6

 この日の夜は肌寒く、軽装すぎたことをユリは少し後悔した。日中はまだまだうだるような暑さが続いていて、油断してしまったのだ。

 体を動かそうとベンチから立ち上がったところで、

「突然こんなところに呼び出してすまないね」

 声のほうを見るとレスラーのように大きな人間が立っていた。公園の街灯でマリーとわかったが、灯りがなかったら声をあげていたかもしれない。

「いえ、大丈夫です」

「昨日は寝られなかっただろ?」

「明け方に少しだけ寝られました」

「……今日は病院に行ったかい?」

「ええ……タイ君には……夫には会えなかったですけど」

「あたしにはかしこまらなくてもいいよ。タイ君って呼んであげな」

「……はい」

 昨日の夜はじめてマリーに会ったときは、事件のショックから彼女の外見にまで注意が向かなかった。いまユリはあらためて彼女の巨躯に驚いていた。

「会えなかったっていうのは、面会謝絶か」

「ええ、タイ君の意識は戻ってないそうです……」

「そうかい……きっと回復するさ。CBSU隊員はタフなんだから」

「ありがとうございます」

「……呼び出した件なんだけどね、実は……謝らなければいけないことがあるんだ」

「なんでしょう?」

「あたしはヒヤマの担当から急遽外されることになった。すまない」

 マリーは頭を下げた。

「え?」

「殺さない、なんて軽はずみに約束をしてしまって申し訳ない。言い訳がましいが、普通ならあたしが担当するはずだったんだ」

 ユリの心はざわめいた。

「ちょっと待ってください。それを謝られるってことは、兄は殺されてしまうんですか?」

「……安全を保障することが出来なくなった、ということだよ。殺されるとは決まっていない」

「つまり殺される可能性がある、ということですか?」

「……そうだ」

「そんな……なぜですか? あれは兄です。どういう判断で兄を殺そうとなるんですか?」

「禍獣だから。それに尽きるよ……」

「でも……でも、あれは……兄なんです……タイ君を病院に連れていったし、今はもう正気なはずです」

 ユリはマリーの目をじっと見つめた。マリーは目をそらし、苦しそうに表情を歪めた。

 少し、二人は無言で、その間で鈴虫だけが呑気に歌っていた。

 無言を先に解いたのマリーだった。

「……CBSUとヒヤマが接触する前に、ヒヤマを先に保護出来れば殺されずに済む。今日はそのための相談に来たんだ。どうにかしてCBSUより先にヒヤマと接触したい」

「先に? どうやって……」

「それを考えるんだ。今、ヒヤマが隠れてそうな場所とか思いつかないか?」

「隠れてそうな場所……」

「今あなたの家は警察が警備してくれているだろう?」

「はい」

「CBSUも周辺に待機しているんだ。ヒヤマがもう一度現れるんじゃないかと判断してね。そしてこれも謝らなければいけないんだが、お宅の玄関に監視カメラをつけた。だからもしヒヤマが家に入ってしまったら、すぐCBSUが駆けつける」

「兄が今どこに居るかは全く見当がつきません。ただ、CBSUさんの読み通り、兄は家に帰ってくる気がします。今の状況で行くところなんか他にないはずですから……」

「一度戦闘になったらあたしはヒヤマの手助けは出来ない。なんとか先に接触したいんだけどね……」

 再び二人に無言の時間が訪れた。ユリは必死に考えたが、兄と先に接触出来そうな方法は思いつかなかった。

 ふと肩に柔らかな感触があった。見ると、シャツがかかっている。マリーのものだ。本人はTシャツ姿になっている。

「寒いだろ」

「ありがとうございます。でもマリーさんのほうが寒そうです」

「あたしは鍛えてるから。これくらい寒いうちに入らないよ」

「……マリーさんは優しいですね」

「別に、こんなの普通じゃないかい?」

「このことだけじゃないです。お兄ちゃん、いつも言っていました。軍隊っていうのは融通の効かない組織なんだって……」

 マリーは不思議そうな顔をした。ユリの意図がわからないようであった。ユリは続ける。

「マリーさんが担当を外れたってこと、わざわざ私に教える義務も謝る必要もないじゃないですか。でも……教えてくれた」

「約束したじゃないか。殺さないって。でもそれを守れるかわからなくなっちまったんだ。優しくなんかないだろ」

「優しいですよ……きっと軍隊って、組織を守るために個人のいろんなモノを犠牲にしなければならないんですよね。そうしなきゃみんなが死んじゃうから。その中にいたら、それが当たり前で、当たり前だということに疑問も抱かなくなっていくはずです」

 マリーは黙っていた。

「でもマリーさんはこうして話してくれた。しかもCBSUさんより先にお兄ちゃんを保護するなんて、組織的には駄目なことじゃないですか?」

「よしてくれ。別にあんたのことを思ってやってるわけじゃない。ただ……ほっておくのは自分の主義に合わないだけだ」

「……それでも、嬉しいです。ありがとうございます」

「礼を言うのは早いよ、まだ何も解決してないんだから」

「マリーさんがこうして考えてくれるだけでとても心強いです。それに、いい案が浮かびました」

「いい案?」

「接触は無理かもしれませんが、兄が家に入る前に危険を知らせることは出来るかもしれません」


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