婭麟でございます。
ウッ!(T ^ T)
土方さん死んじゃうんですよね?
五稜郭ですか?その辺詳しくなくて…沖田ファンだったので…
私の中での新撰組は、千駄ヶ谷が最後です💦
ウウウ…💧土方さんドラマの様に生きた人なんですね。
このお話しお琴さんのお話しなので、凄く良いです(T ^ T)
土方さんを思う気持ちが切ないっす。
そんなお琴さんを思うと凄く切ないでが、お琴さんと最後まで付き合います。
そして一緒に泣くぞ(T ^ T)
続き楽しみにしております……
作者からの返信
このあと、最終回まで一気にアップします。
ぜひお読みください……ハンケチなどを用意しまして……
斑鳩遥菜です。続きを読んでおります。
土方さんとお琴さんは、土方さんたちが甲陽鎮撫隊として甲府へ行く際、日野に立ち寄った時に別れたと聞きますが、その後も思い続けるお琴さんもいていいですよね。
えっと、近藤さんが薩摩に処刑されたとありますが、新政府軍ではないでしょうか?
近藤さんは流山で新政府軍に偽名で投降し、新政府軍にいた元御陵衛士によって近藤勇と分かってしまうわけですし。
明治2年といえば既に世は薩長の天下、官軍となったのは鳥羽・伏見の戦いの時に錦の御旗を得てからなので、この時は既に新政府軍となっているかと思います。……今回もすみません。
作者からの返信
いつもありがとうございます。
実はお琴さんについては以前に日野の佐藤彦五郎の子孫の佐藤昱さん(今では故人ですが)と居酒屋でご一緒する機会があって、その時にお琴さんの史料をと尋ねてみたことがありますが、佐藤さんのお話しでは実はお琴さんは歳三が京都に行くずっと前に縁談があったけれど歳三がそれを破断にし、それっきりだったというのが真相のようで、戸塚村の三味線屋の娘だったということしか分かっていないとのことでした。
それだけにいろんな作家が自由に創作して書いていますね。
この作品の年代は最後までお読みいただけたらはっきり分かるようになっています。
ちなみに近藤が殺された相手も、このとき箱館に向かっていたのは薩長というよりも新政府軍であったことは重々承知です。
しかし、「歴史は勝者によって作られる」といわれているように、勝者の史観ではすでに新政府軍なのですが、私の作品は「敗者の歴史」を描いています。
「近藤が殺された」というのも歳三のセリフとしての描写であって、当時の歳三にとって、そして箱館の幕軍にとっては新政府軍は新政府軍でも官軍でもなくあくまで薩長、ひいて言えば徳川に楯突く薩賊、長州賊でしかなかったはずです。
ここは歳三ら幕軍の視点で新政府軍を「薩長」と描写しています。
ずっと前のNHK大河ドラマ(司馬遼太郎原作)でも、五稜郭の兵士が官軍のことを「薩長」と呼んでいたシーンがありました。
鳥羽伏見の戦いの折に薩摩に錦旗が下されて官軍になったなんてことは、彼らは知識としては知っていたでしょうが「知ったこっちゃない」って感じだったのでしょう。
「知ったこっちゃあった」のは恭順を貫いた徳川慶喜くらいではないでしょうか。
ちなみに箱館軍の榎本は「明治」という元号すら拒否し、降伏するまでは「明治二年」も「慶応五年」と言っていたようです。
いつもありがとうございます。
今後ともよろしくお願いいたします。