第9話「告白の朝」
その夜はなんだか、寝付けなかった。
僕は何度も繰り返し、お風呂場での姉貴とのことを思い出してしまう。姉じゃなくて兄だったけど、とても美しい人。
でも、衝撃的な内容と、なにより
そんな想いを抱えて、あの人はずっと僕を守ってくれていたんだ。
そう思ってたらいつの間にか眠ってて、僕は盛大に寝坊してしまった。
「みんな、ごめん! 今、朝ご飯を……あ、あれ?」
着替えもそこそこに、僕は慌ててリビングに顔を出した。
そして、ダイニングキッチンからはいい香りが漂ってくる。
見れば、フライパンを握っているのはあの
危機的状況だと思って、思わず僕は駆け出したが――
「そうそう、季央。やればできる子だね、君は」
「当然さ! あ、
「さっきまで、卵も割れなかったんだけどね」
ニパッ! と季央ねえは満面の笑みだ。
うん、卵料理は全ての基本だからね。で、彼女にそれを仕込んでいるのは、千奈の姉貴だった。彼女は今日も以前と変わらず、長い髪を頭の後ろで結ってる。
Tシャツにホットパンツというラフないでたちも、普段と変わらない。
でも、言われてみると確かに……男性の体つきのような、そうでもないような。
いつも女と間違われる僕には、ちょっとそのへんの機微はわからない。
ただ、男だと言われても美男子で、それ以上に中性的な美少女に見えてしまう。
そうこうしていると、最後に眠そうな顔で
「あれぇ? 今日、麟ちゃんが作ってるんじゃないんだ……」
「おはよう、楓夜! 今日はボクが作ったよ。千奈はものを教えるのが上手いね。きっといい先生になる」
「ほーほー、季央ちゃんが。……わたしの大事なマグカップを割った、あの季央ちゃんが」
「うっ! 根に持つね、キミ。ま、まあ、あれは、その」
「冗談だよぉ。いい匂いしてるし、お腹へったかも。ご飯にしよ」
皆、それぞれテーブルへ向かって集まり出す。
だが、季央と皿を並べながら、千奈の姉貴が「待って、みんな」と言葉で遮った。
彼女はゆっくりと全員を見て、最後に僕に小さく
そして、少し逡巡する素振りを見せてから、話し出す。
「ごめん、ご飯の前にちょっと……みんなに伝えなければいけないことが、あるんだ」
誰もが色めきだって、互いに顔を見合わせていた。
翠子姉様だけが、静かに一言
「千奈」
「いいんだ、翠子。私、もう麟児には話したから」
「……そう」
「うん。だから」
それ以上、翠子姉様はなにも言わなかった。
多分、長女として最初から全てを知っていたのだろう。
だが、華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんは、目を丸くしている。
ただ一人、季央ねえだけが
「ボクの焼いた目玉焼き、冷めちゃうよ。ねえ、千奈」
「ごめんね、季央。ちょっとだけ私に時間をくれないかな?」
「ま、まあ、そう言うなら」
いつもは団らんの空気で、朝からこの場は華やいでいる。女は三人寄ればかしましいと言うが、四人と一人になって一段と賑やかな
でも、今この瞬間は静まり返っている。
そして、その重苦しい沈黙を姉貴は自ら破った。
「実は、みんなに謝らなきゃいけないことがある。私は、秘密にしていたことがあるんだ」
すかさず華凛姉さんが割って入った。
彼女はニヤニヤしつつ、姉貴の隣に立つ。
「秘密ってなにかにゃー? もしや男でも出来たか? うりうりっ、どうなんスかー?」
「いや……好きな人はいるけど、今日はその話じゃないよ」
「そ、そっか、ごめん。なんか……こう、あたしちゃんが茶化していい感じじゃなくね? 深刻な話ってゆーか」
「ん、まあ、そうなんだけど」
ちょっとバツが悪そうに、姉さんはバリボリと頭をかいた。
そして、いつものキラキラした笑顔になる。
「ま、なんでもあたしちゃんに言ってみそ! 家族じゃんかよー」
「ふふ、ありがとう。みんなも、いいかな」
「りんりーだってみんなだって、全然大丈夫だってばよ! で? 告白ってなんじゃらほい?」
「うん、実は」
いざという時、その瞬間を千奈の姉貴は
自然に、さも当然のようにさらりと言い放つ。
「実は私、麟児の姉じゃないんだ。男なんだよね」
「あー、そういう! なるほどねー、男だったんだ! ……ほへ?」
「いや、だからね華凛……私、姉貴じゃなくて兄貴なんだ」
「またまた、朝から笑えない冗談を! ナハハ、ハ、ハハ……マジで?」
「いや、
季央ねえは落ち着いていたが、楓夜お姉ちゃんは目を白黒させている。
そして翠子姉様は、大きな
華凛姉さんだけが、状況がわからないのか空気が読めてなかった。
さっき、ちょっといいこと言ったのに台無しである。
「えっ、じゃあ……女装、してた?」
「うん、そうだね。私、自分自身のパーソナルは女なんだ」
「男の娘だ! 学校じゃあんなに男女に人気あるのに」
「そう、だから誰からも一定の距離を置いてたんだよ」
「……ちょっと、いい? メンゴメンゴ……そいやっ!」
華凛姉さんは、恐る恐るという感じで……こともあろうか、姉貴の股間に手で触れた。この時点でもう、翠子姉様は頭痛をこらえるようなポーズで
メガトン級のセクハラだったが、千奈の姉貴は好きにさせていた。
多分、一番簡単に納得してもらえる行為だと思ったのだろう。
「えっ、ホントだ! ちょ、ちょっと待って、ふーむ!」
「いや、そのへんで……ね? それ以上は駄目だよ、華凛」
「あっ、ごめん、つい。……りんりー、元気出しなよ?」
ん? なんでそこで僕に振るの?
華凛姉さんはムフフといやらしい笑みを浮かべて、そして皆に宣言した。
「確認しました! 千奈っちは男の子です! だから、今後も男の娘なのです! りんりー、比較は不幸を呼ぶよ。なに、あと数年もすれば、りんりーも立派になるって」
「いや、ちょっと言ってる意味がわからないんだけど」
「大丈夫、あたしちゃんは理解あるからさ! ボーチョー率で勝負だぜっ!」
あ、これいつものウザい流れだ。
だけど、華凛姉さんは改めて、千奈の姉貴の手を取った。
自分の股間をじっくりねっぷりさすってた手に、
けど、華凛姉さんははっきりと迷いのない言葉を並べた。
「姉じゃなくても、男でも……家族は家族じゃん? 男手があるっていいことだし、なにも変わらないって。でしょでしょ?」
「そう、かな」
「そうなのっ! みんなもいいッスよねー? 今まで通り、千奈っちがこの家の次女でいいよね? はい決まった! そゆことで、ご飯にしよ、ね?」
珍しく、翠子姉様がクスリと笑った。
季央ねえなんかは、特に気にした様子を見せない。
「私は構わなくてよ? 妹か弟かなんて、些細なことだわ」
「ってか、翠子? キミ、知ってたような素振りだけど」
「あら、季央。女は誰でも秘密を持つものですわ。秘密の数だけ魅力があるの」
「ふーん……
ふと、季央ねえが遠い目をした。
その横顔が寂しげで、思わず胸の奥が疼く。
だが、背後で突然どんよりとした負のオーラが渦巻いた。
振り返るとそこには、楓夜お姉ちゃんが闇に包まれている。
いわゆる
「千奈ちゃん……男、だったの。そう……じゃあ、お姉ちゃんじゃ、ないね……」
「う、うん。ごめんね、楓夜。あ、でも私はちゃんと一応――」
「じゃあ、お姉ちゃんじゃないから! 千奈ちゃんは! ……麟ちゃんの恋愛対象になるってことだよぉ」
「……は?」
この場の空気が凍りついた。
え、なにそれ、ちょっと待って。
千奈の姉貴は慌てて反論する。
「あのね、楓夜。私は男だし、麟児だって男の子だし」
「わたし、男は男同士、女は女同士で恋愛するものだと思うの!」
「ア、ハイ。じゃなくて! それにね、私もちゃんと血は半分だけ繋がってる」
「半分は他人なら、四捨五入して全部他人だよぉ! それでも、お姉ちゃんなら麟ちゃんは過ちをおかさないと思ってた。でも、でもっ、姉じゃないなら」
駄目だ、腐ってやがる……ってやつかな?
楓夜お姉ちゃんの趣味については、あまり言及したくはないが、いわゆる腐女子というやつなんだよな。アニメやゲームは華凛姉さんも好きだけど、楓夜お姉ちゃんは自分の世界をどんどん作って、その中に埋まってくタイプの人なんだ。
僕はやれやれと苦笑しつつ、そっと楓夜お姉ちゃんに寄り添う。
「お姉ちゃん、僕は前と変わらず千奈の姉貴が好きだし、それは楓夜お姉ちゃんも一緒だよ。前からずっと、みんなが好きだ」
「で、でもぉ……あ、わたしも千奈ちゃんは、今までと同じでいいの! むしろ、
「いや待って、恐い、恐いから。ふふ、でも……楓夜お姉ちゃんも、わかってくれるよね。僕も話さなきゃいけないことがある。ここ最近の僕の異変についても」
とりあえず、あとは朝食を食べながらということになった。
その日の味を、僕はずっと忘れないだろう。
ちょっと
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