初めまして?
噛んだ。
一発目の挨拶で、見事に噛んでしまった。
もう一回やり直したい。
「…………」
その女の子は、私の顔を見て、目をぱちくりさせている。
当然だ。突然現れた見ず知らずの人間が真横で挨拶を思いっきり噛んだのだ。誰だって目くらいぱちくりさせる。
「……ふふっ」
このどうしようもない沈黙をどう破ろうかと思考を巡らせていたが、先に破ってくれたのは彼女の笑い声だった。
「ごめんなさい。急だったからびっくりしちゃったわ」
そう言って笑みを浮かべる彼女の顔は、本当に綺麗だった。
笑い終わった彼女は、改めて口を開く。
「こんにちは。初めまして? で良いのよね。私は
「あ、はい、初めまして。私は——」
「此花美桜さん、でしょ」
今度はこちらが目をぱちくりさせる番だった。
「あれ、私の名前——」
知ってるんですか?
なんて、聞く必要があるだろうか。
いつもの事だ。雛本さんが私の名前を知ってる理由なんて1つしか無い。
雛本さんは私の反応を見ておかしそうに笑った。
「私、一方的にだけどあなたの事知ってるの。だから初めましてって気がしないわ」
「それは……、あれですね? 神社の巫女として有名だから……ってやつですね?」
言うと、雛本さんは「んー」と唸り始めた。
「え、違うんですか?」
それ以外に考えられないけど。
雛本さんはひとしきり唸った後、顔を上げる。
「ま、そういう事にしておきましょう」
「なんですか、それ」
いまいちはっきりしない答えにもやもやした感覚を覚えていると、雛本さんは「それと」と続けた。
「敬語なんていらないわ。私たち同い年だもの。普通にしましょ」
そうにこやかに言う雛本さん。
凄いこの人、コミュニケーション能力半端ない。
「あー、えっと。うん、分かった。よろしく、雛本さん」
そう返すと、雛本さんが首を横に振った。
「真璃でいいわ。私も美桜って呼ぶから。よろしくね、美桜」
凄いこの人、もはやコミュニケーション能力の塊では?
私は自分からぐいぐい行くのも相手からぐいぐい来られるのも苦手な人間だが、雛本……、真璃の距離の詰め方には全く嫌な感じがしなかった。真璃が綺麗だからだろうか。
「うん。よろしく、真璃」
少しドキドキしながら真璃の名前を口に出す。
すると、真璃は今見てた笑顔よりも一層屈託のないまぶしい笑顔を返してくれた。
「あ、そういえば。今更だけどごめんね。邪魔しちゃった?」
私は真璃が膝の上に乗せているスケッチブックを指さして言う。
「ううん、そんな事ないわ。これはいつでも出来るから」
言いながら、真璃は鉛筆を筆箱にしまい始める。私はそっとスケッチブックを覗き込んだ。
そこには、窓の外の風景がまるで白黒写真を撮って張り付けてあるかのように正確にスケッチされていた。
「うっわぁ、凄いね。上手すぎてびっくりした」
「そんなことないわ。納得出来ない所がいっぱいあるの。ちょっと今日は手の調子が悪くて」
「手?」
そう言う彼女の手を見ると、かすかに震えているのが見てとれる。
「大丈夫? 寒い?」
「あぁ、大丈夫よ。そういうのじゃないの。体の問題ね」
体の問題——。
そうだ、ここは病院だ。真璃だって何かの病気か怪我で入院しているのだ。車椅子に乗っているあたり、足も悪いのだろうか。
気になることは色々あるけど、あまり踏み込み過ぎるのも良くない気がする。
スケッチブックを閉じた真璃は、私の方に顔を向けた。
「テーブルの方に行きましょう。美桜も座らないと疲れちゃうでしょ」
そう言いつつ、真璃は車椅子に付いているレバーを握る。どうやらこれは電動車椅子のようだ。
しかしいくら電動といえど、震える手を見てからだと少し心配になる。
「私押すよ」
「そう? じゃあお願い」
私は真璃の乗る車椅子を押し始める。それは異様に軽かった。
「真璃はこの町の人、じゃないよね?」
真璃とテーブルを挟んで椅子に座った後、私は気になっていた事を質問した。
「ええ。東京からここに転院してきたの」
「それは神社のご利益を聞いて?」
「そうね。私の両親がそうしようって言うから、そうしたわ」
真璃はこちらを見て言う。
「美桜はお巫女さんでしょ? 美桜からご利益貰えるかしら?」
「いやいやいやいや。私普通の人間だから。そういう特殊な力持ってないから。それに——」
続けようとした言葉を、私は口を噤んで止めた。
「それに私は、九十九代目だから?」
しかしその言葉は、真璃があっさりと口にしてしまった。
私はギョッとして顔を上げる。相変わらず真璃は笑顔だ。
「百代目の巫女は人間でありながら咲神命の力をその身に宿して生まれてくる、だっけか?」
「どうしてそれを知ってるの?」
「んー……。ここに入院してる人に教えてもらったの。そういう言い伝えがあるって」
私は驚きを隠せなかった。だって、これは木花神社の神官や巫女——、つまり、私たち家族とその血族の人だけしか知らないはずの事だからだ。
……どこからか漏れてしまったのだろうか。
別にそれを信じているわけでもないし、知ってしまった人をどうこうしようというわけもないが、先祖代々秘伝とされている言い伝えだから、それが破られていると分かると少し罪悪感を覚えた。
「神様の力を持って生まれてくるってちょっとワクワクするわね。どんな事が出来るのかしら」
そんな私の気を知ってか知らずか、真璃は目を輝かせている。
私は息を吐いてから答えた。
「こんなのただの言い伝えだよ」
「そうかしら?」
「そうだよ」
残念そうにする真璃を見て、表情豊かな人だなぁと感じ、顔がほころんだ。
「? 何かおかしなことあった?」
「ううん。なんでもない」
今度は不思議そうな顔をしていた真璃だったが、はたと動きを止め、壁に掛かっている時計を見た。
「ごめんなさい。落ち着いて話せ始めたばかりだけど、私そろそろ病室に戻らないといけないんだったわ」
「あれ、そうなの?」
「ええ。検診があるの」
机の上に置いていたスケッチブックと筆箱を膝の上に乗せながら、真璃は言う。
「そっか。じゃあ私、病室まで車椅子押すね」
「ほんと? 助かるわ、ありがとう」
真璃は私の言葉を素直に受け、私が後ろにつくのを待っている。
私はお茶を飲み干して空になった紙コップをゴミ箱に捨ててから、真璃の車椅子のハンドルを握った。
そこで、私は談話室の入り口に、こちらをじっと見ている女の子がいるのを見つけた。
髪をツインテールに結んでいて、私より少し背が小さい。
白いフワフワのコートを着て、膝くらいまでのスカートにニーソックスを履いている。
歳は私たちと同じくらいか。
しかし私と目が合うと、すぐに歩いて行ってしまった。
あの子、ずっと私たちを見ていたんだろうか。
「どうかしたの?」
真璃が大きな目でこちらを見上げてくる。
「あ、なんでもないよ。行こ行こ」
車椅子を押しながら、私は真璃を見る。
「そういば、真璃の病室ってどこ?」
「あなたの病室の隣よ」
私は驚きを隠せないまま、談話室を後にした。
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