4
大海から内陸へ少し飛ぶと、「塩の海」と呼ばれている細長い湖がある。その南岸に、彼らは着陸した。
宇宙船の窓から見ていた時はたしかに湖だったが、降りてみるとその広大な風景に「海」と呼ばれているのも納得した。対岸はうっすらと向こうの山が見えるが、右や左の彼方は水平線だ。
恒星ラーは赤い球となり、山の向こうに沈もうとしている。その方角だけ、空が赤く染まっている。とっぷりと沈み込むような宵闇がその色を濃くしはじめ、それまで見えなかった宇宙空間の無数の恒星たちが空にまたたきはじめる黄昏だ。
連絡用にラシャルタを宇宙船に残し、ミレーとアウルラームは、塩の海の畔に立った。
この湖の水面は、大海の海面よりはるかに低い。四方を黄色く横筋のある不毛の岩山に囲まれ、その塩分の濃さにより、水面には凝固した塩のかたまりが無数に浮いている。中には、柱のようになって水面に立っているものもある。
岸辺は砂浜というよりも「塩浜」で、そんな塩の柱が無数に立っていたりもした。
「さあ、急ごう。暗くなる前に」
ミレーはそう言ってから、背中に負った空中飛行装置のスイッチを入れた。折りたたみの回転翼がのびて、頭上で回転をはじめた。
プロペラは二枚ずつの上下二段になっていて、それぞれは逆の方向に回転する。上のプロペラで浮上、推進し、下のはプロペラと反対方向に身体が逆回転しないためのものだ。
ミレーが飛び立つと、アウルラームもそれに続き、二人は都市の方へと向って行った。
エイブの甥、ロトの家族が住むのは、谷間の狂ってしまった二つの都市のうち、南側のほうの都市だ。エイブとともに何度も彼らとコンタクトをしたことのあるロトだから、二人ともその顔は見知っていた。
二人は城壁に囲まれた都市の入口の城門の外で着地した。回転翼をたたみ、それからあとは徒歩で都市へ入ろうとした。
城壁の中からは、ものすごい活気と騒音が漂って来る。恒星ラーの姿はもう空になく、かなり暗くなっていた。
「おや、あれは、ロトではないか?」
アウルラームの指さすところに、たしかにロトがいた。城門の下に、ロトはひとりでぼんやりとすわっている。
「そうだ。ロトだ」
二人がそう言っているうち、ロトの方から彼らに気づき、驚きの表情とともに立ち上がった。
無理もない。いつもなら、光のドームとともにロトの前に出現する彼らが、今日に限って遠くから歩いて来たからだ。
ロトはあわてて、二人の天から来た人のもとへ駆け寄った。壮年の働きざかりという感じの男だ。体格もたくましい。髪は短く、鬚はない。白い環頭衣を着ている。
「アドナイ。どうぞ、私の家へおいて下さい。そこで足を洗って、ゆっくりおくつろぎ下さい」
「ロト。私たちはそのようなことを、している暇はないのです。急いで、広場へ行きましょう」
ミレーから一瞬目をそむけ、ロトはうつ向いた。
「この町の広場は、とてもあなたがたにお見せできる状態ではありません。ここ四、五日の間に、この町は狂ってしまったのです」
「それは、よく知っています」
「だから、どうぞ、私の家へ。この町を暗くなってから歩くのは、たいへん危険です」
「わかりました。とりあえず、そうしましょう」
「ご案内します」
ロトは先頭に立ち、石造りの城門をくぐった。ミレーとアウルラームも、それにしたがった。
石造りの家々が建ち並んでいる。その間の道は、人でごったがえしていた。進むのも容易ではない。
たしかに道行く人々の誰しもが、目つきが異様だ。皆一様に、目の白い部分が赤くなっている。
ミレーたち二人のスペース・スーツと背中の空中飛行装置に、群衆の好奇の目が集った。たちどころに二人のまわりに、人垣ができた。ロトは彼らをかばように、そのような人垣をかきわけ、速足で歩いた。
群集はミレーたちを見て、何やらひそひそ
人ごみの中から若い女が出て来て、突然ミレーの腕をひいた。香水の匂いが鼻につく。恐しくなるほど、厚化粧の女だ。
「ねえ、珍しいお兄さん。その服、どこで買ったのさ」
「これは、金では買えない」
「うそばっかり。この町ではお金さえあれば、できないことは何ひとつないのよ」
「おまえは何だ」
「あたい? ふふ。ひと晩どう? 安くしておくわ」
ロトが慌ててその女を突き飛ばし、ミレーたちをつれ出すように、先へと急いだ。
(ものすごく、気分が悪い。このこみあげて来る不快感はなんだ?)
アウルラームがテレパシーを、ミレーに送った。ミレーは歩きながら、アウルラームを見た。
(ああ、たしかに。息をするのも苦しいくらいだ。なあ、あのサーマン・ミグの母艦の中にいた時の感覚に、似ずぎていると思わないか?)
(俺もそう思ってたんだ)
ふと家と家の間の暗い露地へ目をやると、あきらかに男同士と分かる二人が抱きあって口づけをかわしているのが見えた。気がつけば、そんな男同士のカップルが、ちょっとした暗がりなら無数にいる。
道の両脇にはかがり火がこうこうとたかれ、石畳の道の上は、まるで昼のようだ。
前方で騒ぎが聞こえた。
「けんかだ、けんかだ」
と、騒ぐ人々の流れは、一勢にその方向に向った。
人垣の中、二人の男が石斧をふりかざし、戦っている。
「悪い薬の中毒者ですよ。飲めば意識が朦隴となる薬が出まわっているんです」
と、ロトが二人に小声で言った。
「町のあちらこちらで、夜になるとその薬のとりひきが行なわれます。その薬のせいで、通行人を殺して歩いて楽しむ者が増えてきました」
ロトの顔は、悲しさを切れない様子だ。
「四、五日前までは、こんなじゃなかった。実に平和で静かな町だったのに。なぜ、突然、こんなふうに狂ってしまったんだ」
ロトがため息をついた時、ひとりの男が相手の頭を、斧で打ち砕いていた。見ていた群衆の間から、喝采がわきおこった。
「さ、早く行きましょう」
ロトに促され、二人は歩きだした。行く手に、広場があるようだ。ロトの足は、広場を急いで立ち去ろうとするように、速度がさらに速まった。
ミレーは首を伸ばし、広場をのぞいてみた。
中央に大きなかがり火が夜空を焦がすほどにたかれ、そのうしろに大きな牛の像がすえられている。その黒い牛の像を、何人もの人が地にひれ伏して拝んでいる。
その前の丸い台の上では、若い女が腰をくねらせ、奇妙なリズムにあわせて踊っている。よく見ると、上半身は裸で乳房もあらわだ。
そのまわりで、男女が輪になって、やはり同じリズムにあわせて踊る。
台上の女は、下半身にまとっていた布までも、さっと払いとった。女は全裸になった。まわりで踊っていた群衆から、拍手がわきおこった。
ひとりの男が自らの衣を脱ぎすてながら台の上に駆け登り、女を押し倒して重なった。女は股を大きく聞いていた。群衆の拍手は、いちだんと高まった。
音楽のリズムが、突然変わる。群衆も序々に、男女のペアとなっていく。
かがり火が消された。広場の人たちは、その場で男女睦んで地にころがり、交歓をはじめたらしい。
「さ、早く」
二人の背をおし、ロトは広場をあとにした。小さな露地を折れた。
二件目の左側が、ロトの家だ。
木のドアを叩き、
「お父さんだよ」
と、ロトは叫んだ。内側からドアはあき、若い娘が顔を出した。ロトの長女だ。
「さ、どうぞ」
と、ロトはミレーたちを家の中に招き、自分の娘に水おけを持って来させた。ミレーもアウルラームも、スペース・ブーツを脱いで、足を洗った。
ロトは妻のヤシカに命じ、たねなしパンの食卓で彼らをもてなした。いつになくひきしまった表情で、口数も少なくパンをほおばっては飲みこんでいるミレーたちを見て、不審に思ったロトは、
「何をそんなに慌てているのです?」
と、尋ねた。
「実は、落ち着いて食事などしている場合ではないのですよ、本当は」
ひとことひとこと、ゆっくりかみしめるように、ミレーはしゃべった。
「今日私たちは、あなたがたをこの町からつれ出すために来たのです。もう、あまり時間がありません」
「え、それはどういう……」
その時、家のドアを激しく叩き音があった。
ロトが立ちあがり、ドアを開けると、この町のすべての人々が集ったかと思われるような人の波が、ドアのすぐの所まで押し寄せていた。前の路地にも、あふれんばかりだ。
ロトは表へ出て彼らの前に立ち、後手でドアを固く閉めた。
「皆さん。お静かに。いったい、何事なのですか」
かん高いロトの声が、群衆の頭上に響きわたった。群衆は一度は声をとめた。
「今日の夕方、この町の北の方へ空中を飛ぶ皿が飛んでくのを、オイラァ見たんだ」
ロトにいちばん近い先頭の、鬚づらの男が叫んだ。続いて、次々と群衆の中からどよめきがわきあがった。
「私も見たよ」
「そう、オイラァも見た」
「確かに見た」
「まあまあ、みなさん、お静かに」
と、ロトが手で制すると、最初に叫んだ男がロトに詰め寄った。
「そしてさっき、あんたは背中に鳥の羽根を持つ男を二人、自分の家へ連れて入っただろう」
見たちが背負っていた空中飛行装置のことを言っているらしい。
「やつらはその空飛ぶ皿に乗って来た連中にちがいない。え、どうだ!」
「それが、どうしました?」
「やつらをこっちへひきわたせ」
「なぜです」
「空飛ぶ皿のことは、今この町で大騒ぎになっているんだ。そんなのに乗って来た連中を、この町で放っておくわけにはいかない。俺たちで調べつくしてやる」
「そうだ。そうだ!」
叫びは群衆の中のあちらこちらからあがり、大きなどよめきとなった。今まで怒鳴っていた男の隣りにいる厚化粧の男が、
「あたしゃその方たちを、抱いてみたいわ」
と、太声の女言葉で言った。
ロトも、いいかげんむっと来たらしい。その言葉を荒くした。
「皆さん。いいかげんにして下さい。私にはまだ、男を知らない娘が二人います。それをひきわたしますから、どうぞ好きにしなさい。しかし、彼ら、あの二人の人たちには手を出さないで下さい。私の家の影の下に寄った人たちなんです」
何度もどもりながらも、ロトの叫びはわめきに近くなっていた。
ミレーは家の中でそれを聞き、一瞬耳を疑った。いくら自分ら二人を守るためにせよ、ロトが自分の娘を狂乱した群衆にさし出すなどと言い出すとは――所詮ロトも、狂ったこの町の住人としての影響を受け始めたのか――。
そういえばロトの目の白い部分は赤く放っていなかったが、前に会った時よりは少し赤味がさしていたように思われた。急がないとロトの目も、この群衆たちのように赤くなってしまう。
しかし、ロトが娘を差し出すといっても群衆は納得せず、まだ口々にわめきちらしながらロトに迫り寄る。
「貴様! どけ! どかぬか! 貴様はよそ者のくせに、裁判官のようにふるまおうとするのか。ようし、あいつらよりも先に、まずおまえを血祭りにあげてやろう」
群衆は一挙にロトに向い、詰め寄る。人々がドアにぶつかる音が何度も家の中まで響き、その絶好は大音量となって家を包む。
ロトの二人の娘や妻のヤシカは、恐怖におびえきり、家の中を落ち着かぬようにうろうろ歩きまわっている。
ミレーは立ちあがった。
ドアのところまで歩き、中からあけてロトの腕をつかんだ。ロトはミレーに家の中へひっぱりこまれ、ドアは閉じられた。
アウルラームも食卓をはなれ、ドアのところへ来た。人々がドアにぶつかる音は、依然として激しく響いてくる。
ロトが二人に何か言いかけた。その時、ドアはついに群衆によって蹴破られ、人々は狭い部屋の中へ一気になだれ来ようとしていた。
ヤシカは床にひざまずき、
「やめてーッ」
と、絶叫した。
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