第26話「はじめまして、そしてただいま?」

 幹線道路バイパスから山の方へと登り始めて、小一時間。

 周囲の景色を楽しんでいると、あっという間に目的地についた。

 この状況をシュウは、かならずどこかで見ているはずだ。そして、彼が欲する父さんの遺産は、スマートフォンという形で僕の手の中にある。

 だが、温泉への移動中は何故なぜか襲われることがなかった。

 宿に着いても、だ。


「ん、んーっ! ふう……麟児リンジクン、荷物持つよ」

「いや、大丈夫。女の子に重いもの持たせるのも、ね」

「ふふ、ボクのことを女の子って? それ、ホンキで言ってるのかな」

勿論もちろんさ。もっとも、男女を問わず姉は姉だよ」

「……姉として、かあ」


 車を降りた季央ねえを前に、僕は全員の荷物を両手に持って立つ。かなり重いんだろうけど、今の僕には関係ない。

 もやしみたいにヒョロヒョロのチビでも、謎の怪力があるからね。

 駐車場の車から、皆が宿へと歩き出す。すぐに出迎えの仲居なかいさんが駆け寄ってきて、僕は荷物を渡しつつ周囲を見渡した。

 なにかこう……違和感があるな。

 こういう時、もっとこう……あっ!

 そうか、わかった。

 家族旅行なのに落ち着かない、その理由を求めて僕は振り返る。

 フォルクスワーゲンのクラシカルなライトバンは、そのお尻がパカッと開いた。中から、ずるりとまるで軟体動物のように脱力した少女がまろび出る。


「もう駄目ッスー、マジで疲労パない……」


 姉の一人、三女の華凛カリン姉さんだ。

 なんかホカホカと湯気が出てる。この真夏の好天にさらされ、なんだかとても暑そうだ。

 僕は慌てて駆け寄り、身を屈める。

 アスファルトの上で姉さんは、仰向けに転がって叫んだ。


「あーもぉ! あたしちゃん、疲れたあー! エネルギー切れー!」

「お疲れ様、華凛姉さん」

「あーん、りんりー! 自称十万馬力のあたしちゃんでも、ギブアップじゃーん!」


 華凛姉さんはロボットだ。

 どう見ても人間にしか見えないから、この場合はアンドロイドって言うんだろうか。そして、僕たちが乗ってきた車ではエンジンを担当してくれる。

 人力車じんりきしゃならぬって訳だ。

 ぐったりした姉さんに手を伸べ、僕は思わず笑みを浮かべた。


「えっと……オトウトロン? だっけ? 補充、する?」


 そうだ、華凛姉さんがいなかったんだ。いつもいつでも、スマホで写真を撮りまくってはしゃぎまくる、元気で天真爛漫てんしんらんまんな姉さんがいない違和感……さっき感じたのはこれだ。

 僕の手をギュッと握って、眼鏡メガネの奥の瞳をキラキラさせる姉さん。


「ちょっともぉ、立てないかも……腰にキてるって感じぃ。だ・か・ら?」

「ん、わかった。じゃあ、抱えて行くしかないよね」

「抱っこ宣言キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! ハァハァ、さあ早く……早く、お姫様を助ける騎士様のよーにっ! 前半主役ロボを抱き上げる新型ロボのように、レディーゴーッ!」


 相変わらず言ってる意味がわからないけど、僕は振り返って背中を向ける。


「えぇー、おんぶー? ……ま、いっかあ! りんりー、やっさすぃー!」

「っと、やっぱり結構……いや、大丈夫。それより姉さん、身体が熱いよ」

「そう、弟の一途な想いに、心も身体も火照ほてって……っていうか、オーバーヒート気味? あの車、あたしちゃん的には便利だけど超効率悪いんだよねー」


 エンジンルームで華凛姉さんは、どんなことになってしまってるんだろう。

 あまり考えないようにしながら、僕はよいしょと歩き出す。姉さんはメカだから、そりゃ重い。冷却中だと言ってる身体は、その肌は汗に濡れて熱かった。

 でも、不思議と本人は上機嫌なので、僕もちょっと嬉しい。


「ねーねー、りんりー?」

「なに、姉さん」

「さっきのスマホさ……パパの遺産の」

「ああ、うん」

「あたしちゃんの強化パーツとか、入ってないかなあ。フルアーマーとか、ペーパープランとか、デンドロなビーム出るやつとか」

「ざっと見た感じ、ないと思ったけど」

「えー、そうなんだあ……」


 僕の首に両手を回して、ぶーぶーと華凛姉さんはくちびるとがらせる。

 表情豊かなその顔を、振り向かなくても僕は容易に想像できる。


「りんりーを守りたいしさ、やっぱロボ的にパワーアップは浪漫ロマンじゃん?」

「大丈夫だよ、姉さん。みんなもいるし、それに」

「それに?」

「ん、まあ、内緒。恥ずかしいし、男だったら不言実行ふげんじっこうってことで」

「おっ、なにそれ! くーっ、男の子だねえ! エライ!」


 本当は、もし可能なら、本当は。

 

 あの愁との厄介な関係を精算して、また平和な家族に戻りたいのだ。そして、そのために戦いが不可避なら……絶対に僕は、姉さんたちを全員守る。

 例え僕が父さんの蘇りだとしても、それだけは絶対に譲らない。

 僕は頭をクシャクシャと華凛姉さんにでられながら旅館の門をくぐった。

 宿はまさしく、これぞ温泉旅館といった門構えだ。平屋建ての落ち着いた雰囲気で、和風建築特有の厳粛げんしゅくさをも感じさせる。広い庭には池があって、他のお客さんたちもくつろいでるようだった。


「こんにちは、お世話になります。ほら、華凛姉さんも」

「ちょりーっす! あげぽよテンションでよろぴく!」

「もう、ふざけてないでさ、姉さん」


 僕はやれやれと思いつつ、華凛姉さんを降ろした。

 先程から楓夜フウヤお姉ちゃんが、華凛姉さんを指差しブルブル震えている。っていうか闇が深いいつものにごった目になってる。

 けど、僕の注意は出迎えてくれた宿の女将おかみさんに注がれた。

 年の頃は六十前後で、老いを全く感じさせないたたずまいが印象的だ。姿勢もよく、着物をシャンと着こなしている。

 女将さんは僕たちの先頭に立つ翠子スイコ姉様へと、深々と頭を下げた。


「……いらっしゃいませ。ようこそ、翡翠荘ひすいそうへ。お待ちしておりました、御予約の御暁ゴギョウ様ですね? すぐにご案内しますので」


 とても張りのある、瑞々みずみずしい声音だ。

 静かで小さな声なのに、すっと真っ直ぐ響いて通りがよい。

 だが、僕は次の瞬間に息をむ。

 顔を上げた女将さんの表情は、冷たく凍りついていた。

 絶対零度ぜったいれいどの視線が、真っ直ぐ翠子姉様を刺し貫いている。


「よくもまあ、ここに来れたものね。こっちにも老舗しにせのプライドがあるから、断わりゃしないよ……けどねえ」


 やれやれと溜め息に女将さんが首を振る。

 間近で見上げる翠子姉様の口から、驚くべき言葉が解き放たれた。


御無沙汰ごぶさたしております、お祖母様ばあさま


 ――は?

 え、ちょっと待って……今、、って?

 おばあさま、お祖母様……つまり、僕たちの祖母そぼってことなんだろうか。そういえば僕は幼かったので、父も母も記憶が曖昧だ。まして、両親の父と母なんて考えてもみなかった。だって……お葬式の時にも来てくれなかったし、連絡もくれなかったから。

 女将さんは、僕の祖母なのだろうか。


「御無沙汰どころじゃないよ、まったく。……娘の忘れ形見が、揃いも揃ってなんだい? どういう風の吹き回しだい」

「孫娘が顔を見せに来たのです。いけないかしら?」

「いけないってこたないけどね、ええと確か……」

「翠子です。御暁翠子」

「そうだ、そんな名だったねえ。それと確か……千奈チナ、華凛、楓夜。そして」


 女将さんは僕を見て、僅かにハッと息を飲んだ。

 しかし、また先程の冷たい表情を凍らせる。


「お前さんが麟児だね? おやおや、まあまあ、雁首がんくび揃えてなんだい? みんな、大きくなって」

「はじめまして、お祖母様」

「本当に、はじめましてだねえ。……フン、あの男によく似てる。いやだねえ」


 あの男? 父さんだろうか?

 どうやら、千奈の姉貴たちも祖母とは初対面らしい。みんな目をしばたかせながら、それぞれにおずおずと挨拶する。祖母は一人一人を品定めするように眇めて鼻を鳴らした。


「あたしゃ朝比奈玉子アサヒナタマコ、おタマさんで通ってる。あんたたちは翡美子ヒミコの子供だから、あたしの孫ってことになるねえ」

「母さんの、母さん……それで、お祖母様」


 僕は知らなかった。

 僕には姉さんたち以外にも、まだ血縁者がいたんだ。

 驚いたし、同時に少し不思議に思った。

 何故……どうして、今まで音信不通だったんだろうか。

 でも、名乗った以上のことを言わずにお祖母様は行ってしまった。しずしずとした所作しょさ流麗りゅうれいで、礼儀作法がそのまま人の姿になったみたいだ。

 だからこそ、どこか他人行儀たにんぎょうぎなのがさみしい。

 振り返った翠子姉様は、いつもの涼しい微笑を浮かべる。

 でも、その評定もどこか悲しげだ。


「驚かせてしまったかしら? ここは……母様の実家よ」


 こうして僕たちは、二泊三日の湯治とうじとなった。

 これはいわば、あの愁をおびき出すための旅行だ。都会や住宅街ならいざしらず、この宿の周囲は大自然の森と山……上手くやれば人的被害は出ないだろう。

 だけど、翠子姉様はどうして母方の実家を選んだのか。

 どこか冷たい対応と、なにか関係があるような気がする僕だった。

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