第1話 感情の波が見える目 ②

「失礼します」

 いぶかしげに思いながら祠の扉を開けると、れの職人が丹精込めて作り上げた球体関節人形のような巫女みこ姿の少女が待っていた。美しいがこの世のものとは思えない異様な雰囲気がある。容姿が整いすぎているのだ。

 静香がぼうぜんとしていると、少女はぺこりとお辞儀した。あわてて静香も頭を下げる。

「いらっしゃいませ。ようこそ、義眼堂へ! この世にはつらいこと、悲しいこと、人の力ではいかんともしがたいことがございます。あなたが心を決めさえすれば義眼堂の義眼があなたの願いをかなえてさしあげます。お代は不要。その代わりにあなたの片目をいただきます。ご心配は無用です。義眼があなたの目の代わりとなって世界を見てくれます。義眼がほしい? 願いをかなえたいんですね。でも、その前にいくつかお話ししておくことがあります」

 少女は顔を上げると一気にしゃべった。あらかじめ決められた口上のようだ。

「あたしは八百万紅蓮と申します。こちらのお手伝いをしております。お名前とこちらを見つけた方法を教えてください」

 少女はてきぱきと静香に質問してきた。

「あの、ここは義眼堂ですよね?」

 少女はそう言っていたが、想像していたさんくさい診療所とは全く違っていた。きれいな木造の祠だ。壁際には硝子ガラスの瓶が並んでいて、装飾品のように輝いている。

「はい。間違いございません。お名前と義眼堂を見つけた方法をどうぞ」

「名前は山崎静香です。ネットで検索して義眼堂のサイトを見つけて、面談を申し込みました」

「こちらにいらっしゃる前に参考にしたサイトはありますか?」

「参考というか、体験談をネットに書いていた方がいたので、それは拝見しました」

「ああ、受験で成功した方のブログですね」

 少女がうなずく。その時、不気味に目がきらっと光った。

「そうです」

「どのサイトを経由してきたかわかれば、あなたのご要望は明らかです。人間関係を円滑にしたいということですね。どうぞ、おかけください」

 その通りだった。図星をさされて驚く。

 静香は少女に勧められるまま、部屋の中央にあった椅子に腰掛けた。柔らかく腰を受け止めてくれる優しい椅子だった。

「義眼堂のサイトにも書いてあったはずですが、念のため大事なことをおさらいしますね。まず、ひとつ目」

 紅蓮はそう言うと人差し指を立てて静香に突き出した。

「望みをかなえる代わりに、あなたの世界の半分をいただきます」

「え? 片目じゃないんですか?」

 あのブログには片目をささげることになると書いてあった。世界の半分とはどういうことだろう?

「目は人の知覚のほとんどを占めます。片目を失うことはその半分を失うってことです。わかってます?」

 紅蓮は腕を組んで静香の顔を見る。静香は紅蓮の言葉の意味を理解して、何度もうなずいて見せた。

「わかってます。でも、代わりの目をくれるんですよね」

「ここは義眼堂ですから、代わりに義眼を差し上げます、特別なものをね。それを付ければ視力は元通りになり、あなたの願いはかないます」

 視力が戻るなら目を入れ替えるだけだ。そうわかっていても不安はあるが、あのブログには安心していいと書いてあった。ブログの主自身も過去に義眼堂を訪れた人たちの記録を確認していた。

「ほんとうにわかってるのかなあ。ふたつ目は、〝あなたが思ったような形では願いは達成されない〟ということです」

 ブログにもそう書かれていたが、その意味がよくわからなかった。願いがかなうならなんでもいいと思ったけど……。

「ああ、わかってない顔をしている。わかりました。ちょっとご説明いたしましょう」

 そう言うと、少女は壁の棚から硝子の瓶をひとつ手に取って、静香にかざして見せた。思わず、声をあげそうになった。瓶の中には液体に浸された眼球が浮いていた。改めて祠の壁に並んだ硝子容器をよく見て絶句する。無数の眼球が静香を見つめていた。

「やだなあ。作り物ですよ。いわゆる義眼ではありません」

 少女はそう言って容器を棚に戻す。

「ここに来る人って義眼のことをろくに知らないんですよね。あんな丸い義眼なんてないんです」

 そうなの? 義眼というと眼球のように球の形をしていると思い込んでいた。

「眼球を失うと、ぽっかり隙間ができるんですけど、そこに結膜のうや義眼床を作るんです。そこにかぶせるのが義眼」

 紅蓮は話しながら、義眼の現物を棚からとって見せてくれた。確かに球ではなく、球の上に被せる形だ。コンタクトレンズを大きく分厚くしたようなものと言えばいいだろうか。

「まれに球形の義眼台を入れることもあって、これは知らない人がイメージする義眼の形に近いけど、その上に義眼を被せて白目や黒目をつけるんですよね」

 知らないことばかりだ。これから義眼をつけるというのに、なにも知らなかった自分が恥ずかしい。しかし、あのブログにはそんなことなにも書いてなかった。

「っていうのはふつうの義眼の話で、ここの義眼はさっき見たみたいにみんながイメージする義眼で眼球そのものです。一度付けたら外せません。これが三つ目の大事なこと。あなたの身体の一部になるんです」

 そこで紅蓮は少し黙って、静香の顔をじっと見た。ほんとうにこの子はきれいだ。美少女に見つめられると妙に緊張する。

「では、〝あなたが思ったような形では願いは達成されない〟実例をご説明します」

 そして紅蓮はさきほどのブログの主、「どんな問題の解答でもわかる目を持った男の話」を聞かせてくれた。

「その人にはどうしても行きたい大学があり、ふつうの方法では合格できる学力がなかったんですね。そこでここにいらっしゃいました。寛大なご主人さまは、その人の片目を摘出し、代わりに望みをかなえる義眼を装着しました。義眼の力は実際に付けてみるまでわかりません、その人の意志の強さや体質によって異なるんです。その人はどんな問題の解答でも見えるようになりました」

 紅蓮はそう言うと壁の棚から眼球の模型の入った瓶をひとつ手に取った。

「すごい。じゃあ合格したんですね」

「もちろんです。その能力は問題を見ると、出題者が作った模範解答あるいは想定していた解答が目の前に浮かんでくるというものでした。だから解釈がわかれるような問題でもかならず正解がわかりました。でも、思ったような形では願いは達成されないと申し上げましたよね」

 紅蓮は静香の目をじっと見た。確かにそう言われた。

「でも、その能力って願った通りのものじゃないんですか?」

「ちょっと違ったんです。その人がやりすぎたせいもあるんですけどね。彼は資格をどんどん取り、大学の成績もトップでした。でも……」

 紅蓮はそこで言葉を切って、手にした瓶を棚に戻した。

「あなたはその人のブログを見てここに来たんでしょう? ならご存じですね。三カ月前から更新されていない」

「確かにそうですけど、忙しいのかなって思ってました。なにかあったんですか?」

「さあ? あたしが存じ上げているのは大学で解答を盗み見した疑いをかけられたところまでです。ある大学教授が助手に採点を頼むために用意した模範解答の順番を間違えたんです。問3の解答を問4に、問4の解答を問3に書いてしまったんです」

「あっ……」

 そんな落とし穴があるなんて気がつかなかった。

「でも義眼の力は、その間違ったままの解答を正解として見せたので、彼はそのままそれを解答欄に記入しました。ふつうならありえない解答ですよね。不審に思った教授が過去の試験を確認すると似たようなことが何度かあった。そこで次の試験でわざとありえない模範解答を作ったら、同じ学生がそのままの解答を書いていたので、なんらかの方法で不正を行ったことが確定したわけです。それからどうなったかまではわかりません」

 紅蓮はそこで静香の目をのぞき込む。ここに来たのは間違いだったかもしれない。静香は不安になってきた。

「すみません。不安にさせてしまいましたか? でもご安心ください。これはあくまで一例です。うまくやってらっしゃる方がほとんどです」

 紅蓮はそう言ったが、素直に受け取れない。それに、「ほとんど」ということはさっきの人のようにうまくいかないことも少しはあるのだ。それに静香はまだ片目を義眼に替えることも躊躇ためらっていた。怖くないはずがない。失敗してただ片目が失明するだけだったら取り返しがつかない。

「あと、お客さまに限って、そんなことはないと思いますが、くれぐれも悪用しないようにご注意ください。問題になるような行為が見つかると義眼の力が無効化され、視力も失われます」

 どきりとした。悪用するつもりはないが、失明する可能性もあるのは知らなかった。ますます怖くなってきた。

「ご心配のようですね。止めてお帰りになりますか?」

 紅蓮が静香にたずねてきた。静香はうつむいたまま、なにも言えなくなった。来る前に心は決めたはずだったが、具体的な説明を聞くとやはり不安になる。しかも自分が参考にしていたブログの運営者がそんな目に遭ったと聞いてはよけいにそう思う。いや、そもそも本人が悪いのだが、それだけ強力な力を持ってしまったら誰だって悪用したくなるだろう。

 果たして自分は悪の誘惑に耐えられるのだろうか? それに「思ったようには解決しない」というのも気になる。やってみるまで、どんな能力が身につくかわからないってサービスとして問題あるんじゃないかとも思う。

「じっくり考えて、ご自身で判断してくださいね」

 紅蓮のガラス玉のようなそうぼうが静香に向けられる。ぞくっとした。非の打ち所のない整った美しさなのに、恐ろしさを感じる。美しすぎるから怖いのかもしれない。この世のものではない。正体を知りたいが、いてはいけないような気がする。

「お待たせしました」

 低く太い声が響き、ほこらの奥の扉が開き、着流し姿の青年が現れた。でかい。百八十センチくらいありそうだ。がっちりした身体つきだが、どことなく上品な雰囲気がある。野性的だけど、知性を感じさせる美しい顔に目を奪われる。誰だろう?

「お客さまの義眼の用意ができました」

 そう言うと静香の前に立ち、右手を突き出した。人差し指と親指で宝石のような球体をつまんでいる。これが、自分の義眼なのか? まるで装飾品のように輝いている。まだやると決めていないのに気が早い。

「自己紹介が遅れました。私は千瞳悼水。義眼堂の主人です」

 千瞳は自己紹介したが、静香は輝く義眼に目を奪われて上の空だった。球体はコバルトブルーの光を放っており、その中央に淡いあかい核のようなものが見える。ほんとうにこれが義眼なのだろうか? はめると眼球に変化するということなのか?

「では、よろしいですね?」

 千瞳が静香の肩に手を置いた。なにを訊かれたんだっけ? 眼球のことしか考えていなかった。

「はい」

 うっかりあいまいにうなずいてしまった。

「あなたの世界の半分をいただきます」

 千瞳がそう言うと右手で義眼を掲げ、左手の人差し指を静香の左目に突っ込んできた。悲鳴を上げる間もなく視界は暗転し、静香は意識を失った。

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