第6話「忍び寄る闇、再醒する力」

 頭上を覆うような、声。

 その中に凝縮された悪意が、僕にはすぐにわかった。

 攻撃的な声音で、酷く興奮した叫びが響き渡る。


E.R.O.イーアールオースーツ……感情や激情を物理的な力に変換する、最強の戦闘用スーツ。これを着用した人間は、一人で一個中隊規模の戦闘力を発揮するのだ! それを、貴様はっ!」


 ここからは顔は見えない。

 けど、電柱の上で謎の人物はよく喋る。

 その口数の多さが、声を偽るその人の性格を表していた。

 恐らく、こうした現場での荒事あらごと、直接手を下すことに慣れていない人物だろう。となれば、この襲撃の首謀者の可能性もある。

 僕が妙な冷静さを発揮していると、季央キオねえが一歩前に出る。


「パパが作ったこのスーツは、兵器じゃない!」

「なにを言う! 貴様は現に今、その力で俺の手駒を破壊したではないか!」

「それは……でも、カーボノイドだって全部、人の役に立つために生まれたんだ!」

「そうだ、役立っているぞ! こんな木偶人形でくにんぎょうでも、俺の手駒としてなあ!」


 季央ねえがくちびるを噛んで、黙った。

 その身が震えているのは、E.R.O.スーツとやらの冷却材が冷たいからじゃない。

 彼女がパパと呼ぶのは、僕の父……科学者だった御暁高定ゴギョウタカサダのことだ。僕は、父の研究をあまりよく知らない。その手のことは全部、長女である翠子スイコ姉様が管理しているからだ。

 ただ、家族五人で何不自由なく暮らしていける、それだけの富を生んでいる。

 無数のパテントを持っているようで、その一部が軍事利用できるものなのだろう。


「季央ねえ、下がってて」


 僕は少し、頭にきていた。

 どこの誰だか知らないけど、随分と好き勝手やってくれる。

 これでも僕は温厚な方だと自負してるし、平和と平穏をなによりも愛しているんだ。そして、姉たちを大切に思っている。その日常を壊すようなやからに対して、決然とした怒りが込み上げてきた。


麟児リンジクン、危ないよ。大丈夫、ここはボクが」

「ん、大丈夫。あと、季央ねえ……あんまし視界に入らないでね」

ひどっ! ……しゅん」

「いや、その……僕には刺激が強過ぎるから。それと」


 僕は、握ることもまれな拳を両手に作る。

 拳の中に、爪が痛いくらいに固く握り締める。

 すでにカーボノイドは周囲にはいなかったが、謎の人物が立つ電柱までは、少し距離がある。でも、たった数十メートル程だ。

 


「で、そっちのガキが高定の娘か! 貴様、答えろ! 高定の遺産、それも特別な最高傑作と言われる――」

「僕は、男だ。それと……少し、いや、かなり……うるさいよ」


 季央ねえの息を飲む気配を、置き去りにする。

 僕は軽く地を蹴り、自分を弾丸に変えた。

 あっという間に、僕は空の中を駆け抜ける。

 そして、振りかぶった拳を目の前の人間に叩きつけた。


「な、なにっ!? 馬鹿な!」

「失礼だね。僕は馬鹿じゃないつもりだけど。ああでも、姉馬鹿あねばかな姉なら四人いるかな……甘やかされてる自覚は、ある、ねっ!」


 咄嗟とっさに敵は飛び退いだ。

 僕の大振りな一撃は、奴が立っていた電信柱に直撃する。

 その瞬間、僕ははっきりと見た。

 謎の人物は、長い長い黒髪を頭の後ろで結んでいる。いわゆるポニーテイルというやつだ。そして、端正な細面を激昂げきこうゆがめている。

 あらわになった素顔に、僕は見覚えがあった。

 そう、毎日一緒に暮らしてる。

 登校前は僕を抱き締めるのがルーティーンの、それは――


「えっ……姉貴あねき? 千奈チナの、姉貴!?」

「ええい、クソッ! そうか、高定の子は男児か! フッ、まあいい」


 その男は……そう、肉声は若い男のものだった。

 男はこの暑い中でも、きっちりとスーツにネクタイで、マントを羽織はおっている。ちょっとセンスを疑う着こなしだが、僕の攻撃をあっさりと避けてみせた。

 千奈の姉貴にそっくりな、中性的な顔立ちの男が飛び去る。

 それを見送りつつ、僕は重力につかまった。

 目標を逸れた僕の拳が、唐竹割からたけわりのように電柱を上から粉々にしてゆく。そのまま着地すれば、立ち上がる僕には全く怪我がなかった。


「えっと、うん……とりあえず、季央ねえ」

「……ほへ? あ、ああ、うん! つ、強いね、麟児クン。ボク、びっくりした」

「まあ、ちょっと事情があって。最近、なんだか身体がおかしいんだ」


 流石さすがに季央ねえも驚いたみたいだ。そんな彼女に歩み寄って、とりあえず裸も同然の格好をどうにかしてもらう。

 元の服装に戻った彼女の手を握り、僕はとりあえずその場を離れた。

 例のカーボノイドとかいうのは、サラサラと黒い粉になって風に消えてしまった。






 僕は季央ねえと、コンビニに来ていた。

 単純に、朝ご飯を作る時間が取れそうもないからだ。

 朝食の準備よりも先に、季央ねえと二人で話したかったのもある。彼女は僕より、父の遺産を狙う謎の男を知っていると思ったから。

 彼女は僕を守ると言ってくれたのだから。

 だが、早朝のコンビニで季央ねえは、何故かテンション爆超だった。


「凄い、日本のコンビニ凄い! スイーツが沢山……やだ、どうしよ。ボク、手持ちの日本円って持ってたかな」

「えっと、季央ねえ?」

「ホットスナックも充実してるね! 朝はいらないけど、いつでも買えるっていいかも」

「……とりあえず、ここは僕が持つから」


 適当に、サンドイッチやおにぎりを買う。

 翠子姉様は和食派で、紅鮭べにしゃけのおにぎりと、それとインスタントのカップ味噌汁みそしるを選ぶ。華凛カリン姉さんは朝からガッツリ派なので、ハムとチーズのサンドイッチ、そして惣菜パンを何点か。楓夜フウヤお姉ちゃんには、ベーグルにヨーグルトを付けよう。

 千奈の姉貴は……とりあえず適当に。

 今は考えが上手くまとまらないんだよね。

 で、振り返るとそこには……スイーツを両手に抱えた季央ねえがいた。

 朝ご飯はもっと、栄養価にも気を配ってほしいな。

 まあ、コンビニで済ませてしまおうと思った僕も僕なんだけど。


「麟児クン、日本って凄いじゃない! あ……そうだったね、朝ご飯を選ぶんだった」

「まあ、いいよ。甘いもの、好きなんだね」

「そだよ? 女の子は大半が、スイーツに目がないものさ」

「このかごに入れて。一緒に会計するから」

Dankeダンケ!」


 眠たげなバイト店員に会計をしてもらい、ついでにコーヒーを二つ買う。渡された紙コップにセルフサービスでマシーンがコーヒーをれてくれた。そんな些細ささいなことにも、季央ねえはどこかはしゃいでいるようだった。

 ドイツでは多分、コンビニはもっと殺風景なものなのかもしれない。

 飲食ができる隅のスペースで、僕たちは小さなテーブルを挟んで座った。


「えっと、まず、ありがとう。季央ねえ、助かったよ」

「フッフッフ、見たかい? ボクの強さを」

「いや、直視はちょっと……なにか上から一枚羽織るとかしてほしいなと思ったかな」

「グッ! ……ボ、ボクだって結構、恥ずかしいんだぞ? それに……E.R.O.スーツは本来、戦うために使うんじゃないんだ。本当は、パパは」


 うつむいてしまった季央ねえは、ひざの上でギュムと小さな拳を握る。

 忸怩じくじたる想いは、理解できる。

 そして同時に、少し嬉しかった。

 父は、真っ当な研究をして人々の暮らしを豊かにしたかったんだと思う。だが、文明の利器は諸刃もろはつるぎだ。火は暖も取れるし調理にも役立つ。けど、触れた全てを焼き尽くすことだってできる。ナイフだって飛行機だって、道具の使い方は表裏一体ひょうりいったいだ。

 季央ねえもそのことを、十二分に知っているらしい。


「そ、それに……お礼を言うのはボクの方。Dankeダンケ Schonシェーン。あ、ありがとう!」

「なら、おあいこだね。……季央ねえさえよければ、今後も助け合えたらって思う」

「本当は、ボクがしっかりしなきゃいけないんだけどね。見たでしょ? パパの遺産を狙う人間が今、暗躍している。顔、見た?」

「……いや、はっきりとは」


 まじまじと凝視ぎょうしした訳じゃないから、まだわからない。

 けど、あれは学園のマドンナとして男女を問わず大人気の、容姿端麗ようしたんれいにして文武両道ぶんぶりょうどうな姉の姿に似ていた。髪型も同じ……強いて言えば、千奈の姉貴はもっと緑色の強い黒髪だけれども。

 それも、なにかミスリードを誘っているのかとさえ思える。

 少なくとも今、僕は千奈の姉貴を疑うことはできないし、必要ない。


「話して、季央ねえ。僕も話す……この僕の身体に生じた、ここ最近の異変を」

「ん、そっちが先かな。ボク、昨夜から気になってた。自分でも色々調べたんだね?」

「……なにも、わからなかった。ただ、僕は……僕の身体は今、普通じゃない」


 進級して間もない、春先の出来事だった。

 突然、僕は全身を激しい痛みにさいなまれた。思えば、あれは自分自身が作り直されたかのような感覚だったと思う。

 そして、日常生活で信じられないほどの力を得た。

 超人的な筋力と反射神経、五感の全てが異常なまでに発達した。最初は、それを全てコントロールできずにいた。落ち着いてきたのは最近である。


「学校で、ちょっとやらかしちゃってね」

「それで学校、行ってないんだ? なるほどね」

「僕は今まで、凄いのは父の高定で、自分は普通の子供だと思ってた。でも、違った。この異常な肉体の状態は、父の研究となにか関係があるんじゃないかな」

「……ちょっと、ボクの方でも調べてみる。で、さっきの奴らなんだけどさ」


 僕は知った。

 はっきりとした敵が今、僕の生活を脅かしていると。

 それは僕ばかりか、愛しい姉たちをも狙っているかもしれない。

 とりあえず今は、先程見た首謀者と思しき男の顔……姉の一人によく似た人物だったことは、季央ねえには伏せておくことにした。

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