第4話「夜は短し、戦え乙女!?」

 僕の部屋だけ、この家の一階にある。

 十畳じゅうじょうの和室で、これといった趣味もないから殺風景だ。ベッドと勉強机と箪笥たんす、あと少々の観葉植物。まあ、草木の世話は好きだね。

 だが、何故なぜか二階に全員自分の部屋を持っているのに、姉たちが布団を敷き始めている。

 それというのも全て、今日新たに姉となったらしい、季央キオねえのせいだ。


「へー、じゃあ季央ちゃんはもう大学出てるんだぁ? わたしと同じくらいの年に見えるけど、凄いのねぇ」

勿論もちろんさ! すでに博士号も幾つか取ってる。ボクはこう見えても、パパ譲りの天才だから」

「えぇ~? 本当でござるかぁ? あたしちゃん、ちょっち信じられないんですけどー?」


 いつの間にやら、季央ねえは楓夜フウヤお姉ちゃんや華凛カリン姉さんと打ち解けてる。ように、見える。三人は仲良く布団を敷きながら和気あいあいと話していた。

 会話が弾んでいるように見えるが、不可視の火花が飛び散ってるようにも思える。

 実は、季央が僕の部屋で寝ると言い出したため、二人の姉が押しかけてきたのである。


「ま、いいけどね」


 僕は勉強机での自習を終えて、椅子を回転させて振り返る。

 布団を三つ出したけど、そう言えば翠子スイコ姉様と千奈チナ姉貴あねきを見ていないな……まあ、二人は大人だから、もうこんな幼稚なことには付き合っていられないのかもしれない。

 そして、パジャマ姿の三人は早くも友好的なムードを脱ぎ捨てた。


「ちょい待ち! 季央っち、なんでりんりーの隣に布団敷いてるッスか?」

「そ、そうだよぉ! そこはわたしの特等席なんだからっ」

「いやいや、楓夜っち。オトウトロン補充のためにも、そこはあたしちゃんが」

「……華凛ちゃん、なんか言ったぁ? ねえ、なぁに? よく聴こえなかったんだけどぉ」

「やべっ、我が妹ながら超やべぇ! いいからそのダース単位で前科こさえてますみたいな目はやめるッスよぉ! 闇が深過ぎる!」


 うちの姉同士は仲良しだけど、そうでないことも多い。

 むしろ、そうじゃないことの方が多いかもね。

 だぼだぼにオーバーサイズのTシャツをワンピースみたいに着て、華凛姉さんは謎のポーズで身構えた。中国拳法? いや、なんか怪しいヨガのポーズみたいだ。

 対して楓夜お姉ちゃんもキャラクターもののパジャマ姿で瞳に暗い光を灯す。

 そんな二人に先んじて、さっさと季央ねえはベッドの横に布団を敷いた。


「さて、これでよし、と」

「ちょっと待ったぁ! 季央っち、なにをしれっと」

「そうだよぉ、この場で一番上のお姉ちゃんは、このわたしなんだからぁ」

「あ、そうだ。ねね、麟児リンジクン。ちょっと、いいかな?」

「無視した! あたしちゃん、激おこカムチャッカフレイムだぞい!」


 ご立腹モードであれこれまくしたてる華凛姉さんと、よどんだ瘴気しょうきみたいなオーラをにじませる楓夜お姉ちゃん。だが、季央ねえは全く二人を意に返さず僕を見詰めてきた。

 なんだか、真剣な表情だ。

 だが、彼女が真面目に切り出してきた話題に、思わず僕は表情を失った。

 チベットスナギツネみたいな、フラットな顔になってたと思う。


「麟児クン、これは姉として言っておくぞ? ……

「いや、えっと……なにを言ってるのか、ちょっと」

「知ってるのよ! あらゆる国の男の子は、みんなそうなの! 日本でも古来から、それこそサムライとかブシドーの時代から、ベットの下にはいけないものを隠してるんだよ!」

「いや、そんな時代の日本にベットはないと思うけど」


 けどまあ、わからなくもない。

 僕だって、こう見えても男だからね。

 女に見られることが多いけど、ちゃんと男だし……まあ、ちょっと心当たりはある。

 そうこうしていると、もの凄い変わり身の早さで華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんが身をひるがえした。

 二人の姉は季央ねえを挟んで、腕組みフフフと笑い出す。


「よく言いましたぁ! それでこそ、末の姉、我が妹ですよぉ」

「そうそう、そこにしびれるあこがれるぅ!」

「えっちなもの、きっと沢山書くしてるんですぅ。そ、それを取り上げるのは、これは姉の義務なんですぅ」

「りんりーが歪んだ性癖に目覚める前に、SMや熟女じゅくじょ薔薇ばらやら百合ゆりやら書いた本を没収するッスよ!」


 ウンウンと、季央ねえも大きくうなずく。

 そして三人は、我先にとベッドの下へ頭を突っ込んだ。

 ……まあ、見られて困るようなものは、ない。

 けど、困らないけど面倒だなとは思った。


「あっ、隊長! 第一エロ本発見ッス! かーっ、たまんねーなオイ!」

「ちょ、ちょっと、なんか沢山あるんだけど!? どうしよう……ボ、ボク、ドキドキしてきた」

「もぉ、薄い本ならお姉ちゃんの部屋に沢山あるのにぃ。声かけてほしかったなぁ~」


 三人はそろって、ベッドの下から本を取り出した。

 だが、それはいわゆる性的な興奮を目的とした書籍ではない。

 誰がなにに性的興奮を感じるかは別として、僕にはそうではない本ばかりだ。


「えっ、なに? ……医学書? ちょっと麟児クン、どうしてこんな本を?」

「こっちは、え? なんじゃとてーっ!? これ、オカルト雑誌ッスよね?」

「これは……なにかの論文かなぁ。……うぅ、絵のないやつ、頭痛くなっちゃうぅ」


 姉たちには心配をかけたくなかった。

 でも、どうしても僕は知りたかったんだ。

 今、この僕に起きてる異変、僕自身の特異な状況を。

 ネットでも随分調べたけど、ノイズのようにいらない情報ばかりが溢れている。やっぱり、昔から専門的な知識を得るためにはネットより手と足を使うのがいいみたいだ。

 色々図書館で調べたり、本屋で関連書籍を探したりもした。

 けど、どれも僕に納得をもたらすことはなかったんだ。


「えっと、姉さんたち、いいかな?」

「ア、ハイ」

「いいわよぉ」

「……パパの研究となにか、関係がある? 麟児クン」


 季央ねえが鋭い指摘を口にした。

 当たらずとも遠からず、かな……ただ、父の研究が関係してるどうかすらわからない。ただ、今の僕には悩みがあって、それは不登校とも無関係ではないのだ。

 いよいよ説明しなきゃいけなくなったと、この時は思った。

 でも、僕が口を開こうとした瞬間……ふすまが開いて、静かな声が響いた。


「夜は静かに。麟児にだって秘密の一つくらい、ありましてよ? それなんです、はしたない。あまり騒ぐようなら、私……怒ります、よ?」


 翠子姉様が現れた。

 まくらを抱き締めてるからよく見えないが、今日もまた色っぽいスケスケのネグリジェを着ている。扇情的せんじょうてきに感じないのは、極度の幼児体型で女児にしか見えないからだ。

 だが、彼女の鋭い視線に、三人は三者三様に気圧けおされ黙る。

 それでも口を開いたのは、やはり季央ねえだった。


「翠子っていったよね? キミ、気にならないの? 麟児クン、なんか変だと思わない?」

「例えば? 学校に行ってないこととかかしら」

「それはボクも一緒、能力のある人間はそれを証明さえすれば、既存きぞんの教育システムに参加する必要なんかないもの。麟児クンだってパパの血筋だし」


 たしか父は……御暁高定ゴギョウタカサダは、実は高校中退が最終学歴である。どうやって母と出会ったのか、そもそも母がどういう人だったかを僕は知らない。

 ただ、父の頭脳は常に社会に求められていた。

 父一人子一人の父子家庭ふしかていでも、経済的に困った記憶はない。

 幼い僕には、ちゃんと父の愛と、それがもたらす物質的な豊かさがあった。

 父が突然他界した、あの日までちゃんと。


「そう。私も同感ね、季央。ただ……それが私のかわいい麟児を無神経に詮索していい理由にはならないわ」

「それは……うん、そうだね。それだけは、ボクが無粋ぶすいだったし、失礼だった。ゴメン、麟児クン。他の二人はともかく、ボクを許して欲しい」

「ちょい待ち、あたしちゃんや楓夜っちも許して!」

「そ、そうだよぉ……じゃないと、呪っちゃうからぁ」


 許すもなにもないけど、三人は再び雑多な書物の数々をベッドの下に戻してくれた。

 僕は肩をすくめつつ、そういえばと首をひねる。


「翠子姉様、えっと……千奈の姉貴は?」

「自分の部屋じゃないかしら。もう寝たのかも」

「そっか。……いや、まあ、ちょっとそう考えるのは僕の自惚うぬぼれだな」

「千奈にも来てほしかったのかしら? でも、大丈夫。麟児には私がいるわ」


 そう言って、翠子姉様は仰天ぎょうてんの行動に出た。

 長女の発言にウンウンと頷いていた華凛姉さんと楓夜お姉ちゃんが、突然その場で飛び上がる。


「そういえば千奈っちは、昔からソロ活動がすこすこだったよねん。お風呂にも一緒に入ったことないし、着替えだって……って、翠子っち! なにをするだぁーっ!」

「そうそう、きっと胸が真っ平らなのを気にして、ってフシャーッ!」

「なにって、寝るに決まってますわ? これが運動するように見えるのかしら。ああ、因みに男女の営みは一回で平均して200mを全力疾走するくらいのカロリーが必要なのよね」

「なーるほどー、博識はくしきぃ! ……じゃねーっての、あやうく流されるとこだった! おうおう待ちな、待ちやがれってんだロリ畜生!」

「……ぶつわよ? 汚い言葉遣いは、めっ。お小遣こづかい、減らしちゃうんだから」


 さも当然のように、

 掛け布団を開いて、僕においでおいでと手招きする。

 グヌヌと華凛姉さんが唸る横では、顔を真赤にしながら楓夜お姉ちゃんがでダコみたいになっていた。


「そういえば……確かに、千奈の姉貴は一人でいることが多いよね」


 姉がベタベタしてくることは日常茶飯事だし、千奈の姉貴も毎朝僕を抱き締めないと学校に行きたがらない。でも、彼女はいつも明確な一線を引いて暮らしているようにも思えるのだ。

 自分で準備万端な時というか、体制の整った時しか身体で接してこないのだ。

 僕は今までの記憶を思い返していると、不意に小さな呟きが聴こえた。


「ふぅん、そう……なんだ、あからさまに怪しいのがいるじゃない」


 不敵にニヤリと笑って、季央ねえはそのまま布団に入った。

 しれっと彼女は、ベッドに一番近い場所で横になる。そして、今日は営業終了とばかりに、それ以上なにも言ってはこなかったのだった。

 まだまだ姉たちはどこで寝るかで賑やかだが、僕もそろそろ眠くなってきた。

 結論を待たずに、寝間着に着替えるべくそっと部屋を一時出るのだった。

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