第18話「戦慄の、黒」

 走る僕は次第に、学校にふさわしくない空気を感じ取ってゆく。

 冷たい殺気は、肌に覚えがあった。

 こんなことをしでかす奴は、一人しかいない。

 だから、季央キオねえを追い越し、そのまま置き去りに走る。

 中庭へと飛び出すと、既に惨劇が広がっていた。


「くっ、カーボノイドとかいう奴だ! と、いうことは」


 ぐるりと周囲を見渡す。

 中庭はこの時間、生徒全員に解放されている。そこかしこで弁当を広げる姿が見えるのだが……そんなほほえましい光景は一変していた。

 逃げ惑う生徒たちを追い散らすように、黒い影が無数に歩いている。

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる人造人間、カーボノイドだ。

 表情どころか目も口もない顔が、無機質な敵意を振りまいている。

 その中に首謀者を探していると、頭上から声が振ってきた。


「ハッハッハ! 迎えに来たよ、高定タカサダ! さあ、一緒に世界を手に入れよう!」


 見上げれば、校舎の屋上に人影が立っている。

 ご丁寧に逆行を背負って、これでもかとケレン味を演出していた。そして、そんな自分に酔ったようなかんさわる声である。

 思わず僕は、溜息ためいきが出た。

 だってそうだろ?

 僕、これからずっとあの変態に追い回されるんだもの。

 こうなることも考えられたから、だから学校には来たくなかったんだ。


「やれやれだね、ふう……おーい、シュウ! 四京寺愁シキョウジシュウ!」

「ああ、そこにいたんだね! 見付けましたよ、高定」


 こっちを見るなり、満面の笑みだ。

 気持ち悪い、心底嫌な気分だね。

 愁は例の、小さな女の子型の特別なカーボノイドに抱き上げられ、そのまま中庭に降りてきた。どうやら一悶着ひともんちゃくは避けられない状態である。

 まいったな……学校だけは巻き込みたくなかった。


「場所を変えたい。とりあえず、全員一度学校の外に出よう」

「おやぁ? 高定が言うのでしたら、俺としても……ふむ! でも、待てよぉ?」


 多幸感丸出しの愁は、もう僕を父さんの生まれ変わりだと決めつけてる。

 ああ、この間のあれ……瞬間移動テレポーテーションが自分の意思で支えたらな。多分、この場にいる敵を全て、好きな場所に飛ばせられるんじゃないだろうか。

 個人的には、シベリアの永久凍土あたりをオススメしたいね。

 でも、超能力はまだ僕の自由には使えない。

 それに、そこまでいったらいよいよ本当に人間じゃないって感じだ。

 そんなことを考えていると、愁はパム! と手を叩いた。


「この場所を大事に思ってるんですねえ、うんうん……ですが、高定! それを言ってしまうと、弱みがバレバレですねえ。退くからには、ご褒美が欲しくなるというもの」

「殴ってほしいとか、そういう趣味?」

「いえいえ……再び二人で覇道を歩もうというのです。ああ、高定……愛しい至高の存在! 俺が、俺だけがその全てを受け止め、完全に理解してあげられるのですよ!」


 駄目だ、やっぱり会話が成立しない。

 そして、背後でもりんとした声が響く。


麟児リンジクン! 悪党との交渉は無意味よ。付け入られるだけだもの。……ここはボクに任せて! ――Getゲット Setセット!」

Systemシステム Standbyスタンバイ……Readyレディ!』


 季央ねえは例のE.R.O.イーアールオースーツに変身し始めた。

 光が集って、生まれたままの優美な曲線が浮かび上がる。

 周囲の男子が皆、ガン見していた。

 いやまあ、気持ちはわかる。


「そっちが数でくるなら、こっちだって! スーツ出力、40%!」

Copyコピー!』


 あっという間に季央ねえは、複数のカーボノイドと取っ組み合いになった。僕は周囲に気を配りつつ、愁を抑えようとして駆け出す。

 この距離なら、わずか数歩だ。

 今の僕なら、それは一秒もかからない。

 だけど、僕が伸ばした手を漆黒の腕が受け止めた。

 女の子型はどうやら、より高スペックなモデルのようだ。僕の踏み込みに反応して割り込んだばかりか、スピードとパワーで互角に立ち回ってくる。

 絶対の守護者に守られながら、ニヤニヤと愁はいやらしい笑みを浮かべていた。


「高定、生前はそんな趣味はありませんでしたよねえ? これはしかし、いい……とても可憐かれんだ。ああ、高定……そうか! この俺の花嫁はなよめになるということか!」

「気色悪いっ! 僕はそんな趣味は……クッ、こいつ、強いぞ?」


 僕とそう変わらない背格好で、周囲のカーボノイドと違ってスラリとせている。だが、よく見れば全身の筋肉が洗練され、過不足なくボディを彩っていた。

 男性タイプの威圧するような見せる筋肉じゃなかった。

 それは、どこか研ぎ澄まされた刃のようにさえ思える肉体。

 僕はそのまま、少女タイプのカーボノイドと戦う羽目になる。


「くっ……身体能力が互角だとすると、僕は不利だ」


 そう、僕は格闘技の経験がないし、その知識もない。

 対して、目の前の黒い少女は、ただそのために作られた殺人術のかたまりなのだから。

 その証拠に、体捌たいさばきにどうしても差が出てしまう。

 僕は凄い力があるけど、その使い方をあまり知らない。

 あっという間に、僕は壁際まで追い詰められた。


「どうすれば……ん? な、なんだ?」


 違和感があった。

 それに気付けたのは、相手をよく見ようと集中力を高めたから。

 注意してよく見れば、相手の攻撃を捌いてしのげる。避けたり受け止めたりして、どうにか互角に見える攻防が成立した。相手はひたすら攻めてくるし、僕はもう防御を固めることしかできない。

 千奈チナの姉貴に、柔道か空手を教えてもらえばよかった。

 季央ねえは確か、通信教育って言ってた……それ、大丈夫なのかな?

 などと思っていたら、やはり奇妙な感覚が確かに感じられた。


「僕を、見てる? このカーボノイドは」

「……リンジ」

「えっ? 喋った? 僕の名を」

「オマエガ、リンジ……ワタシ、の――」


 相手の攻撃が突然、ワンランク上の速度へとシフトアップした。

 僕は手を抜かれていたのだ。

 あっという間に、素人しろうとの僕は動きを削られる。文字通り、自由をはつられてゆく。あっという間に少女の両手が、僕を地面へと組み伏せた。そのまま、右腕をじりあげられ、痛みが走る。

 なんて正確な動きなんだ。

 恐らく、あと1mmでも力を込められたら、僕は肩とひじと手首を同時に破壊される。


「よーし、いい子だ……上出来だよ。流石さすがはスペシャルなカーボノイド! 見事だ、零号ゼロごう!」


 零号? それがこの子の名前か。

 全体重を浴びせて僕に馬乗りになった、破壊と殺人のための人形。何故なぜ、彼女は、彼女だけが言葉を発したのか? 僕の名を呼んだのは、どうして……?

 ともあれ、僕は絶体絶命だった。

 そして、どうにか顔を上げれば、季央ねえがこっちへ向かってくる。


「麟児クン! くっ、スーツ出力、全開っ!」

Systemシステム Errorエラー……Emptyエンプティ!』

「うっさいなあ、やれっての!」

Copyコピー!』


 だが、男性タイプのカーボノイドが、数で立ち塞がってゆく。その向こうに、季央ねえは見えなくなってしまった。

 E.R.O.スーツは、物凄いエネルギーを食う。

 季央ねえの感情の起伏や、怒りや憤りを動力として吸い上げるからだ。

 絶望的な状況で、あっという間に季央ねえは無数のカーボノイドに取り押さえられてしまった。女の子に乱暴するなんて……あと、女の子に乱暴させるのも、嫌だね。


「ふむ……そっちのは、高定の制作リストにはない作品だな」

「ボクは作品なんかじゃない! 麟児クンを守る姉だよ! あったまきた、もぉ!」

「んー、まあ、わざわざ取り返す必要のないものだな。……処分だ」


 巨漢のカーボノイドたちが、その太い指で季央ねえをむしり始めた。例の電子音声が、さっきから警告を叫びっ放しである。

 勿論もちろん、学校側は教師も生徒も、見てるだけだ。

 割って入れるような状況じゃない。

 そして僕は、身動きも取れないまま……姉がひん剥かれる光景を見せつけられるだけだった。


「あ、こらっ! 放せ、もぉ! 麟児クン、ボクは平気だから、そこで待っ――ッッッ!?」


 まるでゲームのテクスチャが剥がれてゆくように、少しずつE.R.O.スーツが破壊されてゆく。キラキラと光になって、空気に溶け消えてゆく。

 季央ねえは僕を安心させようと叫んでいたが、顔面を殴られ血が舞った。

 陵辱りょうじょくされてゆく姉を前に、僕の脳裏で怒りの火花が飛び散る。

 だが……勝負はあったかと思われた、その時だった。


「ん? なんだ……今、なにかが空を……鳥かな?」


 愁が首を捻って、空を見上げる。

 一瞬、地面を影が走った。

 そして……気付いた時には、異形の怪物が目の前に立っていた。少し遅れて、背の翼が風圧を広げて全てを薙ぎ払う。

 そう、怪物だ……全身が毛とうろこに覆われた、かろうじて人のシルエットをした怪物。太く長い尻尾、巨大な翼、大きな両手両足には爪が光っている。

 突然のイレギュラーに、愁は言葉を失っていた。

 そして僕は……振り返るその顔に、角が生えてる女性の顔立ちに、見覚えがあるのだった。

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