近藤は足しげく下立売の京都守護職上屋敷に通っているが、新体制の方はなかなか整備されないらしい。なにしろ近藤の言葉のようにふたを開けてみないと、誰が去って誰が残るか分からないのだ。すなわち組長、伍長クラスの残るメンバーが確定しないと、新体制も組みようがない。それが歳三には歯がゆかった。一日でも一刻でも早く、分離派を営内から追い出したかった。

「それは私だってそうだ。やつらには早くいなくなってほしい」

 と、近藤も言っていた。しかし、近藤自体が身動きがとれないでいるらしい。二番隊の組長で、誠衛館以来の同志である永倉新八も、歳三の前で露骨に嫌な顔をした。

「ああ、やだやだ。この雰囲気、すごくやだ。息がつまる。一刻たりとも、屯所の中にいたくないという感じですよ。この件に関しては、私は口をつぐみますからね」

 それは歳三とて同じだ。

「俺も、もう怒りすぎた。頂上を過ぎて、怒るのにも疲れたという感じだ」

「土方先生のそのお気持ち、わかります。充分に分かりますよ」

 永倉は、何度もうなずいていた。そして言った。

「とにかく私は二番隊を守ること、それに専念します」


 いよいよ、伊東一派の除名言い渡しの日が来た。近藤の部屋に歳三もいる。呼び立てられた伊東が、この部屋に来るのを待っている。

「トシさん、これからが正念場だ。我われの真価が問われる時だ」

「ああ、腕の見せどころだな。考え方によっては、これは大掃除だと思えばいい。汚いものは全部掃き出されるんだ。新選組にとってふさわしくない隊士が、向こうに流れると思っていればいいんだよ」

「全くその通りだ」

 緊張した面だちの中にも、微かな含み笑いを近藤は見せた。

 やって来たのは、伊東と鈴木だけだった。藤堂などはさっさと自分の荷物を彼らの新屯営の長円寺に運び込み、ほとんど向こうに居住している。その前に、ひとことの挨拶もなかった。ただ、近藤に「少なくとも八番隊は、ごっそり頂いて行きます」と藤堂は豪語したと、あとで歳三は近藤から聞いた。

 近藤は、伊東と鈴木に除名を言い渡した。

「禁裏御陵衛士頭取かしらどり伊東摂津せっつ、承りてございます」

 もはや彼は、新選組参謀とは名乗りたくないようだった。それにいつのまに名まで甲子太郎から摂津と変えたのだろうと、歳三はいささかあきれていた。

「まあ、近藤先生。これからは二手に分かれて、せいぜい競い合いましょうよ」

 伊東は笑っていた。そしてすぐに歳三を見た。

「土方先生にも、お世話になりました」

 歳三はわざと目をそらしてその挨拶は完全に無視し、いつもの苦虫を噛潰したような顔をしていた。

 伊東は去った。鈴木も篠原も去った。いよいよふたを開ける時だ。それから二、三日の間、隊士たちがひっきりなしに近藤の部屋を訪れた。

「お世話になりました」

 誰もが手をつく。近藤はなじるでもなく、頷いて聞いていた。中には「申し訳ござらぬ」と、畳に頭をこすりつけた者もいた。

「いや、こちらこそ申し訳ない。おぬしらが自分で選んだ道なのだから、せいぜいがんばりたまえ」

 この近藤の対応も、歳三にとっては不満だった。伊東の方へ行くと言ってくる隊士など、この場で斬り捨ててやりたいと思っていた。しかし、近藤は許すまい。中には全くの挨拶もなしに、出ていく者も多い。歳三を恐れてか、歳三の姿を見ると、こそこそ逃げ出し、そのいないすきをねらって近藤にいとまを告げる隊士もいた。

 営内は静まりかえった。まだ数を数えたわけではないが、五分の一くらいしかか隊士は残っていないだろう。新選組結成当初の、十三名の隊士のみという状態に戻ってしまったのではないかとさえ思われる。ただ、あの頃の手ぜまな壬生の八木家とは違い、このだだっ広い西本願寺だ。閑散の感はぬぐいようもない。

「あれほど向こうの非道を説いたのに、それでもついて出て行くやつらの人間性を、俺は疑うね」

 歳三は近藤の部屋にいる。近藤も重い雰囲気の中にいた。

「ま、人それぞれ、考え方の違いがあるからな」

「この騒ぎをいいことに新選組を脱走して、故郷に帰った者もいる。こちらも脱け、あちらにも行かずにだ」

 歳三はますます暗い顔をする。本来ならそのような輩は、隊規違反で切腹だ。

「この情況だ。しかたがないだろう」

 と、近藤は言う。今はそれも黙認しかない。

「甘いよ、近藤さん。これからも、このまま黙っているつもりか」

「しかたがない」

 近藤はそればかりだ。

「向こうは自分たちの価値観を隊士に吹き込んでいるけどな、こちらとしては隊士それぞれに、自分たちにとっていい道を選んでもらうという態度でのぞみたいんだ」

「そんなのはだめだ。もっと強気に出ねえと、向こうの思う壺だよ、近藤さん」

「それはそうなんだけど、やつらのやり方に対してこちらも同じような手で立ち向かえば、泥詔試合になるじゃねえか。あくまでもこちらは士道を貫き、新選組は動じないという姿勢を隊士たちに見せていくしかないだろう。ここでこっちもムキになって表面でいがみ合っていたらそれこそ隊士に動揺を与えて、局を脱して向こうへも行かずに国元へ帰る者がこれからも増えるぞ」

 これには歳三も、歯がゆく思いながらも反論もできなかった。隊士たちには残る、向こうへ行の他にも第三の選択があるのだ。

 結局、幕府直参旗本への取り立てというのも、伊東たちの「もうすぐ幕府はなくなる」という吹き込みの前には、あまり効は奏しなかったようだ。これも時勢かともいえるが、歳三はそうは思いたくはなかった。だが、雑音も入る。

ちまたでは、新選組はもうこれで潰れるという噂も、かなりたっているらしい」

「そのようだな。だから今は残った隊士たちに、新選組はこれからも大丈夫だということを、説いていくしかないだろう」

 近藤の言うことはわかる。だが、歳三は常に先を見ていた。

「不良分子は一掃されたと思って、新しい隊士を募集することだな」

「しかし、どうやって」

「考えさせてくれ」

「ま、それは先の話だ。もう少し様子を見て、新しい体制を固めなくてはな」

 その日はそれだけで、歳三は近藤の部屋を下がった。はっきり言って、体調もよくない。もう、二十代の頃のようには、いかなくなっているらしい。

 今回、隊を脱して伊東の御陵衛士の方へ行った者は、幹部だけでも伊東の弟の九番隊組長鈴木三樹三郎をはじめ、三番隊組長斎藤一、八番隊組長藤堂平助、伍長富山弥兵衛、加納鴎雄、諸士調役監察篠原泰之進、新井忠雄、毛内有之助の八人で、平隊士に至っては数が知れない。

 そのうち、三番隊組長斎藤一というのは、事情が違う。彼もまた新選組結成時以来の同志だが、近藤の依命を受けてもぐりこんだ間者スパイだったのである。

 こちらもそうするなら、相手も臭い。あれほど伊東の親派でございという顔をして、伊東の部屋に入りびたっていた連中が残っている。たとえば佐野七五三之助しめのすけをはじめとする何名かの者たちだ。

 歳三は、監察の山崎すすむを呼んだ。そして、

「あの連中から目を離すな」

 と、言っておいた。


 歳三がいくら新隊士の募集のことを提案しても、近藤は動こうとはしない。

「まだ早い。そんなことよりも、今は体制を固める方が先だ。受け皿を作ってからでないと、ただ混乱するだけだ。それからだよ、トシさん」

 近藤の腰は重い。それが歳三には歯がゆくもある。相変わらず打つ手は、事態の後手にまわる。

「一応、会津侯にお伺いをたててから」

 それが近藤の口癖だった。それはたしかに道理だ。新選組は会津中将の配下にある。だが道理はわかっていても、感情の面で歳三はいらだちを感じる。昔はよかった。何でも近藤の一存で決められた。昔の、江戸の剣術道場誠衛館時代のことだ。近藤が道場主で上に会津などなかったのだからあたり前だが、道場をたたんで、門弟そろって新選組の前身である浪士隊に参加したことも、近藤の最終決定で決まった。あの頃が懐かしい。

 営内は隊士の数も減って、依然静かな日々が続いていた。稽古の剣撃の響きも、以前のような賑やかさはない。

 歳三は彼特有の、スネ心を出していた。もうどうにでもなれという諦観が、彼の中で頭をもたげている。近藤をせかすのも疲れた。馬鹿ばかしくもなった。暖簾と腕押しをしているような気分だ。それなら近藤と会津侯とでやってくれ。俺は見ている。もはや流れにまかせよう――そうスネてしまったのである。稽古場へは滅多に出ない。精神的ストレスからか、体調もますます悪くなる。腹部の上あたりが痛んだりする。

 近藤もまた、いつもため息ばかりをついていた。

「こんなにまで持って行かれるなんて、思ってもみなかったよ」

「世の中、馬鹿が案外多いんだな」

 歳三もまた、ため息だ。

「あんな男に騙されて、こんなにもたくさんの隊士がついて行くなんてなあ。俺はもっと、隊士たちは利口かと思っていたよ」

「いや、利口じゃなかったんだよ。判断力がまるでない。士道もわきまえず、利のみで動くのが彼らなんだ。その判断力のなさにつけこんで、伊東はばんばん自分の価値観を押しつける。白い布を好きな色に染めるようなものだ。いいか、そんなのは武士のやり方じゃねえ。商人のやり方だ。我われはそれに対し、あくまで武士らしくいこうじゃねえか」

 それでも、歳三の中には不満が残る。歳三には、かつて近藤の道場の師範代を勤めるかたわら、生家の石田散薬を多摩地方を中心に行商していた頃の商人根性が残っている。相手が武士らしく来ないのに、こちらが武士らしく当たる必要はないとも思っていた。だが、それこそ近藤の言うような泥沼試合となるので、言うのはやめた。近藤の場合は生まれは百姓だが、近藤家の養子となって正式に武士となった。出自が出自だけに、余計に武士になりきっている。

「今は小数派だが、士道をわきまえた良識派だけが残ったということになる。彼らを大切にして、これを土台にして、新選組を再建していくしかねえだろう。ただ、会津侯もかなり衝撃を受けておられる。もしかしたら、我慢の限界が来ることもあり得る」

「その時は、どうなる?」

「さあねえ」

 近藤は首をひねった。なにしろ会津侯は、ただの会津藩主ではない。幕府の京都守護職だ。その配下の新選組から勤王倒幕の団体が生じたとあっては、幕閣の前にその責任をも問われかねない。だから芹沢せりざわかもの時も、会津から近藤へ当時の新選組筆頭局長の芹沢の暗殺指令が出たのだ。

 とにかく一応、表面上は平穏に月日は過ぎっていた。だが、安心はできない。いつ伊東の一派が、この屯所を襲撃してくるわからないのだ。それ以上に現実味を帯びて不快なのは、依然として伊東一派からの紙つぶてが、隊士あてに飛んできているらしいということだった。まだもって彼らは、隊士を引き抜こうとしているようだ。

 やがて梅雨が終わり、夏が来た。

 その頃になって近藤は会津侯から呼び出しを受けて、京都守護職上屋敷へと出かけていった。やっと幕閣から沙汰が下ったということだ。申請から三ヶ月たって、新選組全員が直参旗本に取り立てられることになった。ちょうど五条の長円寺にいた伊東たちの一派が、祇園に近い東山の麓の鷲峰山しゅうほうざん高台寺こうだいじ塔頭たっちゅう叢林山そうりんざん月真院げっしんいんに「御陵衛士屯所」の看板を移したのもこの頃のことである。

 高台寺は豊臣秀吉の妻の北政所きたのまんどころゆかりの寺で、石段を登った上にある大きな寺だ。だが月真院は、その下の道に面している。はす向いが文之助茶屋で、築地塀ついじべいが左右に続き、八坂の塔を遠くにのぞむ門前の風景は、現代でもこの頃とあまり変わってはいない。この月真院に本営を構えたことにより、伊東らの一派はこののち俗に「高台寺党」と称されることになる。

 それとほぼ同時に、かねてから建築が進んでいた新選組の新屯所も完成し、新選組全体がそちらへ移り住むことになった。

 場所は堀川塩小路の南、つまり西本願寺の門前の堀川通りをそのまま下った所で、至近距離である。

 結成当時は壬生の郷士の屋敷に寄宿してそれを屯所とし、その後西本願寺に移った新選組にとって初めて寄宿ではなく自分たち専用の屋敷を持った。後世ふうに言えば、やっとテナントから自社ビルを持つに至ったという感じである。

 床も柱もまだ白木で木材の匂いがぷんぷんとしていた。畳もまだ青い。

 「こんなだだっ広いもの造っちまって、どうすんだよ」

 原田などは笑ってそう言っていたが、たしかに今の隊士の数ではすかすかの感は否めなかった。

 「なあに、すぐにここも手狭になる」

 無愛想にそう言い放った歳三だが、本人にすればその言葉は決して強がりではなかった。

 直参に取り立てられた新選組の方は、局長の近藤勇が大御番おおごばん組頭取ぐみかしらどりという役職で石高三百俵、副長の土方歳三は大御番組頭で七十俵、他各小隊の組長クラスは大御番組だった。平隊士は大御番組並である。

 その御礼言上に近藤とともに歳三が、京都守護職上屋敷へ出向いた時のことである。

 またしてもとんでもないことを、彼らは会津藩公用方の小野権之丞から聞かされることになった。近藤らの来訪は、この屋敷からの近藤への使者が出た直後だったという。どうも途中で行き違いになったようだ。

「近藤殿。今朝方、新選組の隊士が数名、ここへ来ましてのう」

 近藤の眉が動いた。小野の顔は暗い。

「局長の拙者の知らぬところで、隊士が直接ここへと言われるのですか? いったい何者で?」

「これを、ごらんあれ」

 小野は近藤の前に、きっと書状を開いた。


乍恐おそれながら拙者共せっしゃどものぎは先年来勤王攘夷につき、尽忠報国の志を遂度とげたき一途にて本国を脱走致し、是迄新選組へ依頼罷在候処まかりありさうらうところさしての御奉公も不仕つかまつらず、時勢柄とは乍申まうしながら、追々御国体うつり、随而今般莫大之御格式被下置候段くだしおかれさうらうだん難有感ありがたくかんじ仕候つかまつりさうら得共えども、寸功も無御座ござなく斯被仰出候かくおおせいだされさうらう此侭ここまま御請仕おんうけつかまつり候而者さぶらひては何共恐縮のいたり、将、初一念のほど透徹不仕儀つかまつらざるぎ難個敷なげかはしく、今更御格式頂戴仕候而つかまつりさふらひては、夫々それぞれ本藩へも無面目めんぼくなく、二君に勤仕の儀も難遁のがれがたく依之これにより離局りきょく仕度つかまつりたく奉恐入候おそれたてまつりいりさうら得共えども、御支配の法儀にも御座候。何卒なにとぞ隊長へ右之趣被仰渡おほせわたされ無異議いぎなく願之通ねがひのとおり被仰おほせつけられ付候さふらふやう泣血きゅうけつして願仕候ねがひつかまつりさうらう。以上

 卯六月」


 内容は今回の直参取り立てについて自分たちには何も功績もなく、また直参となっては二君に仕えることになるので、脱藩した旧主にも面目が立たない。よって新選組を離脱したいので、その旨を会津侯の方から局長にとりなしてもらいたい――そういう趣旨だった。

「冗談じゃねえ!」

 近藤の朗読を聞いて、歳三は一喝した。

「直接この守護職屋敷へ来るなんて、とんでもねえ野郎だ。誰だッ、いったい!」

 伊東の分裂から三ヶ月、ようやく営内の隊士たちの動向もおきまりつつあった頃だ。歳三の体調も回復している。そんな頃に、また降って沸いたような集団離脱だった。

「誰だね、近藤さん。その書面の主は!」

「最初の名は、茨木司」

「なにッ!」

 歳三の表情は、鬼のごとくなっていた。

「茨木……! やつは大丈夫だったのでは!」

「トシさん、ここは屯所じゃねえ」

 近藤に言われ、歳三は正面の小野を見た。

「次は、佐野七五三之助」

「そうか」

 これで読めた。さもありなんと歳三は思う。佐野七五三之助――もともとは伊東の門人で、ともに入隊した者。それが不自然にも伊東の分派に加わらず、隊内に残っていた。結局この男は隊内で、伊東らの継続的な隊士引き抜きの窓口になっていたのだ。

 他は富永十郎、高野良右衛門、松本俊蔵……

「もういい!」

 名前を次々に読み上げる近藤を、歳三はさえぎった。佐野以下はすべて、伊東の親派だった者ばかりだ。近藤は書状を小野に返し、きりりとした目でその小野を見た。

「言語道断です。このようなものは、無視されてよろしいかと」

 久々に見る近藤の毅然とした態度に、歳三は胸のつかえがおりた。だが、同時に嘆願書に連判している十人に対する怒りが、ムラムラとこみあがってくる。

「それが、近藤殿」

 小野はことばを濁した。

「この者たちは明日、返事を聞きにまたここにやって来ることになっておりますが」

 歳三は近藤を見た。目があった。近藤は黙ってうなずいた。さすがに幼少の頃からの知己である。もうそれだけで、充分意志は伝達されていた。

「つきましては、小野様…」

 近藤は膝を一歩進めた。あとは小声での談判となった。


「やると思ったら、やはりやったな」

 と、歳三は言った。夜、屯所の近藤の部屋でだ。

「やつらははじめから臭かった。だから、山崎に見はらせていたんだが」

 監察方の山崎烝の報告によると、彼らはどうもこれまでも月真院に出入りしていたらしい形跡があるという。だが、そのしっぽをおさえられないうちに、今に至っていた。今夜も山崎に聞けば、彼ら十人は屯所には戻っていないという。すでに月真院に入ったのか、あるいは別の場所に潜んでいるのか、それは調べようもない。だが、いずれにせよ彼らは、明日再び雁首をそろえて守護職上屋敷を訪れるはずである。

 今までは伊東について行くものを、黙認するという形をとっていた。しかし、もはや許せない時になった。せっかく隊士が今の枠におさまったのに、また伊東の方へ走った者がおり、さらにそれが集団でとなると隊士たちによからぬ影響を与えるに決まっている。芋づるが恐い。だからといって公然と処分すれば、これまた隊士たちに動揺を与えよう。だから、彼らが守護職上屋敷へ来るのはかえって好都合なのだ。

「それにしても、茨木は許せねえ。あれほどかわいいがっていたのに」

「けっこう心は揺れていたようだよ。私が説得した時も一応は納得していたようだけど、また向こうに言われてそれで心がふらついてしまったんだな。あのあとも何回か相談に来たしな」

 結局自分は避けられていたと、歳三は実感した。

「裏切り者め! 飼犬に手をかまれたとは、このことだ!」

 吐き捨てるように、歳三は言った。

 その翌日……

 近藤自身の手をわずらわせるまでもなく、歳三は二、三の口の固い隊士と監察方の大石鍬次郎をつれて、夕刻に守護職上屋敷へ向かった。大石は「人斬り鍬次郎」という異名を持つ男だ。この者をつれて行ったということは、意図は明らかである。

 昨日の近藤と小野とで打ち合わせた手筈通り、朝方に本陣を訪れた佐野の一味は公用方外出ということで延々と本陣内で待たされていた。まる一日の待機に、障子のすきまから伺った彼らの様子は、退屈のしびれに耐えかねているようだった。食事も与えられて、酒も出されている。彼らはその酒を飲み、団扇で涼をとりながら、無遠慮に会津の対処に悪態をついていた。

 室内にいるのは佐野と茨木、中村、富永の四人だけで、あとの六人は別部屋だ。この四人が主謀格で、それ以外の六人はミーハー的についてきただけだと歳三は見ていたので、会津側に頼んで分けてもらっていた。

 歳三は目で合図した。障子が音とともに蹴倒された。刀が抜かれる。槍が飛び出る。血しぶきがあがったのは、同じ瞬間だった。四人の分派組は、大刀は預けている。だが、残っている脇差を抜く暇すらなかった。たちまち畳が真っ赤になって、その上に四つの屍体が転がった。

 歳三は隊士の槍をひったくった。そのまま倒れている茨木の体を突いた。

「土方先生、もう死んでますよ!」

 大石がとめたが、歳三は鬼のような形相で茨木の屍体を突き続けた。

「こいつだけは許せねえ! 俺たちの反撃として、まずこいつを血祭りにあげてやる! 飼犬に手をかまれた飼い主の恐ろしさを、思い知らせてやるんだ!」

 念のために大石も、他のひとつひとつの屍体の頭を蹴った。絶命しているかどうかを確めたのである。ところがそのひとつ、佐野の屍体であったものだけがふらっと立ち上がって脇差を抜き、大石に斬りつけてきた。執念深くも佐野は、死んではいなかったのだ。だが、それが最後の力だった。大石に手ごたえを与えたあと、佐野は再び倒れて今度は本当に絶命した。大石は顎と足に傷を受けたが、たいしたことはなかった。

 残る六人は新選組屯所に連行されたが、翌日釈放された。その後はおそらく月真院に転がりこんだことと思われるが、確証はない。彼らが釈放された同じ日に、四人の死が隊士たちに発表された。一時は分離を企てて守護職上屋敷に行ったが、会津侯に諭されて帰隊することになった。だが、自らの所行を恥じて、四人ともみごとに腹を切った――これが近藤たちの、隊士たちに発表した内容だった。隊士の動揺、さらには同調しての分離を防ぐためである。そして近藤が喪主ということで、壬生の光縁寺で大々的な葬儀も行われた。

 歳三は参列しながらも、少しだけ誇らしさを感じていた。今までは伊東の一派に走る者も、処分することすらできなかった。伊東一派への憎しみに加え、そのことがストレスの原因にもなっていた。やっとここで伊東に同調する一味を、自らの手ではじめて処分したのである。その事情一般隊士に告げ知らせることができないというもどかしさもあったが、とにかく一応はスッキリした。だがまだ伊東の率いる御陵衛士、すなわち高台寺党が存在している以上、それは依然として歳三に、どす黒い重圧を与え続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る