第14話 婚約(1)
昼食後、お父様に部屋へ来るようにとの伝言をアドルフから受けました。お父様に呼び出されるなんて何ごとでしょうか……先日の扉のことでしょうか。ですが、あれはもう解決したはずです。
お父様の執務室へ向かい真新しい扉をかるーく、本当にかるーくノックします。
コンコン……
「お父様、イレーナですわ」
「イレーナか、入れ」
「はい」
扉を開く前にアドルフが開けてくれました……ええ、壊さないようにですわ。
執務室へ入ると1通の手紙を持ったお父様が座っています。
「イレーナ、そこへ座りなさい。アドルフ、茶を頼む」
「かしこまりました」
おずおずと頷き、お父様の前に腰掛けます。
アドルフの入れてくれた紅茶を飲みながらお父様は静かな口調で続けました。
「イレーナ、よろこびなさい。フィリップ・ベルナーとの婚約が決まった」
「婚、約……ですの……フィリップ様と……」
思わず力が入り、握っていたカップを割ってしまいました……先日お父様のお部屋の扉を壊してしまって反省したばかりですのに。ドレスも汚れてしまいましたわ……
「平気か?怪我はないか?」
「大丈夫ですわ」
「そうか。それで結婚のことなんだが、ベルナー侯爵のほうは割とすんなり了承してくれたんだが、前侯爵と前侯爵夫人は正式な婚約の前に1度、イレーナに会ってみたいそうだ。1週間後に約束を取り付けた」
「……そうですか。ですがお父様、わたくしのスキルについては……」
「うむ。そのことなんだが、スキルに少し問題があると伝えてあるから安心なさい。あとは前侯爵と前侯爵夫人から説明があるだろう」
「はい、お父様」
「これによって婚約自体が覆ることはないと思うが、気に入られるに越したことはない。そのときに忘れずに『エタンセルマン』のアクセサリーを持参するんだぞ」
「はい」
「くれぐれも粗相の無いようにな……何事も慎重に」
「ええ、気をつけますわ」
なんだか、ほわほわした気分でお父様の言いつけの半分も覚えていません……早速リーリアにアドバイスをもらわなくては。えっと……お相手に気に入られる方法?
◇ ◇ ◇
1週間後……
本日は、フィリップ様のおじい様とおばあ様でにご挨拶に伺います。
ベルナー侯爵家の領地はいくつかあり、前侯爵様とご夫人が過ごしているのは王都とロベール家の領地の中間にある避暑地のようです。
デボラとともに馬車に揺られ……緊張しながらお屋敷を訪ねます。
「お嬢様、まもなく到着するようです」
「ええ、わかったわ」
どうしましょう……ますます緊張してきました。すぅーはぁー
えっと、まずはご挨拶して手土産をお渡しして……あ、そうですわ。茶器や椅子などを壊さないように慎重に。
馬車を降り、出迎えてくれたおふたりにご挨拶を
「初めてお目にかかります。イレーナ・ロベールと申します」
「おお、よく来てくれたな」
「いらっしゃい」
温かく出迎えられ、ホッと肩の力が抜けました。
応接室へ案内され、前侯爵のライナス様と前侯爵夫人のアナベル様の3人でお茶をいただくことになりまた。
美味しい紅茶とお茶菓子をいただき、カップを割らないよう、粗相をしないように慎重に過ごしていたら……
「いいんですよ、イレーナちゃん。ひとつやふたつぐらいカップを割っても」
「そうじゃ、それはわしが戯れに作ったカップじゃから替えはいくつもあるわ」
「あら、私の作ったカップだってありますのよ」
どうやらご夫婦揃って、陶芸が趣味のようです。でしたらアレを今度持ってまいりましょう……
アレとは、金属をこねて作ったティーカップに精霊石の粉を溶いて塗り、乾燥させたら最後に魔力を込める(原理はわかりませんが念じると魔力がこめられるようです)と定着する少し変わったものですが、おふたりならば気に入ってくださるかもしれません。
「それにしてもイレーナちゃん、美しく成長したわね」
「そうだな……あの時はたしか5、6年前だったか」
「ええ、そのくらいですわ」
わたくし、おふたりに会ったことがあるのかしら……それなのに忘れているのなら、なんて失礼をっ。
「あのっ……」
「あら、お忘れかしら? 『野薔薇の騎士』のお嬢さん」
のばらのきし……野薔薇の騎士……
「っ……まさかあの時のご夫婦でしょうか?」
「そうじゃ! 覚えててくれて嬉しいのぉ」
あれはまだ王立学院に通っていた頃ーー
お忍びと称して月に1度だけ魔道具をつけて出かけることが楽しみでした。月に1度だけなのは学院以外であまり外につけていって魔道具を壊すスピードを早めないためです。
街へ繰り出していたある日……
王都で庶民に人気のお菓子屋さんがあるとリーリアから聞いて、エバン兄様を護衛としてリーリアとともに抜け出し(と言っても許可は得てるのですが、気分ですね)お菓子を満喫しました。
その帰り道、通りがかりの馬車の前に子供が飛び出し……それを避けようとした馬車が横転しそうになったところに居合わせたのです。こちらへ倒れてくる馬車を思わず押し返してしまいました。
ほとんど条件反射でしたが、そのままではわたくしたちが下敷きになるところでしたのでとっさの判断としては正しかったと思います。幸い怪我人も出ず、大きな騒ぎにはなりませんでした。
そして、わたくしが押し返したのを馬車の中にいたご夫婦とリーリア、エバン兄様以外にその現場を目撃されることはありませんでした。他の方はギリギリのバランスで運が良かったと思われたようです。
貴族然としたご夫婦に、わたくしの怪力がばれてどうしようかと狼狽えていたところ……ご夫婦はわたくしにも、飛び出した子供とその親にも笑い飛ばして、そんなこともあるし、誰も怪我もなかったのだから気にしなくていいとおっしゃってくださいました。
あの時、なんて素敵なご夫婦なんでしょうと思ったものです。
名前を聞かれましたが、怪力のこともあるし一応お忍びでしたので……ごまかして『野薔薇の騎士』とでも覚えてくださいと言った気がします。
ええ、あの頃リーリアがはまっていた小説の中に出てきた名前をそのまま言ったものですから、今では赤面ものですね。あの時、魔道具は壊れてしまいましたが、無事が何よりですから。
まさかこんなところで再会するとは夢にも思いませんでした。
「恥ずかしいですわ……その名前は忘れてくださいませんか?」
「あら、可愛いじゃありませんか」
「そうじゃ! わしらはあの時からこんな子が孫の嫁に来てくれたら楽しいと話していたんだぞ」
「ありがとうございます。そうですわ、アナベル様、こちらをどうぞ」
お父様の言いつけ通り『エタンセルマン』のアナベル様のお気に入りだというシリーズの新ラインのアクセサリーを、お父様には言われませんでしたがライナス様にも鷲のブローチを作ったので渡します。
「あら、素敵だわ……ありがとう」
「うむ……よくできているな」
「そうね、イレーナちゃんて器用なのね」
「えっ……」
「ふふっ、知っているのは私たちだけだから安心して」
「……そうですか」
「どうじゃ? ブローチ似合っているかの?」
「ええ、とてもよく似合っているわね」
終始和やかな雰囲気でお茶を飲み……あっという間に帰る時間がやって来てしまいました。
「私たちも結婚を楽しみにしてるとお父上に伝えておくよ。それにイレーナちゃんのスキルも気にしなくていい。息子には私からよく言っておくからね」
「そうよ。あまり心配しないでいいのよライナスとわたくしに任せておいて」
との言葉をいただきました。
「ありがとうございます。本日はとても楽しい時間でしたわ」
「ええ、イレーナちゃん。いつでも遊びに来てね……私たちをダシにしてフィリップに会いに来るといいわ」
「うむ、それはいいな」
「ありがとうございます。おふたりにまた会いに来ますわ」
「そうかの……気をつけてな」
「ええ、またね」
「はいっ」
こうして、フィリップ様との婚約が正式に決定したのです。
ちなみに王都にいらっしゃるベルナー侯爵夫人へはお父様が『エタンセルマン』のシリーズをひと揃いを送ったところ大変喜ばれたそうです。
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