第6話

 二階層へと続く階段は、最初の階段とほとんど変わらない感じだった。石造りの十人ほど並べる幅の段差が、ずっと下まで続いている。


「とりあえず、座りましょ」


 そう言ってアリスティアが、再び壁際に座り込む。同じように圭太が座ると、アリスティアは荷袋を背中からおろして、中をごそごそとあさりだす。そして取り出したのは、アリスティアと初めて会ったときにも使っていた小さな炉だった。


「お茶沸かすから、アンタの荷物からテヘラ出して」


「テヘラ?」


「あれ、翻訳できなかった? お茶入れる容器なんだけど」


「ああ、コップか」


「……コップとかそっちから言われるとすぐ認識できるけど、こっちの単語を説明するのが面倒くさいわね」


 ゲイルから出してもらった複雑な模様の入った陶器で作られたようなコップを手渡す。眉をひそめたアリスティアに、圭太は何げなく尋ねる。


「こちらでは、コップの事なんて言うんだ?」


「エルフ語だとテヘラで、ヒト語はカプラ。ドワーフ語は何だっけ、確か…」


『ドレッシェル、です』


「そうそう、ゲイル、ありがとう」


「いかつい名前だ」


「ケイタにかけた翻訳魔法って、どうやらアンタが話す言葉を相手が理解する力が強いみたいなのよ。だから、こちらから話すときは注意しないと、ちょっとした単語なんかはそのまんま聞こえちゃう時があるようね」


「お前の話は理解しやすいけど?」


「そりゃあ気を付けながら話してるもの。逆に、アンタの話には理解不能な言葉が多いわ。魔法的にはそっちの効果が強いのに、どういう事よ。私の口癖増えちゃってるじゃない」


「翻訳魔法って、何か万能のような気がしてたんだけど」


「こっちの世界では、不便なく使えてるのよ? エルフとヒトとドワーフが痴話げんかしても大丈夫」


『共通認識が少ないからでしょうか?』


 《聖剣》からのゲイルの言葉に、アリスティアは首をかしげる。


「ゲイルの言う事もありそうなんだけど。もしかしたらこの魔法は言葉を変換する辞書みたいなものを経由しているのかも知れないわ。その辞書っていうのが、こっちの世界の常識ばっかりだから、ケイタの世界にしかない常識なんかは言葉をうまく変換できないんでしょうね。お茶とかは、どちらにも存在しているから問題ないんだと思う。コップの場合は、なんでだろう、何か二重に翻訳かかったような感じなのよね」


 アリスティアのもどかしそうな言葉に、ピンとくる圭太。


「あー、もしかしたら、アレかな? 俺の自国語じゃないとすんなり翻訳されないのかも。コップに対する日本語って何ていうのかな、杯? なんか違うし、容器も違うよな」


『そういうケイタの認識が、うまく翻訳されない要因でもあるのでしょうね』


「あ、なるほど、私がドワーフ語で話すようなものかしら。前に言ってた『アトラクション』とか、そんな感じするわ」


「了解、今度から気を付けてみる」


「私の口癖が減ることを期待しているわ」


 炉を一段上の階段に置くと、その上にポットのような容器を設置する。そしてポットを触りつつ、アリスティアが小さな声で呪文を紡ぎだす。


「アダプテ・ル・アイリス、ミオール・デュ、パージ」


 呪文が終わると、ポットの中に水が湧いてきた。


「おお」


 圭太が驚いている間に、アリスティアはさらに呪文を紡ぐ。


「アダプテ・ル・アイリス、レフォー・ラ、ヴァン」


「おおー」


 炉の下に火が付いた。


「何よ、その反応」


「いや、アリスが呪文唱えて魔法使うのって新鮮で。何かエルフみたい」


「しっつれいね! その言葉!」



 ◇◇◇◇◇◇



 お茶が沸くとアリスティアは炉の上に置いていたポットらしきものからコップに注ぎ、圭太に渡す。


「熱いから気を付けて。エルフ特製のお茶よ。疲労回復に効くんだから」


 見た目は緑茶っぽくて、何となくコップに鼻を近づけ匂いをかぐと、ほのかな清涼感を感じた。


「毒とか入ってない?」


「安心して。アンタを毒殺する時は、薄めたりしないで、原液そのまま喉に直接流し込むから」


「おおう」


 不安この上ない返答である。


「あ、甘くてうまいな。これ」


 一口飲んだ圭太が、感想を漏らす。その言葉を満足そうに聞きながら、アリスティアも自分のコップに、その小さな唇を近づける。


『エルフのお茶は、冒険者にも人気だそうですね』


「迷宮探索は、体も頭も疲労するわ。昔から、疲れた時には甘いものが効くんだって言われているの」


「なるほど、世界は違っても……ってやつか。あ、じゃあ、アレも丁度いいな。ゲイル、俺が着てた服出してくんない?」


『分かりました。はい、どうぞ』


「どうしたの、服なんか」


「いや、倉庫で倒れた時にこぼしてなければ、こいつの中にアレが……あった、あった」


 制服のポケットから手を取り出す。掴んでいるのは、一粒ずつ包装されたチョコレートが十個ほど。さっそく、包装を破って口の中に放り込む。


「俺の世界の甘いお菓子だ。うむ、んまい」


「なんで、そんなのがケイタの服に入ってるの?」


「あー、お前の口癖覚悟で言うと、友達と学校でやってた麻雀ゲームのチップ代わりで……」


「何それ意味わかんない」


「ですよね」


「まあ、お菓子ならこっちの世界にもあるしどういうものかは理解してるわ。ひとつ食べてもいい?」


「ああ」


 圭太の了解をもらって、アリスティアが、チョコレートを口の中に入れる。しばし沈黙。もぐもぐと口を動かす。


「なるほどね」


 お茶を一口飲んで、深く頷くと圭太の手からもう一つチョコレートを取る。


「……おい」


「……ふむふむ」


 次々と消えていくチョコレート。思わず圭太は、残ったチョコレートをアリスティアが届かない場所に避難させた。


「あ、ちょっと何すんのよ、食べれないじゃない!」


「何が、ひとつだ、すごい勢いで無くなってくぞ」


「いいでしょ、別に! 何よ、これで足りるかしら!? 残り、全部渡しなさい!」


「何だ、これ全部宝石じゃねーかっ! こんなのとてもじゃないけど換金できんわ! お前の行動は極端すぎて、時々怖いんだよ!」


「うっさい! さっさと寄越す!」



 ◇◇◇◇◇◇



「では、次回から、チョコレートを準備しておくように。忘れたら、雲の上に召喚しなおすから」


「何でこんな事に」


 溜息をつく圭太をよそに、アリスティアは上機嫌である。ちなみに、チョコレートは休憩時のエルフ特製茶と交換ということになった。宝石と交換なんて条件では、下手すると圭太の町からチョコレートが消滅するかも知れない。


『アリスティアと交易すれば、ケイタは高額のお金を獲得できそうですが』


「面倒くさいから却下」


 と言うか、何かの拍子にクレーマーにでもなったらと思うと、死の予感しかしない圭太であった。


「あー、思いがけずにチョコレートで盛り上がったけど、お前忘れてないか?」


「ん? 何を?」


「迷宮の説明! 肝心なところで中断してただろ!」


「ああ、ああ、そうね、そうそう。説明するわよ、もちろん」


 こいつ絶対忘れてたな、とジト目な圭太。


「では、続きを始めるわ」

 

 アリスティアの声が、静かになった階段に流れていく。


「迷宮ってね、古代魔法文明時代以外には存在してないの。『大崩壊』以降の時代では、少なくとも迷宮を作れるほどの魔法使いは出てきてない。一番大きな理由としては、迷宮を作る『必要性がない』って事だと思うんだけど」


「必要性?」


「迷路作って、魔物を設置して、宝箱設置して。何の利点があるのかしら?」


「え、ダンジョンポイントのため……なわけないよな、はいはい」


「ケイタの反応からすると、迷宮が存在するためにって感じよね、それ。最初に、迷宮ありき、な。迷宮を守るため。迷宮を維持するため。こちらの世界では、そういうのは無くって、逆なのよ。『何のために』迷宮を作るか、なの」


「大事な物を守るため、しか無いよな」


「そう、迷宮は宝物庫だった。古代魔法文明当時で、宝物とされていた何かが迷宮のどこかに存在する。『大崩壊』以降に作られなかった理由は簡単。作れなかったし、作る意味もなかった。宝物を守りたければ、普通に宝物庫を作ればいいんだもの。そっちのほうが、手間もお金もかからないわ」


 けれど、とアリスティアは続ける。


「古代魔法文明時代には、迷宮が作られた。製作者は、迷宮の建造を《魔法》に頼って。それも、何故か『制御できない』という欠陥がありながら、ね。さて、ここで問題です」


 最後のチョコレートを口の中に放り込んで幸せそうに味わうと、アリスティアは人差し指をくるっと回して圭太を見つめた。


「それは何故でしょう?」

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