第8話「まずは姉貴が姉じゃない!?」

 僕にとっての、怒涛どとうの一日は終わった。

 さいわい、夕食は四人の姉……あらため、五人の姉に好評だったみたいだ。季央キオねえも、かつおのタタキに抵抗感はなかったようでなにより。

 まあ、鰹のレアステーキって表現、間違っちゃいないしね。


「でも、驚いたな……自称天才、季央ねえの意外な一面というか」


 夕食後の後片付けは、姉たちがいつも手伝ってくれる。

 それを見て、季央ねえも自主的に動いてくれたんだけど……これが、

 丁度そのことを思い出しつつ、僕は入浴中。

 お風呂場は、僕が一人きりになれる数少ないプライベートな空間だ。

 小さい頃は、よく翠子スイコ姉様が一緒に入ってくれたっけ。


「皿洗いだけで、あんなにドジばかり偶発させられる。これは一種の才能かもね」


 季央ねえは今日だけで、我が家の皿を五枚割った。

 あと、楓夜フウヤお姉ちゃんのお気に入りのマグカップも。

 なんていうか、あそこまで致命的に、そして局所的に不器用な人って初めて見る。でも、姉たちも文句こそ言うけど寛大だったし、季央ねえはどうやらニートから家事手伝いにランクアップしたようだ。

 家のことをアレコレやりたい、挑戦したいという心意気を僕は買うね。


「あとは、千奈チナの姉貴か。なんかちょっと、身構えちゃうなあ」


 僕の身体の異変。

 そして、そんな僕を襲う謎の敵。

 その首謀者らしき男は、千奈の姉貴にそっくりだった。

 いまだそれらは、点と点でしかない。突然現れ僕を守ってくれる、季央ねえの存在もそうだ。全てがバラバラな要素でしかなく、線を結ぶことがない。

 だから、どんな絵が隠されているかがわからないんだ。

 ただ、大きな陰謀の青写真だけは、おぼろげに予想できる。

 僕は湯船から出て、鏡に写る自分を見詰めた。


「……見た目は全然、変わらないのにな」


 相変わらずひょろりとせっぽちで、チビで、そして女の子みたいな顔立ちの少年がそこにはいた。薄く肋骨ろっこつの浮き出た脇腹に、細い手足。

 常軌をいっした身体能力が宿っているようには見えない。

 運動は苦手な訳じゃないけど、筋肉質という言葉とは無縁な身体だ。

 僕が小さく溜息ためいきこぼしていると、突然姉貴の声がした。


麟児リンジ、入ってる? よね?」

「ああ、うん。洗濯物? そこのかごにまだ」

「……ちょっと、いいかな」


 すりガラスの向こう側に、すらりと見心地のいい影が立つ。

 シルエットだけでも、千奈の姉貴はとても綺麗だ。

 体幹がいいんだろうな。とっても姿勢がいいから、ただ立ってるだけでも自然と目を引いた。そして、モザイクをかけたようなその姿が、妙に色っぽく見えてしまう。

 っていうか、なんで裸!?

 え、ちょっと待って!


「昼間の話だけどさ、麟児」

「待って、姉貴。どうして、その……服を脱いでるの?」

「ああ、うん。秘密を打ち明けようと思って」


 そんな、さも当たり前のように言わないで。

 そう思っていると、向こうでドアノブを掴む気配があった。

 慌てて僕は、湯船の中に飛び込む。

 視線を泳がせ彷徨さまよわせて、どうにも落ち着かない状態で姉貴を迎えた。湯気の煙る中に、千奈の姉貴はその裸体を立たせている。

 後ろ手にドアを締められ、僕には逃げ場がない。


「姉貴、ちょっと困る、かも。嫌、じゃ、ない、けど」

「ふふ、そういえば翠子が少し残念がってたね。麟児は最近、一緒にお風呂に入ってくれないって」

「そういう年じゃないし……そ、それより」


 頬が熱い。

 鼓動が高鳴り、浅い息がそれを加速させる。

 腹違いとはいえ、姉と弟なんだ。

 この美しい人は、僕の姉貴なんだ。

 そう自分に言い聞かせても、ほお火照ほてる。

 きっと、湯船のお湯が熱いせいだ、そうに違いない。

 でも、無遠慮ぶえんりょに千奈の兄貴は近付いてくる。


「麟児、大事な話なんだけど、さ」

「まず、大事なところを隠して、姉貴」

「ん、ああ……いや、見てもらった方が手っ取り早いと思って」


 千奈の姉貴は、ほどいた髪をタオルで頭の上にまとめてる。

 そして、首から下を全く隠していない。

 その薄い胸にうっすらと浮かぶ鎖骨まで、はっきり見て取れる。

 そう、全てが赤裸々せきららにさらされていた。

 なのに、僕は直視せぬよう目を逸らす。

 それでもチラチラ盗み見てしまう。

 そんな中、最初は気付けなかった……その言葉の意味に。


「麟児、ごめんね。実は私……

「……え?」

「父さんは、自分の子だと言ってくれたけどね。でも、私は父さんとは血の繋がりがないんだ」

「ああ、なんだ。つまり、えっと……種違たねちがいの異母姉弟いぼきょうだい?」


 静かに姉貴は首を横に振る。

 そうだよね、それってただの他人だものね。

 でも、父さんの血を引いていない?

 それじゃあ、千奈の姉貴は――!?

 驚く僕へと、躊躇ちゅうちょなく姉貴は近寄ってくる。

 僕は自然と立ち上がって、壁を背にして張り付いた。これ以上は下がれない、そういう距離なのに……姉貴は湯船の前で僕を真っ直ぐ見詰めてくる。


「私を見て、麟児。恥ずかしがることはないんだ」

「い、いや、そういう訳にもいかないよ。姉弟きょうだいでそういう距離感は、中学生の僕にはちょっといけないことだと思う」

「健全だね、麟児は。でも、本当に大丈夫なんだよ? それが、私の秘密だから」

「えっと、それは」


 いつもの颯爽さっそうとした微笑ほほえみだが、千奈の姉貴は目をうるませている。

 きっと、姉貴も羞恥しゅうちに震えているのだ。

 そして、衝撃の言葉が僕の鼓膜を揺さぶる。


「私は麟児の姉貴じゃない。父さんの……御暁高定ゴギョウタカサダの遺伝子を受け継いでいないんだ。でも、それでも……麟児とは半分だけ血が繋がってる」

「ちょ、ちょっと話が……ん? そ、それって」

「ほら、見て。姉貴じゃないだろ?」


 恐る恐る僕は、千奈の姉貴に向き合う。

 心の中で必死に「姉貴の裸、姉貴の裸、これは姉貴、今でも姉貴」と、念仏のように唱える。そうして、体内の血流集中を防ごうとした。

 それでも、まぶしい裸体に自然な興奮が込み上げる。

 そして……僕は、姉貴の言葉の意味を目撃してしまった。


「……あ、あれ? 姉貴?」

「姉貴じゃないんだ、ごめんね。ずっと、隠してたんだけど」


 そこには、見慣れたものがあった。

 

 つまり――


「あ、姉貴は……兄貴、だった?」

「うん」

「父さんの子じゃなくて、でも、母さんの子?」

「そう」


 僕は、あまりのショックに全身の力が抜けてしまった。

 そう、千奈の姉貴は……男だった。

 僕と同じ、男の子だった。

 つまり、普段は男の娘なのだ。

 全く気付かなかった、疑いもしなかった。でも、思い返せば千奈の姉貴、もとい兄貴は、肌をさらすことをいつも避けていた。家族で海に行っても、水着にはならなかったっけ。プールの時はお留守番だったのを思い出す。


「……女装、似合うね。いつも、綺麗、でした」

「ふふ、ありがと」


 ズルズルと僕は、湯船の中にへたり込んでしまう。

 しかし、確かに何度見ても男性だ。

 僕よりちょっと、ちょっぴりだけオトナだ。

 でも、次の一言は衝撃的で、それを口にする姉貴は辛そうだった。そして、性別が違っても僕はまだ、千奈の姉貴を自分の姉、家族だとはっきり感じていた。

 あまりに完璧な、まるで漫画やアニメのヒロインみたいに完全無欠な姉。

 その凛々りりしい姿を思い出すまでもなく、姉貴は優しい僕の姉なんだ。


「罪を告白するよ? 麟児……私と麟児は、同じように母さんから生まれた。でも、私は……私の父親は」

「……僕の、父さんじゃ、ない」


 姉貴は静かにうなずき、話してくれた。

 天才的な科学者だった父さんには、優秀な助手がいたらしい。その人が、姉貴の父親だ。そして多分……いや、確実にそうだ。

 僕を襲った謎の人物、それは父さんの助手だった人だと思う。

 なら、父の遺産を狙う理由にも想像がついた。

 誰よりも一番近くで、父の研究の数々を見てきたのだろう。その価値を知るからこそ、暴力的な手段で僕を亡き者にしようとしたんだ。


「私の父親は、あの男は……麟児の母さんに、酷いことをした。そして今、その消えないきずとして、私がいるんだ」

「……姉貴」

「姉貴じゃ、ない……もう、姉貴でいられなくなっちゃう」


 姉貴の頬を、涙が伝った。

 僕はようやく立ち上がると、そっと手を伸べその雫を拭う。


「姉貴は姉貴だよ。それが兄貴でも、同じことだ。僕の大好きな姉貴だよ?」

「でも、あの男は……父さんの研究の数々に目がくらんで。それ以前に、父さんに対して……何より、母さんに対して」


 僕は思わず、姉貴に身を寄せ抱き締めてしまった。その背を優しくポンポンと叩いて、体温を分かち合う。震える姉貴の、押し殺した嗚咽おえつが静かにタイルに反射して響くのを、僕はただ黙って聴いているしかできなかったんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る