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「あの禍獣がヒヤマキリフジだと?」

 ゴウマの口調は平坦だった。低音の声は、士官室によく響く。

「ええ、面影がヒヤマ隊員によく似ていました。それと右眼のまわりだけは人間の皮膚を残しているように見えました。私はあの禍獣はヒヤマ隊員だと考えています」

 マリーも同じように平坦に返す。

 ゴウマはマリーにも負けないほどの太い腕を組み、椅子にもたれた。

「似ているだけではな」

「出現した場所がヒヤマの自宅で、さらに怪我を負ったヤマモト隊員をリディル軍病院まで運びました。ほぼ間違いないと思っています」

「ヒヤマだとして、何故自分で刺しておきながら、その後病院に連れて行ったんだ?」

「推測ですが、刺したのはなにかの間違いだったか、刺した瞬間は正気を失っていたのではないでしょうか」

「……顔のこと、報告書には書いていないな?」

「あまり公にするべきではないと判断しました。他の隊員は知りません」

「マリー、お前以外には誰も知らないのか?」

「いえ、あの家のヤマモトユリは知っています。もちろん口止めはしています」

「そうか……しかしお前が取り逃がすとはな」

 マリーはこれには謝らず、固く唇を結ぶ。

「……人の口に戸は立てられないけどね」

 割って入ってきたのはカガミである。少しため息まじりの声であった。回転式の椅子をゆらゆらと左右に振りながら、続けて言う。

「ゴウマ、君、そのヒヤマ禍獣の担当になって」

 えっ、とマリーは声をあげそうになった。

「私がですか?」

「そう。マリー、ヒヤマ禍獣の担当はゴウマ隊にするから」

「……はい」

 取り逃がした禍獣は、第一発見隊が担当するのが通常である。マリーにとってヒヤマ禍獣の担当を外されたのは意外であった。

 そしてゴウマが出る、ということは「禍獣の生死を問わずに対処する」ということを意味している。

 禍獣は普通、活動停止状態で生け捕りにされる。その一番の理由は研究するためであるが、もう一つ、禍獣を効率的に殺す方法が無いからでもある。

 旧型の戦車を紙くずのように吹き飛ばすランチャーでさえ耐えうる防御力を持つ禍獣、それがたとえ無防備で突っ立っていても殺すことは至難なのである。

 ところがゴウマ隊にはなぜかそれが可能であった。リディル社専務であり、リディル軍CBD司令官ゴウマ中将直属のCBSU隊は、CBSUの中でもさらに特別の存在なのだ。

 リディル軍内で『エクセプション』と呼ばれた禍獣がいた。

 一昨年前に、アメリカ西海岸のベニスビーチに出現した禍獣だ。

 当時アースフォースアメリカ西部方面隊に出向中だったCBSUが急行したのだが、エクセプションにASSやサッカーなどの対禍獣兵器を先に破壊されてしまう。それはまるでこの兵器がどういう用途なのか知っているかのような動きであったという。

 そしてこの戦闘でCBSUは禍獣に敗北を喫してしまう。

 その後ロサンゼルスでエクセプションは暴れまくり、市に何億ドルという被害を出すこととなる。

 そのエクセプションを討伐したのが、ゴウマ隊である。

 当時ゴウマ隊は東京にいたが、ロケット移動でロサンゼルスに急行、見事エクセプションの討伐を完遂した。

 このエクセプションだけでなく、ゴウマが関わった禍獣の何体かは死体で回収されている。

 それゆえゴウマ隊には、他の隊長にすら秘密の『対禍獣特別兵器』がある、と噂されている。

 マリーの頭にユリの顔がよぎった。ヒヤマは当然自分が担当するものだと思っていたのだ。殺さない、という約束は容易なはずだった。

――約束を破るのはあたしらしくないね……

「司令官、ヤマモト隊員を病院に連れていったことから、おそらく今のヒヤマは正気だと考えられます。ですから――」

「マリー」

 威圧的な、太い声がマリーの言葉を遮った。

「お前、俺に指図するのか?」

――このクソ親父! せっかくあたしがアドバイスしてやろうってのに!

「……いえ、失礼しました」

「俺だって馬鹿じゃない。もちろん意思の疎通が出来たら穏便に済ませるさ。わざわざ言われんでもわかる。……ふん、それともなんだ? ひょっとしてお前、ヒヤマに惚れたんじゃないのか?」

 からかうように半笑いでゴウマは言った。そこでマリーはちょっとした反発心から、

「……はい。好みのタイプです」

 と、受け答えてみせた。

 予想外の返しだったのか、ゴウマは短く「は?」と言い固まった。マリーはたたみかける。

「どうされました司令官? ヒヤマが私の好みのタイプということに驚かれましたか? しかしこのような質問はセクハラではありませんか?」

「いや……」

「ひょっとして司令官こそ私に気があるのでは? なぜそのようなことをお聞きになったのでしょう?」 

「マリー」

 ゴウマを尻目に、クスクスと笑いながらカガミが入る。

「面白いけど、そこまでにしなさい」

「……失礼しました」

――ちっいいとこだったのに。

「ありがとう。もう行ってもいいよ」

 カガミの言葉に、マリーは部屋を辞した。


 市ヶ谷リディル軍基地の廊下を歩きながらマリーは思案した。

――しかし……どうするかね。

 おそらくゴウマは、たとえ相手が元人間だろうと容赦しないだろう。ヒヤマとコミュニケーションをとるのが可能なら別だが、ゴウマはそんなことをいちいち確認はしない。ヒヤマに攻撃される可能性を考えて動くだろう。

 ヒヤマと対峙したら即、攻撃に移るはずだ。あるかどうかは知らないが、噂の『対禍獣特別兵器』を使うかもしれない。

 ヒヤマに対して特段の思いがあるわけではないが、死なれたら寝覚めが悪い……そう思ったところで、マリーは立ち止まった。

――ずいぶん命が軽い世界だな。

 なにか忘れ物をしてきたような、小さな影が胸のうちに落ちる。

――なんだか遠いところにいるみたいだ……

 マリーはふと、昔を思い出した。

 マリーには少女時代、夢があった。あるミュージカルに出ることだ。絵本が原作のミュージカルで、世界的に有名な作品である。

 もちろんマリーはオーディションを受けた。持ち前の歌唱力で最終まで残ったのだが、結果は落選だった。落選理由は、外見が合わない、とのことだった。もちろん今になって思えばその理由も納得できるのだが、少女のマリーにはそれは受け入れがたいものだった。他の役で、というオファーもあったのだがマリーは断った。

『他の役では意味がない』

 マリーが演じたかったその役は、物語の中で里親から虐待を受けている少女であった。

 その少女はある日、新しい世界を求めて家を飛び出す。家出した少女には様々な出会いがあり、人の優しさや冷たさを経験して成長していく。

 しかし里親も少女を連れ戻そうと追いかける。少女の生活は、そんな里親から逃げながらのものである。

 そして物語の最後は、敵である里親が事故に巻き込まれてしまう。見て見ぬふりをすれば、里親から永遠に解放されるのだが、少女は里親を助けることを選択する。しかしなんと、それがきっかけで少女が事故の犠牲になり、命を落としてしまうのだ。

 報われない話であるが、マリーは好きだった。特に好きなシーンは、里親が少女の死を泣きながら後悔し、墓の前で謝るラストシーンだ。最後まで純真でいた少女の行いが、クズな人間の心を変えたという結果に、強く惹かれるものがあった。

 マリー自身、幼少期に父親から虐待を受けていた過去がある。

 マリーは、アメリカのサウスダコタ州で小麦の栽培を営む農家に育った。

 父親は酒乱で、なにか理由をつけてはマリーや母親に暴力をふるった。目つきが気に食わない、酒がきれた、小麦の買い取り価格が下がった……

 暴力は日常的であり、暴力を振るうために生きているような父親だった。マリーは当時、自分の生存理由はこの男に暴力を振るわれるためにあるのではないか、と思ったほどだ。

 役に強烈なシンパシーを感じていたマリーは、落選の通知を受けたとき自分の全てを否定された気になった。マリーはその後、オーディションを受けることはなかった。

――なんであのときのことを……

 夕陽を照り返す市ヶ谷の外堀は輝いている。

 だが少し角度を変えるだけで濁った水がよく見えた。



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