20.クチナシ

しゅは確かに、誰かのピアノの合間に仰った。

梔子くちなしは好きだスか?」

「はい!」

梔子はアカネ科の強健な低木。“小城”の庭を白の天鵞絨と緑の艶で埋め尽くし、馥郁たる甘い香りは“貴族”の誰をも虜にしてきた。

そして、主の両肩を飾る花。

もちろん僕も好きなので、元気よく返答しました。

「なら香り付けはソレにするだス、あとは…」

主は紅茶と菓子をほっぽって、手にした紙と睨み合った。

何度も推敲された紙を眺めてはその上から書き足していく。

主は文官で料理長で、とても楽しそうにしていたから、てっきりデセールのレシピだと思っていたのです。

「まさか、毒薬のレシピだったなんて…」

“小城”が本格的に“ネズミ”に侵略されているという時に、主は亡くなった。

主は亡くなる前に自分が持っていた全てを燃やされた。僕も手伝ったのでよく知っています…遺されたのは僕の片耳に付いているピアスと、書斎の机にただ1つ立つ、海色のガラス瓶。

「“火の鳥たる自分に効くなら皆にも効くだろう。揮発性なら尚良い。”…」

主はいつも退屈そうにしていらした。見た目はともかく“神童”という言葉をそのまま形にした様な方だった。誰よりも文官の仕事を優雅にこなし、“暇潰しに”神官と武官の領域に手を出した。これは前者の技術による結晶…

誰よりも美しく、密やかな死を与える優美な毒薬。

「“死人に梔子。全ての貴族と鼠共に、閑麗なる死を。”」

そしてこの書き置きは、主の遺した僕への餞。

「“小城”で一番風が通るのは…広間?」

僕は主の遺品を手に部屋を去った。

「誰とも知れぬ者が我々を狩っている…

 “黒い太陽に照らされし者は生きて帰れない”だなんて、

 一度見てみたかっただス。」

“皇帝”が死に、末裔がその混乱を抑えられなかった結果生まれた今は“貴族”も“ネズミ”も有ったものではない。いずれ皆死ぬのだろう。

ならばせめて、安らかな眠りを。

「アズリアード、それはなにかしら?」

「我が主最期の一手に御座います。」

玉座まで攻めてきた“ネズミ”に応戦する“皇后”と合流した瞬間、僕は瓶の蓋を開けた。

蓋を開け放った途端、梔子の甘い香りが広がる。

「な、なんだ、痛…眠…い…」

「あの男…!なん、て、こ、と…」

植物・動物・無機物・現象エレメンタルの区別なく、この場に居る全ての者達が地に伏す。

「主よ、此の名前は“夢から醒めた愚者”ですか…?」

それは僕も例外ではない。

安らかな眠りに呑まれる前、主の高笑いを聞いた気がした。

-------

今年、我が家のキンモクセイからクチナシが生えてきてビックリ。どうやら山に自生する強さを買われ、キンモクセイの台木に用いられていた様です。

香りと天然色素を求める方、育ててみては如何でしょうか?

-------

CAST

・“料理長”ユーリシーズ

・アズリアード

・“皇后”ユーリア

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

短編集「錦上添花」其の一 アルトシエル〈Artciel〉 @Artciel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ