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「えー! 受かっちゃったの?」
面接があった夜、ヒヤマが合格を伝えるとユリは遠慮なく難色を示した。
「むうう……タイ君も受かったって言ってたし、最悪なんだけど」
ガツンと大きな音をたて、鍋敷きに置かれるグラタン皿。たった今オーブンから出されたばかりで、チーズがグツグツとユリの感情を代弁していた。
「すまんな」
ヒヤマは取り分け用のスプーンでユリの皿にグラタンを盛る。
「もう! 命令違反うんぬんはどうなったのよ。あまあまじゃない。このあまあま軍隊!」
「それでな、来週から数ヶ月家に帰れない。一人でやってけるよな?」
「え! なにそれ聞いてないんですけど」
「だから今言ったんだよ」
「急すぎだよ! ……あれ、じゃあタイ君も数ヶ月会えないってこと?」
「そうだ」
「聞いてない。きーいーてーなーい! 何ヶ月よ!?」
「詳しいことはわからない。ひょっとしたら詳しい期間は教えてくれないかもしれないな」
「そんな理不尽なことあるの? どんなブラック会社よ。もうヤダ。二人とも辞めちゃいなよリディル」
「そう言うな。軍事会社なんだから普通の会社とは違うさ」
「戦争のないこの時代に軍隊なんて流行らないよ」
「戦争はなくならないよ」
「なに? お兄ちゃんは戦争礼賛者なの? おー野蛮野蛮」
「世界統治機構なんていつまで続くかわからん。今は奇跡的なバランスを保ってるが」
二〇二二年に終結した第三次世界大戦。
人類は大戦の反省を生かし、国家の上に統治機構を作った。『世界政治統治機構THE EARTH』である。
五発もの核を打ち合った第三次世界大戦は、人類を暗闇の中に叩き落とした。人類史上最悪の被害を出した悲惨な経験により、戦争を支持するものは世界中で極端なマイノリティとなる。世界196ヶ国が、国権の発動たる戦争と国際紛争を解決する手段としての武力を、永久に放棄した。
要するに二〇三五年現在、国家として軍隊を持つ国は一国もない。『THE EARTH』だけが、『アースフォース』という軍隊を持っているのである。
リディル社は日本唯一、そして世界最大の民間軍事会社だ。主な業務は、警備、アースフォースに対する武器の製造販売および軍事的業務、緊急救助活動、禍獣対策、禍獣被害に対する保険業、海洋調査が挙げられる。
第三次世界大戦後に軍縮が叫ばれ、世界中で次々と軍事会社が倒産していくなか、リディル社が生き残ってこれたのはカガミの手腕だ。旧自衛隊が担当していた業務は、今ではリディル社がアースフォースアジア方面隊と連携して行っている。
「でも誰がなんと言おうと今は平和よ」
「いつまで持つかは疑問だが人類同士はな。だけど禍獣がいる。平和とは言えない」
「二言目には禍獣禍獣って。そればっかり。少しは禍獣のこと忘れなよ。そんなに禍獣に囚われたら駄目だよ……私は、お兄ちゃんにはもっと自分の幸せを追って欲しい。こんなこと言いたくないけど……お兄ちゃんが心の底から笑ったところ、見たことないもん」
ユリの瞳は潤んでいた。
ヒヤマは目を伏せる。
ユリの思いやりはありがたかったが、同時になぜだか恐ろしくもあった。
その温かいまなざしは凍った心を溶かす。でも今はまだ溶かさないで欲しい。凍った心でないと、禍獣を理解できない気がする。
「俺は、お前が幸せなら幸せだよ」
自分主体の幸せ、などというものはわからない。あの日から、ただただ禍獣にこだわって生きてきた。自分の人生にあるのは禍獣のことを知りたいという欲求だ。
「……なによそれ」
「本心だ。お前さえ幸せなら、俺はそれで満足だ。だから幸せになれ。タイシと一緒に」
「私の幸せの必要条件も、お兄ちゃんが幸せであることだからね」
ヒヤマはなんと答えていいかすぐにはわからず、たくさんのマカロニを口に放り込んだ。もぐもぐと噛みながら、次の話題を考えた。
「……ヤナセのおじさんにも連絡しないとな。ユリが結婚するって」
「結婚、許してくれるんだね。二人とも受かったのに」
「もともと反対じゃないさ」
「ま、そうだろうと思っておじさんにはもうメールしておいたよ。結婚式には呼んでくれだってさ」
「そうか。結婚式……準備しないとな」
「いいよ、式なんて」
「駄目だ、挙げろ。こういうことはきちんとしなきゃ駄目だ」
――きっと親父もそう言うはずだ。
「だって研修? っていうの? いつ終わるかわからないんでしょ? 日取り決められないじゃない」
ヒヤマはハッとなった。確かにその通りである。カガミ提督は数ヶ月帰れないと言っていた。訓練期間もある。タイシのほうがゴタゴタしていてすぐに日取りを決めるのは難しい。
「そうだな……式は落ち着いてからになるか」
「別に挙げなくてもいいけどね。あ、籍は今週中に入れるね」
「なんだ、日付にこだわらないのか?」
「うん。数ヶ月帰れないなら今週中に入れちゃう」
「わかった。そうだ、住む場所はどうする? この家か?」
「そう、それで相談なんだけど、しばらくこの家にタイ君と一緒に住んでもいい?」
「俺は構わない」
そう言いつつ、ヒヤマの頭に一人暮らしという言葉が浮かんだ。自分がお邪魔虫になるのはあまり好ましくない。
そもそもリディル軍では、本来ヒヤマの階級の独身者は宿舎に入らなければならない。現時点でヒヤマはユリの保護者だから実家暮らしが認められているのだ。
ユリがタイシと結婚したら、ヒヤマは宿舎暮しになるだろう。
「良かった。私、この家気に入ってるんだ。都心からまあまあ近いのに広いし」
ユリは窓のほうを見た。開いている窓から梅雨の生暖かい風が吹き込み、グラタンの香りをかき混ぜる。窓の向こうには生垣と小道をはさんで大きな公園があり、そこから「ジー」という単調な虫の音が聞こえてくる。
ヒヤマとユリが住んでいるこの家は、もともとヒヤマの祖父が一人で暮らしていた。禍獣の事件後、二人はすぐにこの家に越してきたのだが、祖父は父を追うように亡くなった。
「まだずっと先になるけど、子供ができたらデコボコウエンで遊ばせるんだ」
大きな公園は近所でそう呼ばれている。地面が小さく隆起している部分がいくつもあるから、という単純な理由だ。
ヒヤマは少年時代にこの公園で遊んだ記憶はあまりない。だがユリは心臓が良くなって、小学生時代からこの地域で過ごした。デコボコウエンで遊んだ経験はヒヤマよりも多いだろう。
デコボコウエンに思い入れがあるのかもしれないな、とヒヤマは察した。
「そう先の話じゃないさ」
「そうかなあ。あ、ねえ、お兄ちゃんにはいないの? いい人」
「いない。今は作る気にもならない」
「もったいないなあ。背も高いし結構人気あると思うんだけど。私の友達も写真見せたら紹介してとか言ってくるし」
「顔だけで判断するやつは信用ならん」
「別に入り口は顔からでもいいじゃない。みんなね、二重でパッチリしてるのにまなざしに憂いがあるのが良いって言うんだよ。禍獣に感謝しなきゃね」
「冗談でもそんなこと言うな」
「いいじゃない、ちょっとくらい面白く生きようよ。じゃないと割りに合わないって」
あはは、と根っから明るい声で笑うユリ。ヒヤマは改めて妹に感心した。あの不幸な事件でさえ笑い飛ばせてしまう強さは羨ましくもあった。
「お兄ちゃんも結婚したら、この家、賑やかになるね」
「相手もいないのに、気が早いだろ」
「そう先の話じゃないさ」
ヒヤマの真似をして笑うユリ。ヒヤマは賑やかな家を想像して、それも悪くないかもな、と思った。
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