第10話「姉たちと、寂しがる殻」

 その朝、僕は手短に現状を話した。

 突然、僕に超人的な力が宿ったこと。そして、それと同時並行して……父の遺産を狙う謎の男が襲ってきたこと。

 だが、姉たちは誰も驚かなかった。

 むしろ、僕の不登校の理由がわかってホッとしたふしすらある。

 そんなこんなで、毎朝のやりとりを終えて姉たちは出掛けていった。

 僕はといえば――


「おっと、これはケアレスミス。麟児リンジクン、気をつけて。ここの構文は」


 家事が一段落して、今はお勉強の時間だ。

 季央キオねえがつきっきりで、教師役に早変わり。マンツーマンだから、あっという間に今日の予定がクリアされてゆく。

 本当に季央ねえは、天才少女なんだな。

 ただ、家事の方は目が離せない感じだ。


「んー、よしよし。麟児クン、いい感じだね。他には?」

「えっと、今日の分は特にないかな。別に焦ってないし、それより」

「……今朝のこと? 気になるんだ、まだ」

「まあね」


 うちの姉は、揃いも揃ってどこか変だ。

 それは、先日から我が家に加わった季央ねえも同じだと思う。

 僕なりに悩んでたし、誰にも話せず行き詰まってもいた。けど、話してみたらなんてことはなかった。むしろ、これでいいのかと思うくらいになんでもなかったのだ。

 そのことを口にすると、季央ねえはフムフムと生真面目きまじめうなずく。


「もっとこう、悲壮感がある方がよかったかい?」

「いや、そうでもないけど。でもさ、千奈チナの姉貴は男だった訳だし、僕だって」

「でも、家族であることが変わらなかった。なら、全ては些事さじってことじゃないかな」

「そういうものかなあ」

「そうさ。ボクにはわかる!」


 エッヘン! と季央ねえは、形良い胸を張る。

 今日は白いワンピース姿で、可憐かれんな姿は映画のヒロインみたいだ。きっと、彼女みたいにラジカルで綺麗な人が、人生の主役なのかもしれない。

 そういう意味では、脇役希望でささやかに生きていきたいのが僕だ。

 でも、父の死から十年近くが経過して、人知れず地獄のかまふたが開いたみたい。


「とりあえず、季央ねえ。お願いがあるんだけど」

「ん? ああ、いいわよ。オッケーオッケー、任しちゃって!」

「まだなにも言ってないけど」


 季央ねえは、優美な曲線を描くヒップラインを、僕の勉強机に乗せてきた。そして、ぐっと身を乗り出してくる。

 思わず僕は、彼女の猫のようなしなやかさに沿ってのけぞる。


「言わなくてもわかってるぞ? ボクはキミごと、キミの家族も守る」

「……ありがとう」

Bitteビッテ sehrセーア! えっと、日本語だと……どういたしまして、だね」


 季央ねえはニコニコと上機嫌だ。

 そんな彼女の美貌びぼうが、すぐ目と鼻の先にある。

 なんだか甘い匂いに包まれるような、そんな錯覚さえ覚える距離だ。

 そして、わずかにほお紅潮こうちょうさせつつ、季央ねえは目を逸らす。


「……ねえ、姉には恋愛感情って、普通はないよね?」

「うん、まあ。万国共通じゃないかな、そのへんは」

「そ、そだね。弟にも……普通、ないかな」


 僕は姉たちが好きだ。

 それはでも、恋愛じゃなくて家族愛だと思う。

 だから、千奈の姉貴が兄貴だったとしても、なにも変わらない。身体が男でも、心が女ならそれを大事にするべきだしね。

 勿論もちろん、なんだか妙な趣味をこじらせてる楓夜フウヤお姉ちゃんも同じだ。

 趣味は千差万別、人それぞれ……認め合い、許容し合う。迷惑をかけ合って、互いにフォローし合う仲だと思う。翠子スイコ姉様も華凛カリン姉さんも、季央ねえも大好きだ。


「ねえ、麟児クン」

「うん?」

「ボク、ママに最後に聞いたんだ。姉のふりをした誰かが、麟児クンを狙ってるって」


 実際、千奈の姉貴は自分を偽っていた。

 本来の自分を出すことが、性別を偽ることになってしまったんだ。

 そういう意味では、季央ねえの言ってたことはあながち間違ってもいなかった。


「姉かどうかは、関係ないんだと思ったな。それは多分、ボクも一緒なんだ」

「そう、だね。だから、誰がどういう人と関係なく、みんな僕の姉だよ」

「五人……ボクも?」

「もう、とっくに大好きな姉だよ、季央ねえ」


 シュボッ! と季央ねえは赤くなった。

 僕も、言ってみてから言葉の意味合いに気付く。どうにも、ちょっと言葉の修飾しゅうしょくが足りなかったようだ。飾らない気持ちほど、説明が必要になるのが日本語というものだし。


「あ、家族として好きってことだけど……季央ねえ?」

「そっ、そそ、そうだよね! うん、ボクもわかってるよ。ボクも姉として、キミがかわいい。キミが、すっ、すす、好き、だ……と、思う。気がする。そんな感じかな」


 不意に、夏の朝が遠ざかる。

 せみの声も消え去って、静寂。

 僕は勿論、季央ねえも彫像のように固まってしまった。

 窓辺の風鈴ふうりんが風に鳴る、その小さな音も聴こえてはこない。

 不思議と季央ねえの口が、なにかを言いかけてはつぐまれる。そのつやめいた唇が、鮮烈な赤さで僕の体温を急上昇させている気がした。


「……ボク、ずっとママと二人きりだったから。だから、あんまり家族の団らんというか、こういうの、知らないんだ」

「季央ねえのお母さんは」

「物心ついた頃から、ずっと病気で。この間、パパのとこに旅立ったかな」

「そう。なら、僕と一緒だね。僕は母さんの記憶がないけど、父さんがいてくれたから」


 その父も、十年前にってしまった。

 でも、財産と一緒に大勢の姉を遺してくれた。それって、僕の母さん的にはどうなんだろうと、思わないでもない。でも、おかげで毎日賑やかに楽しく暮らせてる。

 ただ、不思議と今日は素直なさびしさが沸き起こった。

 あんなに素敵な姉たちに囲まれて、さらに一人増えたのに。

 それなのに、寂しいなんて思うのは変だ、贅沢ぜいたくだ。


「寂しい、って言ったらおかしいかな、季央ねえ」

「ん、どうしてだい?」

「だって、どう見ても僕は恵まれてるんだもの」

「誰がどう見るかは、関係ないさ。寂しいんだね? 麟児クン」


 そっと季央ねえの手が、頬に触れてきた。

 その手に手を重ねて、静かに頷く。

 どうしようもない寂寥せきりょうの正体は、多分ここ最近の異変だと思う。今朝話したけど、わかってもらえても不安が残る。

 だってもう、僕は普通じゃない。

 突然、バケモノみたいな力の持ち主になってしまったんだ。

 千奈の姉貴は女装しても綺麗だし、それが彼女の正直な姿ならいいと思う。むしろ、うらやましい。僕は……僕が僕じゃなくなってゆく感覚と共に、日常から遠ざかってる気がして。そう思うと、時々無性に寂しくなる。


「麟児クン、自分が普通じゃないと思うかい?」

「まあ、どう考えてもこれは」

「普通っていうのは、定義が曖昧だね。けど、キミはボクにとって……ボクたち姉にとって、普通じゃなくて当たり前だよ。だって、特別な存在なんだから」


 季央ねえの声が、僕を現実に引き止める。

 同じ言葉が、四人の姉たちからも絶えず届いている。

 大丈夫だと思えばそうだし、それでも気持ちは揺らいでいる。

 でも、そんな僕を見詰めて、季央ねえは微笑ほほえむ。

 涼やかで勝ち気な、無敵の笑顔だった。

 だが、不意に世界が色と音とを取り戻す。

 それは、玄関でチャイムが鳴ったからだった。


「ッ! あ、ああ、うん、お客さんみたいだね! いいよ、ボクが出てくる!」

「季央ねえ、今」

「違うよ、違うから! それ以上言ったら、ぶつからね。は、恥ずかしくなってきたよ、もぉ!」


 グッと脚線美きゃくせんびを振り上げて、その勢いと反動で季央ねえは机を飛び降りる。

 そうしてニハハと照れ笑いしながら、行ってしまった。

 僕はその背を見送り、頬に手を当てる。

 季央ねえが触れていた、その感触とぬくもりがまだ感じられる気がした。


「ふう……今日も暑くなりそうだなあ、うんうん」


 我ながら間抜けな話だけど、つまらない独り言でも言わないと爆発しそうだった。

 寂しさなんて吹き飛んでしまった。

 寂しく思うひまなんかないくらい、僕の周囲は賑やかで晴れやかで、すこやかで。今もって僕に起こった怪現象は解決の見込みもないけど、希望もある。

 希望なんて、いくらでもあると思わせてくれる人たちがいるんだ。


「それにしても、季央ねえ遅いな……なにかの勧誘かな? ……あ、もしかして」


 玄関の方からは、人の声が聴こえるが、小さい声が言の葉をかたどらない。

 嫌な予感がして、僕は椅子を蹴った。

 ここ最近はなかったけど、定期的に僕の家には招かざる客がくる。僕の兄弟や親戚を名乗って、父の財産を狙う人が後をたたないのだ。

 いつもは翠子姉様が撃退してくれるけど、僕だっていつまでも守られるだけじゃない。

 けど、今回はその最たるもので、思えば不可避の災厄だったと思う。

 その証拠に、季央ねえの悲鳴が響いて僕は脚力を爆発させる。


「季央ねえ! 大丈夫、今――あっ!」


 ふすまをブチ破る勢いで縁側えんがわに出て、そのまま玄関へと猛ダッシュ。

 そこで僕が見たのは……姉とそっくりな顔を持つ、スーツ姿の紳士だった。

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