10

「なるほど……ゴウマ中将が一筋縄じゃいかない人物ってのはわかるな」

「じゃあさっそく離れたほうがいいよね」

「いやそれはどうだろう」

「なんで?」

「中将は確かに一癖ありそうな人だが、この状況で俺と戦闘しようとするかは疑問だ。俺の印象では中将はそこまで馬鹿じゃない。恰好の研究材料である俺を始末する理由もない。ここから俺たちが逃げ出したら余計ややこしくなる。それこそ危険と見られる気がする」

「うーん……」

「それにマリー大佐が保護するといっても、大佐の立場も相当悪くなるぞ。中将に情報提供しておいて、やっぱり自分で保護するなんて。中将の面目丸つぶれだ」

「それはそうだけど……マリーさんはうまくやるって。それにマリーさんは嘘をつくような人じゃないよ」

「嘘だとは思ってないさ。ただ、嫌な予感がするってだけで移動するのはリスクがありすぎる。なんせ今移動するのは誰の得にもならないんだから。俺たちにとっても、マリー大佐にとっても、ゴウマ中将にとっても」

 ヒヤマの言葉にユリは首を振った。

「……ごめんお兄ちゃん。それでも私はここはマリーさんの言う通りにしたい」

 短い言葉であったが、それはヒヤマが説得されるには十分な重さがあった。

「……そうか、なら仕方ないな」

 ヒヤマは短いため息を吐いた。

「……ごめん」

「いや、この状況を作ってくれたのは二人なんだ。もともと俺に意見する権利なんてない」

「ありがとう! じゃあ早く移動しよう!」

「免許証はあるのか?」

 ヒヤマは車のキーを差し出す。

「持ってきてるよ」

 受け取るとユリは運転席へ向かった。

 するとすぐに、

「あー!」

 と声があがる。ヒヤマは急いで運転席へ向かう。

「どうした?」

「これ自動運転じゃない……」

「ああ、古いタイプだからな。運転覚えてないのか?」

「覚えてない……覚えてたとしても、こんな大きな車の車庫出しなんて出来ないよ……」

 そのまま前進で車を出せれば難しくはないだろうが、前方はフェンスになっていて、一度バックで出さなければいけない。キャンピングカーでは慣れていないと難しいだろう。ヒヤマが口を開く。

「方向転換までは俺が運転しようか」

 ヒヤマとユリは前方を見た。フェンスの先は林になっていて、人はいない。

 二人は無言で顔を見合わせ、運転席を交代する。

 そしてヒヤマがエンジンボタンを押したそのときだった。

 突如けたたましい音と共にフロントガラスが割れ、なにかが突っ込んできた!

 ヒヤマはそいつの体当たりをまともにみぞおちに受け、くの字に折れる。

「ぐっ!」

 鈍い音をたてて席の背もたれが折れ、ヒヤマもろとも後方に倒れる。 

「きゃああ!」

 ユリが叫び声をあげる。

 ヒヤマは瞬時に判断した。

――禍獣!

 小型の禍獣である。黒光りする胴体は丸く、四本足でいずれも短足。イノシシのようである。

 ヒヤマは仰向けに倒れたまま、自分の身体に乗っているそいつの胴体を抱きかかえるようにして拘束した。

「ユリ! 逃げろ!」

「でも!」

「いいから! ヤナセのおじさんの家で会おう! こいつ片付けたら向かう! 早く!」

「どこって!?」

「ヤ・ナ・セ!」

 ユリは顔をゆがめて頷き、車を出て行った。

 イノシシ禍獣はヒヤマの拘束を解こうと、体を左右に振るようにして暴れる。

「大人しくしろ!」

 ヒヤマは拘束が外れないように、腕に釣り針のような棘をいくつも形成し、イノシシ禍獣の身体にひっかける。

「ぶるろぉぉろおぉぉ!!」

 地の底から鳴るような低い呻き声をあげるイノシシ禍獣。それはよく響き、ヒヤマの身体をも振動させる。

「寝技は得意じゃないんだがっ……」

 ユリが逃げるのに、最低でも数十秒は拘束しなければならない。

 イノシシ禍獣は今度は足を暴れさせる。走るようにして、ヒヤマの足を何度も蹴ってくる。

 一発一発がかなりの重さである。ヒヤマの足を空振った一撃は、床に穴を空ける程だった。

「いいかげんにしやがれ!」

 ヒヤマは体を反転させ、イノシシ禍獣と上下を入れ替える。今度はヒヤマが上になった。

 続けてイノシシ禍獣の左頬に、右こぶしを叩き込む。

 イノシシ禍獣は叫び声をあげ、身をよじろうとする。

 かまわずヒヤマは何度もこぶしを振り下ろした。

 衝撃で車全体が揺れる。  

 おそらく周囲にはビル解体工事のような大きな音が響いていてるだろう。

 ヒヤマは殴るのを続けた。

――さっき運転席を代わっていなければ、ユリが死んでいた。こいつは許さない!

 だが数発の後、その衝撃で車の底面が抜けてしまう!

 ヒヤマが前のめりにバランスを崩すと、イノシシ禍獣はここぞとばかりに大きく体を跳ね上げた。

 いきおいヒヤマは横に投げ出され、壁にぶつかってしまう。

 一方イノシシ禍獣は、即、体勢を整え、ヒヤマに突っ込んで来る。

 ヒヤマは腕をクロスし体当たりに備えたが、その衝突はすさまじく、後方の壁を突き破って車外に吹き飛んだ。

「ぐっ!」

 ヒヤマは直ちに起き上がるが、ガードした腕が痺れている。腕が思うように上がらない。

――まずい……

 が、イノシシ禍獣は攻撃してこなかった。辺りを見まわすが、姿はない。

――どこ行った? まさか……ユリを追ったのか!?

 ヒヤマはフェンスに突き破られた痕を見つけた。

「そっちか!」

 急ぎフェンスの穴を通り林の奥へと向かう。イノシシ禍獣は林の奥、木の裏に隠れていた。

 驚くべきことに、イノシシ禍獣の下顎から、太く鋭い牙が二本、天に向かって生えていた。先ほどまではなかったものだ。

――牙を形成したのか!

 目が合うと、イノシシ禍獣はヒヤマの腹を突き上げるように頭を振り上げた。

 間一髪、牙を掴むヒヤマ。

「ぐ、ううううぅぅ!」

 先ほどの体当たりで腕のしびれがまだ残っている。ヒヤマは腕全体が熱くなるのを感じた。右眼のまわり、人間の皮膚を残している部分から汗がにじみ出る。

 単純な力比べである。こう着状態がしばらく続いた。

 しかし突如、イノシシ禍獣の力が抜ける。そして同時に強烈な頭痛がヒヤマを襲った。

「ああぁぁぁあ!」

 ヒヤマは思わず叫んだ。

 イノシシ禍獣のほうは、その場に倒れて痙攣している。

――これは、ひょっとして……!

 脳を直接鷲掴みにされてシェイクされているようである。気を抜くと意識が飛んでしまう。

 ヒヤマは力を振り絞り、走り出す。スピードが乗ったところで跳躍する。

 周囲の木を越す高さまで到達すると、頭痛は消えた。 

 次いでヒヤマは昨夜のように翼を生やし、空を滑る。少し進むと眼下に、CBSUの大型トラックが見えた。巨大なパラボナアンテナのようなものが車の側面についている。

――やはり、さっきのはASS。CBSUが攻撃してきたということか。これはイノシシの禍獣がいたからか? それとも俺を狙ったのか? いずれにしても、ユリがあの場にいたら巻き添えをくらっていたぞ……

 イノシシ禍獣ではなくヒヤマを狙ったものだとしたら、CBSUはすでに味方ではない。

 しかしどちらを狙ったものであるにせよ、ユリもろとも禍獣を始末しようとするCBSUに、ヒヤマは怒りを覚えた。

――それにしてもあのイノシシ……なぜここに?

 ヒヤマのいる場所にピンポイントで出現するのは、偶然にしては出来すぎている。

――禍獣は禍獣を引き寄せる……?

 そこへ大きな地響きのような音があった。

――なんだ?

 ヒヤマは翼をしまい降下する。東八道路の手前に降り立った。

 もとの場所のほうを振り返る。遠く、林の中にCBSUのトラックが見える。

――この音、俺とイノシシが戦っていたときの音みたいだ……

 危険だとはわかっていたが、ヒヤマは吸い寄せられように引き返した。それは好奇心ではなく、自身の根源から湧き立つ欲求に近かった。

――この音、何かひっかかる。

 CBSUに見つからないよう、木の陰に隠れながら慎重に進む。ASSはどうやらすでに作動していないようである。

 さっきの地点を窺えるところまで戻ると、ヒヤマは驚愕した。

 環七で襲ってきた禍獣猿、そいつがイノシシ禍獣を滅多打ちにしているのである。

 また禍獣猿が現れたことも驚きであったが、それ以上に、禍獣同士による攻撃行動が信じられなかった。

 禍獣猿は攻撃に夢中でこちらに気付いていないようである。そこでヒヤマは即座に踵を返し、その場を離れた。


 少しして、ヒヤマはある仮説を閃いた。

――ひょっとして、ひょっとして、あの禍獣猿は……ゴウマ隊?


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