愛と涙
「と、愛斗くんは言っているけど」
「え、そんな…。私が何から何まで悪いんです」
茜は首を横に振りながら否定し、自分の罪を主張する。
しかし愛斗は、茜の否定を否定する。
「いや、違いますね。あなたが悪いわけじゃない。茜さんはずっと僕のことを気にかけてくれていました。困らせてるとか冷たくしたとか思っているなら…」
「なら?」
さっきからずっと遠慮のない須崎が、愛斗が言いかけていることを問う。
「思っているなら、馬鹿ですよ。馬鹿」
一瞬愛斗の言ったことに茜は戸惑った。だが、茜には自分の主張を曲げるつもりはない。
「なんでよ?そうに決まってるでしょ?馬鹿でも何でもいい。愛斗に罪はないし、その罪は全部私のものなんだから…」
「僕にだってありますよ、罪。茜さんも気づいてるはずです。僕はあなたに伝えるべきこと、あなたが聞きたいことをちゃんと伝えずに逃げてました」
茜は愛斗から「好き」という言葉を、ずっと聞きたがっている。それに対して愛斗は、「好きになりたい」と言ってきた。
その曖昧な言葉は愛斗が知らず知らずのうちに、茜を苦しめていたのかもしれない。愛斗があらゆる苦悶に悩んでいる間にも、同様に茜も悩んでいたのだ。その、愛斗が茜によく言っていたことが、苦しみが、茜の中で爆弾となって爆発したのだとしたら、愛斗のせいではないとは言えない。
「それは…」
「やっぱりそうですよね?あなたは僕にだって不満を…」
「やめてもう!違うのに…」
茜に、愛斗からの否定を受け止めきれる器はもう残っていない。茜の器はもうすでにひび割れている。何も受け止めたくない、受け止められない。感情の枯渇。今にも茜から、何かがあふれ出てきそうだ。
「先生、もう…」
その姿を見かねた愛斗の母は、先生にカウンセリングを止めるように促す。
「そうですね。やめときましょうか」
苦痛の時間が終わると知っても、茜の顔から怯えは消えなかった。
「愛斗くん。とりあえず今日は入院して、明日の朝、また様子を見ようか」
女の子を1人泣かせたとは思えない切り替えの早さだった。愛斗は信頼していた人間を、人間なのかとすら疑うようになっていた。
「はい、ありがとうございました」
「じゃあ、また」
須崎は何事も無かったかのように平然と病室から出て行った。
「大丈夫?茜ちゃん」
七奈は須崎とは対照的に、ナースとして茜を慰める。
七奈と須崎。まるで天使と悪魔だ。
須崎が去ってから数分経った。その間、誰もしゃべることなくただ時間だけが過ぎていった。
「…はぁ。ありがとうございます」
徐々に落ち着いてきた茜が、静寂を割り、ずっと寄り添ってくれていた七奈に感謝を伝えた。
「じゃあ美咲ちゃん、私たちは行こうか」
病室が平穏を取り戻したので、母は美咲に帰宅を提案した。
美咲は名残惜しそうに義兄の顔を見てから、細い声で、「…うん」と返事した。
「お母さん、美咲。本当に心配かけてごめん」
「ううん、無事でよかったわよ。ね、美咲ちゃん?」
「うん、よかった。本当に…」
そう言いながら美咲は愛斗に近づいていく。
しかし、何かを思ったのか、美咲は静かに元の位置、自分の椅子に座って、ちらりと茜を見た。
茜は、好きな人の義妹がしようとしたこと、そしてその心の中に秘めていることを察した。
「私なんかに気を遣わないでいいのよ。愛斗は私のものじゃないし」
その茜の言葉を聞いた瞬間、美咲は愛斗に抱きついた。
「お兄ちゃん…。何かあったら美咲にも相談してね。美咲もお兄ちゃんの話聞くようにする。だからもうこんなになるまで1人で抱え込まないで」
愛斗は美咲の温もりを感じながら改めて、生きているということ、人の繋がり、温かさも感じた。それは理由もなく、涙となって愛斗の目からこぼれた。理由も意味も必要ない。これが自然なのだ。
プルルルル
母のバッグから電話の呼び出し音が鳴り始めた。
「あ、お父さんから電話。じゃあ、私はこのまま帰るわね。美咲ちゃんも後から来てね」
美咲は愛斗から離れ、母に返事した。
扉を開けながら母は言った。
「じゃあね、愛斗。お大事に、おやすみなさい。茜ちゃんもありがとう」
「いいえ、ご迷惑かけてすみませんでした」
「そんなこと誰も思ってないわ。あなたも体調には気を付けてね」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあね」
「うん、ありがとうお母さん」
母は扉を閉め、その向こうで父からの電話を取り、病室から離れていった。
病室に残されたのは愛斗と美咲と茜。
だけではなかった。
誰から何を話そうか、なんとなくそんな気まずい雰囲気になっていたところに、勢いよく扉を開けて入ってきたのは、未原芽衣だった。
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