する。

 ヘリポートのすぐ南には、東西に長く伸びた大きな建物があった。ヒヤマはその正面入り口を植木の影から覗く。警備隊員が立っていて、入り口横に看板。

 看板には、『C2棟 航空機器開発部、電子機器開発部、航空気象部』とある。

――C2! 西から番号をふっていくと考えると、C3はこの建物の東にある可能性が高いな。

 推察通りであった。C2の東にある建物には、C3棟と看板が掲げられている。看板にはそれだけで、他にはなにも書かれていない。

 ヒヤマは見つからないよう慎重に、建物を一周してみた。三階建で、サイコロのような立方体の建物である。C2に比べたら大きさは四分の一ほどだろう。灯りは点いておらず、誰もいないように見える。入り口に警備隊員も立っていない。 

 建物の隣には、地下へ続く、トラックも入れそうな広いスロープがある。

 ヒヤマは警戒しながらスロープを降りていく。スロープの先には大きなシャッターがあり、シャッターに向かって左に通用口であろう鉄製の扉がある。

 ヒヤマは渡されたカードキーでロックを解除し、ゆっくりと扉を開けた。

 自動で明かりがつき、十メートルほど先に横引き扉が見える。これ以外は他になにもない細い廊下だ。この扉にもロックがかかっていた。

 これを同じように解錠し中に入ると、次は右に廊下が伸びている。突き当りには『滅菌室』と書かれた扉があり、その途中に、左へ折れる角。ヒヤマは左に折れるほうを選択した。

 廊下の先には、上階へつながる階段、エレベーター、トイレ、それともう一部屋。やはりこの部屋にもロックがかかっている。

――インプレがあるとしたら、滅菌室よりこっちの部屋のほうか……

 ヒヤマはロックを解除し、中に入る。

 部屋は狭い。四方の壁際にはそれぞれ本棚が置かれ、びっしりと本で埋め尽くされている。並んでいるのは医学書から、細胞、鉱物、菌、美術などさまざまなジャンルの本である。そして部屋には、わずかに消毒液のような匂いが散っている。

 椅子は一脚、デスクは大きなものと小さなものがある。小さなほうに顕微鏡、大きなほうにはクジラの形をしたオブジェが乗っている。

――本棚の裏と言っていたな。

 本棚は背面が格子状に抜けている作りであった。ヒヤマは手当たり次第本棚から本を抜いていく。二つ目、入り口を背にして左側にあった本棚の下段を抜いたところで赤いインプレを発見した。

――あった! あとは造血幹細胞だが……

 それが一体どういったものに保存されているのか、ヒヤマには見当もつかなかった。そもそもここにあるのかどうかも定かではない。

 しばらく部屋を物色していると、

『ヒヤマ君』

 と聞こえた。

 驚き、辺りを見まわすヒヤマ。が、誰もいない。

『そんなところでなにしているんだい?』

 生声ではない、放送であることに気づく。

「誰だお前は」

『わからないか? カガミだよ。カガミヤマト』

「カガミ提督……あんたがシュリに、俺を禍獣にしろと指示したのか?」

『さあ、それはどうだろうね』

「しらばっくれるな! なぜ俺を禍獣にした」

『定期的に禍獣が現われてくれないとリディル社は困るから、君はその犠牲になってもらったんだよ。すまなかったね』

「他にもなにか理由があるだろ。シュリが言っていたぞ」

『……カマをかけているね? いいだろう、少しサービスしようか。君個人に恨みがある訳じゃない。君の因果に用があるんだ。君は役者でしかない。だからそろそろ勝手なアドリブは困るよ』

「なに言ってやがる。ちゃんと答えろ!」

『でも君はいい役者かもしれないな。おかげで別のシナリオが思い浮かんだ。ところで君は苦しんだかい?』

「当たり前だろ!!」

『そうか……苦しんだか』

「なんなんだお前は一体……俺が、お前になにをしたって言うんだ」

『……人間に、戻りたいか?』

「答えるまでもない」

『条件があるけど、君を人間に戻してあげてもいい』

「……お前に戻してもらわなくてもいい」

『研究資料があろうが、手術できるのは僕かシュリだけだ。他の人間やロボットなんかには君を人間に戻せないよ。それに君はこの条件に従わざるを得ない。従わなかったら妹が死ぬことになるからね』

 ヒヤマは奥歯を強く噛んだ。デスクを強く叩く。天板が真ん中から大きくひしゃげた。クジラのオブジェが床に落ちる。

「……条件ってなんだ」

『ヤナセさんを殺してくれないかな』

 ヒヤマは驚愕した。あまりにも慮外な条件を突きつけられ、ヒヤマは言葉につまった。

『聞こえてるかい? ヤナセさんを殺しなさい』

「おじさんを……なぜだ? 殺せるわけないだろう!」

『じゃあ妹は死ぬ。君も人間には戻れない』

「理由を教えろ……出来るわけない!」

『理由か……理由はヤナセさん本人から聞けばいいんじゃないかな』

「なぜ俺に命令する……お前なら俺に頼らずとも簡単に殺せるじゃないか……」

『最初はそのつもりだったさ。でも君が勝手なアドリブをするから役割を変えたんだ。これは君にとってもいい話なんだよ。君を人間に戻す予定なんかなかったんだから……さて、君とのおしゃべりはここまでだ。その赤いインプレは置いていきなさい。今から二十四時間以内にヤナセさんを殺すんだ。妹はすでにこちらで保護している』

「待て!」

 ヒヤマの言葉にカガミの返事はなかった。

――おじさんとリディルになにか関係があるのか……? なぜここまでするんだ……?


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