三章
1
ヒヤマが禍獣となって、すでに三週間が経過していた。
ヒヤマは今、奥多摩の山奥でひっそりと暮らしている。そこで携帯ラジオとポータブルTVを用意し、一日中点けていた。
これは禍獣が現れたら現場へ向かうためだ。回収班の車にGPS発信機を仕掛け、研究所の場所を突き止める算段である。
必要な物資は、ここに来る前に大量に買い込んでおいた。会計は全てカードで済ませた。これはキャンピングカーで渡された財布に入っていたものだ。
買い物の際、人に見られても大丈夫なように、あらかじめヤナセからいくつかのアイテムを借り受けていた。服はもちろんのこと、帽子、マスク、サングラス、包帯、手袋などだ。肌が見えないように徹底的に隠した。
怪しまれたが、幸いにも禍獣とは思われなかったようである。
食事はここのところ栄養補助食品のバーやゼリーばかりを食べている。相変わらず味はしないが、それが逆に良かったのかもしれない。味覚が正常だったらきっとうんざりしているだろう。
現時点でヒヤマはこの生活に、そこまで不便を感じてはいなかった。体を変形させる実験をしたり、木を切って寝床を作ったりなど、やることは存外多く、時間は早く流れた。特に禍獣の力の使い方には時間を要した。
ヒヤマは『変形』に関しては、他の禍獣より優れていると感じていた。
体が変形するのは禍獣の共通項であるが、自分より大きな変化を見せる禍獣はいない。
そこで柔道や戦闘術の経験から、この変形を活かす方法を考えた。戦っている最中によく思ったのが「手があともう一本あれば」ということ。
ならばと、背中や腹に新たな腕を生やす訓練をした。はじめこそ慣れなかったが、今では自在に動かすことができ、瞬時に出し入れ可能である。
この生活の中で唯一気がかりなのはユリのことだ。
単独行動になる前に、ユリにはインプレでメッセージを送っていた。
一言だけ、「しばらく一人になる」と。
返事が来る前にインプレの電源を切った。
きっと怒っているし、心配もしているはずだ。
タイシのこともある。心労が重なり体調を崩していないだろうかと、ことあるごとに考えた。
ヒヤマは己の行動があまりにも身勝手なことは分かっている。しかし、だからこそ、ここからは一人でけじめをつけたいと思っていた。これ以上ユリに迷惑はかけられない。
だが、一向に現れない禍獣に最近は少し焦りも抱いていた。
そもそも禍獣はそこまで頻繁に現れるものでもない。そして出現場所が海外だった場合もさすがに向かうことは出来ない。
この作戦に必要なのは忍耐である。一年でも二年でも待ち続ける覚悟が必要だった。
――焦るな……時間が経てばCBSUの警戒も薄れるんだ……悪いことばかりじゃない。それに……
こうして時間が経てば経つほど、リディルが禍獣を作っている疑いは深まっていく。
この場所は誰にも知られていない。短い期間に二度もあった禍獣の襲撃が止んだのは、それこそリディルがけしかけていたからではないのか。
そもそもリディルがここまで大きくなれたのは、聞こえは悪いが禍獣のおかげである。
イチゴウの出現は世界に衝撃を与えた。イチゴウはヒヤマの両親を殺した数日後、銀座で一つのビルを倒壊させるという事件を起こす。
それをとらえた衝撃的な映像は、人びとに『911』を想起させた。戦争が終わった矢先に、再び大きな災いを予感させる獣の襲来。世間のムードは暗くなった。
イチゴウが現れた当時、旧自衛隊はアースフォースに編成されているゴタゴタの最中で、迅速には動けなかった。そこへ対応に乗り出したのがリディルだ。
リディルもイチゴウを駆除することは出来なかった。結局イチゴウが自ら行方をくらますまで防戦一方であったのだが、それでもリディルの対応は評価された。無理に抵抗しようとはせず、民間人の避難を最優先させ、被害を最小限に抑えたのだ。
以降リディルはアースフォースと連携し、禍獣への対応を担うこととなった。それに付随して、災害対応や、アースフォースへの兵器製造販売に軍事演習など、リディルは平和な世界にありながらも軍事会社として成功をおさめていく。
なかでも利益を生んだのが『禍獣保険』である。その名の通り禍獣被害に対する損失を補てんするものだ。個人や企業の区別なく、この保険は売れた。小国や大企業向けの特別プランにはCBSUが即対応に向かうというものもある。
こうしてリディルは数年で世界最大の民間軍事会社になった。
――リディルが利益のために自作自演をしているのなら筋が通るじゃないか。
そのときラジオから、一番聞きたかった言葉が流れた。
『禍獣警報です』
ヒヤマは即座に反応し、ラジオのボリュームを最大限にあげた。
『禍獣警報が発表されました。出現予測時間は明日、十月十二日の午後十五時……』
「来たか!」
思わず声が出る。ラジオは続ける。
『出現予測地点は、神奈川県横浜市南区××。避難区域は……』
「ん? ここは……」
『……なお、今回の禍獣は十一年前、初めて現れた禍獣と同タイプ、もしくは同個体ではないかとの予測もあります』
ヒヤマは耳を疑った。出現する禍獣のタイプまで予測されるのは初めてである。しかもあろうことか、イチゴウが出現するかもと、ラジオは告げたのだ。
さらにもう一つ、出現予測地点はヒヤマの旧家があった地域だ。
ヒヤマは拳を木に叩きつける。全身に怒りが満ちていく。
――これはおそらく罠だ……あまりにも出来すぎている。リディルが、俺を釣るために仕掛けたフェイク予測だ……だが……
罠とは分かりつつも沸き立つ感情が、忌々しい。万分の一の確率であろうが、イチゴウと再び相対出来る可能性があるのなら、ヒヤマは行かないわけにはいかなかった。
――こうまで俺をもてあそぶか。リディル!
ヒヤマの体は二倍にまで膨れ上がり、その両腕は刃に変化する。
――いいだろう。俺のことを捕まえられるなら、やってみやがれ。誘いに乗ってやる。
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