第三話 委員長

 ――微睡の中で見た夢は、次の瞬間には忘れてしまいそうに淡くて、けれどひどく後味の悪いものだった。


「……う……ん……」


 高山圭太は、突っ伏して寝ていた机から身を起こすと、ぼんやりと周りを見渡した。

 放課後の図書室。その一角、人気のない机を占領し、圭太はアリスティアの召喚までの時間つぶしをしていた。


「つい寝ちまった……何時だよ」


 壁に掛けられた時計を見るに、後三十分ほど時間があるようだ。

 校舎内から聞こえてくる吹奏楽の音に、しばし耳を傾ける。


「……いかん。この音聞いてたら、また眠くなっちゃうわ」


 思わずウトウトとしかけてしまい、慌てて首を振る。

 眠りこけて無防備に召喚されるなど誰かに見られでもしたら、大変なことになる。

 いつもの校舎裏の倉庫にでも隠れておくか、と圭太は席を立った。なんだかんだで人目につかない場所という条件に適した場所は多くない。屋上も良さそうだが、帰ってきたときに校舎から出るのが面倒くさそうだ。

 時間つぶしに持ってきていた何冊かの本を戻すため、奥の書架に向かう。


「役に立つかと思ったけど微妙だったなー」


 何故か充実していたサバイバル関係の本を戻しながら呟く。

 異世界での冒険に必要かもと思いながら読んでいたが、サバイバルの知識は案外役に立ちそうになかった。火を熾したり、野草の見分け方など、読む分には面白かったのであるが。


「火熾すのはアリスの魔法があるし、野草は……異世界だもんなあ……当てにはできない知識だよなあ」


 読む前に気付け、という話である。まあ、キノコの話などは非常に圭太的にはツボだった。


「今度、キャンプでもして野生のキノコ食いでも挑戦するか……」


 ぶつぶつ呟きながら本を棚に突っ込む。


「あれ、高山君?」


 書架の向こう側から、圭太を呼ぶ声がした。その声を耳にした瞬間、圭太の動きが一瞬固まる。


「んあ?」


「あ、やっぱり高山君。何してるんですか?」


 本を胸元に抱えた優等生風な女子高生が、こちら側に歩いてきた。日本人形のような艶を持つ背中まで伸びた黒髪が、揺れる。

 内心に起こった一瞬の動揺を隠すと、圭太は何気ないように答えた。


「ああ、委員長か。いや、ちょっと暇つぶしに読書をね」


 同じクラスの委員長は、そんな圭太に気付く様子もなく普段通りの感じで話しかけてくる。


「そうなんですか。キャンプに興味でも?」


 圭太の手に持った本のタイトルを目にして、彼女は首を傾げる。


「興味というか必要に迫られてというか。まあ、役には立ちそうにないけどな」


「ふーん?」


「委員長は?」


「私ですか? 私も、暇つぶしというか……本、好きなので」


 知ってる。圭太は小さく呟く。


「え?」


「何でもない。何借りるんだ?」


 軽く首を振り、誤魔化すように圭太は彼女が持っている本の題名に目をやる。


「……また随分と面白いジャンルで」


「うん。最近は、色々な本読むようにしてるんです。目をつぶりながら、棚の端から表紙を指で触っていって、止まったところの本を借りる感じ。だから、今日はこれなんです」


 委員長が持っていた本を圭太に差し出してくる。パラパラと適当にめくりつつ、苦笑する圭太。


「変な選び方してるなあ。……スーパーカブの整備マニュアルなんて、何でそんな本が図書室にあるんだよ」


「意外ですよね? 結構、変な本沢山あるんですよ」


「それでも読む委員長」


「今日の本も難しそうだけど、とりあえず頑張って読んでみます」


 むんと軽く気合を入れる彼女。


「んじゃ、そろそろ俺行くわ。じゃあな、委員長」


「うん、また明日。高山君」


 貸出カウンターに向かう彼女の背を見やると、圭太は軽く首を振る。


「……眠気も覚めたし。行くか!」


 気持ちを切り替えるように、パンと頬を叩いた。



◇◇◇◇◇◇



「おそーい」


 召喚の苦痛にゴロンと寝転がりながら見上げれば、荷袋を担いだ金髪長耳少女が不機嫌そうに高山圭太を見下ろしていた。


「……あのな、毎度毎度、隠れ場所まで駆け回る俺の苦労を察してくれてもいいんじゃねえ?」


「複雑怪奇な召喚魔法を毎回毎回成功させちゃう私を褒めてくれてもいいんじゃない?」


 思わず出た愚痴に、にっこり笑う長耳少女。


「とりあえず、はい」


 手を差し伸べてくるアリスティアに、珍しいこともあるもんだと思いながら、起き上がるためにその手をつかむ。


「やだ、何触ってるのかしらこの馬鹿」


 とたん、アリスティアがさっと手を払いのける。ごつんと後頭部が地面に落ちる。


「いってえ! 何するんだ、この阿呆エルフ!」


「え、だって、気安く女性の手に触れるなんて、行儀のなってない子供じゃない」


「……手出してきたの、そっちじゃんか」


「勘違い。ほら」


 また手を差し伸べてくる。


「……何だよ」


「知らないの? 異世界通行料には、チョコレートが必要なのよ?」


「とうとう通行料とか言い出しやがった!」


 悪びれない美貌のエルフに戦々恐々しながら、圭太はポケットの中のチョコレートを取り出した。



◇◇◇◇◇◇



「前回から十日経ってるのか」


 いつものごとく、時間に関する法則は見つかっていない。

 今回は、あちらの世界では四日だったが、異世界では十日経っていたらしい。


 アリスティアが用意してくれた皮鎧を身に着ける。前回、ドルガルに預けていた皮鎧は肩の部分もすっかり修理されて元通りになっている。

 鍛冶屋といいつつ色々な事に手を出しているので、皮鎧をどうして鍛冶屋が扱っているんだ、という疑問も今更な話題である。


「どうかしら、肩の部分は。動きにくくない?」


 アリスティアが聞いてくる。皮鎧を着た状態で、軽く準備運動をしながら、調子を見る。


「うん、肩も普通に回せるし、問題ない。ゲイル、来なー」


『こんにちは、ケイタ』


 ぐるんぐるん回している手に、白い聖剣が現れる。そのまま、うりゃーと力が抜ける声で、ぶんぶんゲイルを振り回す。


「……聖なる剣の顕現なのに、全然有難味が感じられない……」


 嘆息する長耳少女に、圭太はゲイルを肩に担ぐと礼を言う。


「修理ありがとな、幾らだった?」


「……ん」


 指を三本見せるアリスティア。それを見て圭太は、ごそごそと腰に着けている袋に手を突っ込む。

 ジャラジャラと取り出したのは、茶色や銀色の細長い棒だった。

 色が違うのは、それぞれ別の金属でできているからだ。


「さあ、どれだと思う?」


「んー」


 圭太が持っているのは、この世界の『お金』である。『組合』から受けた依頼の報酬は、基本二人で等分に分け合っている。

 最初の頃、あまり役に立っていないと遠慮していたが、アリスティアから強引に今の割合にさせられた。まあ、その後に「こきつかうんだから問題ないわ」といい感じに怖い笑顔で言われたので、圭太も深く考えないことにした。

 

「銅じゃ安過ぎるだろうし、皮鎧の修理に金はかかり過ぎに感じるから……銀だよなあ」


 束の中から、二種類の銀色の棒貨をつかむ。長さの違う銀色の棒貨。片方は、もう片方の半分の長さである。


「問題は、同じのが三本だから、『三銀貨』と『一と半銀貨』のどちらなのか……」


「さあ、どっちにする? 外れたら、今から食べに行くお昼ごはんはケイタの奢りね」


「まじか」


「まじよ。っていうか、『まじ』って言葉が普通に分かってきたのが、ちょっと納得いかないわ……」


 どうでもいい事でへこんでいるアリスティアを横目に、圭太はますます考え込む。

 こういうちょっとした金額を当てる遊びを、アリスティアは圭太にちょくちょく行っている。アリスティアとゲイル曰く「ケイタに真面目にモノの相場を教えても覚えなさそう」という事だそうな。

 まことに遺憾ながら本人でさえ、その意見に賛成なので、文句も出ない。


「この前、食べた料理が半銀貨だったよな……」


 前回お金を使った経験を基にしようとしたのだが。


「あ、あの料理に使ってた魚って珍しいのだから、参考にならないわよ」


『ポラゾエという種類でしたね、身自体に辛味があるという』


「げ」


 あっさりとアリスティアとゲイルが覆す。


「むむむむむむむ」


「はやく答えなさいよ、考えすぎは時間の無駄よ」


『ケイタ、決断力のない剣士は、戦場でも失格ですよ』


 言いたい放題の二人である。


「あー! もう!! わかったよ、こっちにする!」


 叫んで、圭太が選んだのは……。



◇◇◇◇◇◇



 街までの道のりを上機嫌に歩く少女がいる。


「さーて、お昼は何を食べようかしら?」


「ちくしょー! 三銀貨が正解だったかー!」


『ケイタ、気持ちは察しますが、私をぶんぶん振り回さないでください』


「あっぶないわねー、またすっぽ抜けるわよー」


「うっせーばーか!」


 クスクス笑うアリスティアに悔し気に叫ぶ圭太であった。

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