第24話「父の遺産がコレジャナイ!?」

 誰もが、古びたスマートフォンの液晶画面を覗き込む。

 額を寄せ合うようにして、そして沈黙、静寂せいじゃく

 父の言葉も偉大な研究も、僕たちの前には開示かいじされなかった。

 ただ当たり前のように、当然のように浮かび上がるそれは――


「暗証キーの入力、だねえ」

「パスワードが必要じゃん?」

「この時代のも、六桁の数字でいいのかな」


 楓夜フウヤお姉ちゃんも華凛カリン姉さんも、勿論もちろん千奈チナの姉貴も顔を見合わせるしかない。

 季央キオねえに至っては、何度もまばたきを繰り返していた。

 それでも、最初に手を伸ばしたのは彼女である。


「1から9までで六桁、つまり1,000,000通りだ。麟児リンジクン、思い当たるナンバーは? こういうの、日常生活で割と印象深い番号にするよね」

「えっと、ごめん……僕、父さんのことはあまり知らないんだ」

「そっか……片っ端から入力してみようか?」

「駄目だよ、季央ねえ。認証に連続して失敗すると、ロックが掛かっちゃう」

「あ、そっか」


 だが、不意にしっとりれた声が響く。

 全員で振り返ると、そこには酒精おさけを身に招いた翠子スイコ姉様の姿があった。

 ワイングラスを手に、その中の芳醇ほうじゅんなる香りを楽しんでいる。

 そして姉様は、もう一度同じ言葉を繰り返した。


「誕生日よ……生年月日。あの人は……を設定したって言ったわ」


 なるほど、セキュリティー上はあまりめられたことじゃないが、割と一般的な話だ。多分、日本人に限らず世界中の人が同じような番号を登録しているだろう。

 季央ねえの暫定ざんてい誕生日を祝う日に、父の愛する人の誕生日が必要になる。

 なにか運命めいたものを感じるけど、僕はちらりと季央ねえを見やる。

 視線の意味に気付いたのか、彼女は肩をすくめて見せた。


シュウの盗聴器ならもうないと思うよ? ボク、今日はずっと家中を検査しまくったんだから」

「そっか、じゃあ安心だね」

「そ、安心。誰かさんがデートしてる間も、ボクはずっと床をい回り、天井裏へ分け入って……大変だったんだぞ?」

「いつか埋め合わせするよ、いつかね。それでだけど」


 妙に根に持つな……ってか、なんでだろう。デートといっても、翠子姉様とケーキを買いに行っただけだ。こだわる必要なんてないと思うんだけど。

 そんなことを思ってると、突然……華凛姉さんがスマートフォンを手に取る。

 シュシュッと指を画面に滑らせ、そしてエビりにブリッジして倒れ込んだ。


「オーマイガッ! あたしちゃんの誕生日じゃねーしっ! がっでーむ!」

「ちょ、ちょっとぉ、華凛ちゃん。なんでもぉ、いきなり入力しちゃうのよぉ」

「いやいや、楓夜っち! あたしちゃんは、博士の最愛な自信があったのだ!」

「……あ、そぉ。で、280107……え、平成28年? だよね? ちょ、ちょっと」

「そうっ! 平成28年1月7日、あたしちゃん建造開始! ……あ、そかそか」


 再び華凛姉さんがスマートフォンをひったくった。

 そして、今度はエビ反りでブリッジしたまま天井高くジャンプする。


「アッー! こっちの誕生日も違ったーっ!」

「もぉ! あと二回失敗したらロックされちゃうよぉ! 華凛ちゃんのバカァ!」

「許せ妹よ……建造開始日じゃなくて、完成した日かなと思って」

「それが、030401? 平成30年4月1日? ねえ、バカなのぉ? エイプリルフールに完成ってもう、それ自体が悪い冗談なんじゃないのぉ?」

「よせやい、照れるじぇ!」

「褒めてないよぉ……どうするのよ、これぇ!」


 ……あっという間に、挑戦する権利があと二回になってしまった。

 華凛姉さん、ロボだけあって勉強はできるのに、どうしてオツムが少し弱いんだろう。

 でも、そんな華凛姉さんからスマートフォンを取り上げて……そして、楓夜お姉ちゃんは画面をにらんだまま固まった。

 そして、いつものドス黒い奈落アビスみたいな目で僕たちに振り返る。


「ねえ、麟ちゃん……わたしの誕生日って、卵が生まれた日? 卵が孵化ふかした日?」

「いや、それは……どうなんだろう」

「あと二回だから、両方試してみてぇ、いい? よね? いいよねぇ?」

「待って! それは待って、まずスマホを置こう。手放そう。いいかな?」


 危ない、危うく父の遺産が永久にロックされるところだった。

 とりあえず、僕は落ち着いて考えてみる。

 そして、至極しごく当然の答に辿り着いた。


「翠子姉様。姉様は知ってるんじゃないですか? これをずっと持ってた訳だし……何度か起動したことがあったりとかは」


 そう、普通に考えれば翠子姉様が知ってるかもしれない。父さんの遺産やらなにやら、一切を管理しているのは翠子姉様なのだから。

 だが、グラスにワインを注ぎ足しながら、彼女は首を横に振る。


「一度も起動したことがなくてよ。だって、怖いじゃない……あの人は、無邪気に笑いながら言ってたわ。嘘のつけない人だった。だから、最愛の人の生まれた日を設定してる、それは間違いないの」

「……わかりました。じゃあ、もう一つ教えて下さい」


 なんだか神妙な雰囲気になってしまって、姉たちが揃いも揃って真顔になる。

 父さんの最愛の家族……それって、もう一人しかいないんじゃないだろうか?


「翠子姉様……母さんの誕生日を教えて下さい」


 そう、妻だ。僕たちの母親である。

 この場で、母である御暁翡美子ゴギョウヒミコから生まれてきたのは僕と千奈の姉貴だけだ。勿論、みんなが父の子で、それはイコール母の子でもある。

 けど、複雑な事情があって千奈の姉貴がうつむいてしまった。

 その理由を、翠子姉様が小さくつぶやく。


「……御暁翠美子はあの人を愛してたわ。でも、逆はどうかしら」

「どうかしら、って」

四京寺愁シキョウジシュウは、常軌じょうきいっした執着をあの人へと向けていた。あの人の気を引きたい、その一心で……あんな酷いことを」


 そうだった、思い出した。

 愁は僕の母さんをけがした。父さんに愛されているからという、ただそれだけの理由で傷付けたのだ。その結果としてこの世に生を受けたのが、千奈の姉貴だ。

 でも、だからこそ僕はスマートフォンを手に立ち上がる。


「姉様、それに姉貴も。父さんはそんな、うつわの小さな人間じゃないよ。。でも、だからこそ……ただの人間である母さんを大事に、大切にした……僕はそう思う。愁なんかが割って入れる仲じゃなかったとも思うね」

「……そう、かしら」

「そうさ。なんなら賭けてもいいよ。あと二回はチャレンジできるけど、次で最後にする。もし、母さんの誕生日じゃなかったら、僕は父さんの遺産を未来永劫みらいえいごう眠らせることにするよ」


 それは人類の損失かもしれないし、偉大な父への冒涜ぼうとくかも知れない。

 実際、この中身があれば僕たちは億万長者にだってなれるだろう。

 けど、あいにくと僕はそんなことに興味はない。

 もし母さんの誕生日でセキュリティが解除されなくても、僕は両親を信じる。もういない、会えない人だからこそ、僕の理想でいてほしいし、その想いに正直でいたい。


「……1983年6月17日よ。ごく普通に育って、ただの御嬢様で……そしてあの人に出会った。30歳で世を去るまで、二人は確実に愛し合っていたわ。そう、思いたいわね」

「想えばそれは一つの真実だよ、姉様」


 すぐに入力、パスワードは830617……そして、Piピッ! と電子音が響く。

 画面が切り替わったが、ありきたりなホーム画面は出てはこなかった。

 驚く僕の手の中に、一人の男が浮かび上がった。

 そう、画面からにじみ出る光が、立体映像となって父の姿を象ったのである。それは、今の時代の僕たちが持つスマートフォンでも、まだ実用化されていない。

 5Gの世界になって久しいし、もう6Gの足音が聴こえてきてる。

 でも、こんな古い端末が3Dの立体映像……しかも専用の眼鏡めがねナシで立体に見える。


『この音声が届いているということは、翡美子……僕とまだ気持ちが通じてるね? もしそうなら、そのことを大事にして欲しい。最愛の君と、君の子たち……そして、僕があちこちで産ませた子たちにも、この遺産を残したい』


 しれっと凄いこと言うな、父さん。

 でも、これが僕の父親の声。

 おぼろげながらにしか覚えていない、僕の実の父の声なんだ。

 そして、その言葉はいきなり確信をついてくる。

 誰もが固唾かたずんで言葉を待った。


『色々と語りたいことがあるけど、先に厄介やっかいな話を片付けよう。そう、遺産の話だ』


 誰かがゴクリとのどを鳴らした。

 僕も、自分の鼓動が高鳴るのを抑えられない。

 そして、衝撃の真実が告げられた。


『私の残した最高にして最大の遺産……!』

「……そうか、このスマホにあるデータがそうなんだね。それはいったい――」

『なんと、驚くなかれ……このスマートフォンはっ!』


 立体映像の父が、オーバなアクションで両手を広げる。

 だが、次の瞬間……僕たちはその場に崩れ落ちた。


! ヒゲれるのだよ!』


 流石さすがに僕もずっこけた。

 千奈の姉貴だけが「あ、それ便利」と手を叩く。

 聞けば、無駄毛のお手入れが大変だそうで……まあ、なんとなくは察する。

 でも、正直僕は気が抜けてしまった。だってそうだろう? このスマートフォンの中に、どんな凄いデータが入っているか。それは世紀の発見か、それとも次代の大発明か。そう思ってたら、このスマートフォン自体が遺産だという。

 世界初、髭が剃れるスマホ……うんうん、この世でこれ一つだろうね。

 そんなバカみたいな機能を持たせたがったのは、父さんが最初で最後だろう。

 そう思っていると、噛み殺したような笑い声が響き、やがて大きくなる。


「ふふ、ふ……あははっ、馬鹿じゃなくて!? ほんともぉ、あの人は……バカ、なのだわ。大馬鹿者でしてよ」


 翠子姉様が、ソファの上で身をよじって笑い転げていた。そのまなじりには、涙が光の玉となって浮かんでいる。たしかにこれでは、三文小説レベルの笑えない喜劇だ。

 けど、翠子姉様が笑ってる、ならそれでいい。

 そう思っていたら、姉様はようやく落ち着いて身を正す。


「とりあえず、麟児。それと、私のかわいい妹たちも……しばらく学校は休みだと思うから、旅支度たびじたくをなさい。千奈、悪いけど荷解にほどきした私物を、そうね……一泊二日くらいに改めて荷造りしてくれるかしら? ――愁の問題をさっさと片付けましょう」


 珍しく翠子姉様が、怖い笑みを浮かべていた。

 それは、普段の優雅な表情とはまるで別物なのだった。

 よくわからないが、季央ねえの誕生会は最後にケーキをみんなで食べて、そのあとすぐに着替えやなにやらをかばんに詰め込む作業のためにお開きになってしまったのだった。

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