こんにてぃは
病室を出て廊下を歩けば、もちろん他の患者さんやお見舞いに来ている人達と顔を合わせることになる。
「美桜ちゃん。目ぇ覚めたのかい? えがったえがったぁ」
まず最初に目が合って声をかけてきたのは、病院服を着た元気なおばあちゃんだった。
満面の笑顔を浮かべながら、飴をくれた。
「おかげさまでー。あ、飴ありがとうございます」
お礼を言ってすれ違うと、今度はこれまた元気なおばさんが前から歩いてくる。
「あら、美桜ちゃん! 体は大丈夫なの?」
「意外と大丈夫みたいです」
一言二言会話をしてから歩き出すと、また違う人から声をかけられる。
階段までの廊下を歩くだけで、既に8人ほどの人に声をかけられた。
「ふぅ......」
ちょうど人がいないようなので、私の病室があった最高階の三階と二階をつなぐ階段の踊り場で、手すりに寄り掛かって息を吐く。
「お疲れみたいだね、みぃちゃん?」
すると二階の方からなんだか聞き覚えのある声がした。
見ると、セミロングの髪をカールしている、ナース服を着た若い女の人がこっちを見上げて立っている。
「あ、
「おー、ちゃんと覚えてるね。良かった」
からかうように言いながら、萌姉は階段を上がってきた。
親同士の仲が良くて家族ぐるみの付き合いであり、小さい頃からよく遊んでもらっていたため、なんとなくお姉ちゃんみたいな感覚である。
だから私は彼女の事を『萌姉』と呼び慕い、萌姉も私の事をお母さんと同じく『みぃちゃん』と呼んで可愛がってくれた。
歳は私の六つ上だから二十一歳。——いや、一年経ってるから二十二歳か。
「ナースになれたんだね、おめでとう」
「まぁね。なるまでもなってからも大変だけど」
萌姉は私の隣まで来ると、同じように手すりに背中を預けた。
「みぃちゃんも大変だね」
「あはは……。正直実感は無いよ。一年も経ってるなんて全然思えないし。ちょっと病室の外に出たら皆して声かけてくるからさー。……まぁ、心配してくれてるのは分かるんだけど、ちょっと疲れちゃう」
少し愚痴になってしまった言葉を聞いて、萌姉は困ったように笑う。
「あー、それはしょうがないね。この町ではみぃちゃんの事知らない人の方が少ないだろうし」
それを聞いて、私は再び大きく息を漏らした。
この町————穂乃咲町————は、周りが山で囲まれている人口六千人ほどの小さな町だ。
こんな田舎だが、実は
ちなみに祀っているのは
他にも力は沢山あるようだが、挙げ始めるとキリがないのでやめておこう。
その健康と安産のご利益の部分にあやかろうと、この穂乃咲病院にわざわざ転院してくる人もいたりして。
だから、田舎にしては設備がしっかりとした病院になっている。
——さて、勘の良い人ならもう分かっていると思うが。
この神社こそ、私がこの小さな町で広く顔を知られている理由なのだ。
「なんせみぃちゃんは木花神社の巫女さんだからねー」
「わざわざ言わなくていいよ」
そう、私はその木花神社の巫女をしている。
漢字こそ違えど、神社と同じ『このはな』を苗字に持っている時点で、察する事は出来るだろう。
なんで漢字が違うのか、詳しい事は知らないけど。
「みんな、みぃちゃんが小さい頃から神社で見てるからね。可愛いんだよ」
「むー……」
自分で言うのはなんだけど、可愛がられている自覚はあった。
けど、町を歩けば全員に顔を知られていると思うと、なんとなく緊張するし、心休まる時が無いというか……。
それに、学校でだって——……。
「中原さーん? ちょっといいかしらー?」
不意に、二階の方から声がした。
どうやら違う看護師さんが萌姉を呼んでいるらしい。
「あ、はーい。今行きます」
萌姉は手すりから背中を離すと、私に向き直った。
「じゃ、あたしそろそろ仕事に戻らなきゃ」
「うん、頑張ってね」
そう言って萌姉を送り出そうとする。
しかし、萌姉は階段を下りて行こうとせず、私を見ていた。
その顔は真剣そのものだ。
「萌姉、」
どうかした?
続けようとした声は、萌姉の胸に塞がれた。
どうやら萌姉が私を抱きしめているようだ。
すごく良い匂いがして、驚きながらも思わずドキッとしてしまう。
「も、萌姉?」
「みぃちゃん、頑張ってね。あたしはいつでもみぃちゃんの事応援してるからね」
「な、なに? どうしたの急に」
萌姉の言葉の真意が掴みきれずにいると、萌姉は静かに私をその体から離した。
「じゃあね」
そしてそう言い残すと、今度こそ階段を下って行ってしまった。
「なんだったんだろう……」
呟きながらさっきの感覚を思い出す。
「………………萌姉、胸でかいな」
何言ってんだ私は。
◆ ◆ ◆ ◆
結局、一階にある大きな談話室に着くまでに雑談をした人の数は二十人を超えた。
「疲れた……」
私は無料で淹れられるお茶を紙コップに注ぎ、いくつかあるテーブルを見回してどこで一息つくか吟味する。
——ふと、目が止まった。
談話室の端の方。
ガラス張りになっている窓から外を見て、スケッチブックに鉛筆を走らせている一人の女の子がいた。
歳は多分私と同じくらいで、病院服に身を包み車椅子に乗っている。
さらさらとした長い髪を腰まで下ろし、肌は白い。
外とスケッチブックを交互に行き来する目は真剣で、その横顔は鼻も口も耳も、驚くほど綺麗に整っている。
まるでそれは——
(お人形さんみたいだ)
そんな月並みの感想しか出てこないけど。
私はホントに心の底から人を綺麗で可愛いと思ったのは、生まれて初めてかもしれなかった。
他の物なんてもう目に入らない。
私はその女の子に、目を奪われずにはいられなかった。
そのまま、足は勝手にその子のもとに動き始める。
そして、すぐ隣まで歩み寄る。
彼女は私に気付き、ゆっくりとその顔をこちらに向けた。
私は、そんな彼女に声をかける。
「こ、こんにてぃは……」
そんな噛み噛みの挨拶が、彼女と私の出会いだった。
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