第17話「それは些細な大事件」

 校内に入っても、とにかく季央ねえは目立つ。

 グラビアアイドルも真っ青なスタイリングに、すず美貌びぼうはクールビューティ。無敵の自信を取り戻した今、季央キオねえはある意味では目の毒だ。

 学生食堂でも、先輩後輩から先生まで、諸兄しょけいの視線を総ざらい。

 まあ、おかげで僕の女装は全く問題にされていない。


「あそこが空いてね、座ろうよ」


 季央ねえ、既にもう仕切ってる。

 僕はしかたなく、委員長の西尾香菜ニシオカナさんとテーブルに座った。

 一応、楓夜ふうやお姉ちゃんにはLINEラインで連絡を入れておく。


「へえ、ビッフェスタイルじゃないんだ。ふーん……あの行列は? 麟児クン」

「ああ、あれは食券の自動販売機」

「ショッケン?」

「ランチのチケットのことだよ。あそこで食券を買って、ほら、あそこで厨房ちゅうぼうのおばさんに渡す」

「なにそれ、面白い! 日本の文化ってやつは、もぉ……ボク、行ってくる!」


 あっという間に季央ねえは、行ってしまった。

 制服姿の行列の、その最後尾に立つ。それを遠くから見てると、腰の位置が周囲とワンランク違って、自然と美脚の長さが目立った。

 やれやれと思いつつ、僕は改めて委員長に向き直る。


「えっと、なんかごめん。あの人も僕の姉なんだ。巻き込んじゃったね」

「うっ、ううん! いいの……っていうか、よかった。よかったのよ」

「そう?」

「うん……御暁ゴギョウ君、元気そうだから。あと、学校の勉強以外に打ち込めること、見付けたみたいだし!」

「……女装は趣味じゃないし、その道を極めようともしてないって」


 まあ、ウィッグと服があれば、スナック感覚で女装完了だけどね。

 それも、わりと完璧に。

 ……いやいや、自慢してどうする。


「……ほんと、よかった。御暁君を傷付けてしまったなあ、って」

「みんなが?」

「私が、ね。みんなもきっと、そう思ってるよ」

「そんなに気にする話でもないけどね。僕自身驚いたし、ちょっと普通じゃなかったから」


 そう、今の僕は普通じゃない。

 超人的な身体能力に、研ぎ澄まされた鋭敏な感覚、鋭い洞察力と観察眼。頭脳明晰ずのうめいせきっていうやつを体験するのも初めてだし、1を聞いて10を知る程度には天才状態だ。

 使

 悪い冗談みたいな状態なのだ。

 そして……その異変を一番最初に知ったのが、学校だった。僕自身も全身のけだるさ、まるで全身の細胞が入れ替えられたような違和感を感じていた。

 けど、あんなことになるなんて思わなかった。


「クラスの誰も、怪我してないよね?」

「う、うん」

「心の傷は、ごめん。それくらいは許してほしいかな」

「御暁君が謝ることないよ? 私たちこそ、ごめん。あと――」


 委員長は不意に身を正した。

 小さく深呼吸して、真っ直ぐ僕の目を見て言葉を選ぶ。


「あと、ありがとう。助けてくれたんだよね、私のこと」

「……ああいう悪ノリは、嫌いなんだ。でしゃばったよね。それであのザマだから、ちょっと僕もヘコんだよ」

「ふふ、御暁君でもそういうことってあるんだ」

「いつもだよ。ままならないことばかりでさ」


 そう、結果的に僕は委員長をあの時助けた。

 でも、ああいう形になるとは思わなかったんだ。

 下手をしたら怪我人が、それも重傷者が出ていたかもしれない。最悪、クラスの誰かが死んだかもしれないんだ。

 そういうことをやらかして、僕は咄嗟とっさに考えた。

 しばらく人を避けて暮らそう、って。

 それでまあ、自主的に休校した訳である。


「あっ、私なにか飲み物を買ってくるね。御暁君、なにがいい?」

「いや、ここは僕がおごるよ。待ってて」


 会話の間を取り繕うように、僕が立ち上がったその時だった。

 不意に声が走った。

 それは委員長を貫通して、僕に深く突き刺さる。


「ありゃ? よく見りゃお前……えっ、御暁か? なんだそれ、オカマかよ!」

「ほんとだ……久しぶりだなあ、御暁」

「えっ、どこ? どこに御暁が……って、オイイイ! 女々しい奴だと思ってたら、本当の女になっちまったのかよ!」


 クラスメイトの三人組が、僕を見付けたようだ。いわゆる不良グループみたいな、でもちょっと中途半端に突っ張ってるだけの、ようするにガラの悪い連中である。

 慌てて委員長が「ちっ、違うの!」と椅子を蹴る。


「え、ええと、彼は、そう! 転校生のリンジィちゃんで」

「いいよ、もう……委員長。はぁ、やっぱりこうなったか」


 最悪だ。

 でも、クラスメイトに会ったことがじゃない。

 委員長と久々に話せて、謝罪と、感謝とを届けてもらった。

 その余韻よいんが台無しだなと思って、僕はウィッグを取る。

 それでも、ショートカットの中性的な女の子が登場するだけだったけど……でも、僕の顔を見慣れたクラスメイトはあまり驚かなかった。


「久しぶり。三人とも、怪我はないよね? あの時は、まあ、ごめん」

「お前……やっぱり変だぜ。前から変だったけど、あれは」


 ――

 その一言、たった一言が僕を滅多打めったうちにした。

 確かに、人間技じゃなかった。

 技っていうより、力……暴力そのものだった。

 思い出して僕もつい、ムキになってしまう。


「僕が人間じゃないなら、君たちはどうだい?」

「あぁ? お前……いっ、いい気になるなよな! かかか、格好つけんなって」


 中心人物的な立場の男子が、怯えを隠しきれずに虚勢を張る。取り巻きの二人に「よしなってもう」「い、行こうぜ」と言われても、どうやら引き下がれないようだ。

 僕は僕で、自分が意外と熱くなるたちなんだと少し驚いた。

 だが、もうずっと過去のように感じる事件を思い出す。

 そう、事件だ。

 未遂かどうかはともかく、人を殺してしまうところだったのだ。


「逆にそっちは、格好がつかないよね。中学生にもなって、レベルが低いよ。委員長に……女の子にあんなことして、恥ずかしくないのかい?」

「っなんだと! 手前てめぇ!」

「おっと、忘れないでほしいな。僕は人間じゃないって行ったのは君だ。じゃあ……? 少しは恐れて欲しいね」


 自分で言った言葉が、ブーメランのように自分を切り裂く。

 始まりは、ほんの些細ささいなことだった。この悪ガキトリオは、酷く幼稚なことで委員長をからかっていた。なにやら委員長は、一昔前のJ-POP歌手ニシノカナと名前が似てるらしい。

 震える震える、震えてろ? みたいな、訳のわからないやつだった。

 ただ、周囲が面倒事を避けて目を逸らすから、行為がエスカレートした。

 委員長も生真面目きまじめのテンプレみたいな性格だから、あおられてつい目くじらを立てる。

 でも、三馬鹿のリーダー格が委員長のスカートをまくりあげたな。

 僕が割って入ったのは、そういう状況だった。


「君たち三人、またこの間みたいに……ブルってへたり込みたいのかい?」


 僕が威嚇いかくすると、三人そろってビクリと身を震わす。

 そう、あの時も僕は委員長を助けようとした。幼稚ないじめを止めようとしたんだ。でも、実際にやったのは……教室の備品を破壊しただけだった。

 いい加減ししなよ、とあきれた口調で言い放って、そんな冷静さとは裏腹に……僕がバン! と叩いた机が端微塵ぱみじんに弾け飛んだ。散弾のように飛び散った木片が、周囲にばらまかれた。床のタイルは、クレーターみたいになってたっけ。

 僕は初めて、身体の異変がどういった性質のものか知ったんだ。

 それを思い出していると、不意に背後にへばりつくような暗い声。


「ねえ……リンちゃん。? なんか……お姉ちゃん、すごーくイラッとしてるんですけどお」


 どんよりとした、瘴気しょうきとでもいうべきオーラが僕を包む。

 酷く湿って陰気な、殺意とか邪気みたいなものを凝縮した闇だ。

 振り返ると底には、フラットな目を見開く楓夜お姉ちゃんがいた。まばたきすらしない瞳が、よどんだふちのように暗くて、まるで奈落アビスの深遠だ。

 流石さすがの三馬鹿トリオも、洒落しゃれにならない視線ににらまれてすくむ。


「チッ! いっ、いい、行こうぜ!」

「お、おう。へっ、じゃあな変態! スカート似合ってるぜ!」

「またなー、御暁。……ん? なんだ? 中庭の方がなんか、騒がしい……けど?」


 逃げるように三人は去っていった。

 そして、彼らを飲み込む人の流れが、ざわめきと共に食堂から廊下への導線を作っている。どうやら皆、中庭の方に向かっているようだ。

 何かがあった、そう思うと僕の心もざわつく。

 だが、楓夜お姉ちゃんはお構いなしだ。


「麟ちゃん、すっごくかわいいよぉ……一緒に写真撮ろ? ふふふ、まーたコレクションが増えちゃうなあ」

「ちょっと、楓夜お姉ちゃん。なんだか……様子が変なんだけど」

「全然変じゃないよぉ、似合ってる! 流石千奈チナちゃんの妹、じゃない、弟だよねえ」


 ちなみに、ハスハスと鼻息を荒くしてる楓夜お姉ちゃんは、これは平常運行。全く変じゃない。でも……明らかに奇妙な空気が広がってる気がした。

 そしてそれは、季央ねえの声ではっきりと現実になる。


麟児リンジクン! あっちに奴らが! ……ここは学校、子供たちになにかあったら」


 奴らと聞いて、思い出される一人の男。

 黒尽くめのカーボノイドを連れた、はた迷惑な父の元助手しかいない。

 猛ダッシュで風になる季央ねえを追って、僕は楓夜お姉ちゃんを置き去りに走り出すのだった。

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