二章
1
今日のマリーは不機嫌だった。この出動に不可解なことが多く、さらに自分が大佐であるにも関わらず、それに関して把握する立場でないことが腹立たしかったのだ。
大きく舌打ちをして、車窓に視線を移す。道は空いている。マリーは腕から『インプレ』を外し、到着予想時刻を確認した。
――あと三分か。すぐだな。
『インプレ』とはインテリジェンスプレートの略で、腕に巻き付けるウェアラブルの通信端末である。薄く、柔軟性のある液晶で出来ている。
今回の出動は軍用トラックではなく普通のバンでの移動だ。禍獣予測AIが出した出現確率がとても低く、交戦というよりは警戒のための出動で、周辺住民の不安を無駄にあおらないための配慮である。しかし確率は低いが、出現場所と時間に関してはやけに絞られている。
「嫌な予感がする……」
マリーはつぶやいた。
「……めずらしいですね。隊長がそんなこと言うなんて」
マリー隊副隊長キネ大尉が言う。
「この出動、変じゃないかい。あんたはどう思う?」
「変……ですか。私にはさっぱり。隊長はなにがひっかかっているんですか?」
キネは淡々と、眼鏡の奥の細い目をぴくりとも動かさず、唇だけで言葉を発した。マリーは一つため息をつき、
「つまんない男だね。いいかい、今回の出動、なんで周辺住民を避難させない?」
「単純に出現確率が低いからじゃないかと。うちの保険に入っている企業も近くにないですし、そこまで大事にしたくないのでは」
「その割には場所が絞られすぎているんだよ。武蔵野市の何丁目まで出ているのがひっかかる」
「確かに場所はピンポイントですね」
「場所が絞られているならなおのこと避難させればいいだろ」
「避難させて、禍獣が出なかった場合に責められますから」
「……ふん、とにかくチグハグしてるんだよ、最近のCBSUは」
マリーは苦々しく唇をゆがめた。
禍獣の出現予測地点は住宅街のど真ん中だった。マリー達の待機場所はその付近、片側二車線の道路だ。普段なら周辺二キロの住民を避難させる。ヘリかフライングカーで上空から警報を鳴らし、プロジェクションマッピングで避難方向を誘導していく。が、今回は避難はないので、住民がそこらを歩いている。軍用車でないとはいえ、戦闘服で席に座る兵士の車は目立つ。会社帰りのサラリーマンなどが露骨にジロジロと覗いてくる。
「ちっ、結局注目を集めているじゃないか」
後部座席はスモークで覆われているので、マリーがジロジロ見られることはないが、それでも良い気はしない。
「今回禍獣が出たら、マニュアル通りの動きでは被害は免れませんね。住民が居るから大型のASSは使えないですし」
ASS、アンチショックウェーブシステムである。本来は爆発の衝撃波や火器に対するバリアだ。CBSUではこれを禍獣に対して使う。普段なら禍獣の東西南北に一台ずつ配備して一斉照射する。すると禍獣は大人しくなり、そこへ『サッカー』で完全に機能を停止させてから拘束するのだ。
「小型ASSがあれば充分よ」
「この前のショッピングモールのときも大型使わなかったですしね」
「本当は小型さえいらん」
「完全な状態の禍獣はいくら隊長でもきついのでは」
「あたしを誰だと思ってるんだい」
「油断は禁物です」
「もし禍獣が出たら、現着最速班はあたしのサポート最優先。住民避難より先にあたしが禍獣をねじ伏せる。従ってもらうよ」
「私が隊長に従わなかったことなどありませんよ。腹を切れと言われたら切ります」
「じゃあこれが終わったらあたしの部屋に来な」
「それだけはお断りします」
「……」
そこへ無線が入る。
「CBDよりCBSUマリー隊へ。市民から禍獣出現の通報あり。至急現場へ急行されたし。住所は武蔵野市境南****」
「なんだと!」
マリーはすぐにインプレを確認するが禍獣出現アラートはない。
「おい、レーダーは作動しているのか」
「してるはずです」
禍獣が出現した場合のレーダー探知は容易なはずだった。 禍獣の体は特殊な周波の反射波を返すといわれている。だが、レーダーにはひっかかっていない。
「とにかく現場へ! ドライブを手動にしてランプ回せ!」
続いて無線から現場の家の名前が告げられた。
マリーは驚いた。それは、約三ヶ月前、禍獣に誘拐された隊員の名前だった。
――やはりこの出動はなにか気味が悪いね……
マリーは腰に巻いていた戦闘服を着なおし、愛用の対禍獣ナイフ『エロース』の柄を握りしめた。
待機場所から現場までは一分とかからなかったが、すでに先に到着している班があった。西側に待機していた班だ。
マリーは降車し、すぐに指示を飛ばす。
「西班は全員あたしのサポート! 準備完了後最速で突入するよ!」
「ラジャー!」
「キネ! お前は外。北班、南班、東班が到着したらこの家囲んで待機!」
「わかりました」
今日のマリー隊は四班編成である。五人で一班が構成されている。
「西班の班長は小型のASS背負って来い! 隙があれば照射!」
「ラジャー!」
マリーは表札の名前を確認した。やはり、あの隊員と同じ苗字である。
「うっし! 行くよ!」
まずアプローチ入り口に、腰ほどの高さの鉄の門がある。そしてそれは力まかせに開けられたようだ。鉄のかんぬきがひしゃげている。
「馬鹿力だね……」
まっあたしもこれくらい出来るけど、とマリーは心の中で付け足した。
玄関のドアも壊れている。思い切り体当たりしたのだろうか。ドア上部の壁もろとも破壊されている。
中を覗くと、まず、おびただしい量の血が見えた。次に、倒れている人間。
そして、禍獣――
禍獣はなにやら人間に覆いかぶさっているようだ。
瞬間、マリーは一気に間合いを詰め、禍獣のわき腹にピンヒールで蹴りを入れる!
禍獣は吹っ飛び、人間から剥がれた。人間はどうやら意識がなさそうだ。出血の量からしてもう助からないだろう。
「誰かその人間外に出せ!」
言いつつ、マリーはエロースをかまえる。隊員の一人がその人間を引きずっていく。
一方禍獣は、起き上がるとすぐに突っ込んできた。
それは人間には捉えられないスピード、だが――
マリーには見えていた。
瞬時に屈み、懐にもぐり、エロースを禍獣の喉に突き刺す。
禍獣は刺されながらもマリーを飛び越し、玄関から半身が外に出るように倒れた。
「小型ASS照射!」
マリーには、この一瞬の戦いで二つ、理解出来ないことが生じた。
一つは、刺された人間の腹にタオルがあり、止血中だったこと。
誰が止血を? 刺された人間か? 禍獣に襲われているときに? まさか禍獣が? なぜ禍獣が? 禍獣にも慈悲の心があるのか? それ以前に知能があるのか?
二つ目は、禍獣の顔だ。見間違いでなければ、片目が人間のそれだった……ここからでは、禍獣の顔は確認できない。
「……すまん。ASSやっぱり止めてくれ」
マリーはうつぶせになっている禍獣に近づいた。頭を鷲掴み、左から覗きこむ。
「これは……」
マリーが驚愕していると、禍獣の目が開いた!
「ごあぁぁああぁあぁあああ!」
禍獣は大きな咆哮をあげる! 一瞬たじろいだマリーは禍獣に家の中へ突き飛ばされた!
廊下終点の壁まで吹っ飛んだマリー。すぐに立ち上がるが、すでに禍獣は消えている。
「ちっあたしとしたことが!」
急いで家の外に出ると隊員たちが倒されている。禍獣はいない。
「どこに行った!」
「東の方へ消えました!」
「逃げられたか! くそ! キネ! ヘリの要請!」
言うが早く、キネは無線でどこかと連絡を取っている。
「ん? あれ? おい、重体の人間がいただろ? もう搬送したのか?」
「それが……」
近くにいた隊員は申し訳なさそうに頭を下げた。
「禍獣が担いで逃げました……」
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