狂ってたかもしれない

 十月三十一日。そろそろ寒くなってくる時期。

 今やこの日付を聞いて何の日か分からない人は少ないのではないだろうか。

「真璃、その帽子可愛いね」

 美桜はそう言って、私が被っている先のとんがっている長い黒帽子を見た。帽子には円形の広いつばが付いていて、赤いリボンが結んであったりする。よく魔女が被っているイメージのある、いわゆるとんがり帽子というやつだ。

「美桜のマントはかっこいいわね」

 それに答えるように、私も美桜の羽織っているマントに感想を述べた。そのマントは裏が赤で表が黒く、美桜の頭の後ろにとがった襟を長く伸ばしている。こちらはよくドラキュラが羽織っているイメージがある物。

 一応言っておくと、これはハロウィンの仮装である。どこからか用意してくれた萌果さんに借りた物だ。……まぁ、普段の格好に帽子やマントを被ったり羽織ったりしているだけで、特に仮装と言えるほどの物でもないが。

「二人とも似合ってるよ!」

 お互いの格好に感想を言い合っている私達に、一連の会話を聞いていた萌果さんがさらにそう重ねてくる。


 時刻は十六時前。今私達は、そんな恰好をして美桜の病室前の廊下にいた。

 何故こんな事になっているのかというと、それは今日の朝、朝食を配膳に来た萌果さんが「小児病棟のハロウィンパーティーに二人で遊びに行って来たら?」と突然言い出したからである。

 ちなみにその時、私と美桜は例のごとく二人で朝食を食べようとしていて。

 そこで美桜が楽しそうだと食いついたので、じゃあ行こうか、という流れになったわけである。


「でも結構早い時間からやるんだね。ハロウィンって夜のイメージがあるけど」

 美桜の言葉に、萌果さんが笑いながら答える。

「小児病棟は小さい子がいっぱいだからね。夕飯の後にやるのは色々大変そうだから、その前にやっちゃうみたい」

「あー……」 

 それに納得したような声をあげる美桜を見た後、萌果さんは歩き出した。

「じゃあ行こっか。ま、あたしは案内するだけだけど」

 萌果さんの後について、私達も歩き出す。

「んー、これちょっと気になるなぁ」

 歩き始めてすぐ、美桜は首元で結ばれている紐をいじり始めた。マントが落ちないように留めるための物だが、どうやら首が絞まりそうになって不快らしい。

「緩めて襟に上手く引っ掛ければ良いんじゃないかしら」

 私の提案に「なるほど」と声をあげた美桜は、紐を少し緩めて入院服の襟に引っ掛けようと、次は襟元をいじり始める。

 それを横から見ていると、急に美桜がその襟をぐいっと引っ張り、普段は見えない胸の一部の肌と白い下着が目に映ってしまった。

「——っ!?」

 ひゅ、っと空気が喉を通り過ぎる音をあげながら、私は勢いよく顔を前に戻す。

 ……どうしてこんな事で、私の心音はこうも大きくなっているんだ。

「……? なんか今真璃変じゃなかった?」

 そんな私の異変を横で感じ取ってか、美桜は私に訝しむような目を向けてくる。

「そ、そんな事ないわ。……それで、出来たの?」

「うん。これ良い感じだよ。ありがとう」

 これ以上怪しまれないようとにかく冷静に返すことに努めている私に、美桜が笑顔でそう答えた。


 ……二ヶ月前の、あの夏祭りの夜から。

 私はそれまで特に気にしていなかった、美桜の一挙一動が気になるようになっていた。

 美桜が近くに来るだけで鼓動が速くなったり、肌が触れ合うような事があると上手く頭が回らなくなる。

 今みたいに胸元や下着がちらっと見えてしまうなんて事があると、挙動不審になって美桜に不思議な目で見られたりする。

 挙句の果てに、ただ笑顔を向けられるだけで顔が若干熱を持つ始末。


「そう。それなら良かったわ」

 だから、私は美桜の笑顔を直視しないように、そう言いながらもすぐに顔を前に戻した。

 あの日胸の奥から溢れ出しそうになった感情。美桜を見ていると、なんとか抑え込んでいるその感情が爆発しそうになる。

 二ヶ月の間、どうしてこんなに必死になって抑え込んでいるのか、自分でもよく分からない。……けど、自分の中に理解出来ない感情が生まれるのが怖かった。例え悪い物じゃないのだとしても、私は本能的に、それを抑え込まなければならないと感じていた。

 そんな私をやはり不審に思ったのか、美桜が追い打ちをかけるように声をかけてくる。

「ねぇ。真璃ってさ——」

「あ、いたいた。此花さーん」

 しかしその美桜の言葉は、不意に背後から聞こえてきた声で止められてしまった。美桜と一緒に振り向くと、一人の看護師が早足でこちらに近づいてくる。

「此花さん。お父さんから電話が掛かって来てるから、ちょっと来てもらって良い?」

「お父さんから?」 

 なんだろう、と続けながら、美桜は萌果さんに顔を向けた。

「とりあえず行ってきなよ。あたし達はあそこで待ってるからさ」

 そう返しながら、萌果さんは廊下の少し先にある自動販売機の方を指さす。その前には、買った飲み物を飲みながら休憩するための長椅子も設置されているようだ。

「うん。真璃もごめんね」

 美桜は最後にそう付け足し、マントを翻すと、看護師さんに連れられて行ってしまった。



          ◆ ◆ ◆ ◆



「遅いねぇ」

 自販機の前の長椅子に萌果さんと並んで座り、私が帽子を脱いで隣に置いてから、かれこれ五分。すぐに戻ってくると思っていた美桜は、思いの外遅かった。

 呟いた萌果さんは、立ち上がって自販機に近づく。

「なんか飲もっか。真璃ちゃん、何飲む?」

「いや、私は……」

「遠慮しないで。ほら、選んで」

 ご馳走になるのも悪い気がするが、無理に断るのもそれはそれで失礼な気がする。

 数瞬迷ったのち、私は萌果さんにホットココアをお願いする事にした。

 少し待つと、ココアの缶を二つ持った萌果さんが私の隣に戻ってくる。そしてその片方を私に差し出してきた。

「はい。ちょっと熱いから気を付けてね」

「ありがとうございます」

 お礼を言いながら、缶を受け取る。

 萌果さんが缶を開けるのに続いて私も開けると、飲み口からほのかに湯気を立たせるココアを一口すすった。

 口の中に甘く温かく広がるココアの味は、どこか心を包み込むような安心感をもたらしてくれる。


「……良い子でしょ? みぃちゃん」

 ふと、萌果さんがそう口を開いた。

 油断していた所にかけられた急な言葉に、一瞬反応が遅れてしまう。

「え? えっと……。そうですね。とても」

 美桜は『とても』なんて表現では足りないくらいの良い子であるが、それ以上の言葉がとっさに思いつかなかった。

「そう。みぃちゃんはね、とっても良い子なの。純粋で、誰にでも優しくて、よく笑って」

 天井を見上げるようにしながら、萌果さんは微笑んでいる。……しかしそこまで言った後、右手に持っているココアの缶に視線を落とし、真顔へと変わった。

「でもね。その笑顔を曇らせるような人達がいるんだよ。……真璃ちゃんはさ、知ってる? みぃちゃんが学校でどういう扱いを受けてるか」

 ……扱い? 

 その言葉に妙な違和感を感じながらも、思い出しながら答える。

「出会ってすぐの頃に、少しだけ本人から聞きました。この町で有名なせいで、周りの子達から距離を置かれる、みたいな——」

「それはみぃちゃんがそう言ってるだけでしょ」

 言い終わらない内にぴしゃりとそう遮られ、少し驚いてしまった。その声には若干の怒気が混じっているように思える。

「みぃちゃんはね、中学に入学してすぐ、クラスでいじめられてる子に声をかけたの。それがいじめてる子達の気に障ったのか、次はみぃちゃんがいじめられるようになった。……けど、みぃちゃんはこの町では巫女として皆に可愛がられてるからね。そのいじめっ子達も、元々いじめてた子ほどおおっぴらにいじめづらかったんでしょ。いじめはみぃちゃんを無視したり、ひどい悪口を言ったりするっていう程度で済んだ。勿論、先生とかの前では友達のふりをするみたいだけどね」

 ……そこまで、萌果さんは一気に話した。

 ——美桜が、いじめを受けている?

 そんな事、私は全く知らなかった。いや、そもそも美桜が話していた物とは随分様子が違う。

 私はいつもの萌果さんの雰囲気との違いや話の内容に気後れし、一切口を挟めないでいたが、なんとか口を動かした。

「美桜は、そんな事、一言も言ってませんでした……」

 すると、萌果さんはぐっと何かをこらえる様な表情をする。

「言ったでしょ? みぃちゃんは良い子なんだよ。普段は周りに気を遣わせるような事は絶対言わないし、やらない。ましてや、真璃ちゃんはここに入院してきてすぐの頃、ちょっと荒れてたし。そんな子に、みぃちゃんは正直にこんな話しないよ。もっと暗い雰囲気にさせたくないだろうからね。みぃちゃんがその話した時、ちょっと途切れ途切れで話の内容が具体的じゃなかったんじゃない? あたしの時もそうだったから」

 そう言われると、確かに話し方がぎこちなかった。

 あれは思い出すのが辛い、とかそういう事じゃなくて、私に気を遣って言葉を選んでいたのか。……あんなひどい態度をとっていた私に。

 ……。ちょっと待て。

 じゃあ美桜は、私とほとんど同じような立場だったんじゃないか。

 言い訳をさせてもらえるなら、私は病気のせいで自暴自棄になっていた、というのもあるが。

 あの時、私は美桜と私の孤独は全く違う物だとして切り捨てようとしていた。でも今の話を聞く限り、きっと私と美桜の状況は似ていて。それなのに、私はそんな美桜を突っぱねようとして。

 ……私、馬鹿だ。

「実際誰一人みぃちゃんのお見舞いなんて来ないし。……元々いじめられてた子も、我が身大事にみぃちゃんの事無視するようになったらしいしね。どいつもこいつも、本当に救えない」

 そう吐き捨てる萌果さんは、もはや別人ではないかと思えるほどに雰囲気が違う。

 ぴりっとした空気を感じて動けない私に構わず、萌果さんは続けた。

「あたしはね。その話を聞いた時、はらわたが煮えくり返ったよ。そいつらの事をどうしてやろうかって考えた。でもね、みぃちゃんが素直に言わない内は、あたしも耐えようと思ったの。この選択は多分間違ってるんだろうけど。……けど、みぃちゃんがあたしにしている気遣いも、無駄にしたくない気がして……」


 ——そうして、彼女の纏うオーラは、更に一変した。


「だけど、もしみぃちゃんに何かあったら。何が邪魔しても、どんな手を使ってでも、必ず奴らをみぃちゃんの前に引きずり出して、全員地べたに頭を付けさせる」


 その静かな声色に。

 ぞわっと、全身に鳥肌が立つのを感じた。

 よく『殺気を感じる』みたいな表現が小説なんかにあったりするが。

 まさに、これがそうなのだと一瞬で理解した。

 いやそもそも、ここにいるのは本当に萌果さんなのか。

 いつの間にか別人に変わっていないだろうか。

 そんな考えが頭の中を飛び回り、嫌な汗が背中を伝っていった。

 しばらくの無言の後、しかし一つ疑問を感じた私は、萌果さんらしき人に、ひねり出した掠れた声で聞く。

「……美桜が言わない事を、どうやって知ったんですか?」

 彼女はゆっくりと口を開いた。

「ああ。みぃちゃんの様子がちょっとおかしいと思ってね。絶対学校で何かあったんだなって思って。電話して担任の先生と話しても意味無かったから、学校の前でみぃちゃんと同じ学年の子を待ち伏せして聞いたの。まぁ簡単に口は割らなかったけど、相手はついこの前まで小学生だった子だからね。ちょっと脅せばすぐだったよ」

 それ以上、私は口を開く事をしなかった。

 どう脅したのか、とか、聞きたい事はいくつかあったけど。

 これ以上詮索するのが、怖かった。

「あたしね、みぃちゃんの事、本当の妹みたいに思ってる。だから、私がみぃちゃんを守らなきゃって」 

 体が凍り付いて、上手く顔を向けられない私に、彼女は再び話し始める。

「……絶対こんな事考えちゃいけないって分かってるけどね、事故の事を聞いた時、思ったの。亡くなったのが、美春さんだけで良かったって。……あたし、最低だなって自分で思った。でも、もしみぃちゃんがそうなってたらって想像すると、震えが止まらないの。そうなってたら、あたし狂ってたかもしれない」

 今までの恐怖すら感じる雰囲気が少しずつ消え始め、消え入りそうな声でそう言う彼女を、やっと私は萌果さんだと再認識出来るようになってきた。

 萌果さんは言葉を止めて、ココアを一気に飲み干すように缶を大きく傾ける。

 そして缶から口を離してこちらを見た萌果さんの顔には、いつもの萌果さんの笑顔があった。

「真璃ちゃんと仲良くなってからね、みぃちゃんも大分自然に笑うようになったよ。あたしじゃ出来なかった事、真璃ちゃんにされてちょっと悔しいけど。……だから、ありがとう。みぃちゃんと友達になってくれて」

 ——その言葉は、奇しくもいつかお母さんが美桜に言った言葉と重なった。

 友達になるまでにとった言動を考えれば、私には多分、感謝されるような資格は無いのかもしれないけど。

 やっぱりそう感謝されると、温かい気持ちになる。

「……いえ。美桜が友達になってくれたんです。私は差し出された手を時間をかけて取っただけで。……美桜には、感謝してます」

 それまでの出来事を想起しながら答えた私を見て、最後に萌果さんはこんな事を言ってきた。

「真璃ちゃんさぁ。みぃちゃんの事好きでしょ」

「当然です。嫌いなわけないじゃないですか」

 間を置かずに返した私に、萌果さんは何故か苦笑する。

「……そういう事じゃないんだけどなぁ」



 そんな会話をし、いつの間にか二十分が過ぎた頃。マントをひらひらとはためかせながら、やっと美桜が戻って来るのだった。 

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