11

「お兄ちゃん!」

 ヒヤマがヤナセ邸の扉を開けると、ユリが飛びついてきた。

「ユリ」

「遅いよ!」

「明るいと目立つから、暗くなるまで待っていた」

 ヒヤマはあの後、近くにある調布飛行場の倉庫に潜んでいた。

「心配したよ! インプレの電源切ってるし。死んじゃったのかと思った」

「キリ君」

 声のほうを見るとヤナセが立っている。

「おじさん……お久しぶりです」

「驚いた……本当に禍獣になってしまったんだね」

 ヤナセの声は少し震えている。おびえているのではなく、悲しんでいるようだ。

「はい……迷惑かけてすみません」

「迷惑なもんか。君たちは私の子供のようなものだ。困ったことがあったらいくらでも頼っていいんだ」

 ヤナセは子供が出来る前に妻を亡くしている。再婚もしたが、それもすぐに離婚し、以来ずっと独り身である。

「ありがとうございます」

「とにかくあがりなさい。話はそれからだ」

 ヒヤマがあがろうとすると、ユリが両手を突き出し、止めてくる。

「お兄ちゃん靴履いてないんだから、足拭いて」

 突き出した手にはタオルが握られていた。

 ヒヤマは苦笑し、タオルを受け取る。さらにユリは律儀にもスリッパをヒヤマの前に置く。

 こんな姿になっても変わらずに人間扱いしてくれるユリに、ヒヤマは心の中で小さく感謝した。


 リビングで、ユリとヤナセはテーブルをはさみ、向かい合ってソファに腰掛けた。

 ヒヤマは座らずに立っていると、

「キリ君どうした? 座らないのか」

「服、汚れているんです」

 禍獣との戦いで服は汚れ、その上ところどころ破れている。一見しただけで高級だとわかる本革の白ソファーに、そのまま座る気にはなれなかった。

「気にするな。汚れたなら拭けばいい。疲れているだろうから、早く座りなさい」

 ヤナセがそう言っている間に、ユリはハンカチをソファに広げていた。

「失礼します」

 ヒヤマはハンカチの上に腰を下ろす。

「ビールと、疲れがとれそうなアイスティーを二つ頼む」

 ヤナセが天井に向かって言うと、どこからかポーンと電子音が鳴った。

「おじちゃん、お酒なんて飲んで体調は大丈夫? このまえ肝臓検査で入院してなかった?」

「大丈夫大丈夫」

 わざとらしく手を振るヤナセ。少ししてして給仕ドローンが注文の品を持ってきた。

「キリ君もビールのほうが良かったかな?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「すごいね。『メイドローン』なんて初めて見たよ」

「むふふ、ナイスリアクションだユリ君。そうだろう。高かったんだぞ」

 ヤナセは目尻に皺を寄せて笑った。少年のような無邪気な笑顔だと、ヒヤマは思った。

「まあ高いだろうねー。普通の家じゃドローン型は逆に使いづらいもん。富豪用でしょ」

「富豪じゃないぞ。私は大富豪だ」

「うわーイヤミ」

「むふふ」

 ヤナセは『YANASEオイル』という明治から続く燃料会社の創業者一族である。

 YANASEオイルは、石油や天然ガスの探鉱、開発をしている。戦後、微細藻類によるバイオ燃料生産を実用化し、その業績を大きく伸ばしている。もちろん裕福で、ここ世田谷の自宅も三百坪という広さだ。

 ヒヤマの父親であるヒヤマスギトとは高校時代の友人だと、ヒヤマは聞いている。なんでもヤナセは不真面目な学生だったらしく、スギトによくノートを借りていたという。

「で、キリ君。禍獣に誘拐されてからの経緯を教えてくれないかい?」

「実はここ数ヶ月の記憶がなく、気が付いたらなぜか禍獣になっていたんです。誰かの手によって禍獣にされたのは間違いないかと」

「誰かって……心当たりは?」

「今日の朝まではありませんでしたが、今ではリディル軍が疑わしいです」

「なんだって?」

 ヤナセはビールのジョッキを手に持ったまま固まった。

「なぜそう思ったか、順を追って話します。数時間前に俺たちを襲ってきたイノシシのような禍獣、それを倒したのはまた別の、猿のような禍獣でした」

「あの後違う禍獣が?」

 ユリは目を見開いた。

「ああ。そしてその猿の禍獣だが、ゴウマ中将が飼っているものじゃないかと、俺はにらんでいる」

「ゴウマ中将って……リディル社の役員じゃないか?」

「そうです、おじさん。専務です」

「なんでゴウマさんが飼っていると?」

「俺とイノシシが戦っているとき、CBSUからの攻撃がありました。俺はなんとかそれから逃れることができたのですが、イノシシはその攻撃により倒れました。少し経って、遠くから様子を見てみると、猿がイノシシを殴っていたんです。猿の登場がCBSUの攻撃後、そしてゴウマ中将が俺を保護しに向かっていたことから、あれは中将が解き放ったのではないかと」

「なるほど……」

「だからリディルは禍獣を作れるんじゃないか、という疑いが俺のなかで芽生えたんです。そして俺のことも禍獣にしたのではないかと」

 ヤナセはふーっと長く息を吐き、ジョッキをテーブルに置いた。そのまま腕組みをし、目をつぶる。

 しばらく無言の時間が続いた。

「つまり、リディル軍は敵……?」

 ユリは不安そうに眉を下げていた。

「はっきりしないが、今の段階では信用できない」

「じゃあ、保護されるのも逆に危険じゃない」

「そうだ……俺のことを禍獣にしたのがリディル軍だとしたら、なにが目的なのかがわからない。ひょっとしたら今では俺のことが邪魔で、始末したいのかもしれない」

「マリーさんも嫌な予感がするって言ってたもんね」

 ヒヤマは少し頭を整理するためにユリから視線を外した。その先には中庭。Sの字を少し伸ばしたようなうねった植木が存在感を放っていた。

――マリー大佐が危険を教えてくれたのはなぜだ? ゴウマ中将が禍獣を飼っていたとして、そのことは知っていたのだろうか? 

 ヒヤマはユリに向き直る。

「……マリー大佐には連絡したのか?」

「うん。あの後、禍獣が現れて逃げてるってことだけ。ここの場所は言ってない」

「懸命な判断だ」

「違うの。マリーさんは信用できるから言おうとしたんだけど、マリーさん自身に遮られたの」

「遮られた?」

「ひょっとしたら盗聴されてるかもしれないからって。マリーさんもリディル軍が怪しいと思ってるんじゃないかな?」

――ユリからここの場所を聞きださないメリットはない。どんな理由で味方をしてくれるかは知らないが、マリー大佐は確かに信用できるかもしれない。

「ねえ、いっそのこと世間に公表したらどうかな? そうすればリディルも無茶なこと出来ないよね?」

「なんの証拠もないから、結局はぐらかされるだろう。そしてもしキリ君がリディルにとって邪魔であったら、保護したのち、事故に見せかけて殺すこともあるかもしれない。今公表するのは危険だね。逃げられなくなってしまう」

 と、ヤナセ。

「リディルじゃなくて政府とかに保護してもらうとか?」

「無理だろうな。禍獣に関してはリディルが最高権威なんだ。まず間違いなくリディルに保護される」

 ヒヤマが答えた。

「アースフォースは?」

「アースフォースとリディルは協力関係にある。一緒だよ」

「おじちゃんの伝手には頼れない?」

「うーん……経産省に知り合いはいるけど、軍事に関する内閣府には口利き出来ないな……」

「じゃあどうすれば……」

 三人は再び無言になった。しばらくの後、ヤナセが口を開く。

「やっぱり証拠だな。リディルが禍獣を作っているという証拠。それを世間に公表した後なら、キリ君を保護するのはリディルじゃなくなる」

「禍獣をつくっている証拠……難しそう……」

 ユリは口を膨らませて、顔をしかめる。続けてヒヤマが口を開く。

「……マリー大佐と話がしたい。なぜ嫌な予感を感じたのか。それにゴウマ中将や禍獣に関して俺より詳しいはずだ。色々と聞きたいことがある」

「でも電話盗聴されてるかもって」

「直接会って話す。古い方法だが、フリーメールのアカウントを作って、公衆電話でそのアドレスを伝えよう。待ち合わせ場所はそのメールでやりとりする。それでも危険は危険だが、時間稼ぎにはなるはずだ。待ち合わせ場所を見晴らしのいいどこかの屋上に指定すれば、CBSUに張られてもわかるだろうし」


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