第6話 ピンチの神様


 ピンチは突然やってくる。ピンチは、ピンチであるがゆえにまだ避け得る可能性がある。


「グルル、グルグル」


――来た!


 括約筋に力を込める。頼む、次の駅までもってくれ。冬の暖房の利いた車内が、暖房以上に暑苦しい。額から脂汗が吹き出て来る。


 今立っているのは、電車のドアとドアの真ん中あたり、ギュウギュウ詰めで身動きできない。ヤヴァイ。


 何とか出口の方に向かって移動したいのだが、電車が揺れる度にもとに押し戻される。


「ギュルル、グルグル」。ヤヴァイ、ヤヴァイ! 脂汗が冷や汗に変わって来た。頼む、俺の括約筋!


 電車がようやく次の駅に着いた。シュー、空気の抜ける音がしてドアが開いた。


「降りまーす、降りまーす」。ゆっくりとこの駅で下車する人が車外に出る。まだ、みんな降り終わっていないうちから車外で待つ乗客がドアから車内に入り始めた。


「どいてくださーい! 降りまーす、降りまーす!」


 何とかホームに降り立つことが出来たが、階段は人でいっぱいだ。トイレのマークは、階段の上を指している。


「うー。ううーん」


 頼む! 頼む、俺の括約筋! フンバレ俺の括約筋。いやフン張っちゃだめだ。いや踏ん張れ! 階段を上る人の列の最後尾。ゆっくり、じっくり列は進むのだが遅い。遅すぎる。


 ブルブル。とうとう寒気が。ピ、ピーンチ!


『ジャジャジャジャーン。呼ばれて飛び出す。わたしはピンチの神さまヨ』


 光り輝く小さな女の子が自分の頭のすぐ上を飛び回っている。とうとう幻覚が現れたのか。女の子の髪の毛が不自然に長いところが印象的だ。


『ピンチを助けるのが、私の務め。さあ言ってごらんなさい。あなたのピンチを』


 幻覚だろうが何でもいい。溺れる者は幻覚にもすがるんだ。


 ピンチの神さま、も、漏れそうなんです


『ふーん。なんか、しょぼーいピンチだけど、いいわ救ってあげる。ピロリン、パラパラ、パラリロリーン! これで、あなたのピンチは3分間だけ無くなったわ』


 た、助かったー。あれほどの下腹部のつらさを今は感じられない。3分間だけというのが気になるが3分あればトイレに駆け込める。


 ピンチの神様ありがとうございます


 お礼を言うと、ピンチの神様は目の前でくるっと1回転するとウインクして消えて行った。


 何とか階段を上がり切って、トイレを示すマークに従って行くとやっとトイレマーク。


 ふー。これで助かった。



 な、なに!『清掃中。お隣のトイレをご使用ください』、隣は女子トイレじゃないか。ど、どうすんだー。トイレは無常にも封鎖されていたのだ。


 もはや、カラータイマーが点滅している。


 き、来たー!「グルル、グルグル」「ギュルル、グルグル」


 ピンチの神さまー、もう一度お助け下さーい。お願いしまーす。


『ジャジャジャジャーン。呼ばれて飛び出す。わたしはピンチの神さまヨ。ピンチを助けるのが、私の務め。さあ言ってごらんなさい。あなたのピンチを。あれ、またあなたなの?』


 ピ、ピンチなんです。もう一度お助け下さい。


『こんどもしょぼいピンチのようね。でも助けてあげる。ピロリン、パラパラ、パラリロリーン! これで、あなたの目の前のピンチは無くなったわ。でも、今のお願いが今日の最後のお願いヨ』


 トイレから掃除のおばさんが出てきて、清掃中の通行止めサインを横にどけてくれた。掃除は終わったらしい。


 ピンチの神様ありがとうございます


 ピンチの神様は目の前でくるっと1回転するとウインクして消えて行った。


 ドタドタ。トイレの中に駆け込むと、2つある個室のうち1つは使用中だった。掃除中にも誰かが中にこもっていたらしい。もう片方の個室のドアが閉められ『故障中につき使用禁止』の張り紙が。


 な、なんだと―! ピ、ピーンチ!


 ピンチの神様~!


 俺の呼びかけに答えてもう一度現れたピンチの神様だが、


『本日の営業は終了しました』


 そう言って目の前でくるっと1回転していつものようにウインクして消えて行った。


 避け得ないピンチは最早ピンチではなく破局、カタストロフィーだ。


 そうして、俺は悟りにも似た境地の中、カタストロフィーに身をゆだねるのだった。



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