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「担いで逃げた……?」

「……はい」

 マリーは確信した。あの禍獣は、元は人間。それもおそらく、ヒヤマ隊員だと。

 顔の大部分は禍獣の皮膚で覆われていたが、右眼のまわりだけは人間の皮膚に近かった。顔のつくりも人間の面影があった。そしてそれは、記憶に間違いがなければヒヤマ隊員のもの。

 ヒヤマ隊員はCBSUの資質試験を合格し、数日後、禍獣に誘拐された。禍獣が人間を誘拐するなど初めてのケースであった。今も捜索は続いているが、三ヶ月経った現在、殺されているとの見込みが高い。

――禍獣とはいったいなんだ? ひょっとして……人間が関与しているのか?

 マリーは改めて禍獣というものの存在を疑問に思った。 

 禍獣の正体は今もはっきりしていない。リディル軍では拘束した禍獣を回収し研究しているが、そのほとんどが謎に包まれたままだ。禍獣は拘束され、時間が経つといくつかの部位を残してドロドロに溶けてしまうという。

 どこで産まれるのか。なぜ人間に害をもたらすのか。なぜあの体で生きることができるのかもわからないらしい。

 マリーは落ちているエロースを拾う。

 このエロースの刃は、禍獣の体の一部だった。禍獣の体は今まで地球にはなかった物質で構成されている。加工するのは非常に困難なので、禍獣が残した部位をそのまま使っているのだ。

「隊長、通報者を家の中で発見しました。怪我などはなさそうです」

 隊員の報告でマリーはすぐに家の中に戻った。

 ダイニングテーブルの席に、華奢な女が床の一点を見つめて座っていた。肩に厚手のストールをかけていて、少し震えている。ショックからか表情はこわばっていた。

「こんばんは。大変だろうけど、ちょっと色々聞いてもいいかい?」

 女は目だけを動かしてマリーを見た。その視線はすぐにまた床の一点に戻る。マリーの風貌は初対面には強烈である。が、それに対して女にはさしたる反応も見られなかった。

 そして女は答えず黙ったままだ。マリーはかまわず質問することにした。

「あたしはリディル社リディル軍CBSUのマリー大佐だ。あなたの名前と職業を教えて欲しい。あと、ここの住人かい?」

「……ユリです。ヤマモトユリ。学生。ここに住んでます」

「ヤマモト? ここの表札はヒヤマだったけど、名字が違うね?」

「最近入籍したからです。ヒヤマは旧姓で、ここは実家です」

「……なるほど」

 とすると、連れ去られた人物はユリの夫である可能性が高い。

「あの、禍獣のことなんですが……、あれは……」

「ストップ!」

 マリーは慌てて止めた。ユリが今言いかけたことは、まだ他の隊員に聞かれたくなかった。すぐ後ろに隊員が二名いる。

「すまない、お前たち、ちょっと外してくれないか」

 マリーの言葉に隊員たちは速やかにダイニングを出て行く。マリーはドアを閉めると、戻って席についた。

「見たんだね?」

「……はい」

「あなたはヒヤマ隊員の家族だね?」

「妹です」

「あの禍獣の眼は、人間のようだった。そしてヒヤマ隊員の面影を感じた。妹のあなたから見て、それはどう?」

「少ししか見えませんでしたが、兄の顔だった気がします……でも兄は、私の顔も、なにもわからないような感じでした。兄は無事なんですか? CBSUさん達に殺されてしまったのですか?」

 ユリの声は急に大きくなった。

「落ち着いて。あの禍獣がヒヤマ隊員かどうかはまだわからない。だけど禍獣は逃げたよ。あたしたちは禍獣を捕獲するのに失敗した」

「そうですか。それと夫は無事ですか? 兄と戦っていたのです……」

 ユリはどうやら家の奥にいて詳しい事はまだ知らないようだ。

「……隠してもしょうがないから正直に言うよ。あたしたちが来たとき、一人の人間がすでにひどい怪我を負っていた。それがあなたの夫かはまだわからないし、どういう理由で怪我をしたのかもわからない。だけど状況からいって怪我をしたのはあなたの夫で、その怪我は禍獣に負わされたと考えるのが妥当だね。そしてその人間は禍獣に連れ去られた」

「連れ去られた……怪我とはどの程度ですか?」

「軽いものとは言えないね……今、追跡はしているよ」

「……そうですか。タイ君、お兄ちゃん……」

 ユリの瞳から涙が一滴こぼれる。ユリがうわんうわんと大きく声をあげて泣かなかったことにマリーは少しほっとした。華奢な見た目とは裏腹に、ひょっとしたら気が強いのかもしれない。

「……ひょっとして、三ヶ月前に兄を誘拐した禍獣も、もとは人間だったんでしょうか?」

「それはわからないね。禍獣が人間かもしれない、なんていうのは新事実だから」

「夫を兄が連れ去った理由もわかりませんか? 夫がCBSUというのに関係はあるんでしょうか?」

「なに? CBSU? あなたの夫が?」

「はい、夫は兄と同期です。ヤマモトタイシと言います。通報のときに伝えれば良かったですね……」

 マリーはタイシのことを思い出した。資質試験のとき、ヒヤマ隊員の前に面接した男だ。そして正確にはタイシはCBSUではない。まだ訓練中のCBSU候補生で、マリー隊とは別の隊で訓練している。

 竹を割ったような性格とでも言うのだろうか、明るく、後ろ暗いことはなにもないようにまっすぐ、そんな印象をタイシに受けた。体格もよく、太い眉毛が特徴的な男だ。

「そうだったんだね。CBSUだから連れ去られた、というのはまだわからないよ」

「そうですよね……」

「ユリさん……あなたにお願いがある」

「なんでしょう?」

「今日の禍獣が、ひょっとしたらヒヤマ隊員かもしれない、というのは世間には内緒にしてほしい」

「……なぜですか?」

「世界で唯一禍獣に対抗できるあたしたちリディル軍でさえ、禍獣についてわかっていないことが数多くある。その最大の謎は、『禍獣はどうやって生まれるか』というものだ。ヒヤマ隊員が禍獣になったとするなら、それはその謎を解き明かす大きな手がかりなんだ。そしてそれは危険な情報でもある」

「危険な情報?」

「この情報が広く知られたら、CBSUにとって世間は雑音だらけになるだろう。禍獣の人権を主張する輩が現れたりね。そうなると禁じられる兵器や、下らない法整備によって禍獣の真理が遠のく。ヒヤマ隊員を捕らえようとする輩や団体も出てくるかもしれない。これはあなたにとっても良くないことだろう。現時点で彼と連れ去られた人間を救えるのはCBSUだけだ。我々が迅速に彼らを救出するために、今日のことは世間には黙っていてくれ」

 ユリはマリーをしばらく見つめたあと、黙って頷いた。ユリはなにか言いたげであった。聡明そうなユリは、マリーがなにかを含んでいることに気付いたのかもしれない。それを聞かれる前にマリーは続けた。

「これはリディル社の上層部以外にも黙っていてほしいことだ。と言ってもあなたから見て誰が上層部かもわからないだろうから、私以外にはこのことは話さないようにね」

「……はい。あの……黙っていますから一つだけ約束してください。兄を、殺さないでください」

「……ああ、約束するよ」

 そう言ってマリーはユリの顔から目を逸らした。余計な話を振られないようにわざと難しい顔をして窓の外を見た。

 禍獣の人権うんぬんなどというのは全くの詭弁であった。

 マリーはこのとき、禍獣の誕生には人間が関与しているのではないかと疑っていた。

 しかしそのことはマリーにとってもまだ不確かで、そのことを理由に口止めを要求するにはまだ不十分であった。もし人間が関与しているのなら、禍獣はなんらかの悪意を持って生み出されているはずだ。つまりその人間はリディル社にとって敵である。「リディル社が人間の関与を疑っている」ということは極力隠しておきたいのだ。

――嫌な予感ってのはどうしてこうもあたるのかね……


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