第31話「いざ、決戦の舞台へ」

 とりあえず僕は、季央キオねえからもらった缶コーヒーを飲んだ。

 そうして、ぼんやりスマートフォンをいじりながら庭を眺める。こういう時は、焦ってもいい考えは浮かばない。それは経験則だが、それをわかるこそさらなる焦りに襲われる。

 僕は平常心を自分に言い聞かせつつ。情報を整理していた。

 スマートフォンの中に奇妙な論文を見つけたのは、そんな時だった。


「あれ……え? こ、これって……」


 すでに念話テレパシーに挑戦してみて、失敗した。超能力関係はとりあえずまた今度と思ったけど、意外なところに意外な情報が載っていた。

 父のスマートフォンに保存されたデータは、雑多で酷く散らかった印象がある。

 だから、ざっくばらんにまとめられた中に、全然関係ないものが紛れ込んでいるのだ。

 僕が見つけたのは、事件の発端ほったんとも言える異変について、そして――


「な、治る、のかな? これ……えっ、こういう薬を? そっか……!」


 僕は慌てて、スマートフォンを片手に部屋へと引き返した。

 多分まだ、姉たちは五人部屋にいるはず……華凛カリン姉さんや楓夜フウヤお姉ちゃんも戻ってるかもしれない。

 いいニュースだと思ったから、すぐに知らせたかった。

 ノックして、返事を待たずに引き戸を開く。

 思った通り、姉たちは勢揃いしていた。


「姉様、姉貴、姉さんにお姉ちゃん! あと、季央ねえ! ……あれ? ど、どうしたの」


 想像していたのとは、少し違った光景が広がっていた。

 姉たちの他に、何人かの仲居なかいさんがいる。

 しかも、その顔ぶれは一様に不安そうな表情を浮かべていた。

 僕がなにか言おうとして、口を開いたその時。

 僕の前まで来た翠子スイコ姉様が、間近に見上げて微笑ほほえんだ。


「そう、麟児……その体質、というか、突然の身体の変化。治す方法、見つかったのね?」

「え? あ、いや、そうだけど」

「でも、ごめんなさい。今はそれどころじゃなくてよ」

「……まさか」


 少し違和感を感じたが、姉様が真剣な表情になるとすぐに忘れてしまう。

 そして、それは僕たちが一番危惧していた最悪の状況を意味していたい。

 そのままの意味の言葉が、簡潔に語られる。


「おか……お祖母ばあ様がシュウにさらわれたかもしれないわ」

「えっ!? だ、だってさっき」

「さっき? なにかしら、麟児リンジ

「いや、さっき……女将おかみさんは、零号ゼロごうと」

「零号? あの、小さい女性タイプのカーボノイドの?」


 そうだ、あまりにも穏やかな光景だから失念していた。

 本当ならもっと、警戒すべき存在……いわば敵なのだ。

 ただ、それを忘れるほどに、先程の零号はおとなしかったし、刺々とげとげしい害意を感じなかった。この間、楓夜お姉ちゃんがコテンパンにしたのもあって、油断したかもしれない。

 そう、どんなに女将の優しさが包んでても、あれはカーボノイドだ。

 持ち主である愁の命令で、僕たちを攻撃するための道具なんだ。

 ……でも、そんな考え方はちょっとはばかられるし、はっきり言うと好きじゃない。

 それに、それにだ。


「……あのカーボノイドは、零号は……以前、僕の名前を呼んだんだ」

「あっ、それってこないだのぉ……わたしが学校、滅茶苦茶にしちゃった時だよねえ」


 楓夜お姉ちゃんがもじもじと、何故なぜか照れたような笑いを浮かべている。

 いやいや、誰も褒めてないし、誇るようなことでもない。

 でも、姉の中のドラゴンの血が、あの戦いに勝利を感じているのかも。

 そんなことを考えていても、今はしかたがない。

 仲居さんたちも口々に、女将の不在がありえないと話し出した。


「女将がこんな時間に翡翠荘ひすいそうを不在にするって、ありえないんですよ」

「そうそう、ひまそうに見えて仕事にはうるさい人ですから」

「自分の仕事は自分の時間でやって、忙しい時間帯は誰のフォローにも回れるように……まあ、悪く言えばそのへんをうろうろしてる? お客様と話したりとか」

「子供の相手とかしてたりするよね。意外と子供好きで」


 間違いない、やはり女将は零号の手で連れ去られたのだ。

 状況証拠だけだが、その全てが同じ方向を示唆しさしている。そして、それすらも愁の計画だったのかもしれない。面倒な病気の子だと零号を紹介し、一人にして出掛ける。女将が構うことを計算してのことだったら、なんて狡猾こうかつなんだろうか。

 でも、やはりなにか奇妙だ。

 どうして、零号はおとなしく女将と散歩を?

 回りくどいし、即座にさらうことが可能だったはずだ。


「と、とにかく! 僕たちで探してみます。仲居さんたちはもう一度館内を」

「は、はいっ」

「すみません、お孫さんにこんな……よろしくお願いします」


 僕は姉たちを引き連れ、部屋を出た。

 冗談じゃない、あの時やっぱり引き止めておけばよかった。

 穏やかな空気にほだされたことを、今は後悔しつつ走る。

 けど、そんな僕を二人の姉が左右から追い越してゆく。


「がってんだじぇ! あたしちゃんが楓夜っちと一緒に先行する!」


 いや、僕はまだなにも……けど、これが以心伝心いしんでんしんってやつかな?

 華凛姉さんの言葉に、楓夜お姉ちゃんが続く。


「多分、山の方にある湖だと思うのぉ。だってほらぁ、夜に星を見るならそこだって女将さんも言ってたしぃ」

「まだまだ日は高いッスけど、人質を盾に先回り……罠の臭いがプンプンするじゃん!」

「そういう訳でぇ、道案内に翠子ちゃんを借りていきまぁす」


 やる気まんまんの華凛姉さんと、小さな翠子姉様を小脇に抱えた楓夜お姉ちゃん。ものすっごいみなぎってる……二人共、かなり腹にえかねてるらしい。

 そう、とうとう家族以外に被害が広がろうとしている。

 いや、家族だ……僕は今日、初めて知った。祖母がいたことを。その人は厳しくて優しくて、そして溌剌はつらつとしてて活力に満ちている。僕たちの訪問に驚きはしても、嫌だと拒むことはなかった。

 絶対に助けたい。

 これからもっと家族でいたいから、迎える前から失ってたまるか!


「じゃあ、姉さん! お姉ちゃんも! 先に湖の方へ……うっ!」


 翡翠荘を出ると、そこはもう別世界のようだった。

 先ほどと変わらず、帰路につく太陽はまだ高い。高地特有の乾いた熱気は、風も涼しげで不快なものではなかった。

 だが、強烈な敵意に肌が粟立あわだつ。

 僕たちの前、開けた駐車場の中心に小さな人影があった。

 殺気はそこから放たれ、僕たちを串刺くしざしにしている。


「カーボノイド……零号」


 そう、先程まで女将と一緒にいた零号だ。

 それも、いつもの見知った緊張感を発散している。

 まるで、女将と散歩していたあの時が夢や幻のようだ。

 これが彼女の本性。

 愁の命令で、触れる全てを破壊する暴力の権化ごんげ

 ……でも、本当にそうだろうか。


「やっべー、まじやば! なにあれ……こっちを超にらんでるんですけど」

「う、うんっ。フードの奥から……視線が」

「……とりあえず一度降ろして頂戴ちょうだい、楓夜」


 流石さすがの翠子姉様も、尋常じゃない雰囲気に息を飲む。

 けど、僕は零号から目を逸らさずに叫んだ。


「翠子姉様、華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんを連れて行って! ここは僕が!」


 同時に、千奈チナの姉貴が僕の前に出る。

 自然と彼女が、僕をそっと手で制して守ってくれた。僕、父さんのちょっとしたデッドコピー程度には強いんだけどな。逆に千奈の姉貴は、せいぜいアスリート止まりの身体能力、人間の域を出ない。

 でも、必死に僕を守ろうとしてくれる。

 その優しさが背中から伝わった。

 そして、僕には姉がもう一人。


「ここは僕が、かあ。男の子だねっ、麟児クン! でも、ここは『!』だよっ」


 季央ねえが颯爽さっそうと歩み出る。

 同時に、零号は全身を覆っていたマントを脱ぎ捨てた。

 あらわになる漆黒の肢体は、カーボン特有の鈍い光沢をつやめかせている。

 対して季央ねえも、手首に装着した携帯端末を操作した。


「――Getゲット Setセット! E.R.O.イーアールオースーツ! 改め……」

Systemシステム Standbyスタンバイ……Readyレディ!』

「改良型っ、その名も! E.R.O.スーツ・カスタム! またの名を……は、いっか。とりあえず!」


 そのまんまのネーミングだ。

 でも、確か季央ねえのE.R.O.スーツ……Emotionalエモーショナル Rageレイジ Overedオーバード Suitスーツはプロトタイプだと愁が言っていた。

 自称天才少女、季央ねえが自分で改良した光が迸る。

 着衣が霧散し、眩しい輝きの中で裸体がポーズを取る。……それ、必要かな。でもまあ、E.R.O.スーツは人間の感情をエネルギーに変える、一種の戦闘服である。そして、次第に視界が元に戻ると、以前とは違う季央ねえの姿が浮かび上がった。


「さあ、行くよ! ボクの麟児クンと家族に手を出す奴は、ふふ……オシオキだぞ?」


 いつになく余裕の、季央ねえ。

 そして、ふわりとスカートが棚引たなびく。凄く丈が短くて、普通にぱんつが丸見えのやつだ。そう、全身をぴっちり覆う、裸同然のシルエットじゃない。新しいE.R.O.スーツは、肌の露出が増えた分、明らかに以前より服としての可憐かれんさを備えていた。

 そこには、まるでドレスのように戦衣を翻す季央ねえが構えている。

 よくアニメとかで、魔法少女が着てるようなやつだった。

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