神様、ありがとう

にこみざぼん

偶然、必然、当然

運命、という言葉がある。

信じるには少々メルヘン過ぎて、疑うには少々勇気が要る言葉。

言い換えれば偶然であったり必然であったりと、相反する二つの性質を持つこの言葉は時として都合の良い夢を見せる。


夢。

それは、自分の意思で、発生した事柄を偶然、あるいは必然のどちらかに分類することができるという夢。

そんな事はないのに。

起きてしまった事柄は、神様が偶然か必然か決めているだろうに。

それでも、どちらか信じたい方を自分の意思で選べてしまう。

そんな言葉が『運命』。


そしてこれは、どちらなのだろうか。


「思わず掴んじゃったんだけど…どうしようか…」


「…特に思い入れがないなら離せばいいと思う」


いやそういうわけにもいかないでしょ、と視線で訴えてみる。

何せ状況が状況。

あと一歩この子が足を踏み出せば、4階の高さから青空に飛び立つ事になる。落ち方によっては死ぬことはないと思うが、死なないという確証もない。それならば手を放すほどの勇気は私にはない。

かといって柵越しにつかんだ手ではどうにもすることができず、気まずい沈黙が2人の間に流れる。


「…はぁ、わかった、今日はもう辞めるよ」


先に口を開いたのは彼女の方だった。


「ふぃー…」


思っていたよりも緊張した。あともう少しで死んでしまう人なんて、見たことがなかったから。

とりあえず、手元にあったサンドイッチを見せ、昼食に誘うことにした。


「…食べる?」


「貰おうかな」


これから死のうとしていた人間が昼食なんて持ち合わせてるわけないか。

納得しながら、隣を見ると思ったよりも近い距離にその子は座っていた。


「あ、ごめん、近かったね」


「別にいいよ、気にしないし」


なんとなく、色々と言いたい気持ちになったが、とりあえずはお昼ご飯にすることにした。




「あのさぁ」


食べ終わって早々、彼女の方から話しかけてきた。

私としてはどう話しかけた者か考えあぐねていたこともあり、非常に都合がよい。


「…なんか、聞かないの?」


「べ、別に、こういう時って下手に聞かれるの嫌じゃん?」


焦る。

どう接したものか考えていたなんて言えない。


「ふぅん」


そんな『やるじゃん』みたいな顔されても困る。

でも、そう勘違いしていてくれるなら助かるから黙っておこう。


「私さ…特に死ぬ理由もないんだけど、生きてる理由もあんまりないんだよね」


「…多分死ぬのって痛いよ?」


「ちょっとズレてるんだね」


そう言って彼女は笑った。


「今日もさ、上履きはなくなってたし、その前は体操着、更に前は筆箱…」


「なるほど…」


「生きてれば楽しいことがあるから生きるんだとしたら、あんまり生きる理由ないかなぁ、って思って、あそこに立ってたの」


あまり直接的な言葉を使わない理由は少しだけわかる。

これが所謂いわゆる”いじめ”ってやつであることは明白だが、実際に口に出すのははばかられる。

だって惨めに思えてしまうから。


だから彼女は、された行為を説明はしても、それが何なのかは言及しないのだろう。


「………」


だからこそ、何と声をかけたものか迷う。


「ごめん、興味ないよね」


「多分、石川さんが綺麗だからやっかみしてるだけなんじゃない?」


私の言葉に彼女はひどく驚いたようだった。


「私の名前、知ってたの?」


「ああ、ごめん。ちょっと有名だからさ」


カーストの厳しい女子の世界で、上と下の存在は有名になりやすい。特に、彼女のように、容姿に優れながらも性格から迫害されるような子は。


「それよりさ…またこういうことする予定ってあるの?」


ストーカーみたいに思われてないかな、なんて不安になりながら、話を逸らすことにした。

私の問いに彼女は少し悩んでいるように見えた。自分の発言が及ぼすであろう影響についてか、それとも私を信用するか考えあぐねているのか。


「…さぁね、今日はたまたまそういう気分になっただけだから」


「そっか」


このままだと、またすぐにここにきてしまうだろう。

そう思った私は、一つの提案を思いついた。


「また来る」


「えっ…?」


「また明日、ここに来るから。待ってて」


今度は自分でご飯持ってきてね。

そう告げて私は屋上を後にした。


こういう時は屋上に来る別の理由を用意した方がいい。

そして、そのうち、何のために屋上に来ていたかを忘れればいい。




それからは毎日、私は屋上に行くことにした。

もともと真面目で冗談が通じないことからハブられていたようで、律儀に毎日同じ時間に彼女はそこにいた。


私は屋上でいろんな話を彼女にした。


飼っている犬の事、晩御飯の事、将来の夢の事。

とりとめもないことも話していくうちに、少しずつ彼女は心を開くようになった。


しかしそれは、一つの代償をもたらした。



「あのさ、今日も上履きがなくなっててさ…私が何したんだろうね…」


「そっかぁ…何も悪いことしてないのにねぇ…」


「貴女は私を裏切らないよね?」


そう言うと私の膝に乗せた頭をこちらに向けた。その瞳はほの暗く、あの飛び降りる直前だったあの日よりも危うい印象を私に与えた。


「う、うんうん、裏切らないよ」


「…良かった。もし、貴女にまで裏切られたら、どうしたらいいかわからないもの」


人は下手に希望があると、諦める事すらも許されなくなる。

むしろ初めから希望なんてない方が、傷つくこともないらしい。

ようするに、依存のような何かが、私と彼女を縛り付ける結果となった。


「それこそ、今度こそ死んじゃうかも」


所謂メンヘラというものなのだろうか。

自分自身を人質とした交渉術。

しかし、思っていたよりも心地いい。


「…天使の鐘って聞いたことある?」


「聞こえたことないなぁ」


「これから死んじゃう、って人には天使の鳴らす鐘が聞こえるらしいよ」


「へえ、それじゃあ、貴女は天使じゃないんだね」


死んでしまいそうなところを止めたのは確かに私だけど…

何か言い返そうと思ったところを彼女は続ける。


「でも、私が死ぬときは貴女に決めてもらいたいなぁ」


独白。

これまでの言葉とは異なり、彼女自身が納得するための言葉。


「……いいよ、私が呼び鈴を鳴らしてあげる」


それで、私があなたの死神になってあげる。


「…うん、ありがとう」


そう言った貴女の笑顔は、可哀そうになるくらいに可愛くて。




この子は、私と、この出会いに感謝した。

そして私は、自分の勇気に感謝した。


ずっと前から聞いていた。

クラスでも浮いていて、定期的に屋上で危うそうな顔をしているという彼女の存在を。

そして、なんとなく一目屋上を見に行ってしまったのが悪かった。

柵を乗り越え、風を受けながら一人佇む姿は、一瞬で私を虜にした。

綺麗な髪を見た時、愁いを帯びた瞳に魅入られた時、華奢な腕に触れたいと思ってしまった時。

全部、私のものにしたい。

そう思った。



そう、私はという選択をした自分の勇気に感謝した。


「あなたが私を拾ってくれたのって、ただの偶然じゃなくってさ、必然だと思うんだ」


まさか、そういって肩をすくめる私は冷や汗を一滴だけ垂らす。

そして、私のバッグの中の比較的綺麗な上履きの感触を確かめる。



「ただの偶然だよ」



どちらでもいい、だってこの出会いは運命だから。




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神様、ありがとう にこみざぼん @buntanstew

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