第5話「平凡な平和は昨日に去った」

 僕は夢を見ていた。

 昔の夢だ。

 忘れもしない、あの日の夢……死んだ父の葬儀の夢だった。

 親戚たちの参列はなくとも、沢山の大人が来ていた。皆、名刺めいしを置いて権利がどうとか研究がどうとか、難しい話ばかりしていたっけ。

 泣いている人間は、僕だけだった。

 そして、その涙を止めてくれたのは、自分を姉と名乗る少女だった。


『待たせたわね、麟児リンジ。守りに来ましたわ……もう決して、側を離れなくてよ』


 当時の僕にとって、翠子スイコ姉様は本当に頼もしい女の子に見えた。

 彼女はすぐに、利権に群がるだけの人たちを論破し、幼い僕から財産をかすめ取ろうとする者たちを追い返した。

 たった数年年上の、小学生くらいの姉は強かった。

 そして、優しかったのを今もよく覚えている。

 こんな夢を見ているのは、その翠子姉様と一緒に寝てるから……そう思った瞬間、僕は脇腹に鈍い衝撃を受けてベットから転がり落ちた。


「いたた……翠子姉様、こんなに寝相ねぞうが悪かったっけ?」


 そんなはずはない。

 ただ、抱き着きぐせというか、のようなものはあった。

 僕の見た目が彼女を追い越しても、しばらくは添い寝してくれた。その薄い胸に僕の頭を抱き締め、温もりで包んでくれたっけ。

 でも、寝相の悪さは……しかも、えぐるような膝蹴ひざげりを繰り出すことはなかった筈。


「ああ、そういう……え、なんで? どうして華凛カリン姉さんが?」


 身を起こしてベットを見れば、そこにネグリジェ姿はなかった。

 柔肌やわはだき出しにした華凛姉さんが、その白い腹をポリポリとかいている。

 確か僕は、渋々翠子姉様と寝たと思ったんだけど……?


「ムニャ、りんりー、あぶない……ロリババァは淫魔いんまにちげえねえってばよ……」

「寝ぼけてるのかな。いやいや、ロリババァはともかく淫魔って」

「それなー! ……ムニャムニャ、あたしちゃんがりんりーを守るかんね……めっちゃ守るかんね。いつでもあたしちゃん、は……」


 ちらりと見れば、くだんの翠子姉様は華凛姉さんの布団にくるまっている。しかも、何故なぜうなされてる。それもその筈、隣の楓夜フウヤお姉ちゃんが小さな姉の脚にかじりついている。

 ガジガジかじってる。

 うん、あれは痛そうだ。

 僕はとりあえず、華凛姉さんに布団ふとんをかけ直してやった。

 そして奇妙なことに気付く。


「あれ? 季央キオねえがいない……お手洗いかな?」


 ちらりと時計を見れば、まだ朝の五時だ。

 外ではすずめがさえずり、既に外は白んで明るい。

 今日も暑くなりそうな青空が、夜明けの光に染まっていた。


「布団はまだ温かい……ん? 今、玄関から音が」


 引き戸が静かに開いて、そして静かに閉じる。

 明らかに、気配を殺した動きだった。

 普通の人なら、多分拾えない音域だったと思う。でも、残念ながらもう僕は普通じゃない。そして、遠ざかる足音が季央ねえのように思えて立ち上がる。

 すぐにあとを追って、僕もサンダルをつっかけた。

 同じように無音で入り口を開け閉めして、門の外に出た瞬間だった。


「えっ……あ、えっと、ど、どうも。おはよう、ございます」


 目の前に、人がいた。

 人の形をしていたから、そう思った。

 けど、違った。

 全身が暗く塗り潰されて、黒光りした巨躯きょく。そう、大男だ。だが、性別を現す記号などどこにもない。無毛の黒いシルエットは、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの高身長。気持ち悪いほどに盛り上がった全身の筋肉は、時々光のパルスを随所に走らせていた。

 そんな無貌むぼうののっぺらぼうが、目もないのに僕をにらんだ。

 握った右のこぶしが、断頭台ギロチンやいばみたいに振り上げられる。


「……あ、これはまずいな。誰も見てないし、じゃあ今だけ――」


 死ぬと思った。

 殺されるとすぐにわかった。

 殺気すらない、全く感情も気配もない暴力が炸裂しようとしている。

 咄嗟とっさに僕は、普通を演じる自分を捨てようとした。

 けど、そのまえに柔らかななにかが僕を包んで、そして飛ぶ。


「危ない! 大丈夫かい? 麟児クン!」

「あれ、季央ねえ。えっと、あれは」

、ひらたく言えばアンドロイド、ロボットさ。パパは福祉や介護、危険作業のにない手として開発したけど……今じゃ破壊工作や暗殺に使われてる」


 僕を抱き寄せ、一気に飛んで転がったのは季央ねえだった。

 Tシャツにスパッツ姿の彼女は、まるで姫君を救った王子様のように僕を抱き上げる。

 そして気付けば、そのカーボノイドなる暴漢ロボットは、ずらりと僕たちを囲んでいた。その全てを一瞥いちべつして、不敵な笑みで季央ねえは僕を下ろす。

 そう、やっぱり今日も新しい姉の顔には圧倒的な自信が満ち溢れていた。


「麟児クン、キミを守るためにボクは来たんだ……キミは今、狙われている。姉を自称する怪しい女にも、その他諸々もろもろ厄介な大人たちにも!」

「姉を自称する怪しい女……自分で言っちゃうかなあ」

「えっ、なにそれ。麟児クン、ボクみたいな超絶美少女が怪しいと思う訳?」

「十分怪しいですよ。でも、助かりました。ありがとうございます」


 突然、シュボン! と季央ねえは赤くなった。

 そして、あわあわと言葉にならない声をうめき出す。


「そっ、そそそ、そうね、そうだよね! うん、感謝されてしかるべき……いや、でもちょっと、真っ直ぐ見られると……や、やだな、ボクってば動揺してる」

「まあ、それはあとにしてもらって。……ちょっと下がってて、季央ねえ」


 僕は季央ねえを背にかばった。

 ――つもりだった。

 だけど、それより早く季央ねえは一歩前に出る。

 手首につけた不思議な腕時計型端末に指を滑らせ、彼女はりんとした声を張り上げた。

 薄荷はっかを溶かしたような夏の朝に、雄々おおしく気高い気迫が響き渡る。


「どこの誰だかしらないけどね、麟児クンを狙う奴はボクが相手だ! ――Getゲット Setセット!」

Systemシステム Standbyスタンバイ……Readyレディ!』


 季央ねえの声に、電子音声が無機質に鳴った。

 彼女のたおやかな金髪が、逆立つ……まるで怒髪天どはつてん

 瞬間、周囲の景色が真っ白に塗り潰される。

 その苛烈な光は、季央ねえからほとばしっていた。

 そして、思わず僕は目を手でおおう。

 指の隙間から見た光景は、かろうじて季央ねえの影だけを浮かび上がらせていた。そう、瞬時に季央ねえは裸になっていた。

 光が消えて視界が回復すると……そこには戦いの守護天使セラフが立っていた。


Emotionalエモーショナル Rageレイジ Overedオーバード Suitスーツ――Setセット Upアップ!』

「E.R.O.スーツ、装着。さあ、ボクが相手だ! パパに代わってこの姉が……季央・ツェントルムが麟児クンを守る!」


 季央ねえは、一瞬素っ裸に見えた。

 だが、違う。

 神々が黄金率うつくしさ幾重いくえにも織り込んだかのような、均整の取れた肢体。女性の肉体美を現す曲線が、そのまま浮き出た姿は……首から下が奇妙なスーツで覆われていた。

 白を基調とした、赤と青のトリコロール。

 そのシルエットは生まれたままの姿だが、各所にプロテクターらしきものがある。普通じゃないスーツだし、正装スーツというよりは宇宙服、それもアニメや漫画に出てくるたぐいのぴっちりしたやつだった。

 そして、周囲のカーボノイドは季央ねえに一斉に襲いかかる。


「麟児クン、下がってて! こう見えてもボク、通信教育であらゆる格闘技をマスターしてるんだ。さあ、かわいい麟児クンに手を出すやつは……片っ端からやっつけちゃうよ!」


 華奢きゃしゃな季央ねえは、あっという間に囲まれた。

 だが、質量と数で圧殺するつもりだったらしいが、そうはならなかった。

 無数のカーボノイドが、季央ねえの蹴りで次々と宙を舞う。

 ちなみに、季央ねえは最初の場所から一歩も動いていない。

 常軌をいっした神速の蹴りが、一瞬で何十発も繰り出されていた。

 それが僕にははっきり見てた。

 僕だから、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが見て取れたのだ。

 季央ねえは最後の一体が繰り出す拳を、なんなく避けた。そして、そのまま大振りな一撃をかいくぐり、カーボノイドの背後に回って両手で組み付く。

 そのまま季央ねえは、見事なブリッジで背後へと投げジャーマンを打った。


「よしっ、パーフェクト! ボクの弟に手を出す奴は、叩き潰しちゃうぞ?」

Timeタイム Limitリミット!』

「おっと、いけない。E.R.O.イーアールオースーツの限界が……フルパワーじゃ30秒がせいぜいだね」


 季央ねえのスーツは、各所から白い煙を吹き出してゆく。どうやら冷却材のようで、その冷たさが僕のところまでたなびいてきた。

 季央ねえは地面に刺さったカーボノイドを手放し、巻き戻しの逆再生みたいに立ち上がる。


「麟児クン、怪我けがはないよね?」

「ええ。また助けられました。ありがとうございます」

「ふふ、いいね……もっと言って、姉をたたえて! ボク、絶対にキミを守るから」

「ただ、その……ちょっと、目の毒というか、僕には刺激が強いというか」


 季央ねえの、その胸の二房ふたふさの豊かな実りもくっきりと浮き出ている。全身の肉付きが、謎の戦闘スーツで強調されているのだ。

 露出が全くないことが、逆に奇妙ないかがわしさというか、である。

 そのことを僕が指摘しようとした、その時だった。


「おやおや……それはE.R.O.スーツのプロトタイプじゃないかあ。どこで手に入れたんだい? 美しいお嬢さん。……それは、高定タカサダの遺産は……全て俺のものの筈だっ!」


 声のする方を見上げて、朝日の眩しさに僕は顔をしかめた。

 逆光の中、電柱の上に誰かがいる。

 ボイスチェンジャーを通した、耳障りな声が確かに僕と季央ねえを射抜いていた。そこには、先程のカーボノイドにはなかった敵意と害意がはっきりと感じられたのだった。

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