第9話「告白の朝」

 その夜はなんだか、寝付けなかった。

 僕は何度も繰り返し、お風呂場での姉貴とのことを思い出してしまう。姉じゃなくて兄だったけど、とても美しい人。

 でも、衝撃的な内容と、なにより千奈チナの姉貴が背負った苦しみが胸に刺さった。

 そんな想いを抱えて、あの人はずっと僕を守ってくれていたんだ。

 そう思ってたらいつの間にか眠ってて、僕は盛大に寝坊してしまった。


「みんな、ごめん! 今、朝ご飯を……あ、あれ?」


 着替えもそこそこに、僕は慌ててリビングに顔を出した。

 すでにそこには、ジャージ姿の翠子スイコ姉様が新聞を呼んでいる。華凛カリン姉さんはテレビで星占いをチェックしてるし、二人共優雅にコーヒーを飲んでいた。

 そして、ダイニングキッチンからはいい香りが漂ってくる。

 見れば、フライパンを握っているのはあの季央キオねえだ。

 危機的状況だと思って、思わず僕は駆け出したが――


「そうそう、季央。やればできる子だね、君は」

「当然さ! あ、麟児リンジクン! おはよ、見て見てっ! これ、ボクが焼いたんだよ!」

「さっきまで、卵も割れなかったんだけどね」


 ニパッ! と季央ねえは満面の笑みだ。

 うん、卵料理は全ての基本だからね。で、彼女にそれを仕込んでいるのは、千奈の姉貴だった。彼女は今日も以前と変わらず、長い髪を頭の後ろで結ってる。

 Tシャツにホットパンツというラフないでたちも、普段と変わらない。

 でも、言われてみると確かに……男性の体つきのような、そうでもないような。

 いつも女と間違われる僕には、ちょっとそのへんの機微はわからない。

 ただ、男だと言われても美男子で、それ以上に中性的な美少女に見えてしまう。

 そうこうしていると、最後に眠そうな顔で楓夜フウヤお姉ちゃんが現れた。


「あれぇ? 今日、麟ちゃんが作ってるんじゃないんだ……」

「おはよう、楓夜! 今日はボクが作ったよ。千奈はものを教えるのが上手いね。きっといい先生になる」

「ほーほー、季央ちゃんが。……わたしの大事なマグカップを割った、あの季央ちゃんが」

「うっ! 根に持つね、キミ。ま、まあ、あれは、その」

「冗談だよぉ。いい匂いしてるし、お腹へったかも。ご飯にしよ」


 皆、それぞれテーブルへ向かって集まり出す。

 だが、季央と皿を並べながら、千奈の姉貴が「待って、みんな」と言葉で遮った。

 彼女はゆっくりと全員を見て、最後に僕に小さくうなずいた。

 そして、少し逡巡する素振りを見せてから、話し出す。


「ごめん、ご飯の前にちょっと……みんなに伝えなければいけないことが、あるんだ」


 誰もが色めきだって、互いに顔を見合わせていた。

 翠子姉様だけが、静かに一言つぶやく。


「千奈」

「いいんだ、翠子。私、もう麟児には話したから」

「……そう」

「うん。だから」


 それ以上、翠子姉様はなにも言わなかった。

 多分、長女として最初から全てを知っていたのだろう。

 だが、華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんは、目を丸くしている。

 ただ一人、季央ねえだけが物怖ものおじせずに朝食の準備を進める。


「ボクの焼いた目玉焼き、冷めちゃうよ。ねえ、千奈」

「ごめんね、季央。ちょっとだけ私に時間をくれないかな?」

「ま、まあ、そう言うなら」


 いつもは団らんの空気で、朝からこの場は華やいでいる。女は三人寄ればかしましいと言うが、四人と一人になって一段と賑やかなはずだった。

 でも、今この瞬間は静まり返っている。

 そして、その重苦しい沈黙を姉貴は自ら破った。


「実は、みんなに謝らなきゃいけないことがある。私は、秘密にしていたことがあるんだ」


 すかさず華凛姉さんが割って入った。

 彼女はニヤニヤしつつ、姉貴の隣に立つ。


「秘密ってなにかにゃー? もしや男でも出来たか? うりうりっ、どうなんスかー?」

「いや……好きな人はいるけど、今日はその話じゃないよ」

「そ、そっか、ごめん。なんか……こう、あたしちゃんが茶化していい感じじゃなくね? 深刻な話ってゆーか」

「ん、まあ、そうなんだけど」


 ちょっとバツが悪そうに、姉さんはバリボリと頭をかいた。

 そして、いつものキラキラした笑顔になる。


「ま、なんでもあたしちゃんに言ってみそ! 家族じゃんかよー」

「ふふ、ありがとう。みんなも、いいかな」

「りんりーだってみんなだって、全然大丈夫だってばよ! で? 告白ってなんじゃらほい?」

「うん、実は」


 いざという時、その瞬間を千奈の姉貴は躊躇ためらわなかった。

 自然に、さも当然のようにさらりと言い放つ。


「実は私、麟児の姉じゃないんだ。男なんだよね」

「あー、そういう! なるほどねー、男だったんだ! ……ほへ?」

「いや、だからね華凛……私、姉貴じゃなくて兄貴なんだ」

「またまた、朝から笑えない冗談を! ナハハ、ハ、ハハ……マジで?」

「いや、大真面目おおまじめで」


 季央ねえは落ち着いていたが、楓夜お姉ちゃんは目を白黒させている。

 そして翠子姉様は、大きな溜息ためいきを一つこぼした。

 華凛姉さんだけが、状況がわからないのか空気が読めてなかった。

 さっき、ちょっといいこと言ったのに台無しである。


「えっ、じゃあ……女装、してた?」

「うん、そうだね。私、自分自身のパーソナルは女なんだ」

「男の娘だ! 学校じゃあんなに男女に人気あるのに」

「そう、だから誰からも一定の距離を置いてたんだよ」

「……ちょっと、いい? メンゴメンゴ……そいやっ!」


 華凛姉さんは、恐る恐るという感じで……こともあろうか、姉貴の股間に手で触れた。この時点でもう、翠子姉様は頭痛をこらえるようなポーズでうつむいている。

 メガトン級のセクハラだったが、千奈の姉貴は好きにさせていた。

 多分、一番簡単に納得してもらえる行為だと思ったのだろう。


「えっ、ホントだ! ちょ、ちょっと待って、ふーむ!」

「いや、そのへんで……ね? それ以上は駄目だよ、華凛」

「あっ、ごめん、つい。……りんりー、元気出しなよ?」


 ん? なんでそこで僕に振るの?

 華凛姉さんはムフフといやらしい笑みを浮かべて、そして皆に宣言した。


「確認しました! 千奈っちは男の子です! だから、今後も男の娘なのです! りんりー、比較は不幸を呼ぶよ。なに、あと数年もすれば、りんりーも立派になるって」

「いや、ちょっと言ってる意味がわからないんだけど」

「大丈夫、あたしちゃんは理解あるからさ! ボーチョー率で勝負だぜっ!」


 あ、これいつものウザい流れだ。

 だけど、華凛姉さんは改めて、千奈の姉貴の手を取った。

 自分の股間をじっくりねっぷりさすってた手に、流石さすがの姉貴も笑いを引きつらせる。

 けど、華凛姉さんははっきりと迷いのない言葉を並べた。


「姉じゃなくても、男でも……家族は家族じゃん? 男手があるっていいことだし、なにも変わらないって。でしょでしょ?」

「そう、かな」

「そうなのっ! みんなもいいッスよねー? 今まで通り、千奈っちがこの家の次女でいいよね? はい決まった! そゆことで、ご飯にしよ、ね?」


 珍しく、翠子姉様がクスリと笑った。

 季央ねえなんかは、特に気にした様子を見せない。


「私は構わなくてよ? 妹か弟かなんて、些細なことだわ」

「ってか、翠子? キミ、知ってたような素振りだけど」

「あら、季央。女は誰でも秘密を持つものですわ。秘密の数だけ魅力があるの」

「ふーん……ちなみに男だけどね、千奈は。でも、いいな……家族って、いいね」


 ふと、季央ねえが遠い目をした。

 その横顔が寂しげで、思わず胸の奥が疼く。

 だが、背後で突然どんよりとした負のオーラが渦巻いた。

 振り返るとそこには、楓夜お姉ちゃんが闇に包まれている。

 いわゆる悪堕あくおち状態だ。


「千奈ちゃん……男、だったの。そう……じゃあ、お姉ちゃんじゃ、ないね……」

「う、うん。ごめんね、楓夜。あ、でも私はちゃんと一応――」

「じゃあ、お姉ちゃんじゃないから! 千奈ちゃんは! ……

「……は?」


 この場の空気が凍りついた。

 え、なにそれ、ちょっと待って。

 千奈の姉貴は慌てて反論する。


「あのね、楓夜。私は男だし、麟児だって男の子だし」

「わたし、男は男同士、女は女同士で恋愛するものだと思うの!」

「ア、ハイ。じゃなくて! それにね、私もちゃんと血は半分だけ繋がってる」

「半分は他人なら、四捨五入して全部他人だよぉ! それでも、お姉ちゃんなら麟ちゃんは過ちをおかさないと思ってた。でも、でもっ、姉じゃないなら」


 駄目だ、腐ってやがる……ってやつかな?

 楓夜お姉ちゃんの趣味については、あまり言及したくはないが、いわゆるというやつなんだよな。アニメやゲームは華凛姉さんも好きだけど、楓夜お姉ちゃんは自分の世界をどんどん作って、その中に埋まってくタイプの人なんだ。

 僕はやれやれと苦笑しつつ、そっと楓夜お姉ちゃんに寄り添う。


「お姉ちゃん、僕は前と変わらず千奈の姉貴が好きだし、それは楓夜お姉ちゃんも一緒だよ。前からずっと、みんなが好きだ」

「で、でもぉ……あ、わたしも千奈ちゃんは、今までと同じでいいの! むしろ、エモいからそのままでいてほしいのぉ! ……それに、外でなにか言う人がいたら、わたしが始末するから」

「いや待って、恐い、恐いから。ふふ、でも……楓夜お姉ちゃんも、わかってくれるよね。僕も話さなきゃいけないことがある。ここ最近の僕の異変についても」


 とりあえず、あとは朝食を食べながらということになった。

 その日の味を、僕はずっと忘れないだろう。

 ちょっとげっぽい目玉焼きと、姉たちの優しさに満ちた食卓。千奈の姉貴は兄貴だけど、ずっと僕の大切な姉なんだということ……それはこの場の全員が共有する想いだと知ったから。

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