第5話 文学考、やがて文楽(ぶんがく)に至る


 江戸時代、明治時代、色々な人が欧米の文物、思想、そういったものを日本に導入するにあたり訳語を作った。これは、俗説だそうだが、正岡子規の訳語と言われているベースボールに対する野球。普通に訳せば単純に塁球だ。しかも、この野球のベースを塁と訳したのも子規だそうだ。それを考えると、先人がいなければ、ベースボールは塁球ならぬ基地球になったかもしれない。野球は素晴らしい訳語である。


 これに対して、リテラチャーが文学、ミュージックが音楽と訳された。私は言いたい。ミュージックとは音を楽しむこと。これは素晴らしい訳ではないか。まさに言いえて妙。それに対して、リテラチャーが文学? 読者は楽しいから本を読んでるのではないだろうか。作家は読者に楽しんでもらおうと本を書いているのではなかろうか。確かに文を学んでいる人もいるだろうがそのような人はごく少数で多数ではないだろう。という訳で私は敢えて提案する。文学を捨て文楽とすべし。読みは同じだ。問題点があるとすれば、文楽ぶんらく文楽ぶんがくが書いてしまうと区別できなくなるくらいだ。

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