第11話「招かれざる客の来訪」

 見慣れた玄関に立つ男は、姉によく似ていた。

 当然だ……千奈チナの姉貴の父親だからだろう。だが、もう見間違えない。

 姉貴は、こんな見下みくだすような笑みを浮かべたりはしないからだ。


「グッ、ンギギ……麟児リンジクン、下がって! キミはボクが守るから!」


 季央キオねえは、ひっくり返って壁に叩きつけられていた。ぱんつ丸見えで格好つけても、ちょっと様にならない。けど、彼女はヘッドスプリングの要領で立ち上がると、僕をかばって前に出た。

 腕時計みたいに装着した携帯端末へ触れて、身構える。

 そんな姿を見て、件の男はニヤリとくちびるはしを吊り上げた。


「自慢のE.R.O.イーアールオースーツでリベンジしてみるかい? プロトタイプじゃ、勝負にならないと思うけどなあ!」


 この暑い夏でも、男は黒いスーツを几帳面きちょうめんに着こなしている。

 そして、その横には例のカーボノイドとかいうやつ……だが、少し様子が変だ。以前襲ってきた、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる大男ではない。

 むしろ、小柄で華奢きゃしゃで、それゆえに洗練された筋肉美を彷彿ほうふつとさせる。

 よく注意して見ないと、女性型だとはわからない程だ。

 僕はゴクリとのどを鳴らして、どうにか言葉をひねり出す。


「あなたは、父の助手だったと聞いています。……要件は、やはり」

「フン、そういえばまだ名乗っていなかったな」


 男は片手でそっと、かたわらの女性型カーボノイドを下がらせる。

 そして、気取った声を作りながら名乗りを上げた。


「俺の名は、四京寺愁シキョウジシュウ。人類史上最高の天才、御暁高定ゴギョウタカサダのパートナーだ」


 ――四京寺愁、それが敵の名。

 そう、僕にとっては敵だ。

 僕の平穏は勿論もちろん、大事な姉たちにとって害をなすもの。僕の家族にあだなすものだから。

 僕は精一杯、愁をにらみ返した。

 だが、悲しいかな全く迫力に欠けているらしい。


「よく見ればあまり似てないな、高定に。まあいい、さっさと遺産を……それも、最高の作品と呼ばれたを渡してもらおうか」

「嫌だね。あなたにはなにも渡さない。法だ権利だは関係ない……あなたが例え父さんと親しい人だったとしても、絶対に渡したくない」

「高定、と……親しい、だと?」


 突如、愁の気配が変わった。

 激昂げきこうと呼ぶには、あまりにも静かで、それゆえに不気味だった。

 整った顔立ちを凍らせたまま、愁が突然僕の首根っこに手を伸ばしてくる。

 あっという間に呼吸が奪われ、すぐ側で季央ねえが息を飲む。


「麟児クン!」

「動くな、女ぁ! ……親しいだと? 違う、違う違うっ! そんな陳腐ちんぷな言葉でなど、言い表せない!」

「コイツ、なに……? パパと仲は悪かったの?」

「逆だよ、逆……俺こそが、高定の唯一にして絶対のパートナーだった! ただ一人の理解者で、奴を完璧に受け入れられる存在。全ての敬愛を捧げる、この俺こそが!」


 ミシリ、と骨のきしむ音がした。

 酸素の供給が奪われ、僕の意識は朦朧もうろうとしてくる。

 けど、やられてばかりはいられない。

 咄嗟とっさに僕は、バク転の要領で愁を蹴り上げた。

 あごを狙ったが避けられて、それでも僕は彼から解放されてへたり込む。

 駆け寄る季央ねえに抱き締められ、何度か咳き込みながらも僕は叫んだ。


「僕は父さんのことなんて知らない。父さんは優しかったけど、死んでしまった。死んでしまってなおも、僕を……僕たち家族を助けてくれる。お前の父さんじゃないし、お前は父さんのなにもわかっていない!」


 僕だってそうだ。

 父さんが死んだのは、僕が三つか四つの時だ。

 正直、ほとんど覚えていない。けど、優しかったことは知っている。次々と現れる姉を、この僕に何人ものこしてくれた。

 僅かによろけただけで、愁は泰然たいぜんとして揺るがない。

 そう見えたが――


「ほう、なかなかの身のこなしだ。貴様はまさか……ん? なんだ、これは……何故!」


 余裕の笑みが引きつった。

 僕が放った、自分自身を回転させての蹴りはまとを外した。

 けど、全く当たらなかった訳ではないらしい。

 その証拠に、愁のほおあかい筋が走る。

 血が流れ落ちて初めて、彼はそれを手で拭って……表情を激変させた。


「貴様ぁ! 俺の顔に……高定が愛した俺の顔にっ!」


 先程の不気味さとは違った、戦慄する程の狂気を感じた。

 そうだ、狂ってる。

 師匠と弟子、仕事のパートナー同士という概念を超越している。否、超えてるというよりは、踏み外している。あるべき道を外した、文字通り外道のごときおぞましさだ。

 絶叫する愁に呼応するように、カーボノイドが動き出した。

 先日の巨漢タイプより、はやくてするどい。

 だが、僕の頼もしい姉も黙ってはいなかった。


「やらせないっての! 麟児クン、下がってて! ――Get《ゲット》 Setセット! アレコレ省略だよ!」

Systemシステム Standbyスタンバイ……Setセット Upアップ!』


 あっという間に、季央ねえの着衣が弾けて消えた。

 そして、生まれたままの姿を光沢のあるスーツが覆ってゆく。

 それが僕には、コマ送りのように見えた。

 襲いかかってくるカーボノイドすら、スローモーションに見える。

 E.R.O.スーツを纏った季央ねえは、腕をクロスさせて敵の手刀を受け止める。僕を両断する勢いで落ちてきた腕が、小さく噛み殺した気勢と共に静止した。

 季央ねえは少し苦しそうに、歯を食いしばっている。


「ククク……その個体は普通のカーボノイドとは違うぞ。なにせ、高定が自分で手掛けたスペシャルだからな!」

「あっ、そう! そんなの、ボクの敵じゃないね……アンタが好きなのはパパじゃない、パパの発明と研究じゃないか!」

「……浅はかな。俺の愛が理解できないとは。そもそも、高定を理解できていない人間の言うこと、語るに値しない!」


 このままじゃ、玄関が破壊されてしまう。

 っていうか、このカーボノイド……僕の、僕たちの家に土足で!

 季央ねえの苦しげな顔もあいまって、僕の中で何かが撃発した。

 立ち上がると同時に、カーボノイドを季央ねえから引き剥がす。文字通り、ひっ掴んで開いた玄関の外へと放り投げた。

 まるで重さを感じないし、一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが空気を切り裂く感触すら置き去りにした。

 流石さすがに愁も、ピクリと片眉かたまゆを跳ね上げた。


「先程の動きといい、貴様……ハッ! そうか、そうなのだな!」

「なにがさ、なんなんだよ! 僕の日常から出ていけ!」

「ハハハッ、まず一つ。それも、優先度の高い遺産を見つけたぞ!」


 愁の高笑いの意味がわからない。

 けど、さっきのカーボノイドがノーダメージだということはわかった。道路で跳ね起きて、静かに歩いてこちらへ戻ってくる。

 そして僕は、突然意味不明な言葉を投げかけられる。


「クエスチョンだ、少年。誕生日はいつだ? 母親の名は。今、何歳か知ってるかな?」


 意味がわからない。

 答えてやる義理もない。

 僕が呆気あっけにとられていると、愁はまるで歌うような優越感で喋り出す。

 だから僕は、高説を垂れ流す奴の言葉を遮った。


「そんなもの、知るまい。ありはしないのだから。何故なら貴様は――」

「8月8日生まれ、14歳。母さんの名前は御暁翡美子ゴギョウヒミコだよ」

「……おや? そう刷り込まれているのかな?」

「訳のわからないことを……僕は御暁麟児ゴギョウリンジ! 中学二年生! 獅子座のO型だ」


 愁が固まった。

 いったい何が言いたいのだろうか?

 だが、彼はどうにか平静を取りつくろう。


「そ、そうか。俺はてっきり、高定が研究していたかと」

「アーキテクトヒューマン?」

「早い話が人造人間、ただの肉人形だな。カーボノイドよりも柔軟で高い知性があり、複雑な破壊工作や潜入任務に向いているのだが」

「そんな人、うちにはいません! いいから帰ってください!」


 だが、突然背後で『Systemシステム Downダウン!』と電子音声が響く。

 振り向くとそこには……瞳の輝きを失った季央ねえが崩れ落ちていた。E.R.O.スーツが解けて霧散し、先程のワンピース姿に戻っている。

 紫陽花色ヴァイオレットの目には何故か、光がなかった。

 震える唇が、驚くほど弱々しい声を零す。


「嘘……やだな、ボク……どうして? ママの名前……覚えてない。誕生日、も……おかしいな、思い出せない」


 愁の言葉は、僕を素通りしていた。

 そして、季央ねえを刺して穿うがって、貫き通したんだ。

 人造人間だかなんだか知らないけど……それは僕じゃなくて、季央ねえなのか? それはわからない。季央ねえみたいな才気あふれる女の子が、造られた人間だって?

 例えそうでも、構わない。

 心底どうでもいい。

 けど、そのことを暴露したり、ただの回収すべき財産のように言うのは許せない。


「おやおやぁ? そっちの女か、アーキテクトヒューマンは。ロットナンバーを確認せねばな。貴重なものだ、丁重に……ん? な、なんだ? 光が」


 僕はすでに、言葉にならない声を叫んでいた。

 その僕自身が、謎の発光現象と共に周囲を塗り潰してゆく感覚……僕自身が光になる感触すら、絶叫の向こうへと溶け消えてゆくのだった。

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