帰還したタケモロスミは、ことのありさまの一部始終をウガツクヌに話した。もしタケモロスミ一人の証言だったら、ウガツクヌはそれを信じたかどうかはわからない。しかし国造こくそう家の兵の証言もあった。また、それによって国造家に対するフルネの中傷の発言まで、すべてウガツクヌの耳に入ってしまった。

 タケモロスミは馬を川に入れたあと、落ちて溺れかけていた兵を拾った。そのまま兵を馬に共に乗せ、一目散に簸川ひかわ平野を駆け抜けて戻ってきたのである。

「おのれ、フルネ。許せん!」

 手を震わせて怒りを表したあと、急にウガツクヌは態度を変えてタケモロスミへと平身低頭の姿勢をとった。

「勅使殿。疑ったりして悪かった。どうか、許してごしない」

「ま、ま。もういいですから」

 そう言って頭を上げるように勧めていたタケモロスミだったが、内心ひそかに考えていた。これが出雲人なのかと。白黒が反転したら、こうも態度が急変する。いや、出雲人と言ったら語幣があろう。これが国造家の体質なのかもしれない。

「さっそく、いくさじゃあ! フルネを討つ!」

「ちょっと待って!」

 立ち上がりかけたウガツクヌの袖を、タケモロスミは手で引いた。

「ここは大倭やまとにお任せあれ」

「え? 大倭に?」

「ここであなたが兵を出したら、内乱になります」

「ううん」

 うなずきながらも、再びウガツクヌは座った。

「たしかに、出雲が内乱になったら、この国を虎視眈々と狙っちょう勢力にとっては思う壷かもしらんな」

 ウガツクヌもそう言うので、さっそくタケモロスミは解放された自分の従者の一人に馬を貸し与え、大倭への急使として送り出した。

 使いはわずか八日で戻って来た。よほどとばしたらしい。

 大倭の返事はこうだった。

「出雲国造家の要請として、大倭はさっそくフルネ討伐の軍を出す。ただし、大倭から発していたら時間がかかり、その間に国造家とフルネとで内乱となる恐れがある。したがって、出雲の近隣の豪族にフルネ討伐を委託するので、タケモロスミはそちらと合流するように」とのことだ。

 詳しい内容はウガツクヌには告げずに、タケモロスミは意宇の里を辞した。

 進路は南だ。意宇川の上流へ向い、峠道を越える。この峠を越えたら、意宇の里も神奈備山も見えなくなる。いよいよ出雲の国ともお別れだ。

 思えば勅使として揚々とこの国に来てから数日間、めまぐるしいほどの出来事があった。馬上遥かに、もう一度彼は神話の国を振り返った。そして大きくため息をつくと、ゆっくりと峠道を出雲と反対の方に降っていった。


 大倭にフルネ討伐を委託されたのは、吉備の国のキビツヒコ(吉備津彦)だった。吉備の国のおさである。

 そもそも吉備は本来、出雲の勢力の支配下だった。そこへ入ってきたのは韓の地より渡来した天の日矛ひぼこの勢力だ。

 はじめ出雲へ上陸しようとした彼らだったが、当時はまだ勢力盛んだった出雲に追われ幾内へと進出した。その後、八千軍やちぐさの決戦で出雲を破って、吉備地方に一大帝国を築いていたのである。

 そのようないきさつは、タケモロスミは知らなかった。ところがキビツヒコと会見して、彼はどうもいやな予感がしてきた。

 髭もじゃもじゃのキビツヒコの目は、野心に燃えていた。ともに酒を酌み交しながらも、淡々とキビツヒコは心中をタケモロスミに語った。

「出雲はわしら吉備族にとって喉から手が出るほど欲しい土地で、手に入れることが永年の宿願じゃったんじゃ」

 語りながらも彼は、しっかりとタケモロスミの目を見据えている。

 「わしらはとにかく出雲の砂鉄と、タタラ製鉄の技術が欲しかったんじゃ。今までなんべんとのう戦をしかけては、その都度跳ね返されてきた。けど今度は、大倭の派遣軍じゃ」

 つまり、後世風にいえば官軍として出雲へ乗り込むのである。キビツヒコはなんだか嬉しそうだ。

「この日を待っとった。ついに吉備にも鉄の時代が来ようで」

 キビツヒコは立ち上がった。だがあまりのその露骨な野心に、タケモロスミは背筋が寒くなる思いだった。ウガツクヌが出雲を狙っている勢力があると言っていたのは、この吉備族だったのだ。よりによってその吉備族にフルネ討伐を委託した大倭の情勢把握の疎さに、タケモロスミは自分のことは棚に上げてただただ呆れていた。


 キビツヒコの軍は伯備の国境を越えて東から攻める一軍と、比婆、三国、道後の山系の峠を越えて南から攻める一軍と別れた。

 最大の決戦は,出雲横田での戦闘だった。吉備軍の前に、出雲神族のおびただしい血が流れた。

 ついにフルネは包囲陣中、自らその命を断った。

 ところがキビツヒコの軍勢はそれでとどまるところを知らず、意宇まで進駐して、神坐の森に本営を置いた。つまり国造家や国庁まで、その掌中に納めてしまったのである。

 討伐の依頼主のウガツクヌは、すっかり怯えきってしまった。なにしろ宿敵の吉備族が、官軍となって押し寄せて来たのだ。

 吉備軍はところ構わず次々に出雲の人々を殺しては物資を調達し、出雲全土はもはや吉備族の思うがままになってしまった。

 国造家は意宇を追われ、かつての出雲臣家の本拠地だった杵築へと移らされた。そして政治的権力は一切剥奪され、だだ祭祀を司る役職になってしまったのである。

 そのことをタケモロスミが吉備で聞いた時、ただただもの悲しく彼は感じていた。フルネのあの血が逆流したような顔と目が、頭の中に蘇ってきた。

 ――出雲神族の怨念は、永久に消えはせんぞ!――

 フルネの言葉さえ、耳に響いてくる。フルネはその言葉を抱いて、黄泉へと下って行った。

 タケモロスミは瀬戸内に沈む夕陽を見ながら、神路しんじの海の夕焼けを思い出していた。

 出雲神族の怨み、そして自分も一度は持った運命への怨み……。

 国造家とてフルネに、そして吉備族に怨みを抱いているに違いない。怨みと怨みとのぶつかりあい、その堂々巡り、そんな泥沼の世界が今の倭の国だ。

 何かがおかしいのではないかと後味の悪い思いだけ持って、タケモロスミは海路かいろ、大倭への帰還の途についた。


(出雲神宝 おわり)

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出雲神宝 John B. Rabitan @Rabitan

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