第28話「まさかの現実が冗談じゃない!?」

 僕たちは、温泉旅館に遊びに来た訳じゃない。

 それは多分、発案した翠子スイコ姉様が一番よくわかってる筈。

 だから、すぐに僕たちは作戦会議をすることにした。こうしている間も、華凛カリン姉さんと楓夜フウヤお姉ちゃんが動いてくれている。山の中なら被害も少ないし、この翡翠荘ひすいそうを守ることだけに注意すればいい筈だ。

 でも、その、僕は……今、率直に言って困っていた。


「なにをしているのかしら、麟児リンジ。早くこっちにいらっしゃいな」


 いや、翠子姉様……その、ここ、この場所って。

 

 何故なぜ、どうして……混浴なんですか!?

 僕と、あと一応千奈チナの姉貴は男なんですけど。

 季央キオねえもなにか言ってあげて、って……?


「わあ、凄い! ねえねえ、麟児クン! これが露天風呂? 本当に外にお風呂作っちゃうんだ! 日本人って凄い! なに考えてるか、全然わかんない!」


 うわ、はしゃいじゃってる。

 僕たちは今、何故か何故だか露天風呂にいた。

 身につけているのは、タオル以外ない。

 つまり、裸と裸のスキンシップだ。

 どうしてなのかと、思わず僕は尋ねる。

 だが、翠子姉様は有無を言わさず手招きして、僕を洗い場の椅子に座らせた。


「こうして麟児とお風呂に入るのは久しぶりね。さ、洗ってあげるわ」

「い、いいよ、姉様……その、ちょっと恥ずかしいし」

「そういうことを言うものではなくてよ? さ、観念なさい」

「……はい」


 いい年をして、僕は翠子姉様に髪を洗ってもらう。

 僕の頭でシャンプーを泡立てながら、姉様は静かに語り出した。


「露天風呂というのは、これはある意味で密室性が高いわ。まず、翡翠荘の人たちに話を聞かれることがなくてよ」

「ああ、そういう意味が」

「それと、たまには家族でお風呂に入るべきだわ。そうじゃなくて?」

「それは、微妙です」


 目の前の鏡には、僕と一緒に背後の翠子姉様が映っている。

 小さな小さな翠子姉様は、まっ平らな胸をタオルで覆って、一生懸命僕の髪を洗ってくれていた。この手触り、息遣い、なんだかとってもなつかしい気がする。


「麟児、安心なさい。翡翠荘は巻き込まない……これは前提条件でしてよ」

「う、うん」

「翡翠荘では、昼間の露天風呂は家族風呂として解放しているの。予約をすれば、一時間貸し切りで入ることができるわ」

「なるほど、それで密室、か」

「このサービスが評判で、沢山の家族連れが訪れるの。他にもお蕎麦そばが絶品で、一緒に出る天ぷらは、お……お、お、女将が自分で揚げてましてよ」


 なんだなんだ、妙に詳しいな。

 しかも、こんなにお喋りな翠子姉様も珍しい。


「周囲を散歩すれば、少し歩いたところに小さな湖もあるし、この辺りの大自然はとても綺麗なの。そうね、だからそう……麟児はあとで私と散歩に出るべきなのだわ」

「ア、ハイ」

「夜は晴れてれば星が沢山見えるし、それにくまも出るわ。熊よ、熊」

「熊はいいです……っていうか、詳しいんだね、翠子姉様」


 一瞬、姉様の手が止まった。

 それは一秒にも満たぬ瞬間で、すぐにシャンプーが再開される。


「ネ、ネットで調べましてよ」

「ああ、なるほど。それより本題に」


 チラリと横を見ると、どうも打ち合わせの雰囲気じゃないみたいだ。

 季央ねえは千奈の姉貴と一緒に、やっぱり同じく髪を洗いながらキャッキャウフフと女子トークだ。完全にもう、千奈の姉貴を女子として認識している季央ねえがいた。


「ねね、千奈。お肌、つるつるだよね? なにか特別なお手入れとかしてるの? サプリとか?」

「いや? 別になにも。ただ、家の食事は栄養バランスがいいし、規則正しい生活と適度な運動だけだよ。季央は?」

「ボクはね、ちょっと甘いものを食べ過ぎるとすぐに太っちゃう」

「えー、それはまた……嫌味だ、なっ! こんなに細いのに!」

「ちょっと、もぉ! やめてよ千奈ー! 手付き、やらしいぞっ」


 うわあ、なんか……この世の楽園かな? 桃源郷とうげんきょうとかシャングリラとかかな?

 そんなことを思ってると、上からおけのお湯が降ってきた。

 丁寧ていねいにシャンプーの泡を拭って、何度かそれが続く。

 昔から翠子姉様は、僕の世話を焼いてばかりだった。自分の時間を使ってるのをあまり見たことがないし、趣味らしい趣味ももたず、家を守ってくれてたっけ。

 その翠子姉様が、今度は背中を流し始めた。

 そして、ようやく本題が切り出される。


「麟児、千奈も季央も。そのままでいいから、聞いて頂戴ちょうだい


 化粧品の話で盛り上がってた季央ねえと千奈の姉貴も、瞬時に真剣な表情になる。

 ここでは家族四人きりだし、貸し切りだから誰かに聞かれる心配もない。

 そうだ、僕たちは……あの愁と決着をつけるために来たんだ。


「今、華凛と楓夜が外を見て回ってくれてるわ。決戦は近くてよ」

「それだけどさ、翠子」

「なにかしら、季央」

シュウの奴、来るかな……?」

「来るわ、必ず。あの男は、へびのような執念を持つ男。あの人への……父、高定タカサダへの執着は既に異常なレベルだったもの」


 科学者にして超人、今は亡き父の御暁高定ゴギョウタカサダ

 その死は、巨大な時限爆弾を遺した。それが例のオーバーテクノロジーのかたまり、古いスマートフォンであり……父への歪んだ愛情を拗らせた四京寺愁シキョウジシュウだ。

 愁は父の遺産を狙っている。

 そして、僕を父の生まれ変わりだと勘違いしている。

 父はあらゆる面で万能の人だったみたいだけど、特に研究熱心だったのが人類に対してた。その理解のためと、人類の発展のために、アーキテクトヒューマンやカーボノイド、そして華凛姉さんみたいなロボットまで様々な作品を遺している。


「愁も馬鹿じゃないもの、正面切っては突っ込んでこないわ。それを利用し、愁が狙いやすい状況を作る。夜、全員で、そうね……湖の方へ星でも眺めに行きましょう」

「戦える場所におびき出すんだね!」

「正解よ、季央。……望む戦いではないけれど、降りかかる火の粉を払うのはやぶさかではないわ。私の家族に、私たち家族に手を出したこと、後悔させてやりますわ」


 珍しく、翠子姉様は怒っている。

 小さな幼女の姿から、そのいきどおりが見えないオーラとなってほとばしってる気がした。

 そして、姉様の言葉尻を姉貴が拾った。


「そうだね、翠子。私は戦いじゃ足手まといだけど、麟児は絶対に守ってみせる」

「そうよ、千奈。貴女が麟児を守って頂戴。そして、愁への攻撃は」


 待ってましたとばかりに季央ねえが立ち上がった。豊満な胸を張って、腰に手を当て身を反らす。いやいやちょっとちょっと、いいから座っててくださいよ。


「それはボクたちに任せて! 華凛や楓夜もいてくれるし、ボクだってやられっぱなしじゃないぞ? E.R.O.イーアールオースーツも少し改良したし、次は絶対にやっつけてやるんだ」

「お願いね、季央」

「うんっ! 姉仲間として、絶対に頑張るよ。だって……ボクにとっても新しい家族だから」

「姉仲間、ではなくてよ? ……姉妹しまいですわ」

「うん……うんっ!」


 そうして僕たちは、身体を洗いながら細かた手順を確認した。

 すっかり身体の汗を流して、さてと立ち上がったが……不意に目の前の翠子姉様がタオルを脱ぎ捨てる。

 起伏も体毛も全くない、真っ白な裸体があらわになった。


「ちょ、ちょっと! 翠子姉様!」

「あら麟児、これは共同浴場のマナーでしてよ? タオルを浴槽よくそうにつけてはいけないわ」

「それは、そのぉ……僕も?」

「当然」


 そうこうしていると、千奈の姉貴も季央ねえもタオルを取る。

 僕は即座に、三人の裸から目を逸した。

 まずい、しずまれ僕の血液! 集合禁止!

 だけどこう、三者三様にちょっとえっちだ。

 千奈の姉貴にいたっては、男だと知っててもドキドキしてしまう。

 必死で精神力を総動員している僕を、翠子姉様はきょとんと小首を傾げて見上げてきた。


「恥ずかしがることではなくてよ、麟児。家族同士であれば、問題ないわ」

「そうそう、麟児。大丈夫だよ、私も翠子も、多分季央も、理解ある方だから」

「麟児クンも温泉、入ろうよ! 早く早く!」


 囲まないで、見詰めないで……いたたまれない。

 だが、そんな空気を突然、騒がしい声が引き裂いた。

 このよく響くハイトーンな声音は――


「ちょおおおおっと、待ったあ! あたしちゃんの目が黒いうちは、どすけべラブラブ近親相姦きんしんそうかん~湯けむり初体験でウッフーン!~は許さないじぇ!」


 眼鏡めがねくもらせながら、華凛姉さんが入り口に仁王立におうだちしていた。まだ服を着ている……あ、いや、残念って意味じゃなくて。姉さんならいつものノリで、真っ先に脱いで飛び込んできそうなのに。


「翠子っちも、みんなも! 大変、やべーって! 危険が危ないんだってばよ! 早く来て! ……って、なに脱いどるか、おんどれーい!」

「あいたぁ……華凛ちゃんが叩いたぁ。わたしも、麒児ちゃんと一緒にお風呂したぁい」

「楓夜っち、そういう場合じゃないっての! ドチャクソにやべーんだから!」


 なにかが起きた。

 あのスチャラカ能天気な華凛姉さんの焦り具合で、全てが理解できた。

 突然だけど、緊急事態が発生したらしい。

 そしてそれは、僕たちにとって一つしか心当たりがないのだった。

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