第1話 感情の波が見える目 ①

 やまざきしずは目覚ましの音楽で目を覚まし、枕元のリモコンでテレビをつけた。画面いっぱいに海が広がっていた。テレビコマーシャルで、海の色が青かったことを思い出した。

 最後に海に行ったのはいつだっけ? 山崎静香は目を閉じて記憶の中に海をよみがえらせる。ひとりで海に行くことはない。ほろ苦い学生時代の思い出にしばし浸り、目を閉じる。

 静香が海辺に近づくと、それまで美しかった海が一変した。波はまるで泥のような色に変わり、動くコンクリートの壁になって押し寄せてくる。

 不思議と恐怖はなく、コンクリートの波に押しつぶされる自分の姿を想像し、ぼんやり立ち尽くしていた。

 そこで目が覚めた。どうやら二度寝の悪夢だったようだ。目を開くと部屋の中は灰色の水で満たされていた。どんよりとした重い波が静香の身体からあふれだし、部屋に広がる。起き上がると波が砕け、泡が湧き立つ。だが、なんの音もしない。水に触れている感覚もない。慣れてきたが、違和感はぬぐえない。

 義眼堂で片目を義眼に替えてから、人間の感情が波のように見えるようになった。感情の種類は波の色、強さは波の大きさや高さでわかる。大きな波をそのまま受けてしまうと相手の感情に包まれて怒りや悲しみにおぼれてしまう。部屋に満ちている波は悪夢を見た静香の思いで生まれた。身支度を調え、コーヒーを飲み終えると、波は消えていた。


 電車に乗ろうとして顔を上げると、まるで沼のようなよどんだ水たまりが車内を満たしており、波がさざめいていた。それぞれの乗客がわずかだが、異なる色の波を吐いている。ほとんどはいんうつな濁色だが、中には明るい色の者もいる。これから楽しいことが待っているのだろう。お決まりの毎日の通勤電車で楽しい気分になれる者は少ない。濁った波に囲まれていると気持ちが落ち込みそうになる。

 停車するたびに乗降客の波が入り乱れ、荒れ狂う。こういう時は色が濃くて激しい波に近づくと危険だ。突然キレて他の人を怒鳴ったり、突き飛ばしたりする。この目のおかげで危険を回避する能力はだいぶ上がったと思う。

 危険な波からは離れること、それができない時はぶつからないように自分の波をできるだけ小さくしてやりすごす。波同士がぶつかると、相手を刺激してしまうことがある。

「なに見てるんだ」

「なんだ、その目は?」

 といった反応をされてしまう。静香は何度もそういう場面に出くわした。トラブルに巻き込まれやすい人は、他の人の波に自分の波がぶつかるのに気がつかない。相手の波をそのままやりすごせばなにも起こらないのに。静香は以前の自分も気がつかない人だったのだろうと思う。


 改札口を抜けると運河のように色とりどりの波が競っていた。早足で歩く人の群れに合わせて色の異なる波が漂う。でも、楽しそうな明るい色の波は少なく、濁色の沈鬱な波がほとんどだ。こうして目にするとストレスを抱えている人が多いことがよくわかる。静香自身も少し陰りを帯びたあいいろの波をあふれさせている。仕事は嫌いではないけど、だからといって出勤は楽しくない。

 道の途中にあるコンビニから子供たちが楽しげなコバルトブルーの波をあふれさせて出てきたのを見て、ほっとした気分になった。


 職場はカラフルな波が打ち寄せる海だった。

 この目を手に入れるまで、同じ職場の人間がこんなにバラバラの感情で動いていたなんて想像したこともなかった。人間は感情の動物なのだから、みんな違っていても不思議はないのだが、こうして目にすると、あらためてそのことがよくわかる。

 どす黒く冷たい波をあふれ出させている人もいれば、きらきら光る温かそうな波を漂わせている人もいる。相手の感情を目で見ることができるから、離れたところから機嫌がよいか悪いかわかるようになった。これだけはっきりと波が見えてしまっては嫌でも気がつく。

「おはようございます」

「おはよう!」

 あいさつをすると挨拶が返ってくる。静香と挨拶を交わしても相手の波の色が変わることはほとんどない。でも仲のよい同僚やなにか問題があった時の上司の波の色は変化する。それを見て静香は相手の胸の内を察することができる。これまでできなかった「空気を読む」技を身につけたのだ。いや、この場合、「空気を読む」ではなく「波を見る」と言った方がいいだろう。


 静香は民間の研究所に勤めている。研究所といっても理化学の基礎研究をするわけではなく、市場調査や出店計画を行うマーケティングのための調査研究が中心だ。大学で社会科学を専攻した関係で統計や調査に詳しかったので、ゼミの教授から勧められるまま、この会社に就職した。

 入社してからは毎日調査漬けだった。最初にやらされたのは資料調査だ。世の中に存在するほとんど全ての市場について、なんらかの市場調査が行われており、その中のいくつかは外販されている。老舗しにせの調査機関では矢野経済研究所や富士経済といったところが独自に調べた結果を販売している。近年、インプレス総合研究所や角川アスキー総合研究所もこの分野に参入し、調査報告書を販売している。

 そういった資料を見つけ出し、その結果を整理するのだ。資料を見つけるのはさほど難しくはない。ネットで検索して見つかることもあれば専門サービスで見つかることもある。

 多くの資料は調査会社が発行しており、一冊五万円とか十万円とか信じられない価格で販売しているのだ。最初、金額を見た時、静香は見間違いか誤植だと思ったが、それが正しかった。「高額資料」と呼ばれる特殊な業界が存在し、そこではやたらと高い金額が当たり前なのだという。

 とても買えたもんじゃない、と思ったが、そうでもないようだ。静香の会社に調査を依頼してきた会社が経費として認めてくれるなら、五万でも十万でも問題ない。

 こうした資料を安く利用できる専門サービスもある。たとえば日本能率協会総合研究所のマーケティングデータバンクはもっとも古い専門サービスのひとつだ。国内で発行された多くの高額資料を図書館のように収集して会員に閲覧させている。

 調査資料専門の図書館サービスがあるなんて、学生時代には全く知らない世界だった。やっていることは似ているが、方法が全く違う。これがアマチュアとプロの違いかと驚き、感動した。

 仕事に慣れてくるとクライアントとの打合せに同行し、議事録を作成したり、提案書や報告書の一部をまかされたりするようになった。そしてだんだんとわかってきた。この仕事は専門職で、専門技能が重要のように思っていたけど、仕事の半分以上はコミュニケーションだ。相手の言うことを理解、記録、確認し、それに適した解を提供する。責任者になれば相手の値頃感を推し量り、できるだけ高い見積もりで仕事を受注しなければならない。

 見積もりの大半は人件費だ。人件費は仕事がなくても発生する固定費で売上げに応じて増えたり減ったりしない。だから原価はあってないようなものとも言える。見積もりで人件費の単価をいくらにするか、何日かかることにするかによって見積もり金額はいくらでも操作できる。全ては相手との交渉だ。もしかしたら全ての仕事がそうなのかもしれない。

 仕事の本質がわかってくるにつれて、静香は不安になってきた。昔からコミュニケーションが苦手だった。いわゆる「空気が読めない」奴だった。学生時代の友達関係なら深刻な問題になることはないが、仕事ではそうはいかない。言外の意味をくみ取って対応しなければ評価してもらえない。

 プロジェクトが最終段階に近づくと、最終結果についてクライアントから要望が提示されることがある。クライアントの担当者が考える会社の進むべき道に合わせた結果にしてほしいということだ。間違っても担当者がプッシュしようとしている商品の市場が先細りになるなんて結果を出してほしくない。

 理屈から言うとこれはおかしい。なぜなら静香が関係しているのは市場規模を調べたり、市場予測を行ったりすることがほとんどだ。過去のデータと適切な予測モデルで現在あるいは将来の数値を計算する。そこには「要望」を反映できる余地はほとんどない。

 そのことをクライアントもわかっているから、はっきりとは口にせず、遠回しに伝えてくる。具体的に口に出して、それが議事録に残ることは避けなければならない。

 だからすぐには意味がわからない。特に静香のように察しの悪い者にはくわしく解説してもらわないと無理だが、くわしく解説できないのだ。部長や先輩たちはいとも簡単にやってのけるが、静香にはとてもできる気がしなかった、〝感情の波が見える目〟を手に入れるまでは。


 自分の席についた静香は義眼堂を訪れた日のことを思い出した。人間関係をうまくやる方法をネットで検索しているうちに、義眼堂のサイトにたどりついたのだ。

 どこからどういうリンクをたどったのか覚えていないが、どんな願いもかなえてくれる店だという。その代償は片目。といっても完全に片目を失うわけではなく、視力を持った義眼をくれる。その義眼が願いをかなえてくれる力を持っている。

 義眼で願いがかなうというのがよくわからなくて、説明を何度も読み返した。それでもわからなかった。うさんくさいカルトかもしれないと思ったが、気になって「義眼堂」で検索すると体験談がいくつか見つかった。どれも願いがかなったと書いてあるが、あまり具体的なことは書いていなかった。その中でひとつだけ細かく体験をつづっていたブログがあって、それは参考になったし、読んでいるうちに相談してみたくなった。

 だまされているのかもしれないという気持ちはあったが、気がつくと義眼堂のサイトで面談を申し込んでいた。深夜だったが、すぐに返信があり、静香の希望した日時に待っているという。やってしまったかもしれない。騙されるぞ。当日までいろいろ悩んだが、結局行くことにした。

 義眼堂はこうえんにあった。ふだんはあまり訪れることのない街。居酒屋、喫茶店、古着屋、よくわからない雑貨屋が細い道に軒を並べ、懐かしい若さにあふれている。

 送ってもらった住所と地図を頼りに歩いた。駅前から続く商店街を進み、交差点にあるビルの地下に続く階段を降りると、映画のセットのような境内があった。地下なのに陽の光がさしている。どういう仕組みになっているのかわからない。照明なのか、それとも外の陽光を取り込んでいるのか。

 正面にはほこらがあり、「義眼堂」という看板がかかっていた。ずいぶん大げさだ。

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