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 CBSU資質試験の最終面接は、旧自衛隊時代に市ヶ谷駐屯地にあった元東部方面総監室で行われていた。

 部屋は、重苦しい空気に包まれている。

 面接官は八名。その中には、リディル社の社長でありリディル軍統合幕僚長のカガミ、CBD司令のゴウマ中将、マリー大佐とそうそうたる顔ぶれが並んでいる。

 ヒヤマは驚いた。たかだか特殊部隊の面接で、統合幕僚長が出張ってくるとは予想外であった。

 面接は人事官の男によって進められた。その男はことあるごとに笑顔をつくり、一見人が好さそうである。お偉いさん連中はというと、カガミは書類に目を落とし、ゴウマは腕を組んでヒヤマを睨み、マリーは頬杖をついてつまらなそうにしている。

 ヒヤマはカガミを生で見るのは初めてであった。入社式のときですら姿を見せなかった男だ。強い興味を持ってカガミを観察した。

 軍人にしては色が白く線が細い。目の下のクマが濃く病弱そうである。白髪であるが、たしか年齢は若く、三十代の後半だったはずだ。父である先代の社長が業績不振で自殺してから、リディル社を支え大きくしてきた辣腕社長だが、そのようなイメージとはほど遠かった。

「成績は凄くいいですね。全てにおいてトップクラス。一番得意なのはなんですか?」

 人事官がヒヤマに訊く。

「戦闘術です」

「高校と大学では柔道日本一だったこともあるんですね」

「何回か取り逃してますが」

「さっきその相手を面接しましたよ」

 その相手、というのはタイシのことである。高校と大学時代の通算成績ではタイシにわずかに負け越している。しかしこの試験ではヒヤマが上回っていた。

「成績が良いだけに惜しいですね。この前の出動ではなぜ禍獣と交戦したのですか? 君には退避命令も出ていたでしょう?」

「はい。正直に全部お話します。御存じだと思いますが、私は十五歳のとき、禍獣『イチゴウ』に両親を殺されました。両親は禍獣のはじめての犠牲者です。そのときから私は禍獣にこだわって生きてきました。CBSUを志望するのもそれが理由です。あの日は出動の要請がかかると、私は言い知れぬモノに感情を支配されました。それも私が未熟であったからですが、禍獣と戦えと、無意識下で細胞が私に語りかけていたのです」

「はっ! 細胞? 小説家かお前は。笑わせるね。細胞のせいにするんじゃないよ」

 マリーが毒づく。ヒヤマは自分でも陳腐な言い訳だと思っていたが、それ以外に言いようがなかった。

「まあ待てマリー。もっと聞きたい。お前、そのとき禍獣を殺そうとしたのか?」

 ゴウマが身を乗り出した。

「はい」

 ゴウマは豊かに蓄えられた自分のあご髭を触りつつ、大きなギョロ目でヒヤマの顔を見た。

 ゴウマにとってはただの観察で、おそらく威圧するつもりはないのだろうが、その重力を帯びたような眼光に、ヒヤマは思わず身構えそうになった。

「確かお前、座学は満点だったな。頭は悪くない。禍獣には普通の兵器は効かないって知っていただろう? お前、本当は殺そうとしたんじゃないよ。細胞が語りかけたって言うんなら、もう一度考えろ。細胞は本当はお前に何をさせようとしたんだ?」

 ヒヤマは息を呑んだ。初対面だというのにヒヤマのことを鋭く貫く指摘に戦慄したのだ。あのとき間違いなくヒヤマは禍獣を殺したかった。しかしその先にあるのは『理解』だ。殺して理解したいのだ。あの理不尽な事件を理解したい。忘れることのできない禍獣の『表情』を理解したい。

 そして実はヒヤマにはもう一つ知りたいことがあった。それは、死に際に父が言おうとした言葉。父はあのとき、確かになにかを伝えようとしていた。禍獣を追ってさえいれば、それがなんだったのか、いずれ分かるような気がするのだ。

 出動のときにあった、禍獣と遭遇するかもしれないという予感はつまり、禍獣のことを理解できるかもしれないという予感であった。発砲したのは、言葉の代わりだ。返ってくる禍獣の反応、言葉を聞きたかった。

「いいえ、効かないとは理解していましたが、それを忘れて、いや自分の攻撃なら効くと思いこんだのです。全て私の迂闊でした」

「……ふーん」

 ゴウマのそれは、納得していないのを隠そうともしない声色だった。禍獣を理解したいという欲求は、他人に知られたくなかった。醜い憎悪さえ超えた先にあるこの欲求は、人間味が無いように思えて、それを他人に知られるのは酷く猥褻な気がした。

「ヒヤマ君、顔をこちらに向けて」

 今まで無言を貫いていたカガミが口を開いた。高い声だった。

 言われた通り、ヒヤマはカガミのほうを向く。

「君が『イチゴウ』の犠牲者の子供か……」

 カガミは目を細め、そして続ける。

「ご両親が亡くなったあとは、誰のお世話になったのかな? 親戚のとこで暮らしてたのかい?」

「祖父の家に越しましたが、祖父もすぐに亡くなり、妹と二人で暮らしました。他にいろいろと面倒を見てくれた人はいましたが、一緒には暮らしていません」

「二人で。それは凄いね。中学生と小学生だろう?」

「はじめのうちは私一人でした。両親の葬式のあと、妹は長く再入院となりましたから。本格的に二人暮らしが始まったのは私が高校生になってからです」

「入院? どこか悪かったのかい?」

「心臓です。アメリカで手術したあと、日本に帰ってきて様子を見ているときに禍獣の事件が起こったんです。あまりにもショックな出来事だったので再度入院させたんです」

 ヒヤマが言い終わると、カガミの目はわずかに大きくなった。

「アメリカ……じゃあ、難病だったんじゃないか?」

 それは少し驚いたような声だった。

「はい。心房中隔欠損症と肺動脈弁狭窄の合併症というもので、非常に難しい手術を要求されたようです」

「僕も医学をかじってるからわかるけど、よく手術できたね。手術支援ロボットもまだ普及してなかっただろうしね」

「父の古い友人がアメリカの医師を紹介してくれたのです。当時最新の技術で治療してくれました」

「友人……なんて人か覚えているかい?」

「……ヤナセさんという方です」

「なるほど……よく覚えているね」

「今も交流があります。それにこの方に、父の死後、色々とお世話になりました」

「……そう。なるほどね」

 わずかの間、静寂が部屋を支配した。そして、

「よし、ヒヤマ君と僕とゴウマ以外は部屋を出てくれないか? マリー大佐、シュリ大佐を呼んできて」

 少しの間のあと、マリーが不機嫌そうな「わかりました」を放ち、席を立つ。他の者も、マリーに続き部屋を後にした。

 部屋に三人となり、数十秒は無言だった。最初に口を開いたのはゴウマだ。

「いいんですか?」

「おや? 反対かい?」

「いえ、でも、命令違反の件はもっと吟味が必要かな、と」

「ああ、それは大丈夫でしょ」

「そうですか。カガミ提督がそうおっしゃるのなら私は従います」

 カガミは自分のことを『提督』と呼ばせる。海軍の将官の呼称であるが、これはリディル社の前身が海洋調査会社だったことに由来している。

「さて、ヒヤマ君。君ね。試験合格。合格なんだけどね、機密情報があるんだ。当たり前だけど漏らさないと誓えるよね?」

 急に訪れた合格に、ヒヤマは喜ぶタイミングを失った。

「も、もちろんです」

「機密情報というのはね、CBSU隊員は体にマイクロチップを埋め込んでるんだ」

「マイクロチップを?」

「そう、埋められる? 嫌ならCBSUにはなれない」

「埋め込む場所は何処でしょうか?」

「それは言えない。枚数も言えない。だから手術は全身麻酔だ。場所を知られて欲しくないから体にダミーの手術痕もいくつかつけることになる」

「……なにをする為のチップなのでしょうか?」

「主に兵器の補助だね。そうだな、例えばCBSUはアンチショックウェーブシステムという兵器を使っているんだけど、この兵器のことは知ってるかな?」

「バリアです」

「うん、本来はバリアだね。でもCBSUでは禍獣の動きを止めるために使っている。プラズマの干渉場をいくつも作って禍獣の動きを止めるんだ。これが思いのほか効いてね。チップはその兵器の巻き添えにならないようにするためだったりもする。隊員が巻き添えになりそうな位置ではこの兵器は作動しない。他にも銃と連動して命中精度をあげるといったところだね。ああ、もちろん除隊のときは取り出すよ」

「……わかりました。大丈夫です」

「良かった。今後、病院に通うときはリディル軍病院のみを使うこと。そしてチップについて、隊員を含む他人に話すのは禁止。誰かから話を振られても答えては駄目。忘れて過ごすように。いいね」

「はい」

「それと、術後はかなりきつい意識の混濁があるかもしれないけど心配しないでいいからね。みんなそうだから」

 マイクロチップを体内に入れるくらいで意識の混濁が出るのは変だと思ったが、ヒヤマはそれを言葉にはせず了承した。

 きっとチップ以外にもなにかを体に施すのだろう。禍獣に対して正攻法で太刀打ちするのは難しい。なにをするのかはわからないが、法律や倫理に逸脱することかもしれない。ヒヤマはそれくらいのことは想定していた。禍獣は一筋縄ではいかない相手なのだ。

「手術は一週間後、細かいことは今からくるシュリ大佐が明日から説明していくから。それと手術後は数ヶ月家に帰れないから妹さんに伝えておいたほうがいいね」

「……わかりました」

 と、そこへノックがある。ゴウマが立ち上がり、ドアを開けると、白衣に身を包んだ妙齢の女が立っていた。銀髪のボブで、細く鋭い目をした美人だ。

「彼女はシュリ大佐。CBSUの禍獣回収研究課の課長だね」

「CBSU大佐シュリです。君の手術を担当します」

「CBD曹長ヒヤマキリフジです。よろしくお願いします」

 ヒヤマは起立し、敬礼した。

「よろしくお願いします、座っていいですよ」

 丁寧な言葉遣いだが、冷淡な声だった。階級がずっと上であるにもかかわらず敬語なことに、ヒヤマは一層の隔たりを感じた。

「細かいことは明日からオリエンテーションをしますので、ゆっくり理解していって下さい。CBSUになったら生活が、人生が変わります。覚悟を決めて下さいね……」

 暗い声が、チクリと刺さる。

 シュリの纏う白衣が一瞬死に装束に見えた。これからの過酷な戦いを暗示するかのようである。

 嫌なイメージを振り払うため、ヒヤマは肚に力を入れて返事をした。

 それを聞いたシュリは、ヒヤマの顔から目をそらす。

 シュリの唇が微かに動いた気がしたが、なにを言ったのかはわからなかった。

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