【試し読み】義眼堂 あなたの世界の半分をいただきます

一田和樹/KADOKAWA文芸

プロローグ


 おぼろげな朝日を受けて、ひとりの少女が古いほこらの床を磨いている。ぞうきんで床をくたびに長い髪が垂れてきて、それを面倒くさそうにかき上げる。飽きもせず、それを繰り返している。

 それを十数回繰り返してから、少女は根本的な対処をすることにした。面倒そうに髪に手を触れるとすっと短くなった。少女は納得したようにうなずき、再び床を磨き始める。

 掃除をする時に長い髪は邪魔だ。わかっていても、なんとなくおっくうで長いままにしてしまう。顔を上げ、手鏡に自分の顔を映してしばしながめる。短い黒髪に黒い目、しらぎぬばかまをまとっている姿は、どこからどう見ても巫女みこのバイトをしている女子高生だ。女子高生という生き物がいかなる習性を持つのか知らないが、街で見かける限りでは自分とはだいぶ違う。それでも姿形はよく似ている。

 ひととおり床を拭き終わった少女は立ち上がり、ふうと息をつく。今の姿を嫌いなわけではないが、たまには金色のひとみに真っ赤な髪にして、穴の開いたシャツやパンツを着て、やってきた客を驚かせてやりたい。だが、せんどうは決して許してくれないだろう。

 少女は祠の中を見回して、汚れやほこりが残っていないか確認する。床も壁も天井も、歴史を感じさせる年輪を刻んだ焦げ茶色の木材で組まれている。似ているようで同じ模様はふたつとない。入り口以外の三方の壁には作り付けの棚があり、そこに円柱の硝子ガラスの容器がずらりと並んでいる。正面には棚に囲まれるように扉があり、奥の部屋に続いている。

 十二畳ほどの広さの祠には壁際の棚以外には二脚のとうの椅子しかない。三方に小さな窓があり、そこから陽の光が差し込んでいる。殺風景だが、不思議と広さを感じないのは硝子の容器に収まっているもののせいかもしれない。

 陽の光を浴びてあやしく光る容器には眼球が浮かんでいる。まるで生きて意思を持っているかのように容器に満ちた透明な液体の中をゆっくりと動き、周囲に視線をめぐらしている。数百の眼球が並ぶ景色は不気味に壮観で、眼球地獄という言葉をつぶやきそうになる。

 少女の名前は、八百やおよろずれん。なにやら大げさで怖そうな名前だが、本人はれんな美少女である。彼女がこの身体を得てから三十年経った。その前は違う姿だった。ある日、気がつくと人間の姿になっていて、暮らしやすいように何度か姿を変えて今の格好に落ち着いた。


 重い扉が開く音がしたので紅蓮が振り向くと、祠の入り口から誰かが入ってきた。いつもと変わらぬ微笑みを紅蓮に向けている。紅蓮は髪の毛に手を当てて元の長さに戻す。

「おはようございます」

 すでに昼過ぎだが、ここではいつも「おはようございます」とあいさつすることになっている。百八十センチを超える長身に穏やかな面差し。がんどうの主人の千瞳たくだ。

「おはようございます」

 少し乱れた着流しに包まれた身体は、まるでアスリートみたいな硬い筋肉に包まれている。肩まであるまっすぐな長い髪はしっとりとれているように見える。見た目は二十代だが、本当は何歳なのか紅蓮にもわからない。いつもかすかな笑みをたたえており、身体の大きさにもかかわらずやさしい雰囲気をまとっている。

 千瞳は長い間、自分の故郷と仲間を捜している。数年前まではそのために日本各地を転々としていた。その後、方針を変えて義眼を作り始めた。

 千瞳はさまざまな特殊技能を持っているから、暮らしに不自由することはない。なのに、そこまで故郷や仲間に執着する意味が紅蓮にはわからない。紅蓮は情や縁に興味も執着もない。

 あらゆる物事は時とともに変わり、はかなく消えてゆく。永遠のものなどなにもない。だから執着しても意味がない。その一方で深い愛情を持ち続けることが困難であることはわかっているので、千瞳が並の人間とは違う深く強い感情を持っていることもわかっている。

 しかし多くの人は千瞳のようになにかをいちに思い続けることができない。そして彷徨さまよい、義眼堂にやってくる。

「お客さまが来ます。早く掃除を終わらせましょう」

 ぼんやりしていると、千瞳にぽんと肩をたたかれた。

「さっき終わりました」

 紅蓮は客のための説明の口上を思い出しながら返事をした。

「じゃあ、お客さまが来るまで口上の練習をしておきましょう。私は義眼の用意をしておきます」

 千瞳はそう言うと祠の奥の部屋に入ろうとする。ふと思いついて、紅蓮はその背に声をかけた。

「親子を助けなかった方がよかったと思ってます?」

「なんの話です?」

「仲間とはぐれた時のことですよ。親子を助けていたせいで仲間を見失ったんでしょう?」

「そういう考え方もありますね。でも、あの時、私は助けたいと思ったし、今も助けてよかったと思っています」

 千瞳の中では後悔はないらしい。ふつうの人間なら後悔するだろう。親子のことを恨んだりするかもしれない。

「ふーん」

 それなら仲間とは縁がなかったのだとあきらめればいいのに、と思う。この調子では百年経っても見つからないかもしれない。それよりは楽しく遊んで過ごした方がいい。千瞳の寿命がどれほどあるのか知らないが、少なくとも数百年はあるだろう。仲間を捜すのにその長い人生を使うなんてもったいない。よほど強いきずながあるのだろうか。

 紅蓮にはそういう絆はひとつしかない。千瞳との絆が紅蓮の全てであり、存在する理由だ。その絆がなくなったら、おそらく紅蓮は今の姿を失うだろう。だから紅蓮は存在する限り、千瞳とともにある。

「ぼーっとしない。お客さまがおいでになりますよ」

 紅蓮がそんなことを考えていると千瞳の声が響いた。

「ぼーっとなんかしてません。考え事をしていたんです」

「同じです。いいからおもてなしの支度をしましょうね」

 千瞳は子供を諭すように紅蓮に言う。

「おまかせください。あたしが失敗したことなんか……」

 言いかけて数々の失敗を思い出して黙る。

「たくさんありますけど、がんばっているのはわかります。いつもありがとう」

 千瞳が苦笑いする。千瞳はかけがえのないご主人さまだが、時々意地悪になる。

 その時、離れた場所からかすかに足音が聞こえた。ためらい、迷い、それでもこちらに近づいてくる。

「いらっしゃったようです」

 紅蓮は胸を張り、気持ちを引き締める。千瞳は、「口上はまかせました」と奥に引っ込む。さあ、出番だ。

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