高台寺党始末
John B. Rabitan
1
春も終りかけた頃、新選組副長土方歳三は、局長の近藤勇の部屋へと呼ばれた。
「土方副長、ちょっといいかね」
近藤自らが、歳三の部屋に顔を出してである。今は西本願寺を間借りしている新選組屯所だが、そのいちばん奥に並んで彼らの部屋はあった。
歳三は悪い予感がした。胸騒ぎがする。近藤は自分を「土方副長」と呼んだ。よほどあらたまった話らしい。普通なら近藤は歳三を、「トシさん」としか呼ばない。
「なんだね。何か大事な話か?」
近藤の顔は曇っていた。
「ついに伊東が、正式に分派すると言ってきたよ」
「なにッ、それでか…」
西本願寺に移ってからは壬生にいた頃と違い、自室にいると隊全体を把握しにくくなっている。それでもこの日は、朝から何か不穏な動きが隊内にあることを、歳三はひそかに感じていた。
「それでだなあ、トシさん。前々からこの動きはあったわけだけどな、いよいよ正式に申し出てきたとなれば、こっちも動きださなきゃなんねえ」
「脱走は、切腹だ。局中
歳三は静かに言った。近藤は眉をひそめていた。
「それはそうなんだけど、こう正面きって、脱退ではなく分派だと来られてはなあ」
「なぜ、今の時期に」
「朝廷の武家伝奏から、先帝の
なんでも
「他には誰?」
「鈴木
伊東の実の弟だから当然である。
「それに篠原
これも伊東の腹心だ。
そのあとも近藤は、何人かの名前を挙げた。
伊東
また、剣のみではない。伊東には、水戸学の系統をひく学問があった。さらには人を魅きつける話術があり、ユーモアも持っている。今では新選組の参謀という、局長に次ぐ地位に昇っていた。
とにかく、隊士の間での信望が厚い。伊東の部屋にはいつも数十人の平隊士が入りびたり、伊東と談話をする声が歳三の部屋まで聞こえてきた。それを歳三は常々、苦々しく思っていた。平隊士が幹部の部屋に入り浸るなど、隊内の風紀の乱れだと感じていたのだ。それを伊東に注意しても、
「まあ、よしとしましょう」
と、笑っている。その場の人あたりがいいから、ついつい歳三も黙ってしまう。しかも伊東を慕う隊士の中には、伊東が諸国を遊説して集めてきた者も多い。いわば伊東の子飼いなのだ。
「土方先生、やはり私が来てからは隊士の数もぐっと増えましたね」
ある日ニコニコして、伊東が歳三に話しかけてきたことがあった。歳三はよほどその場で、殴りつけてやろうかと思ったぐらいだ。北辰一刀流を、学問を、そして自分の人気をも鼻にかけている。それでいて尊大な態度ではなくもの腰低く人に接するから、表面ではだまされて隊士たちは彼を慕うのである。
鼻持ちならないやつ……これが歳三の、伊東に対する感情のすべてだった。だが、議論をしようにも伊東の方が口がうまいので、歳三はすぐまるめこまれてしまう。そして「学問」を武器に使われては、歳三はいつも引き下がるしかなかった。
「いや、私はねえ、土方先生が好きなんですよ。土方先生のような生き方は、それはそれでいいと思いますしね、羨ましいとさえ感じますよ」
口は滅らない。酒の席での発言である。
その伊東がいつかはやるであろうと思っていたことを、とうとうしでかしたのであった。
翌日、近藤は京都守護職を勤める会津中将松平
藤堂は伊勢(三重県)の津の大名藤堂侯の落胤と自称しているが、誰も信じてはいない。かつて新選組ができる前は、近藤が江戸で開いていた剣術道場誠衛館の食客だった男で、いわば新選組結成以来の同志である。その彼が同行した理由は、彼の剣が伊東と同門の北辰一刀流で、伊東とは旧知の仲であり、しかも伊東を新選組に誘ったのが、他ならぬこの藤堂だからであった。
待たされることなく、京都守護職の会津藩主松平容保は姿を見せた。新選組は会津候御預かり、すなわち京都守護職の配下にある。いわば新選組の主筋だ。慣れない
「許せん!」
と、まず会津候容保は言った。
「組織を作るのは自由だ。だが、他の組織に入り、それを割って分派して自らの組織とするのはどうか。道理に反する」
「ごもっとも。まさしく、士道不覚悟!」
近藤は、平伏したままだった。容保は、ため息をひとつついた。
「予も伊東とやらには数度会ったが、人あたりのいい男だと好感を持っていた。ただ、いささか、道理をわきまえぬ点があると見ていた。あの御仁、学問があるわりには、してはならぬということがわかっておらぬようだな」
その通りだと歳三も思う。伊東という男は「なんでもあり」の男なのだ。
容保に促されて、三人とも体を起こした。そのあとで近藤が口を開いた。
「いかが致しましょう。隊規によりますれば、離反は切腹ですが…」
「まあ、待て」
近藤のことばを、苦い顔の容保がさえぎった。
「伝奏より御陵衛士を拝命したとあっては、それを成敗すれば朝幕間にもめごとも起きよう。もはや新選組だけ、幕府内だけの問題ではなくなってしまう。ただでさえ昨年の暮れの先帝崩御以来、薩摩はしきりと
「
「そこでだ。除名ということではいかがかな」
「なるほど。脱走なら切腹。しかし、分派を認めたとなりますれば、隊士たちにも動揺を与えましょうし、これは感服つかまつりました」
近藤は、また手をついて頭を下げた。その間ずっと藤堂は、目を閉じていた。
会津侯は、今日明日にでもと言った。しかし、実情では無理だ。すぐに隊の体制を変えられようもないし、彼らに対しても突然出ていけというわけにもいくまい。だいいちそれでは、隊士たちに動揺を与えよう。そこで伊東たちには除名のことは一切を内密にして体制を整え、それができ次第、伊東一派には突然除名を言い渡すという手筈となった。
屯所に戻ってから歳三は窮屈な裃を脱ぎ、
「何だか会津侯は、道理、道理と言っておられたが、聞いていて馬鹿ばかしくなりましたよ。そんなもの、今の世には
歳三は、廊下で聞き耳を立てていた。
「はあ、そうなんですか」
岸島の方は、ただ相槌を打っているだけのようだった。
「岸島さん。もしかしたら新選組も、いつまであるか分かりませんよ。だいいち、親玉の幕府が危ない。薩長が急速に、朝廷と接近しているといいますしね。岸島さんも新選組がなくなったらどうするか、身のふり方を考えておいた方がいいんじゃないですか」
「藤堂先生は?」
「私なんか、何もないですよ。どうなるんでしょうねえ。本当はこんなふうにのんびり、無駄口をたたいている場合じゃないのかもしれませんけどもねえ」
藤堂は笑っていた。おそらく岸島は困惑しているだろう。話相手がいくら若者だとはいえ幹部であるだけに、抗弁もできずにいるようだ。歳三はそれを察し、戸を開けて勝手所に入った。藤堂は歳三を見た。
「あ、土方先生。お聞きでしたか。土方先生もご自分の身のふり方を、お考えになっておられますか? 伊東先生も時局の変化については、それとなく土方先生のお耳にも入れたとおっしゃってましたが」
「考えてある」
苦虫を噛潰したような顔で、歳三はそれだけを言った。――ただ、新選組を守っていくだけだ……それはあえて口にしなかった。
「そうですか。身のふり方を考えられる人はいいなあ。うらやましい。私なんかねえ、何もなしですよ」
そう言って藤堂はまた笑ったが、歳三にとっては厠の方が先決問題となってきたので、その場をあとにした。
用をたしながら考えた。たしかに藤堂が言った通り、しかし伊東ではなく弟の鈴木三樹三郎ではあったが、自分に耳打ちしてきたことがあった。
「これから新選組も、幕府もどうなるかわかりませんよ。幕府はかなり危ないらしいです。土方先生は情報が少ないようですから、一応申し上げておきます」
大きなお世話だと内心思ったが、一応その場では歳三は礼を言っておいた。今から考えるとあの耳打ちこそが、今回の事件の前兆とも言えた。
数日後……
「土方副長。ちょっと」
またもや、近藤の呼び出しである。しかもまた「土方副長」だ。事件発生以来、正直言って歳三には事態の成り行きをおもしろがっている心境もあった。これまで押さえつけていた伊東への憎悪を、思いきり爆発させられる。とことん戦ってやろうじゃねえかと、そんな闘志に燃えていた。それが彼の中では「おもしろい」という感情になったのだ。少なくとも、平凡な毎日が続くよりかはおもしろい。伊東一派の何人かがいなくなっても新選組はびくともしない、歳三はそう思っていた。
ところが重ねての近藤の呼び出しには、どっと暗いものが肩にのしかかるのを感じた。
「事態は変わったよ、トシさん。実は藤堂が…」
「ん?」
歳三の眉が動く。近藤の顔は曇りきっていた。
「伊東側につくって、言ってきたんだよ」
事態の意外さと、やはりという思いがとっさに歳三の頭の中で交錯した。勘定役岸島芳太郎に語っていた藤堂の言葉が、今となっては思い出される。しかしあの時藤堂は、自分は中立の立場をとると言っていたし、なにしろ誠衛館以来の仲間なのだからと、歳三は藤堂の腹の中をそう深くは読んでいなかった。
「彼と伊東と同門の旧知だからね、私も心配して念をおしたんだが、その時は大丈夫だと言ってたんだよ」
「許せねえ。裏切り者……」
歳三は口びるを震わせた。近藤はまた、眉間にしわをよせた。
「彼は幹部だよ。八番隊を預かる組長だよ、それなのになあ」
「と、いうことは、近藤さん。こちらの手の内は、伊東側に全部つつぬけになったってことか」
「そういうことになるな」
もはや体制を整えてからの、突然の除名という手は使えない。それにしても藤堂は、除名がわかっていて伊東側についたことになる。
「やつらはすでに隊士たちに、自分らの脱退のことを話してるよ。それでしきりに隊士たちを、自分らの組織へと勧誘している」
それはまずいと、歳三は思った。営内を歩いてみても、たしかに様相が一変している。あちこちで隊士たちが、何やら密談をしている光景が見られるようになった。誰もが表情を固くし、ひそひそとささやき合っている。おそらくは今後の自分たちの、身のふり方を相談しているのだろう。伊東側について出て行くか、このまま残るか……。
伊藤の部屋にいつも親派がたむろして入りびたっているのと対照的に、隊士同士が話をしている所へ歳三が通りかかると、彼らは口をつぐんでしまったものだった。そして今は、その傾向がさらに顕著になっている。ささやきあっていた隊士たちは歳三が歩いてくると黙りこくり、じっと歳三が行き過ぎるのを待っている。中にはさっさと解散して、いなくなってしまう者たちもいた。
隊士たちまでもが、何かをたくらんでいる。こうなったら「おもしろい」どころの騒ぎではない。はっきり言って、歳三は不快だった。思い切って歳三は、ひとりの二十代後半の隊士をつかまえた。伍長を勤める
「伊東から、どんな話を聞いた?」
「はあ」
恐るおそる、粂部は口を開いた。それによると伊東は組長を集め、各隊の伍長を通して全隊士に伝達するようにと指示をした上で、自分の分派を伝えたという。しかもその口上では、「おぬしたちの屯営が、このままそっくり五条の長門寺に移ると思ってくれていい」とまで言ったそうだ。それを歳三は、近藤に告げた。そして低い声でうなった。
「伊東の野郎……!」
どうせ伊東のことだ。粂部はさすがに遠慮して言わなかったが、他にも伊東は幕府は滅びるだの、新選組はなくなるだのと隊士に吹き込んだに違いない。さらには「土方は馬鹿だ。時局の変化のことなど分かってはいない」などとも言ったに決まっている。歳三はいきり立っていた。
「野郎! 今すぐ叩き斬ってやる!」
「トシさん、そう感情的になってはいけねえ。とにかく対策を立てよう」
「感情的になるなと言ってもだな、やつは新選組の参謀という職種を利用してだな、隊士に向かって、しかも新選組の営内で自分らの別組織の話をしたんだ。どうせ勤王倒幕の組織だろうがな。前々からやつが倒幕に傾くであろうことは、うすうす感づいてはいたんだ。倒幕となれば、新選組とは正反対の組織じゃねえか。そんなのが許せるのか、近藤さん!」
「ああ、許せねえよ。勤王だろうと勝手に別組織を作るのはいいが、そのためにこの新選組から隊士をひきぬいていくなんて、士道不覚悟もいいとこだ。やり方が汚ねえ。だがな、こちらも同じように感情的になって向かえば、隊士たちが動揺するじゃねえか」
「動揺する隊士なんか、新選組にはいらねえ!」
「そうはいかねえだろう」
その時は、近藤になだめられた形となった。
しかし歳三は、ついに切れた。伊東一派が隊士たちに檄文を複数枚書き、それを平隊士たちまでもが回し読みをしていることを知った時だ。しかもそれを、伊東の親派の平隊士が手伝っていたともいう。「新隊結成之趣」というのが、その檄文の題目らしい。
歳三は屯所の広間に、平隊士までの全隊士を集めた。伊東はいない。藤堂や一派の鈴木、篠原らとともに、薩摩か勤王の志士たちと新組織の相談にでも行っているのだろう。近藤も京都守護職上屋敷に出かけている。
「おめえら!」
歳三は前に立って、大声をあげた。
「伊東の一派に、だまされんじゃねぞ! 屯所が動くなんて、真っ赤な嘘だ! 新選組屯所は、永代ここを動かねえ。幕府のある限り……いや、幕府がなくなりかけても、新選組は最後まで戦う!」
百数十名の隊士たちは、気味が悪いくらい静まりかえっていた。最前列の伍長、富山弥兵衛が顔を上げた。
「あのう……」
新選組の中では薩摩脱藩という、異色の存在だ。
「藤堂先生は、もうすぐ幕府がなくなって、新選組の将来もない。今こそ勤王の志を……」
「馬鹿野郎ーッ!」
歳三の一喝が、富山のことばをさえぎった。
「だまされんじゃねえ! やつらは、ただの泥棒猫だ! 自分たちの組織を作るために、この新選組から隊士をごっそり盗んで行こうとしてんだ! いいかッ、泥棒猫の餌食になるなよ! やつらは人間のクズだ。人間のクズについて行くやつも、人間のクズだ!」
今こそで新選組を離れても、伊東について行けば脱走ということにはならない。切腹も免れる。そんな
近藤が帰ってから、また歳三は呼ばれた。
「トシさん、ありゃまずいよ」
歳三の檄のことが、すでに近藤の耳に入ったらしい。
「何がだ」
「向こうの下劣なやり方に対しても、こちらはあくまで冷静に、紳士的に対応しているというところを隊士たちに見せなきゃなんねえ。そして新選組は磐石だということを、隊士たちに吹き込むことこそが大事なんだよ」
「んん」
歳三はうなった。
「あんたが局長としてそう言うのなら、一応従おう。だが、遅かったな。もう言ってしまったことだ」
「いくら副長だからといっても、独断は困る。さっきも、頭をかかえこんでいた隊士がいたよ。どっちについたらいいかわからず、悩みこんでいるようだ」
「たとえば 誰だ?」
「伍長の、茨木
奥州浪人の若者である。伊東と同じ頃に入隊した。近藤の信頼を得て伍長にまでなったし、歳三もかわいがっていた。だが同時に伊東とも親しく接していたことは、歳三も知っている。それでもいつも「土方先生、土方先生」と、歳三にも腰巾着のようにして離れないので、歳三はこの男を自分の腹心だと思っていた。
「それで……?」
「一応、私が説得しておいたから、大丈夫だろう」
歳三は息をついた。そして、目を上げた。
「近藤さん。私の意見も、聞いてくれないか」
「何だ」
「どうも私と近藤さんでは、考え方が違うようだ。いいか、これは
「そのとおりだ」
「冷静にとか、紳士的にとか言ってるようでは、戦には勝てねえんだよ」
「しかし今、こっちがとり乱して感情的になったら、隊士たちに動揺を与えるじゃねえか」
「近藤さん、あんた、二言目にはそれだ」
「いいか、トシさん。みんなそれぞれの志をもって、入隊してきたんだ。その隊士たちに迷惑をかけてしまうんだから、ここはまず隊士たちに謝ななきゃなんねえだろう」
「近藤さん、そいつは違うよ。なぜ俺たちが、謝んなきゃなんねえんだ? 俺たちだって、被害者じゃねえか。伊東について行くやつらなんか、隊規違反で切腹させればいいんだ」
「それはだめだ。伊東でさえ会津侯から、成敗することは止められてんだ。伊東を許して、隊士だけ切腹ってわけにはいかねえだろう」
「しかしなあ、あんたは甘い。楽観的すぎる。このままだったら、とんでもねえことになるぞ」
このひとことは、近藤にも効いたようだ。翌日、近藤は、
「よし、今日からは、毅然とした態度をとる!」
と、言った。
まずは伊東、鈴木、篠原、藤堂の四人を局長部屋に呼びつけ、今後営内で自分たちの新隊の話を隊士たちにせぬよう申し渡した。すでに会津侯とも相談済みのことであったが、今後このようなことがあった場合は江戸表の老中にも通逹し、会津侯が京都守護職として朝廷の武家伝奏に圧力をかけると脅しておいた。そうなると、御陵衛士拝命は立ち消えになる。伊東や鈴木、篠原は「承知仕った」と、素直に引き下がった。喰ってかかってきたのは、藤堂である。
「我われは幹部だ。幹部が新選組から分派する以上、今後どうするのか隊士たちには告げる義務がある!」
義務なんかねえ――と、歳三は思ったが黙っていた。
「まあ、平助。そう感情的になるな。今はまだおぬしは、新選組の幹部なんだ。だから新選組幹部として、新選組隊士に別組織の話をしてもらっては困る」
「いや、義務がある。では、何か? 外で非番の隊士をつかまえてならいいというのか。そんな条件なら、受け入れられないね!」
藤堂は鼻で笑った。近藤は困惑した顔をしていた。交渉は決裂だ。歳三はその時、部屋の外で相当数の隊士が聞き耳を立てているのを知ったが、あえて無視した。
近藤はそこで、営内に張り紙をした。
「先般一部分派之輩
局長 近藤勇
副長 土方歳三」
これを営内の廊に貼った。さらには、伊東一派の非道を文書にしたため、各小隊に一枚ずつ配付したりもした。
「近藤さん、もっと早くやるべきだったよ。常に我われの方が、後手後手に回っているじゃねえか」
「たしかにそうなんだが」
近藤の顔は暗い。
「新体制の方もなあ……」
いまだ難航している。
「先手先手をうっていかなきゃ、勝てねえよ」
そう言いながらも歳三は、すでに伊東一派が勝ち誇ったつもりで、陰で自分たちをあざ笑っているのではないかと、とにかく歯がゆい思いでいっぱいだった。
「私とトシさんとは、思いは同じだ。なんとかこの事態を、乗り越えようじゃねえか」
少しは近藤も、強気に出てくれるだろうか。しかし歳三は心もとなかった。だが翌日、京都守護職上屋敷から戻った近藤の表情は、少しだけ明るかった。
「トシさん。会津中将様が、お約束下さったぞ。幕閣に対して新選組を全員、幕府直参旗本にとりたててくれるよう、運動して下さるそうだ」
「それはいい」
歳三の顔も輝いた。
「だが、幹部だけか?」
「いや、平隊士まですべてだ」
平隊士たちは皆、何々藩脱藩という浪士の身分だ。会津侯の配下とはいえ、まだ新選組は浪士集団なのである。また、百姓出身の者も多い。局長の近藤や、歳三とてそうだ。それらが幕府直参旗本になる。旗本といえば、将軍のお目見えがかなう。また、伊東が出ていくまでの間は会津藩公用方の諏訪常吉が、伊東たちの監視役として屯所に駐留してくれることになった。
さらには、浪士集団ではなく幕臣の組織となると西本願寺を占拠して屯所にしているのはまずいということで、わざわざ新選組のための屯所の新築もしてくれるそうだ。
「よし、近藤さん。直参のことを、隊士たちに下知していいか?」
「もちろんだ」
浪士、もしくは百姓の子弟が、幕府直参旗本になれる。ただし、あくまで伊東派の方へ行かずに新選組に残ったらの話ではある。もっとも手続き上すぐにとはいかないが、これは隊士をつなぎとめる手立てにはなる。
「どれくらい、これで残るだろうか」
不安げにそうは言ったが、実は歳三もこの処置に期待をかけていた。やはり近藤も、やる時にはやるらしい。
「まあ、とにかく、ふたを開けてみなければわからねえな」
近藤はつぶやいた。
歳三はその足で、一番隊隊長の沖田総司の部屋に行った。総司はすでに労咳が進行していて、月の半分以上の日を寝こんでいる。
「総司、どうだ、様子は」
「ああ、今日なんか、すごく気分がいいんですよ」
そのことばどおり、総司はこの日は寝てはいなかった。
「無理するな」
「それよりずいぶん、隊内が騒がしいですねえ」
「おめえは心配しなくてもいい。自分の身体のことだけ、気にしていればいいんだ。あんな、人間のクズのやつらのことなんか、考えるな」
「土方さん」
総司はクスッと笑った。
「また、土方さんの悪い癖が出た。悪口言ったって、始まらないでしょう。もう少し、大人になって下さいよ。まるで子供の喧嘩だ」
「うるせえやい。ガキに言われたかねえや」
歳三も笑った。十も年下のこの若者に言われても、まったく違和感はない。不思議な男だ。ついつい微笑んでしまう。そして同じように笑う総司の笑顔は、とても不治の病を背負って人のものには見えない。翳りがまったくないのだ。これもまた、不思議なことであった。
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