第27話「祖母の事情がわからない」

 翡翠荘ひすいそうは凄く古い建物で、流石さすが老舗旅館しにせりょかんというおもむきがある。でも、気取った堅苦しさはなくて、安らぎといこいに満ちている。

 僕はそんな穏やかな空気を感じつつ、部屋から庭を眺めていた。

 当然、姉たちとは別の部屋だ。

 一人部屋だ。

 千奈チナの姉貴も、あっちの部屋である。

 まあ、いいけどね。


「少し標高が高いからか、風が涼しいな」


 窓から身を乗り出せば、広がる庭には木々が枝葉をそよがせている。せみの声も聴こえるし、真夏の日差しは太陽の近さを感じるくらいだ。

 でも、遠く山から吹いてくる風が心地よい。

 枯山水かれさんすいとかには詳しくないけど、見事な庭である。

 そうこうしていると、仲居なかいさんがお茶を入れにやってきた。

 二部式の着物を着た若い女性で、その折り目正しい動作は一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが洗練されている。そして、僕に好奇心を向けるでもなく、静かに仕事をこなしていった。


「あの、少しいいですか? 女将おかみさんのことなんですけど」

「あら、お客さん。そういえばさっき……お孫さんなのでしょう?」

「ええ、そうらしいんです。どうも、初めて会ったのもの」

「なら、女将も初めてだったと思いますけどねえ? さ、お茶をどうぞ」


 急須きゅうすれた熱いお茶は、夏の盛りでもここで飲むと不思議に美味しい。やはり、部屋全体も冷房がないにも関わらず涼しいのだ。

 仲居さんは冷蔵庫の麦茶やテレビの説明をして、お辞儀と共に出ていった。

 非常にドライで、礼節をわきまえた見事な対応だと思う。

 下世話げせわ噂話うわさばなしにうつつを抜かす従業員は、まあ、いないわけだ。

 正直、凄く助かる。

 僕だって今、少し混乱してるから。


「まあ、それはそれとして……少し散歩がてら、周囲を見て回ろうかな。……大乱闘になったら、旅館の敷地じゃ戦えないもの」


 そう、僕たちはなにも遊びに来た訳じゃない。

 シュウとの決着をつけるのが目的の筈だ。

 改めて決意を誓っていると、入り口の引き戸にノックの音。


「どうぞ」

「お邪魔するよ、麟児リンジクン! ……あ、大丈夫みたい。ここも安全だね」


 現れたのは季央キオねえだ。

 浴衣姿で、手首の携帯端末を操作している。

 多分、盗聴器のたぐいを探してると思うんだけど……その、なんというか、あられもない姿でウロウロしないでほしい。

 季央ねえは浴衣ゆかたを着てるのだけど、ちょっと酷い。

 多分、華凛カリン姉さんあたりに適当に着せられたのかもしれないな。


「ちょっと、季央ねえ」

「ん? ああ、ボクたちの部屋もバッチリだよっ。あとで作戦会議しようよ、麟児クン」

「いや、そうじゃなくて……浴衣、なんだけどね」

「ああ、うん。……なんか、着崩れちゃったよ」


 季央ねえが華奢きゃしゃせてるからだと思う。

 出るトコ出てる、バイーンと出てるけど。

 着物って、あんまりウェストが細いと上手く着れないんだよね。オマケに両肩もあらわになってて、なんだが漫画やゲームに出てくる花魁おいらんみたいになってる。

 ちょっと、その、目のやり場に困る。

 でも、そでを手に持ちくるりと回って、なんだか季央ねえは楽しそうだ。


「ジャパニーズ・キモノ! いいよね、いいよねっ! ボク、前から着てみたかったんだ」

「浴衣はまあ、寝間着を兼ねた室内着だけどね。ああでも、縁日なんかにはまた違った浴衣があって」

「あ、それ見たことある! 花火とか見るやつだよね。オクトーバーフェストみたいな」

「いや、ビールをガブ飲みするお祭りじゃないけど、でも、だいたい合ってる」


 とりあえず、僕は季央ねえに向こうを向かせて、浴衣を直してやる。

 うーん、この見事な柳腰やなぎごしには、タオルかなんかを巻けば帯もシャンとなるかな。しかし、凄い体型……モデルさんみたいだ。

 因みに僕は、いわゆる男性特有のムラムラは特に感じないかな。

 姉だから。

 うん、姉……これは姉、姉のカラダ……じゃない、身体。

 僕は意外にむっつりだし、自制心が強いこともよくわかった。


「はい、いいよ。とりあえずあとで、翠子スイコ姉様に相談して。また多分、ずり落ちてきちゃうから」

「うんっ、ありがと!」


 満面の笑みを浮かべる季央ねえが眩しい。

 しかし、すぐに僕は肩越しに振り返る。

 視線が痛いというか……入るならノックしてほしいなあ。

 背後には華凛姉さんと楓夜フウヤお姉ちゃんが立っていた。いつの間に……しかも、姉さんの目は機械みたいにチカチカ光ってるし、お姉ちゃんの瞳は暗黒のブラックホールみたいになってる。

 いや、怖いからやめて。

 はいはい、離れます離れます、季央ねえから離れますから。

 と思った矢先に、これである。


「あ、そだ! 麟児クン、売店に行ってみようよ。華凛も楓夜も、一緒にいこ?」


 ごくごく自然に、季央ねえが僕の手を握って引っ張る。

 やめて、ロボット姉とドラゴン姉をこれ以上刺激しないで。

 でも、沸騰寸前のテンションでにじり寄る二人の姉の、その頭にポスポスとチョップが落とされた。ああよかった……僕もさり気なく季央ねえから手を離す。


「おーい、君たち。翠子が呼んでる。多分、今後のことを離すんじゃないかな。それと、お昼ごはんは旅館からお蕎麦そばが出るって。いいね、うすで引いた蕎麦粉の手打ち蕎麦だよ」


 千奈の姉貴も浴衣に着替えての登場だ。

 着物って、あまり体型が派手に出ないから凄く自然だ。もともと痩せてるけど、姉貴が本当に女の子に見える。改めて、綺麗だなと驚かされる。

 とりあえず、昼食前に軽く今後のことを話しておこうってことになった。

 けど、皆の関心はやっぱり女将……祖母の玉子タマコさんだ。


「千奈っちさあ、やっぱり女将さんがあたしちゃんたちのグランマなんかのう」

「ちょっと待ってぇ、華凛ちゃん……ロボ、だよね? ロボットだよね、華凛ちゃん?」

「いやでも、熱い血潮のスーパーロボットじゃん? だから、同じ血が流れてるかと思うと」

「オイルとかじゃなくてぇ? ……でも、お祖母ちゃんかあ……嬉しいなあ」

「そういう楓夜っちもさあ、もしかしたらそのお祖母ちゃんより年上かもじゃん?」

「わたしはタマゴの時間が長かっただけだもぉん!」


 はいはい、そのへんにしといてね。

 けど、ちょっと憂鬱ゆううつそうに千奈の姉貴が前髪を手でく。

 その横顔は、僕の視線に気付いて無理に微笑ほほえんだ。

 いつもの颯爽さっそうとした物言いも、僅かに影が差す。


「ん、なんかさ。私の父親は、愁は……女将さんの大切な娘さんを……つまり、麟児のお母さんを」

「それ、言いっこなしにしようよ、姉貴。千奈の姉貴が生まれてきたことと、そのことは関係はあっても同じ意味じゃない」

「そう、だね」

「僕はね、これでも怒ってるんだ……愁とのことは、さっさとケリをつけたい。もうすぐ夏休みだし、早く楽しい事ばかり考えて過ごしたいよ」


 学校での一悶着ひともんちゃく、というか、強いていうなら百悶着ひゃくもんちゃく? 大暴れしてくれちゃってさ、愁の奴……あと、楓夜お姉ちゃんも。しばらく休校かもしれないし、このまま夏休みに突入しちゃうかもしれない。

 僕だって来年は高校受験があるし、今年はそれなりに楽しみにしてたんだ。

 身体の異常が始まって、姉が次々と姉じゃなくなって……それでも僕には変わらぬ家族がいてくれる。とても大切で大事な、僕の家族だ。

 僕の言葉に、千奈の姉貴も静かに頷く。

 華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんも、左右から姉貴を挟んでひじでウリウリ突いて笑った。


「んじゃまあ、かわいい姉のためにひとっ飛びするスかねえ? この辺りの地形はスキャン済みなんでー、とりまパトロール? 空から軽くね、昼飯前の運動的な」

「じゃあ、わたしも結界を張っておくねぇ。それも、特別に強力なやつ。フフ、ウフフフフ……わたしと麟ちゃんの邪魔する人間は、排除しちゃわないとぉ……フフフフフ!」


 なんだかんだで、姉たちは仲がいい。

 翠子姉様との作戦会議を僕たちに丸投げして、二人の姉は出ていってしまった。

 こういう時、頼りになるなあ……戦闘能力がとかじゃなくて、気持ちがね。その想いは多分、ちゃんと千奈の姉貴にも届いてると思う。

 その証拠に、少し姉貴の表情が和らいだ。


「かなわないなあ、二人には。……私もなにかこう、特別な力があればよかったんだけど」

「あるよ? 千奈の姉貴だって特別だよ」


 うんうんと季央ねえも大きくうなずく。

 僕はさらに言葉を続けた。


「誰にもばれない完璧な女装と、文武両道の頭脳に体力」

「いやあ、それほどでも……あるよね。私も私で、みんなのためにできることってあると思う」


 それに、と季央ねえがガシリと僕の腕に抱き付いた。

 同時に、千奈の姉貴とも腕を組む。


「そうだぞ、千奈! ボクたちみんなで麟児クンを守ってさ。また、あの家に帰ろうよ。……その時、お祖母ちゃんとも仲良くなれてたらいいよね。うん! そうしようよ!」


 そうだ、その通りだ。

 そして、千奈の姉貴に頼む最初の仕事を思いついた。

 やっぱり脱げてくる、季央ねえの浴衣をなんとかしてもらおう。

 そんな訳で、僕たちは翠子姉様が待ってる隣の部屋へと移動することにした。

 けど、僕は予想だにしなかった。

 待ち受ける翠子姉様の口から、とんでもない提案が出てくることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る