ゆっくりで良いから

「萌姉となんの話してたの?」

 戻ってきた美桜と共に、萌果さんの後について小児病棟へと歩みを進める中、美桜がそう聞いてくる。

「みぃちゃんって可愛いよね~、って話」

 ……合っているのか合っていないのかよく分からない。

 前を歩く萌果さんが私に代わってそう答えると、美桜は「は!?」と声をあげた。

「何それ、どういう事!?」

 私と萌果さんを交互に見ながら顔を赤くする美桜に、私はつい笑ってしまう。

「みぃちゃんこそ、随分遅かったんじゃない? 多分もうハロウィンパーティー始まっちゃってるよ」

「あー。お父さんとの電話は割とすぐ終わったんだけどね。その後元気なおばあちゃんに話しかけられちゃって、なかなか話を切り上げるタイミングが無くてさ」

 そう困ったように言う美桜の言葉を聞き、私も思い当たる節があった。

「そういえば私も最近、入院してる人達に話しかけられるんだけど。何でかしら」

「真璃ちゃんもこの病院で有名になってるからだよ」

 すぐに答えてくれた萌果さんだったが、私はいまいち理解出来ない。

 それを代弁するように、美桜が口を開く。

「なんで真璃が有名になってるの?」

「それはみぃちゃんのせいなんだけどねー。有名な人と四六時中一緒にいたら、そりゃあ一緒にいる人も有名になるでしょ。目に付くんだから」

 ……確かに。 

 美桜はごまかすような乾いた笑いをした後。

「なんかごめん」

 と私に頭を下げた。



          ◆ ◆ ◆ ◆



 そんなこんなで辿り着いた小児病棟は、いかにも小児病棟というような雰囲気があった。

 具体的に言うと、廊下の壁に可愛らしくデフォルメされた動物のイラストが、色画用紙で作られて貼ってあったり。窓などにはこれまた可愛いハート型のシールなどが張ってあったり、という具合だ。

 そんな廊下を進んでいくと、奥の方にガラス張りになって中の様子が分かるようになっている部屋が見える。

「あれがプレイルームだよ。小児病棟にいる子どもの遊び場で、ハロウィンパーティーの会場だね」

 近づきながら中を見てみると、元気に走り回る子どもや、友達同士でおしゃべりしている子達などがいた。そんな思い思いの行動を取っている十数名の子どもを、看護師二人が面倒見ているようだ。

 子ども達や看護師は、私達と同様に軽い仮装をしていて、部屋の壁にはコウモリやジャックオーランタンのイラストが張り付けられている。

 部屋の前まで来た私達に気付いた中の看護師が、引き戸を開けて廊下に出てきた。

「こんばんは。此花さんに雛本さんね。今日は楽しんでいって。ちょっと子どもの面倒も見てもらうけど、よろしくね」

 にこやかにそう言う看護師に、私と美桜は「よろしくお願いします」と揃って一礼する。

 萌果さんは一言二言その看護師と話した後、

「じゃあ、あたしは行くね。大丈夫だと思うけど、戻り方が不安ならここにいる看護師さんに言うんだよ」

と言い残し、一般病棟へと戻っていった。

「ハロウィンパーティーは前半に皆で椅子取りゲームとか伝言ゲームとかして遊んで、後半にお菓子配って皆で食べるって感じなんだけど……。ごめんね、ゲーム大会のほうはもうやっちゃったの」

 萌果さんが行った後、私達に申し訳なさそうに言う看護師さん。

 美桜を待ってからここに来たため、かれこれ十六時から三十分も過ぎていた。そうなっても当たり前だ。

「もう少ししたらお菓子を配るんだけど、それまでは自由遊びだから。二人も一緒に遊んであげて」


 そして看護師に促されるままプレイルームに足を踏み入れると、こちらに気付いた幼稚園生ほどの子ども達がわらわらと集まり始める。

「今日は皆と一緒に遊んでくれるお姉ちゃん達が来てくれてます。真璃お姉ちゃんと、美桜お姉ちゃんです。よろしくお願いします」

 看護師がそう子ども達に語りかけると、子ども達もそれに続いて「お願いします」と声をあげた。

 それから私達は軽い自己紹介を行った後、予定通り子ども達と遊ぶために部屋の中の方へ移動する。

 子ども達は、こっちで遊ぼう、あっちで遊ぼうと口々に言ってくるが、中の様子を観察するに、部屋の半分から向こうに折り紙やブロック遊び、半分より手前に体を使った遊びをする子ども達が集まっているようだ。

「私はこっちで遊ぶから、真璃は向こうで遊んできて」

 美桜もそれが分かったのか、私に静かに遊べる方を勧めてくる。


 結局、九月に入ってすぐに、先生と和幸さんは美桜にまた事故の事を教えた。

 だからこの美桜とは二ヶ月ほどの付き合いなんだけど。

 相変わらず美桜は、こちらから歩み寄る姿勢を見せれば、すぐに今まで通りのように仲良くなれる子で。

 ……まぁ違いがあるとするなら。この二ヶ月間はよく理解出来ない心のせいで、私は挙動不審な部分が多いため、美桜には少しおかしい人と思われているかもしれない、という所だろうか。

 私の病気の事と延命治療についても、伝えるかどうか少し迷ったが、ちゃんと伝えてある。

 そのため先ほどの美桜の言葉には、体を使って遊ぶ子ども達は自分が引き受けるからゆっくりしていて、という彼女の気遣いが感じられた。


「じゃあ、お願い」

 だから私もその提案を素直に受けて、部屋の奥側に戻る子ども達について行った。

 そこには六人ほどの子どもが集まっていたが、壁際の方に、小さく体操座りをして何もせずじっとしている女の子がいる。その隣にはもう一人の看護師が付いていた。

「その子、どうかしたんですか?」

 気になって聞いてみると、看護師が頷いて、女の子に聞こえないように小声で言う。

「この子、病気でちょっと体の調子が悪くて。ちゃんと治療すれば治るんだけどね、本人はこのまま治らないんじゃないかって不安みたいなの。気分転換になれば良いかなって連れて来たんだけど、遊ぼうとしなくて」

「なるほど……」

 事情を聞き、もう一度女の子を見る。

 ぴったりと付けた二つの膝に顔をうずめるようにして座っている女の子は、なんだか少し前の自分と重なって見えて、放っておけない気持ちになった。

 私はその子の前にしゃがみ込むと、声をかけてみる。

「こんばんは。あなたのお名前は?」

 女の子はぴくっと肩を動かし、頭を傾け片目でこちらを確認してきた。

「…………まゆ」

「まゆちゃんか。まゆちゃんは、皆と遊ばないの?」

「遊んで、病気治るの?」

 まゆと名乗った女の子は、私を見てそう声を発する。

「んー……。遊んで治るわけじゃないけど」

「じゃあいい」

 短く答えて、まゆちゃんは再び顔を隠してしまった。

 ……歳や程度の差はあれ、あの日の私も、きっとこんな感じだったんだと思う。自分の事で頭がいっぱいで、周りに目を向ける余裕なんて無かった。

 例えば何の関係も無い人に、今この子の相手をさせたら、なんて思うだろう。

 面倒くさい子どもだ、とか、素直じゃない子どもだ、とかってイライラしたりするんだろうか。この子の気持ちを考えながら言葉をかけ続けられる人は、どのくらいいるんだろうか。

 私は多分、イライラして放っておくタイプの人間だった。元々子どもの相手とかは苦手だったし。

 そう考えると、美桜がしてくれていた事の凄さが分かってくる。

 ——でも、今は。

「ねぇ、まゆちゃん。私もね、病気なの。もしかしたら治らないかもしれない」

 もう一度そう声をかけると、まゆちゃんの体が反応した。

「でもね、私はこうやって笑ってるわ。凄く良いお友達に会えたの」

 ——美桜に会えた私は、この子に優しく出来る。

「今まゆちゃんは不安で、周りが見えなくなってるんだと思う。でも少し顔を上げれば、まゆちゃんの事を心から考えてくれてる人が、周りに沢山いたんだって分かるはずなの。……だからね、ゆっくりで良いから、顔を上げてほしいな」


 ……もし、いつか私が消えてしまっても。

 私が美桜から受けた優しさを、少しでもこの子に分けてあげられて。

 そしてその優しさが消えずに残ったのだとしたら。

 それはきっと、とても価値ある事だと思う。


 数秒待つと、まゆちゃんは私の言うとおりに、ゆっくりと顔を上げてくれた。

 その顔はまだまだ険しいけれど。でも、その一歩が本当に大事な事を、私は知っている。

「よし。じゃあ、まずは私と一緒に遊ぼうか?」

 私の言葉に、まゆちゃんはぎこちなく頷いた。



 そうしてまゆちゃんと遊び始め、五分ほどが過ぎた頃。

「じゃあ、私達は子ども達に配るお菓子を持ってくるから。ちょっとだけ子ども達をよろしくね」

 私と美桜を呼んだ看護師がそう告げて、二人で部屋を出て行ってしまった。

 私はこれまで通りの場所で遊ぼうと戻りかけたところで、今まで美桜と一緒に遊んでいた男の子に手を掴まれる。

「お姉ちゃんもこっちで遊ぼうよ」

 掴んだ私の手をゆらゆらと揺らしながら言う男の子に、どう答えようかと考えていると、すかさず美桜がフォローを入れに来てくれた。

「そのお姉ちゃんは駄目ー。私と遊ぼうね」

 言われた男の子が「えー?」と不満げな声をあげるのを聞いて、私はもう一度考えて、口を開く。

「少しだけならいいわよ」

「え、真璃?」

 美桜が驚きの顔を向けてきたが、「大丈夫」と返し、私は男の子に付き合う事にした。

 どうせ数分すれば看護師が戻ってくる。そうすればお菓子の方に夢中になるだろう。

 そう思いながら、久々に運動らしき動きをする。それは鬼ごっこのような遊びで、室内という事や体格の違いも考えて、私は早足で子どもを追いかけた。

 近くから美桜の視線を感じる。恐らく体を動かしている私を心配してくれてるのだろう。

 なんとなく、私は大丈夫な気がしていた。少し体を動かす程度なんて、何の問題も無いと。

 ……だが、それは大きな間違いだったようだ。

「——あれ」

 不意に、足に力が入らなくなった。

 おかしい。どうしてこんなに急に力が抜けるんだ。私は普通に歩いているつもりで足を動かしていたはずなのに。

 私から逃げようとこちらに背を向けている子ども達は、私の異変に全く気付いていない。

 ……あ、これちょっと危ない。

 そう思った時には、私の視界は大きく傾いていた。


「真璃ッ!!」

 

 刹那、そんな切羽詰まった声が聞こえたかと思うと、私は横から誰かに抱きしめられるようにして体を抑えられる。

 誰か、というか、勿論それは美桜なんだけど。

 しかし足から完全に力が抜けた私をとっさに支えるのは、さすがに難しかったらしい。

 美桜は私を抱きしめながらもバランスを崩し、私に覆いかぶさるように倒れてしまった。

 

 …………。

 今度こそ床にぶつかる覚悟をして目を閉じていたが、背中にわずかな衝撃があっただけで、他には特に痛みも無かった。フロアマットが敷いてあったから、それで少しマシになったか。

 暗闇の中で、私は今仰向けで倒れている。頭の後ろに人の手の感触があるので、多分美桜がとっさに私の頭を守ってくれたのだろう。

 大丈夫だと言いながら、美桜に迷惑をかけてしまった。

 とりあえず謝らなければ、と思い瞼を上げる。

 

 美桜と、視線がぶつかった。

 というより、見開いている美桜の目しか見えないほど、私の顔と美桜の顔が近かった。

 ……そういえば、唇が、温かい。

 唇に何かが触れている感覚。

 

「————っ!?!?!?」

 声にならない声、というやつが出た。

 いや、この状況じゃそもそも声を出そうとしても出せなかっただろう。

 だって。

 私の唇は、美桜の唇で塞がれていたから。


 周りから、ざわざわと子ども達が何か言っているのが聞こえる。

 今のこの私達を見て、色々と騒ぎたてているであろう事は、想像に難くなかった。


「ご、ごめん!!!」

 全面的に私のせいではあるが、結果的に私を押し倒すような体勢でキスをした美桜が、勢いよく飛び退いた。

 私はむくりと体を起き上がらせる。そういえば、足に力が入ってる。別に問題は無さそう。

 一瞬の混乱があったものの、そんな風に考えられるほど、今は意外と頭は冷静だった。


 ——大丈夫よ、美桜。ありがとう。


 返そうと思った言葉は、しかし口から出ることは無かった。

 美桜の唇が当たっていた私の口が、全く動かせなかったのだ。

 

 ……ああ。

 なんでこんなに冷静でいられるのか、分かったかも。

 多分、これは。嵐の前の静けさというやつなのだ。

 ……だって、これ、もう抑え込むの無理だ。

 

 その瞬間。私の中で何かが弾けた。

 がつん、と頭が揺れるような衝撃が走った気がした。

 それは私の心に渦巻く物を紙一重で抑え込んでいた蓋が、スパークリングワインのコルクの如く吹っ飛んでいった衝撃だ。

 そして私の胸の中に、この二ヶ月間で抑えて、抑えて、抑え込まれて熟成された感情が、一気に広がっていく。

 一切の容赦無く雪崩れ込んでくる、圧倒的な暴力とも思えるほどの感情の奔流に、私は私の気持ちを初めて理解する。

 

「真璃……?」

 どうしよう。美桜が近づいてくる。今は駄目だ。今は、……まずい。

「来ないで……。お願い」

 どうしようもなくドキドキする。鼓動が速すぎて心臓が痛いほど。

 全身が熱い。今、熱何度あるんだろう。

 ああ、駄目だ。もう無理。誤魔化せないし戻せない。

 


 ——私、美桜の事、好きなんだ。



 あの夏祭りの日。……いや、きっかけはもっと前からあったのかもしれない。とにかく私は、美桜に心を奪われていた。

 きっと、ずっと好きだったんだ。

 

 目だけ動かして、美桜を見てみる。

 心配そうにしながら、美桜も顔がゆでだこのように真っ赤になっていた。……多分私もあんな感じだ。



 ……その後の事は、いまいちよく覚えていない。

 子ども達に色々からかわれたりして。

 戻ってきた看護師さんにもちょっと聞かれたりして。

 あ、あと写真を撮ったりもした気がする。上手く笑えただろうか。

 

 そんな風にして、ハロウィンパーティーが終わり、病室に戻るまで、美桜と話す事はほとんど無かった……。



          ◆ ◆ ◆ ◆



 夏祭りの日と一緒。

 自分の感情に翻弄されて、記憶も曖昧なまま、ただこうやって病室の天井を見つめている。

 あの日と違うのは、比べ物にならないほどに鼓動と息切れが激しいという点だ。

 結局夕食は一人で食べて、そのまま消灯時間前までずっとこんな感じ。

 ……そうだ、日記。日記書かなきゃ。

 何をどう書こうか。

 いや、もうこれはいつも通りの日記なんて書けない。書けるわけない。

 というか、私明日から美桜といつも通りに話せるかな。

「どうしよう……」

 どうしようもあるわけも無い。けど、口からはそんな呟きが漏れる。


 そうして夜が更けていく。

 少し肌寒くなってきているが、この熱を持った体には心地いい温度。

 

 今日は、やっと美桜への恋心を自覚できた日。

 ——そして、私の足に異変が起きた日。 

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