第34話「最後の真実」
絶体絶命という言葉が、脳裏の片隅に浮かび上がる。
それはあっという間に、思考を支配して精神を
僕は今、最悪の状況下で
ただでさえ小柄で
「さあ、
勝ち誇った愁の笑顔に、震えが止まらない。
歯の根が合わずにガチガチと鳴って、悪寒が背筋を這い上がる。
絶望に負けそうになる心を、僕は自分で必死に支えた。
そんな時、愁の向こうで……一人の少女が立ち上がった。
少女というよりは幼女に見える、モノクロームのゴシックロリータを着た姉だ。
「
必死で叫んだ。
その声を追って、ゆっくりと愁が振り返る。
そこには、先程まで妹たちを抱いてへたりこんでいた翠子姉様が立っている。
真っ直ぐ愁を見詰める瞳には、初めて見る感情が渦巻いていた。
それは、純然たる怒り。
姉様は厳しい人で、僕も姉たちも必要な時は容赦なく
「……愁。随分と好きにやってくれたわね」
「おやおや、お前は……まったく、高定のお
いけない、今度は翠子姉様を襲うつもりだ。
でも、僕が伸べる手は虚しく空気を
そして、姉様は動かず黙って立っている。
その桜色の
「愁、覚えていて? 貴方……人にあるまじき非道の行いで、一人の女性の幸せを奪ったことを」
「いいえ、ちっとも! まあ、私はあの高定に唯一並び立てる人間。人ではない高みにいるも同然ですから」
「そう……どこまでも人でなしなのね。いいわ、思い出して
そう言って、翠子姉様は視線を外す。
そして、涼やかな目元を
どこか慈愛に満ちて、深い情愛に澄んだ
一番上の姉、翠子姉様は普通の女の子だ。
二十歳の大学生だが、小学生にしか見えない一般人なんだ。
拳を振り上げる愁を前に、なんの力も持たない。
けど、彼女の言葉は
「愁、貴方はあの人の……高定の大切な娘たちを傷付けた。のみならず……私の息子たちも!」
「……なに? いったい、なにを……お前は」
「私の顔をよく御覧なさいな。忘れたとは言わせなくてよ? たとえ
「――ッッッッッ! ま、まさか、お前はっ! いや、馬鹿な……しかし!」
愁の動きが止まった。
その背中で盛り上がった筋肉が、震えている。
そして、僕さえも
「私は
「で、では……おっ、お前は!」
「そうよ! あの夜……貴方が暴力で捻じ伏せ犯した、高定の妻! それが私!」
ただの小さな女の子が、言葉だけで愁を止めていた。
直視できぬ辛い光景から、僕は目を
逸らすことはできない。
今、最後の姉が必死で時間を稼いでいる。
そしてその人は……僕と
その真実には、
ほんの一瞬、それは彼の良心が皆無であるかのように短い刹那だった。
「……なるほど、思い出しましたよ。ええ、思い出しましたとも。高定のような至高の存在が、どうしてただの人間の女ごときを。そう思ったら、知りたくなりましてねえ」
「泣いても叫んでも、貴方は容赦なく私を
「ええ、それはもう……ええ、ええ! 思い出しましたとも!」
愁は身をのけぞらせて、
「高定は人間を、人類を研究のテーマにしていました! だから、実際に人類をまず作ってみたかった……最もポピュラーで、古びた悪しき本能による生殖でねえ!」
「……私は、あの時、壊れてしまった。貴方に破壊されてしまった。それでも……千奈と
愁の凶行は、僕の母である翡美子を永らく
そう確かに、姉様は言った。
姉様にして母さんは、血を吐くような独白を続ける。
母さんは、身も心も汚され、徐々に人格を
しかも、愁の子を
どれほど辛かっただろうか。
「あの人は……高定は、去り際に言ってましてよ? やはり子供たちには……人には親が、できれば母親が必要だと」
「それでお前は、そんな貧相なナリになったというのか!」
「ドイツにあの人の古い友人が……いいえ、あの人を想ってくれた人がいた。私の人格と記憶はバックアップとして膨大なデータになって、遠く欧州でこの肉体に収められた」
「ハッ! 無駄なことを! 高定ほどの人物でも、くだらない研究を残してしまった!」
違う。
それは違う!
僕には父さんの記憶はおぼろげだし、母さんのこともよく知らない。
けど、翠子姉様のことなら誰よりも知ってるし、もっと知りたいことがある。
だから、姉の全てが姉じゃなくても……家族という未来は守りたい。
そう思ったら、最後の力が僕を奮い立たせる。
「愁っ! ……これで最後だ。このまま黙っていなくなれ! 姉様は……母さんは、多分、絶対、恐らく、確実に……それでもいいと思ってる! 消えてくれ!」
立っているのもやっとで、叫べば
鉄の味が口いっぱいに広がって、それでも僕は声を張り上げた。
「愁……お前が
「……孤独」
「は? いや、父さんには母さんが! それに、
「わらかないんですねえ、本当に! 孤高ゆえの孤独! 天才にして超人
最終警告の時間が終わった。
あっという間で、その先に交渉の余地はない。
そう確信したから、僕はポケットへと手を突っ込んだ。
そして、口に出さずとも伝わる想いに、ありったけの意思を込めて拡散する。違法電波状態で垂れ流されている僕の思考が、あっという間に愁に届いた。
翠子姉様を手に掛けようとし止まり、咄嗟にこちらへ向き直る。
「馬鹿な……やめろおおおおお! 自分がなにをしているか、わかっているのか! あ、いえ、わかっているんですか! 高定、新しい肉体に生まれ直したなら、その価値は」
「さあ? 知らないね。知らないし、いらない。こんなもの、もう欲しくもない!」
僕の手には、父の遺産があった。
正体不明のオーバーテクノロジーが詰まった、それ自体がオーパーツのようなスマートフォンだ。それを僕はかざして、そして手を離す。
すぐに愁が地を蹴ったが、僕に迷いはない。
もっと早く、こうするべきだった。
災いの元凶はこのスマートフォンと……僕自身なのだから。
「やめろおおおおおお!」
愁の絶叫を無視し、僕は地に落ちたスマートフォンを踏み潰した。
ありったけの力を込めて、木っ端微塵に踏みにじったのだ。
僕のこの身体の異変も、もう治せない。特効薬があるような、そんな感じのデータを見たが、まだ詳細を読んではいなかった。ヒゲも剃れればお湯も沸かせる、これ一つで人類の進歩は一気に数世紀早まるかもしおれない……そんな
「あ、ああ……なんて、ことを……それは、それが……ああ! ああああっ!」
頭を抱えて愁が崩れ落ちる。
あらん限りの声を張り上げ、
「お前は、お前はあ! なにをしたかわかっているのか! ……お前は、高定じゃないな!
「最初から言ってるだろ、愁。僕は、麟児。高定と翡美子の息子、御暁麟児だ!」
身を声に叫んだ。
けど、それで僕の最後の力が薄れてしまう。
懸命に意識を保って、それでも自分の脚で立っていた。
だけどね、僕には……僕にはやっぱり、頼りになる姉がいたんだ。
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