【試し読み】義眼堂 あなたの世界の半分をいただきます
一田和樹/KADOKAWA文芸
プロローグ
おぼろげな朝日を受けて、ひとりの少女が古い
それを十数回繰り返してから、少女は根本的な対処をすることにした。面倒そうに髪に手を触れるとすっと短くなった。少女は納得したようにうなずき、再び床を磨き始める。
掃除をする時に長い髪は邪魔だ。わかっていても、なんとなくおっくうで長いままにしてしまう。顔を上げ、手鏡に自分の顔を映してしばしながめる。短い黒髪に黒い目、
ひととおり床を拭き終わった少女は立ち上がり、ふうと息をつく。今の姿を嫌いなわけではないが、たまには金色の
少女は祠の中を見回して、汚れや
十二畳ほどの広さの祠には壁際の棚以外には二脚の
陽の光を浴びて
少女の名前は、
重い扉が開く音がしたので紅蓮が振り向くと、祠の入り口から誰かが入ってきた。いつもと変わらぬ微笑みを紅蓮に向けている。紅蓮は髪の毛に手を当てて元の長さに戻す。
「おはようございます」
すでに昼過ぎだが、ここではいつも「おはようございます」と
「おはようございます」
少し乱れた着流しに包まれた身体は、まるでアスリートみたいな硬い筋肉に包まれている。肩まであるまっすぐな長い髪はしっとりと
千瞳は長い間、自分の故郷と仲間を捜している。数年前まではそのために日本各地を転々としていた。その後、方針を変えて義眼を作り始めた。
千瞳はさまざまな特殊技能を持っているから、暮らしに不自由することはない。なのに、そこまで故郷や仲間に執着する意味が紅蓮にはわからない。紅蓮は情や縁に興味も執着もない。
あらゆる物事は時とともに変わり、
しかし多くの人は千瞳のようになにかを
「お客さまが来ます。早く掃除を終わらせましょう」
ぼんやりしていると、千瞳にぽんと肩をたたかれた。
「さっき終わりました」
紅蓮は客のための説明の口上を思い出しながら返事をした。
「じゃあ、お客さまが来るまで口上の練習をしておきましょう。私は義眼の用意をしておきます」
千瞳はそう言うと祠の奥の部屋に入ろうとする。ふと思いついて、紅蓮はその背に声をかけた。
「親子を助けなかった方がよかったと思ってます?」
「なんの話です?」
「仲間とはぐれた時のことですよ。親子を助けていたせいで仲間を見失ったんでしょう?」
「そういう考え方もありますね。でも、あの時、私は助けたいと思ったし、今も助けてよかったと思っています」
千瞳の中では後悔はないらしい。ふつうの人間なら後悔するだろう。親子のことを恨んだりするかもしれない。
「ふーん」
それなら仲間とは縁がなかったのだとあきらめればいいのに、と思う。この調子では百年経っても見つからないかもしれない。それよりは楽しく遊んで過ごした方がいい。千瞳の寿命がどれほどあるのか知らないが、少なくとも数百年はあるだろう。仲間を捜すのにその長い人生を使うなんてもったいない。よほど強い
紅蓮にはそういう絆はひとつしかない。千瞳との絆が紅蓮の全てであり、存在する理由だ。その絆がなくなったら、おそらく紅蓮は今の姿を失うだろう。だから紅蓮は存在する限り、千瞳とともにある。
「ぼーっとしない。お客さまがおいでになりますよ」
紅蓮がそんなことを考えていると千瞳の声が響いた。
「ぼーっとなんかしてません。考え事をしていたんです」
「同じです。いいからおもてなしの支度をしましょうね」
千瞳は子供を諭すように紅蓮に言う。
「おまかせください。あたしが失敗したことなんか……」
言いかけて数々の失敗を思い出して黙る。
「たくさんありますけど、がんばっているのはわかります。いつもありがとう」
千瞳が苦笑いする。千瞳はかけがえのないご主人さまだが、時々意地悪になる。
その時、離れた場所からかすかに足音が聞こえた。ためらい、迷い、それでもこちらに近づいてくる。
「いらっしゃったようです」
紅蓮は胸を張り、気持ちを引き締める。千瞳は、「口上はまかせました」と奥に引っ込む。さあ、出番だ。
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