12

 八王子市郊外にある、今はもう営業していないパチンコ屋の駐車場。そこがマリーとの待ち合わせ場所となった。

 ここはタワー型の駐車施設で、屋上は見晴らしも良い。

 近くを流れる大きな川に、夕陽が溶けていく様は佳景である。川と反対側には、道路を挟んで十階建ての団地群、周囲の高い建物はこれぐらいだ。たとえASSを積んだトラックが来ても、ここならばすぐにわかるだろう。

 ヒヤマは一人、マリーを待った。付近まではユリに車で送ってもらったのだが、車を降りた後は一人で移動したのだ。


 しばらくすると、一台のハーレーが近づいてくるのが見えた。巨大な車体と黒のライダースーツに身を包んだ巨体。遠目からでも、それがマリーというのはよくわかった。

 ハーレーが駐車場に吸い込まれると、振動と音が螺旋状に上ってくる。およそ駐車場の中とは思えないようなスピードで、ハーレーは階下に続く通路から飛び出してきた。

 マリーはハーレーをヒヤマに横付けする。続けてゴーグルを首元に下げてヘルメットをとると、大げさに髪をかき上げる。流れるような仕草。

「随分と遠い場所を指定してくれたね」

 マリーはエンジンを切ってヒヤマを一瞥する。

「ま、当然か」

 ハーレーからあざやかに降りたマリーは、ヒヤマの身体をぐるぐると周り、観察を始める。じろじろというよりべたべた、と言えるほどの重視線をヒヤマは感じた。

「あたしと戦ったときとはサイズが違うね。変形出来るのかい?」

「はい」

 マリーは「ふーん」と小さく言い、今度はヒヤマの身体を無遠慮に触り始める。

「やっぱり禍獣だね……」

「マリー大佐、早速本題に入らせてもらいます。俺は自分の身体をこんな風にしたのは、リディルじゃないかと疑っています。リディルは禍獣を作っているんじゃないですか?」

「ずいぶん突拍子もないことを言い出すね。まあ、禍獣について一番研究しているのはリディルだからそう考えるのもわかるが。だけどそんなわけないだろう」

 マリーの返答は正直、ヒヤマにとって期待していたものではなかった。なにかを隠しているようにも見受けられない。マリーはリディルが禍獣を作っているとは考えていないようである。

 ヒヤマはいったん別の話題に切り替えることにした。

「……キャンピングカー、壊してすみません」

「ああ。まあ落ち着いたらあんたにきっちり弁償してもらうつもりだ、気にすんな」

「そのつもりです」

「冗談だよ。保険がおりる。リディルの禍獣保険ではなく、車の保険だ。駐車場内の当て逃げ事故で処理されそうだ」

「それはどういうことですか?」

「昨日あんたたちを襲ったイノシシ型の禍獣ってやつ、CBSU内でも今の段階では話になっていない。AI予測もなく、出動要請もなかったしね。ユリちゃんから聞かされなかったら、あたしもその禍獣を知らなかったよ」

「……だからニュースにもなっていないんですね」

「そうだ。そのイノシシ、あんたがやっつけたのかい?」

「あれを倒したのは別の禍獣です」

「なんだって?」

 マリーは目を剥いた。ヒヤマは続ける。

「ASS攻撃の後、猿型の禍獣が現れてそのイノシシを滅多打ちにしました。俺は逃げたんです」

「禍獣同士が……それは確かにおかしいな。しかもASSの後。よくあんたはASSから逃げられたね」

「多分不完全だったのではないかと。避難アラートもなかったから、周辺に配慮して出力を抑えたか、もしくは台数を減らしたか」

「なるほど」

「そしてその猿なんですが、ゴウマ中将が飼っているんじゃないかと俺は思っています」

「は?」

 少しの間のあと、マリーは大笑いした。

「あっはっはははは! それはウケるな。あいつの禍獣。しかも猿。類友ってやつか。そりゃぴったりだ。ま、猿っつーよりゴリラのほうがお似合いだけどな」

「中将の禍獣だとしたらつじつまが合うことが多いんです」

「なるほど。イノシシと猿、二匹も禍獣が出現してCBSUに情報がきていないのもおかしいしな。ゴウマの旦那が諸々処理したってんなら頷ける」

「俺がいなくなって、大佐は中将からなにか言われましたか?」

「あんたたちが逃げた、今どこにいるか知っているか、とだけ聞かれたよ。知らない、と答えたが追及はされなかったね」

「……大佐は、なぜ危険を感じたんですか? そしてなぜ俺たちの味方をしてくれるんですか?」

「まず一つ目の質問だが、ただの勘だよ。あたしは昔から人の攻撃性に敏感でね。あのときのあいつは、平和的に保護で済ませるような雰囲気ではなかった」

 マリーは少し目を細めた。なにか遠いものを見ているようである。

「そして二つ目は、質問が間違っている。あたしは別にあんたたちの味方をしようとしているわけじゃない。ただ自分の主義に従って動いているだけだ」

「じゃあ協力をお願いすることは難しいですか?」

「それは内容による」

「……最初はリディルが禍獣を作っているという事実を聞きたかったんです。でも、大佐は知らないみたいですね」

 ヒヤマの言葉にマリーはなにも答えない。かわりに腕組みをしただけだった。ヒヤマは続ける。

「もし大佐がリディルに対して不信感を抱いているなら、リディルが禍獣を作っている証拠を掴むために、俺に情報を教えて欲しいんです」

「どんな情報だ」

「禍獣の研究施設の場所。そしてシュリ大佐のスケジュールです」

「シュリの?」

「たしか禍獣研究の責任者ですよね?」

「……たとえリディルが禍獣を作っているとしても、機密は簡単には洩らせないな。それに大前提としてあたしはリディルが禍獣を作っているとは思っていない」

「それはなぜです。状況からいって、昨日の禍獣猿はゴウマ隊が関わっているはずです」

「現実的に、あたしや他の社員に知られずに禍獣を飼えるわけがないだろう。どうやって手懐ける? 世話は? なにを食べるんだ?」

「一から作ってるんなら、手懐けるのも出来るでしょう。世話だって」

「じゃあ禍獣の生みの親がリディルだとして、あんたの両親を殺した禍獣はどう説明する。『イチゴウ』。あいつが初めて現れたとき、リディルにあんなものを生み出す力なんてなかったと思うぞ。先代のダンさんも自殺していなくなった後だ」

 このことに対してヒヤマに言い返す言葉はなかった。

「第三次世界大戦が終わって、軍縮政策のあおりをもろに受けていた時期。その頃のリディルは元の海洋調査にシフトしはじめていた。禍獣なんていうものを生み出す馬鹿げた発想、リディルにはなかったはずだ」

 マリーの言葉は嘘ではないように聞こえた。

 そして確かにイチゴウに関してはその通りである。

――推測だけで説得するのは難しいか。なにか証拠がないと……

 そもそもリディルが禍獣を作っている、という確証を得るためにマリーを呼び出したのだ。ヒヤマにはマリーを説得するだけの材料などあるはずもなかった。

――もしくは本当にリディルじゃなくて別の組織や人間が……

 だとしたら一体、誰がそんなことが可能なのだろう。リディルにもばれず、いや世界中の誰にもばれずに禍獣という化物を生み出すのだ。

「さて……もういいかな。実はあたしはあんたをリディルに連れていくつもりなんだけどね。ゴウマの旦那も基地内では無茶しないと思っているが……」

 ヒヤマはなにも言わず、じっとマリーをみつめた。

「あんたはその様子じゃリディルには保護されたくないみたいだね」

「……今の段階では承服しかねます」

「……じゃあ」

 マリーはヒヤマに一歩にじり寄った。

「力ずくで連れていくって言ったら、どうする?」

 殺気を孕んだ言葉だった。そしてマリーはうっすらと笑みを浮かべ、わずかに鼻歌を響かせる。

 それは美しい音色だった。だがその音色は、ほとほととヒヤマの皮膚に火の粉を落としていく。そして火の粉は小さく爆ぜる。

 ヒヤマは身構える。

 マリーもゆっくりと両腕をほどき、左拳を、二人の間でゆらゆらと待機させる。

 それはさながら蛇のようである。隙をみせたら一瞬で飛びついてくるであろう。

 それはさながら要撃機のようでもある。迂闊に踏み込んだら撃ち落とされるに違いない。

――だが、さすがに俺のほうが速いはずだ……

 ヒヤマは右手でマリーの左拳を振り払おうとした。

 が、その瞬間。

 視界が一瞬暗くなり、乾いた音が耳の近くで鳴る。マリーのジャブである。

――嘘だろ! 

 さしてダメージはないが、あまりの速さにヒヤマは瞠目した。

――CBSUの隊長クラスはこんなに出来るのか……

「かったいね……わかっちゃいたけど打撃は厳しいね」

 言うが早く、マリーはヒヤマの懐に飛び込んでくる。

「服を着てる禍獣は珍しいからね!」

 ヒヤマの左襟、右袖を掴んだマリーは、巻き込むように背を向けて担ぎあげようとする。

――背負い!

 人間離れした膂力である。禍獣となったヒヤマでも、投げられないように抵抗するのは力を要した。

――自分の得意でやられるわけにいくか!

 後方に体重をかけ必死で堪えるヒヤマ。

 背負いで投げられないとみるやマリーは反転し、ヒヤマの左足を内側から、右足で刈ってくる。

――次は大内刈り! なら……!

 ヒヤマは身体を反時計周りにねじる。マリーの前進してくる力を利用し、刈ってくる足に逆らわずに左後方へひねり倒す。

「くっ!」

 これが柔道の試合なら一本だっただろう。ヒヤマの大内返しでマリーは背中から倒れた。

 ヒヤマはすかさず距離をとる。が、マリーに追撃してくる様子はなかった。

「……やるね。流石だ」

 そう言ってマリーは上体を起こした。

「……俺はまだ連れて行かれるわけにはいきません」

「今日はあたしの負けだ。まあ、本気で連れて行こうとは思っていなかったけどね。バイクだし。ちょっとあんたの力を試してみたくなったんだ。すまないね」

「……大佐は強いです。この身体じゃなければ背負いで投げられてました」

「その体じゃなくても柔道じゃあんたには敵わないよ。あとマリーって呼びな。かたっくるしい。」

「CBSUの中で、マリーさんはどれくらい強いんですか?」

「一番、と言いたいところだが、あたしより強い奴はいるな」

「マリーさんより強い人が? ゴウマ中将ですか?」

「まあ、ゴウマの旦那もそうかな」

 マリーは立ち上がり、パンツのほこりを払いおとす。

 ヒヤマはマリーの言葉を待ったが、これ以上自分から語る気は無いようだった。

「……マリーさん、ユリのこと、危険がないようにしてやってくれませんか?」

「それをあたしに頼むってことは、あんた……ひょっとして一人でCBSUに喧嘩売る気なのかい?」

「……そのつもりです」

「殺されるよ?」

「簡単には死にません」

「まったく男ってやつは……」

 マリーは大げさにため息を吐き、ズボンのポケットから煙草を取り出した。そしてハーレーにもたれ、火をつける。吐き出された白は、すぐに夕陽の赤が呑んでいく。

「あんたを禍獣にしたのはリディルと決まったわけじゃないんだよ?」

「わかってます」

「なんでわざわざ危ない道を選ぶのか理解出来ないね」

「すみません」

「仕方ないな……あんたは一度言い出したら聞かないタイプだ。せいぜい頑張りな。ユリちゃんのこと、了解した。最後に連絡くらいは入れておけよ。あと、次会ったときは敵同士だ。容赦しないからね」

「はい」

 ハーレーにまたがり、ゴーグルをかけたところで、マリーは何か思い出したようにヒヤマを振り返る。

「あたしに勝った褒美をやる」

 そう言ってポケットから紙の切れ端を手渡してきた。

「あたしの秘密のインプレの番号だ。なにかあったら連絡しな。あとな、禍獣研究の責任者は確かにシュリだ。あいつのスケジュールはあたしも知らない。でも、多分ずっと研究してるよ、あいつは。そして施設の場所は教えてやらない。教えたらあんたは死ぬから……ま、それでも来るんだろうな。頭が良くて馬鹿だから」

 鋼鉄の馬が荒ぶった呼吸でマリーを運ぶ。

 遠ざかっていくマリーを見つめ、ヒヤマは一人、つぶやいた。

「感謝します。マリーさん」



(二章終わり)


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